別章【明治維新考】 |
更新日/2024(平成31.5.1日より栄和改元/栄和6).1.22日
(れんだいこのショートメッセージ) |
いよいよ「明治維新考」に挑んで見ることにする。「大東亜戦争考」のところでも述べたが、私の場合この衝動は突如としてやってくる。恰好良く言えば時代のニューマに感染しているのだろうと思う。ある種の議論を通じて、ここを切開しておかない限りこれ以上先へ進めないという壁に遭遇することがある。この壁にぶつかった時れんだいこは、壁のサイズを測り始める。私の手におえるか負えないかを見極めるためである。これまでこのテーマを取り上げなかったのは、かなりな巌(いわお)であるとみなしてきたからである。しかし、最近の思潮から見て、私の能力にあまろうともこの巌によじ登らない限りその先が見えてこない思いが募る。そういう訳で、一息つく間もなく再出航したい。 最近の思潮を思うに、世界史上稀なる成功革命であった、しかも日本人自身の手になる「明治維新」に対して、その価値を忘却し過ぎてはいないか。ヘンチクリンなことは、紛れも無く暴力革命であり、その偉大な史的財産であるこの革命の価値を、左派の側から貶め封殺する傾向である。そんなバナナなことがあるかと思うのだが、知れば知るほどそういう観点にあるということが見えてきた。平凡社版の「世界大百科事典」によると、明治維新は結局のところ、あまり誇れるような立派な変革ではなかったと見立てている。それは、フランス革命などに比べると封建制を根本的に否定したのではなく、農民は少しも解放されなかったと言ってよかった、と記述しているとのことである。講座派系の歴史学者・遠山氏は、明治維新をつまらないものとして見立てている。 史上の「講座派対労農派論争」は、当然「明治維新」を論議してきたが、果たしてその実践を我が物とする為に為されてきたのだろうか。その価値を高めるために論争されてきたのであろうか。知識が無いので疑問としてしか提起できないが、逆のことをしてきたのではないのかと思っている。 メリニチェンコ(伊集院俊隆訳)氏の「レーニンと日本」は、この観点を補強してくれた。レーニンに拠れば、明治維新は日本人が誉れとすべき偉大な革命であった。レーニンは、幕末志士活動がうねりとなって明治維新へと辿り着いた過程を絶賛し、これを為し遂げた日本を「文化的で進んだ自由な国」、「進歩的で先進的なアジアの国日本」と呼び、国民に対しても「偉大で進歩的な素晴らしい国民である」と評価し、「この国の覚醒に何と!!『人類の未来さえも』見ていた」。これがレーニンの明治維新観であった。 つらつら思うのに、そういう世界史上に輝く「明治維新」を学んでこなかった、その研究をしてこなかったツケが自家中毒しており、為にこの価値転換時代にあって我々は為す術も無く眠らせられようとしているのではないのか。構造改革とは云うものの掛け声ばかりで、具体的に何をどうすれば良いのか知らない。とどの詰まり「いつもの和の道」という旧態墨守世界へ入り込もうとしているやに見える。これは我等が大和民族の上層部が陥るいつもの構造的欠陥であり、悪しき性癖であろう。しかし、グローバルな国際化時代に遭遇して、タコツボ世界へ潜り込もうとしても許されることではない。その手法は生き馬の目を抜くかの激烈な国際社会から嘲笑されるだけであり、その損失は莫大となるだろうと危惧する。 こうした観点から、このサイトで「明治維新」を俎上に乗せて包括的な総括を試み、明治維新から何を学ぶべきか原理原則を引き出してみようと思う。右派からも左派からも論戦を挑まれれば受け太刀してみようと思う。但し、この作業は非力な一個人であるれんだいこだけでは到底出来ない。皆様方との共同作業として取り組んで見たいと思う。この壮大な事業に只今より着手します。皆様のご協力を賜わりますよう伏してお願い申し上げます。 2002.11.24日 れんだいこ拝 |
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