研究1 自民党の党史検証

 (最新見直し2007.9.30日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 自民党の歴史については「自民党の歩み」があるので、これを参照しながら検証して行きたい。驚く無かれ、政党の歩みをかようにきちんと振り返りインターネット上でも公開しているのは自民党のみである。このことは何を意味するのだろうか。れんだいこ思案はこうだ。自民党のやっていることは自慢ほどのことではない、当たり前のことに過ぎない。問題は、この当たり前のことができていない自民党以外の政党のお粗末さに口アングリするばかりであるということではなかろうか。

 次に良く出来ているのが公明党である。しかし格段に落ちる。ところが、社民党、共産党となるとお粗末なことこの上ない。不満ならご確認してみれば良い。いわゆる新左翼党派の場合もお粗末な限りだ。党史を克明に記帳している党派があれば教えて欲しいぐらいだ。ところで、この現象は何を意味しているのだろうか。ものを云う場合もそうだ。自民党の誰それは分かりやすく時には例え話を持ち出して聴衆を笑わせながら話に誘い込む者も多い。その分失言も多いが。それに比して、左派の連中は対照的に小難しく語る。相手を責めるのを好むが「手前のとこはどうなんだ」と云われると口ごもる手合いが多い。これは何を語っているのだろうか。

 それはそうとして、自民党史を語ることは多面的であるだけに非常に難しい。「自民党の歩み」は政党の党史論であるので総じて提灯解説となっているのも仕方ない。れんだいこなりに解析しようと思うが、いろんな情報を網羅しても細かくなり過ぎるだけであり、簡略に過ぎたら流れが分からなくなる。そのうち閃きを得て趨勢に則り必要な記事を抜書きする方法でまとめてみようと思う。

 一つ云えることはこうだ。戦後直後から吉田茂―鳩山―岸辺りまでは「苦労人」の時代であった。池田―佐藤―角栄辺りまでが「働き人」の時代であった。三木―福田―大平―鈴木辺りまでが「調理人」の時代であった。中曽根―竹下―宇野辺りまでが「遊び人」の時代であった。海部―宮沢―橋龍―小渕辺りまでが「無能人」の時代であった。森―小泉までの現在になると「ごく潰し」の時代であろう。この間50年有余つまり半世紀を経ている。これも一つの世の盛衰の方程式のようなものであろう。

 気が付いたことはこうだ。歴代内閣の閣僚名簿が一まとめにされたものが無い。党三役と大臣名簿のセットのことを云うのだが、それぞれ別々のものしかないな。なぜだかわからないがアマチュアに分かりにくくさせているとしか考えられない。こういう基礎資料から追跡しないといけないので、多忙心痛のれんだいこには骨が折れるわ。

 2003.5.9日再編集 れんだいこ拝


目次

関連サイト 戦後政治史検証

自民党史総評
自民党前史1 戦後非常時内閣史 戦後の混乱期
憲法制定前後史 吉田のステーツマンシップが左派能力を上回る
吉田茂論
社会党政権史 史上初めての社会党政権誕生、その苦悩の軌跡
自由党政権史 吉田のワンマン体制確立される
自民党史2 自由民主党結党
岸信介論
自民党史3 国家的自立へ向けて
自民党史4 経済的繁栄に向けて
自民党史5 ハト派とタカ派の死闘戦時代
ハト派とタカ派の人脈考
田中角栄論
竹下派論
大平正芳論
鈴木善幸論
自民党史6 タカ派完勝とその後の経緯
土光臨調の悲劇
中曽根康弘論
角栄政治の対極としての中曽根政治との抗争考
角栄政治と一定親和する岸政治との興味深いハーモニー考
自民党史7 皇民党事件考
日本国溶解時代の痴態
自民党史8 橋本龍太郎論 無能無策極まれり
稀代のタワケ小泉政権考
「俵孝太郎著『戦後首相論』考」
歴代執行部
インターネットサイト
参考文献
情報ストック




(私論.私見)

鈴木善幸元首相が死去
 2004.7.19日、自民党の元衆院議員で元首相の鈴木善幸(すずき・ぜんこう)氏が逝去した。93歳だった。

 1911年1月11日、岩手県山田町生まれ。網元の家に生まれた。35年、農水省水産講習所(現東京海洋大)を卒業した。漁業組合運動に身を投じ、32年、三陸海岸一帯を襲った大津波を目のあたりにしたことが政治家を志した。47年4月の総選挙に社会党公認で出馬し初当選。社会革新党をへて民主自由党に移った。吉田茂元首相の率いる次回総選挙から民自党(当時)に転じて以後、連続16回当選を果たした。

 その間、52年に自治政務次官、60年には第1次池田内閣に初入閣して郵政相。64年、第3次池田内閣の官房長官に就任。病気退陣した池田氏から佐藤栄作氏へのバトンタッチに裏方の一人として尽力した。

 その後も佐藤内閣で厚相(第2、3次)を務め、68年から9期、自民党総務会長。官僚出身者の多い「宏池会」にあって、党人派として他派とのパイプ役を積極的に果たし、大平内閣の実現に力を注いだ。厚相、農相、党総務会長などを歴任。福田内閣では農相として日ソ漁業交渉を仕上げた。通算当選16回。党務では、68年以来、総務会長を繰り返し務め、党内の「まとめ役」だった。

 80年6月、衆参同日選挙のさなかの大平元首相急死のあと、宏池会を引き継ぎ、従来から太いパイプのあった田中角栄元首相の後押しで、7月、第70代首相に就任。2年4か月の首相在任。80年から2年あまり首相を務め、行革・財政再建に取り組んだ。首相指名を巡る「自民党40日抗争」で深刻な亀裂の入った党内の融和を目指し、「和の政治」を掲げ、内政では政策面では大平内閣の行革・財政再建路線を踏襲し、「増税なき財政再建」、「84年度までの赤字国債脱却」を公約に掲げた。マイナス・シーリングによる予算編成を行う一方、土光敏夫経団連名誉会長(当時)を会長とする臨時行政調査会(第2次臨調)を発足させ、歳出削減に取り組んだほか、国鉄など3公社の分割・民営化の答申を受け、道筋をつけた。行財政改革に取り組み、参院選の全国区を比例選に改める公職選挙法の改正などの業績を残した。

 しかし、81年5月の鈴木訪米の際の日米共同声明に盛り込まれた「日米同盟関係」の表現をめぐって「日米同盟には軍事的な意味は含まない」との解釈を示し、首相と外務省が対立、伊東正義外相(当時)が辞任。ワシントンでの記者会見で「シーレーン防衛」を約束し、日米共同研究に道を開いた。文部省の歴史教科書の検定に対して中国、韓国が日本に抗議、決着まで1カ月以上もかかった。

 総裁再選が確実視されていたにもかかわらず、82年10月12日、党総裁選で再選が確実視される中、「退陣することで党内の結束と融和、人心の一新を求めたい」と電撃的に表明。総裁選への不出馬を表明、退陣した。財政再建などの公約実現が困難になるなど政策課題が行き詰まったことや、内政、外交面での行き詰まりが首相退陣の引き金になったと言われた。しかし、赤字国債の追加発行に追い込まれ「赤字国債脱却」の公約は破たん。日米共同声明の解釈をめぐる81年5月の伊東正義外相辞任や、82年夏の教科書検定問題などで外交手腕にも疑問が投げかけられ、同年10月、党総裁選不出馬を表明、退陣した。

 その後、84年秋の総裁選で中曽根康弘氏の再選を阻止するため、竹入義勝・公明、佐々木良作・民社両委員長らとともに“二階堂(進氏)擁立劇“を画策。衆参同日選後の86年9月、派閥は宮沢喜一氏(当時蔵相)にゆだねた。89年10月、田中角栄元首相の政界引退から2週間後、突然「世代交代の大きな波は着実に進んでいると肌で感じている」と政界引退を表明、90年2月の総裁選に出馬せず、後任に長男俊一氏を充てた。(毎日新聞)
[7月19日22時4分更新]



オウム事件の本番
原発と中曽根
99・8月6日 http://www5a.biglobe.ne.jp/~shibuya/seizi01.htm
「構造的危険」があり、合理的な反対が各地で活発なのになぜ、日本電力業界と日本政府はこのような原子力政策を続けるのか。巷間言われているとおり「兆円」の税金を突っ込み、上がりの利権で最も効率が良いのが防衛利権と原子力利権だからだ。
利権額が巨大になるほど、世論形成は徹底し、抱き込まれる学者や議員は多くなる。時代に逆行して日本の原子力行政推進の中心は勿論、中曽根康弘だ。奴が隠然たる力を政界に誇示する理由は、利権規模の大きさに関係している。原発建設のトップは鹿島建設(現・鹿島)だ。高速増殖炉「もんじゅ」、「ふげん」、福島第一原発、1号、2号、3号、4号、5号、6号、福島第二、1号、2号、3号、浜岡1、2、3号、女川1号、浜岡1,2,3号、伊方1,3号、柏崎1,2,5号、島根1、2号、東海1、2、大飯1、2号、泊1,2号、これらは全部「鹿島」の建設だ。
鹿島建設の創業者・鹿島守之助の娘婿が渥美健夫で元会長だ。その息子直紀が結婚したのが日本・原子力委員長だった中曽根康弘の娘美恵子だ。日本の原子炉建設トップ企業と日本の原子力政策の推進者が「血族」として繋がっているのだ。ふざけてる、を通り越している。日本の典型的な利権の閨閥は年々、深くゆっくりと強化形成されている。1954年3月に中曽根康弘によって日本の国会に始めて原子力予算が上程された。4月に成立すると、日本の原子力政策は巨額の税金を「利権として吸い上げる」構造的汚職の巣窟と化して行った。自民党中枢と右翼団体の殆どが、ピラニアのように原発に群がり、食い尽くして行く。
原発利権の親玉は、大物勝共議員=統一の傀儡である中曽根ってことか。娘の嫁に行った先のゼネコンが、原発建設を独占しているワケね、やっぱり。この文書に出てくる、利権に群がる「右翼団体」というやつ、これも統一系列じゃないのか?これが、曖昧な噂話かどうか、さっそく調べてみよう!


[腐食の連鎖/広瀬隆著]
五四年三月二日、中曽根康弘によって、日本の国会に初めて原子力予算が上程され、その年に正力松太郎が、一年後に安部英の養父・高橋雄サイが、それぞれ読売新聞社に復帰できたのは、占領軍のアメリカがアジアの中心的基地として沖縄を確保し、日本人を軍事的に利用するためであった。またそれ以前におこなわれた日米間の取引きの中に、石井七三一部隊の免責が あった。「医学者たちの組織犯罪−−−関東軍第七三一部隊」によれば、亀井貫一郎という外交官が日米のあいだに立って、終戦直後に戦争犯罪人の免責に大きな役割を果たした、という部分である。その後、免責の機会に力を得た正力は、さらに衆議院議員に転じ、初代の原子力委員会委員長に就任して、戦前の隠然たる勢力を回復させることに成功した。以来、中曽根と正力が、政界における原発推進の両輪となって動いてきたという経過である。”。

2CH 告発します 4代目
世の中には悪い事をやっても捕まらない人と捕まる人が居る。捕まる人が田中角栄で、捕まらない人が中曽根康弘。 中曽根とナベツネの関係…、自分はてっきり中曽根が上でナベツネが下だと思っていたんだが、違うらしい。ソースは副島ですが。『渡邊恒雄 メディアと権力』を読んだ感想。長文です。
http://cgi.members.interq.or.jp/world/soejima/boyaki/today/wd200007.html
【サリン事件と自民党のCIA資金の関係】
[平成幕末のダイアグノシス/藤原肇著]
”最近公開された国務省の機密文書によると、CIAが自民党に対して政治資金を提供し、岸内閣の佐藤幹事長が受け取っていたので、日本の政治は外国のカネで動かされていた。日本政府が米国の諜報機関に操られた事実は、 1995年3月20日のLA・タイムス紙上で、マン記者が全項を使って解説しているが、日本とイタリーが売弁政治だったとして、国辱的な政治が歴史に記録されることになった。
それにしても、オウム真理教のサリン事件のドサクサに紛れて、この重大な売国事件は黙殺されてしまった。だが、世界の先進国が原子力発電を放棄した中で、核エネルギーに依存する道を突き進んだ路線と共に、日本の運命を狂わせた出発点がここにあった。
これに関連して興味深いのは征矢野仁の記述で、[読売新聞日本テレビ・グループ研究]に引用されたニューヨーク・タイムズの記事は、「...元CIA工作員(複数)の言によると、この他に、戦後の早い時期にCIAの恩恵を受けた人物として挙げられるは、強力な読売新聞の社主であり、一時期は日本テレビ放送網社長、第2次岸内閣の原子力委員会議長、科学技術庁長官となったマツテロ・ショーリキである」とあって、その後に訂正記事のエピソードを含むとはいえ、元CIA工作員の発言は否定されていない。正力と中曽根が田中清玄や児玉誉士夫などの利権右翼と結び、CIAコネクションの中で日本の政治に対して、エージェントとして動いていた姿が見え、正力の人脈が占領軍のG2(参謀第2部)に密着し、ウィロビー部長との結びついた意味が納得できる。原子力施設の工事で最右翼といわれ、中曽根と姻戚関係を持つ鹿島建設の繋がりが、闇の中から浮かび上がってくるのである。”
自民党がCIA資金で運営されていたとの報道を誤魔化すため、サリン事件で衆目をそらした?なるほど、それならオウム事件にCIAが関わっていたわけも解ります。

【Yahooより、真光と中曽根】
極右宗教団体と自民党とオウム真理教
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835562&tid=figdbbba7pide7acbcr1a6mca1dda4n0ga4noa2babf&sid=1835562&mid=28
「つくる会」が象徴する右寄りな動きには自民党と繋がりの深い極右宗教団体真光も関係しているのでしょうか?以下のリンクは、かつて真光のオーストラリア支部で元真光信者であったオーストラリア人による真光の暴露本です。同氏は真光幹部として日本に来日もしており、真光現教祖岡田ケイシュウのトレーニングキャンプで特訓も受けています。このキャンプでは「たるんどるぞ! 天皇陛下が悲しまれるぞ!」というのりで天皇陛下を崇拝する真光幹部が育成されているという。天皇の戦争責任を問うた
長崎市長を襲撃したのはこういう右翼のアンチャンだったのかなあ?
http://www.geocities.com/Tokyo/Shrine/5712/emperor.htm
真光という極右宗教団体、この団体は岡田ヨシカズという戦時中トップクラスの将校で異常な天皇崇拝者だった方が戦後設立しました。この岡田ヨシカズは南京大虐殺にも深く関わっていました。この真光は、日本人の優秀性を強調したり反ユダヤの姿勢を貫いております。ちなみにフランスでは創価学会と一緒にカルト団体指定を受けています。この岡田ヨシカズに何度も祝辞を送っているのが中曽根康弘であり、橋本龍太郎や亀井静香も真光のメンバーです。中曽根の人種差別発言も、日本人の優秀性を強調する真光の思想に影響を受けての事なのでしょうか?真光の全国大会にでもなれば何百もの自民党議員が前列を占め、選挙にでもなれば真光の全国の道場には自民党の選挙応援ポスターが張り巡らされます。南京大虐殺に関わった岡田ヨシカズに配慮し、首相当時に南京大虐殺の記述を歴史教科書から削除した中曽根の行動は至極当然だった訳でしょう。

【中曽根ー真光ーオウム真理教】
このオーストリアリア人の元真光信者の暴露本は、真光とオウム真理教の繋がりが指摘しており、オウム真理教による地下鉄サリン事件により国家転覆を計り山口敏男という自民党右翼議員を首相に据えようという試みがあったと指摘しています。
この暴露本によると、「自民党=真光=オウム真理教」という構図が見えてきます。


[平成幕末のダイアグノシス/藤原肇著] わっはっはー。そういうことなんですよ。
中曽根と読売 (読売とつるんで、マスコミを封殺する中曽根)

読売新聞と中曾根の関係
KSD疑惑と同時にわが国政界を揺さぶった外交機密費(報奨費)問題だが、ここで注目したいのは両事件とも「読売新聞」のスクープとして出現している点だ。かつて読売新聞社の渡辺オーナーは、中曾根首相誕生の折り「私が首相を作った」と公言し顰蹙をかったが、中曾根元首相と読売新聞社との関係は公然の事実。KSDで橋本派の内部対立を生み出し、外交機密費で河野外相の威信を傷つけ森退陣を迫る読売新聞は、いったい最終的に何を目論んでいるのだろうか。背後に「妖怪」と呼ばれる中曾根が存在していることだけは間違いないようだ。
読売社主であった正力松太郎は、戦前の内務省の特高課長でした。中曽根は、その正力の部下だった。戦後も二人の関係は続いていました。これが、読売と闇の権力とのもたれ合いの端緒です。

厚生大臣、ヤミ献金疑惑浮上
自自公政権の接着剤といわれているのが、厚生大臣の丹波雄哉である。この丹波にも疑惑がささやかれている。公明党の幹部と特に深い関係・パイプを持つ丹波は、読売新聞出身ということもあり、自自連立の仕掛け人とされる読売新聞のナベツネこと渡辺恒雄と、創価学会の秋谷栄之助会長との会談を画策した自自公の立て役者の一人とされている。その見返りとして自民党の中で加藤派であるに関わらず、2度目の厚生大臣のイスを手に入れた。自民党の厚生族議員の重鎮である。
読売出身の自民議員が、自公の癒着を画策した。やっぱり、読売だった。

【Yahooより、中曽根がマスコミに糾弾されないわけ】
Contradictscrutinyさん曰く
>不思議な事にこのような事件は日本のマスコミは流さないですね。中曽根は元々正力松太郎の子飼で、現在でも読売のナベツネとはの大の親友同士。読売に代表される大手マスコミが中曽根を悪しざまに言うわけがないですな。大手マスコミの正義面にはほとほとうんざりです。連中には騙されないように注意しましょうね。
読売新聞と中曽根の関係については、面白いからこのURLのサイトを見てくれ〜
http://www08.u-page.so-net.ne.jp/bc4/t-tuchi/tsuchiya/giants.html
>右翼とは愛国者ぶっていながら、国のためになっていないのが中曽根のやって来た事から良く分かる。
うーん、ちと抵抗を覚えます。戦後日本の右翼政治家を右翼と呼んで良いものかいささか迷います。と言うのは、御指摘の通り、彼らの言うことやること国益に叶っとらんのです。彼らはナショナリストですらありません。ホント、権力を私する妖怪どもであります。やむをえず、私は中曽根のような者たちを似非右翼と呼んでおります。

【Yahooより、正力ー中曽根】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835562&tid=figdbbba7pide7acbcr1a6mca1dda4n0ga4noa2babf&sid=1835562&mid=40
morisaki_mildさん曰く
>朝日とテレ朝にとっては両者とも敵だから連携してる様に見えるのかなあー?
あははは。面白い。ふむふむ、そういう風に見えますか。でも、読売と右翼の関係は、そんな末端社員のことではないのです。正力-中曽根ラインと、そこから広がる政官財三界にひろがる巨大犯罪人脈のことなのです。知らない人は知らないでいた方が幸せです。読売文化人の尻馬にのって愛国者気取りで人生を楽しめますので。(笑)しかし、一部でも知ってしまうとこわれらが日本国がいかにダーティーば連中に私物化されているか思い知らされて絶望的にならざるをえません。私はたまたま731と薬害エイズをばらばらにおいかけていて、なんだか関係者が重なっているような気がしておかしいなと思っていたところに、広瀬隆の「腐植の連鎖」が目にはいってしまって・・・ああああ、また絶望的になってきた。指摘されている人脈は実は秘密でもなんでもないの
で、人名録などで確認できます。
中曽根と薬害エイズ王 (なぜ、安部英は無罪になったか?)

薬害エイズ王、安部英と中曽根
「小林よしのりは何故、エイズから逃げたか?」 http://asyura.addr.com/sora/bd3/msg/681.html
安部英とは何者か?巡洋艦「愛宕」の元軍医、海軍の同朋会「青年懇話会」を通して現在の政治家の中で最も汚い男と言われる中曽根康弘と半世紀にわたって親交し、中曽根によって「エイズ研究班班長」に選ばれた男だ。この「青年懇話会」という海軍の同朋会の幹事をしていたのが、薬害エイズの拡大を招いた「血友病総合治療普及会」の理事赤沢樟一だ。そしてこの血友病患者をミドリ十字社との利権に繋ぐ普及会の創設者はほかならぬ安部英なのだ。.....彼らは「究極の利権集団・皇軍」 の生き残りという人脈と閨閥で違う階級を形成している。戦前も現在もその構造は微動だにしていない。
小林よしのりが尻尾を巻いて逃げ出した理由の一端だ。ほんの一端だ。エイズを追って行けば日本帝国の犯罪の中枢と闇に迫ることが出来た。だからこそ、小林は逃げたのだ。
誰もが耳を疑った安部ジイサンの意外な無罪判決。中曽根が後ろにいたんでは、意外でもなんでもない。権力者は法を曲げることすらできるのでしょうか?

「中曽根」的な人たち
ミドリ十字と石井731部隊 http://www.saga-s.co.jp/pubt/ShinDB/Data/1998/08/15_02_09.html
〈研究成果で免責取引「七三一部隊」〉
戦犯免責の黒幕はやはり「石井の番頭」だった―。人体実験など重大戦犯事実の隠ぺいで、東京裁判での訴追を免れた関東軍防疫給水部、通称七三一部隊。終戦から五十三回目の夏に見つかった部隊幹部の書簡は、研究成果をだしに、旧ソ連との冷戦に備えた米軍から戦犯免責を引き出すシナリオを書いた内藤良一元軍医中佐の影をくっきりとあぶり出した。内藤氏は石井四郎部隊長の側近で、戦後は薬害エイズ事件の旧ミドリ十字を創設。部隊で研究した技術を土台に同社を血液製剤の国内トップメーカーに押し上げた。新史料の発見は戦犯逃れの舞台裏を白日の下に明らかにした。

731部隊とミドリ十字  http://www.kumagaya.or.jp/~m_akagi/jimori/sensou/7125sen1.htm
薬害エイズの被告企業の一つミドリ十字は、731部隊長だった石井四郎の右腕だった、陸軍軍医学校教官「内藤良一」ら、731部隊出身者・関係者が中心となって、1950年前身日本ブラットバンクを設立した。くしくもこの年は、朝鮮戦争が勃発した年だった。(アメリカの意向が強く働いたと思われる、戦争にはたくさんの血が必要となる。)1964年社名をミドリ十字とする。1970年代から80年代の間多数の731出身者を擁していた。この時期から濃縮血液製剤いわゆる非加熱製剤の輸入・販売を開始した。ミドリ十字はインターフェロン、血漿、人工血液の製造で世界的な有名企業にのし上がった。1978年アメリカ・ロスアンゼルスにアルファ社を設立する。創業者の内藤は、1973年社長に就任。78年には会長になった。731部隊二代目隊長北野政次は、1959年同社取締役・東京プラント長に就任した。そして、挙げ句の果てには1963年先駆的な「血液製剤の開発」に対し、科学技術庁から科学技術功労顕彰を受けて、77年には、日本政府から勲三等旭日中綬章を受けた。731部隊の主要目標のひとつに、血液の代用品を見つけることがあったことは忘れてはいけない。他にもミドリ十字は様々な疑惑がある。1982年通常は健康体のボランティアに行われる人工血液の試験を、重病患者に生体実験した疑惑。1979年胆のうガンで入院した女性患者に人工血液の生体実験を行った。胎盤商品化など様々な騒ぎをおこしている。そして、あの薬害エイズである、起こるべくして起きた出来事だろう。ここにまた731部隊が甦ったのである。
闇世界の代理人、中曽根

【似非右翼・中曽根】
【yahoo掲示板より、中曽根】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835562&tid=figdbbba7pide7acbcr1a6mca1dda4n0ga4noa2babf&sid=1835562&mid=27
中川昭一さんは(当時)農水大臣の時、宮沢大蔵大臣の発言に噛み付いた事ががあったね。野党からの質問に答える形で、宮沢大蔵大臣(当時)は「住専への税金投入で得をした方々がいる」という発言をして暗に農林系金融機関が税金によって救済を受けたという指摘をしていた。この発言に対して自民党の農林族及び中川農水大臣は噛み付いたのだった。この例でも分かるように所謂右翼議員というのは必ずしも国民の方を見ているとは限らない。この辺を理解するのは大切である。
愛国者ぶっている右翼中曽根は首相当時に財政法を改定し国債発行を合法として今日の膨大な借金のきっかけをつくった。中曽根政権以前は国債発行は法律違反であった。中曽根はまたゼネコンポリティックスの創始者でもある。中曽根政権以後、皇民党事件をきっかけとして右翼及び闇の世界の人間が表舞台に出てきてしまった。右翼及び暴力団が繋がる星の数程ある
建設業者が国の公共事業にたかる構図をつくってしまった。
国債濫発も、中曽根が始めた。

中曽根はまた首相当時に行った人種差別発言によりNAACPというアフリカ系アメリカ人の団体より「ヒトラー」と例えられて非難されていた。この非難広告はニューヨークタイムズ1ページまるまる使って掲載された。中曽根の発言によりアメリカ在住の日本人の自宅の窓ガラスが割られる等の被害が続発した。
中曽根政権当時の歴史教科書からの南京大虐殺記述削除という暴挙により近隣アジア諸国との関係悪化を決定的なものとした。1987年、中曽根は人種差別発言をした後アメリカニュージャージー州のラトガー大学の日本文化研究センターの序幕式に招待された。しかし、中曽根が来賓挨拶をする段階で、地元のヒスパニック系及びアフリカ系アメリカ人学生が会場になだれ込み「人種差別主義者ナカソネ、ゴーホーム!」との連呼の出迎えを受け場内は騒然となった。不思議な事にこのような事件は日本のマスコミは流さないですね。
右翼とは愛国者ぶっていながら、国のためになっていないのが中曽根のやって来た事から良く分かる。児玉誉士夫のロッキード事件で右翼が金の亡者である事が分かるのだが、中曽根は右翼の国賊振りを決定的とした。その中曽根を引っ張り出して来てご意見頂戴をするフジテレビの報道21世紀か何かのテレビ番組は愚の骨頂なんだな。みんな騙されてるよね。

【中曽根は、闇の世界のパシリ】
闇の代理人
マスコミも、闇の勢力の息のかかった人しか出世出来ません。闇のフロント社員は、潤沢な金と暴力装置を保有しているのですから社長といえども遠慮してしまいます。その内に、闇の子分が代々社長になるようになってしまったのです。
読売新聞のW社長は、若造の頃に、中曽根と一緒に児玉邸の玄関番をしていたと、ロッキード事件のおり、報じられていました。そのころから、闇の世界のパシリだったと言うことになると思います。 一度でも闇の世界の協力を受けたら、生涯かけて、その何百倍のしのぎに尽くすフロントになりきらないと命の保証はないのは常識です。W社長や中曽根さんが、今も、闇の世界の代理人と推測してもあながち見当違いとは言えないと思います。 児玉は、闇の中心人物であったのは間違いない。その子分達が今の闇の中枢になっていると思われる。第一勧銀から巨額融資を受けていた小池の親分は、(現代の眼社長)児玉の子分だったと記憶しています。いまも、児玉人脈が闇世界を牛耳っている証拠だと思います。

2CH 告発します 4代目
マスコミが闇の勢力の広報誌になってしまったので、真実はアングラでしか得れなくなっのです。まさに、中国や、北朝鮮と同様です。それらの国ではあからさまの報道規制をしているので、国民は真実を探ろうと努力しています。日本ではマスコミが闇の勢力の下っ端に、パシリになったので、「事実を国民に報道し、それによって権力を牽制し、国民に情報を伝達し、民主主義の礎となる」 ことは構造的に不可能なのです。
しかし、多くの国民はまだ、マスコミが闇のパシリになってしまったことを知りません。テレビや新聞は事実を知らしめることではなく、国民を誤魔化すための機関となってしまっています。闇の目的は、今まで得てきた違法な既得権益の維持、拡大にあります。そのために現在では、どの分野の仕事でも、生き甲斐と充実がなくなりました。職務に励むことが、闇の勢力に奉仕することになってきたからです。そして、その結果、一国民としての自分の首を絞めて行くことになるのです。この矛盾した職務と生活が生き甲斐と充実を奪った原因です。
今の社会は、社会全体が闇社会の強化、繁栄を図るようなシステムになってしまっています。国民に奉仕することが出来る社会を建設することが社会人の目標の筈です。そのような社会でこそ、誇りうる人生、充実した仕事が可能になるのです。その目的を実現しょうとすると闇勢力と闘うことになってしまうのです。しかも、闇勢力の犯罪は、ビルから突き落としても、墓場で焼き殺しても、ホテルで絞め殺しても、自殺となります。警察も闇社会の下部組織になっていますから、闇社会の犯罪は、警察の対象外なのです。
容易な闘いではありません。しかし、立ち上がるべきです。意義のある人生を送るためには、自分の命を犠牲にしてでも、闇勢力から逃げようとしても無駄です。殺されます。命を捨てて、反撃するのです。たとえ死んでもその死は無駄ではありません。その松明の火が、燎原に広がることになるだろう。
全く同感です。

【Yahooより、愛国者中曽根康弘の実体】
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/1976/sknoshakaiokataru13.htm
前回中曽根康弘元首相の総裁戦における行動分析を行った。今回は中曽根が戦後政治に及ぼした悪影響を紹介する。戦後政界では多くの汚職事件が起こり、多くの政治家が疑惑を持たれた。しかしその中で中曽根ほど疑惑を持たれた人物はいない。九頭竜川ダム汚職(1964)、殖産住宅事件(1972)、ロッキード事件(1976)、リクルート事件(1988)と実に4件の事件において疑惑が持たれている(黒田清・大谷明宏著「権力犯罪」より)。
しかし不思議と中曽根が逮捕された事件は1つもない。中曽根が関与したと思われる汚職事件のうち、多くは疑惑のままで終わっている。しかし中曽根の汚職が限りなく"クロ"に近い事件では、側近の逮捕によって決着がつき、決して中曽根本人に捜査の手が及ぶことはない。例を挙げると、ロッキード事件では側近の佐藤孝行元総務庁長官が、リクルート事件では藤波孝夫元官房長官の逮捕で幕を閉じている。また汚職で逮捕された政治家にも中曽根側近は多く存在する。東京協和・安全信組事件(1993年)の山口敏夫元労相、贈収賄事件(2000年)で逮捕された中尾栄一元建設相、最近でKSD事件(2001)の村上正邦元労相はいずれも元中曽根側近である(ついでながら、現在中曽根が後見人を勤める亀井静香前政調会長はイトマン事件(1990)に関与したという疑惑が持たれている)。
現在法律上では中曽根は犯罪者として認定されていない。しかしこれだけ多くの事件の関与を疑われ、これだけ多くの自分の側近が逮捕されていれば自ずと中曽根を疑ってしまうものだ。

しかし私がここで問題にしたいのは中曽根の汚職暦ではない。自分の犯罪をあたかも「トカゲのシッポ切り」かの如く部下に押し付けて自分はのうのうと政治家を続けているところである。これでは中曽根の下から後継者となる有能な人材が育つことはない。しかも中曽根は自民党の顧問的存在であるため、自民党から有能な人材が育たないという事にもつながる。
つまり戦後政治において旧体制が維持されつづけてきたのは中曽根に責任の一端があるのだ。また中曽根には国民の政治不信を招いた責任もある。具体例として、1997年に発足した第二次橋本内閣において佐藤孝行が総務庁長官に起用されたことが挙げられる。前述の通り、佐藤はロッキード事件で逮捕された人物であり、この頃には収賄罪で有罪判決を受けていた。橋本首相(当時)は佐藤の入閣に難色を示したが、中曽根に押し切られる形で佐藤の入閣を容認した。しかしこれに世論は猛反発。橋本内閣の支持率は半減もしくはそれに近い下落を記録し、結局橋本はわずか12日にして佐藤を辞めさせなければならなくなった。国民の支持を失った橋本は失政を繰り返し、1998年の参院選で惨敗を喫して退陣に追い込まれた。前回小泉内閣誕生に中曽根が関与していると書いた。しかし戦後政治に悪影響を与えかつ今日の政治不信を招いた張本人が政治改革を目指す内閣設立に協力したというのは明らかに矛盾である。つまり自民党の腐敗は依然解消されていないのである。リクルート事件の際ある検察官が明治時代にできた現行形法を武器になぞらえてこう言った、「三八銃で浮沈空母(*)は沈められない」。しかしリクルート事件から13年。未だに浮沈空母を沈める武器は存在しない。【開発俊輔】
*中曽根が首相時代にアメリカのレーガン大統領(当時)に対し「日本を共産主義から守る浮沈空母とする」と発言し、世論から非難されたことにちなんでいる。

【中曽根もナベツネも児玉誉士夫の舎弟】
わけのわからない〜新聞
http://www.din.or.jp/~ninegate/CONTENTS/RON/9901/990123.HTM
入社二年後に政治部へ配属された『渡辺は(番記者として接していた)大野(伴睦)を通じて児玉(誉士夫)を知り、また読売の創立者で衆議院議員にもなった正力松太郎の紹介で中曽根(康弘)と知り合った。その中曽根は以前から児玉を「先生」と呼んで私淑していた関係……』 『つまり、この頃は河野(一郎)派の若侍だった中曽根と渡辺、それに渡辺とは東京高校〜東大日共細胞〜読売と肩を並べて歩んできた親友の氏家(齋一郎)の三人は明らかに、地下帝国の帝王として保守政治の裏側を操っていた児玉軍団のいわば準構成員として働いていたのである』 『社会部の事件記者たちが、たとえば九頭竜ダムの汚職事件を突っ込んでいくと、児玉(誉士夫)と並んで自社の渡辺の名前が出てきてしまうのだから、これでは取材にはならない』 『「あんなのを政治部長にしたら大変だ。児玉に読売を乗っ取られる」という社会部の圧力があって、ワシントンに支局長に出されることになる』
昭和47年に帰国。そこからわずか3年で『編集局次長兼政治部長の座に昇りつめ、経済部長になった氏家、外報部長になった水上と「反社会部連合」を組んで……』 『翌年早々にロッキード事件が勃発、児玉誉士夫が逮捕され、中曽根も灰色高官として
窮地に……強きの渡辺も一時は辞表をだすことまで覚悟』 (引用:『別冊宝島72 ザ・新聞』/JICC出版局)

34.防衛利権は誰のもの?


 防衛庁から軍需産業へ756名が天下り
21日付「朝日新聞」によると、戦車や艦船、ミサイルなどを製造する軍需産業の主要50社に天下った防衛庁・自衛隊の上級幹部が昨年までの過去10年間で756人に達することがわかった。98年の大規模の背任汚職事件が摘発されて以後も、高水準の天下りが続いており、企業側と防衛庁側の完全な癒着構造ができあがっている。天下り人数の上位6社は順に、東芝、三菱重工、三菱電機、川崎重工、NEC、石川島播磨重工で、この6社の契約だけで昨年は約6000億円に達し、調本の総契約額のほぼ半分を占めている。(K・M)
http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/otopics/topics0002.html
なんだ、日本もアメリカと同じだったのね。

ところで、竹下登の皇民党事件は次のようなものでもあったようである。稲川会というのは、検察庁の初代の検事総長が退官後この暴力団の顧問弁護士になってもいるように、佐川急便疑獄が起きなければ、今頃巨大に肥え太り国家的な権力を持つに至っていたであろうとも言われている暴力団である。し
かし,この佐川疑獄では東京佐川の渡辺社長のヒモであったと言われている小沢一郎も、また中曽根も何故か検挙されていない。そして、後にこの連中は「皇民党事件」で再び浮上するのだが、皇民党を裏で手繰ったのは他ならぬその中曽根だと言われている。
彼は「世界平和研究所」なる軍事シンクタンクに竹下が予定通り資金援助をしなかったことに腹を立てたらしいということである。


竹下は何者かのマスコミへのリークにより、目白台の田中角栄宅に行き門前払いをくらわされるところをテレビで放映され天下の物笑いにされているのだが、この皇民党というのは、そもそもロッキード事件の時に田中角栄を盛んに攻撃していた右翼団体の系列に属しおり、田中角栄の味方気取りはおかしいということである。

1987年、川崎市が「ハイビジョン都市づくりへ向けて」という宣言を発表し、翌88年には郵政省が、川崎市を先例とする「ハイビジョン・シティ構想」を発表するが、

>このリクルート事件にはもう一つの信じ難い事実も>あります。それは、この事件は、神奈川県警の共産党員宅の盗聴事件で最初動いていた朝日の川崎支局の人間に、その神奈川県警の捜査ニ課の警部が「川>崎駅前のリクルート・テクノピアを調べた方が、盗聴事件より大きなスキャンダルがものに出来る」と言ったのが事件発覚の発端となったというものです。

というのを思い起こしていただければ、これが単なる偶然なのか、いぶかしく思われることだろう。


ひとたび事故が起ればアジアが廃墟になるほどのプルトニームが集まる青森県・六ヶ所村の、核燃料サイクルも当然の如く主幹事会社は三菱重工であり、また、プルトニーム「平和」利用の口実として使われ、莫大な税金がそそぎこまれてきた、1995年にナトリーム洩れ事故を起こして破綻した敦賀の「もんじゅ」も、三菱重工が主幹製造会社である。