南京攻略戦、云われるところの南京大虐殺事件考 |
更新日/2021(平成31.5.1日より栄和改元/栄和3).8.14日
(れんだいこのショートメッセージ) | |
れんだいこの考証によれば「南京大虐殺事件」、「百人斬り事件」を歴史真実とする左派運動は危うい。もしそれが虚構であったとしたらどうするのだ。本来為すべきは、幕末維新の捻じ曲げとしての明治維新、その定向進化としての日帝化、それによるアジア覇権化過程の批判であるべきなのに、こちらの方の考察にはとんと向わない。それでいていっぱしの左派気取りで、れんだいこ見解を批判する輩がいる。 戦後の反戦平和運動理論と論法には重大な欠陥がある。それがれんだいこの気づきである。ここに至らず、左派と左派気取りは全然違うのに気取り衣装を身に着ければ左派になれると錯覚している手合いが多い。れんだいこを批判して得意がるのも良いが、それぞれの左派性を磨いて持論を形成して貰えないか。これが、連中に対するれんだいこの返歌である。 「云われるところの南京大虐殺事件」(以下、単に「南京事件」と云う)はいろいろ論争の多い事件である。その大虐殺につき、作家の安岡章太郎氏は次のように述べている。
これによれば、今日教科書で特別俎上に乗せられるような大事件として問題にされてこなかったというのが史実のようである。その理由として、事件肯定派は、厳しい言論統制と報道管制によって封印されてきたからであると述べる。これに対し、事件否定派は、そもそも事件が存在しなかった故だと云う。戦後、日本軍の敗北による軍事法廷の場で、戦犯追及の恰好な事件として南京事件が急浮上し取り上げられた。事件肯定派からすれば、重石が取れて、それまでそれなりに指摘されてきた事件の全貌が明るみにされた快哉事ということになる。 その後の南京事件の取り扱われ方は次の通りである。南京事件は、日本軍の侵略蛮行を証する典型的事件として久しく常識とされてきた。とはいえ、教科書には登場していなかった。文部省見解として記述が好ましくないとする指導が為されていたことによる。ところが、1967(昭和42)年、南京事件の存在を明記した家永三郎東京教育大学教授の「日本史」が検定を通過せず、家永氏はこれを不服として教科書検定是非訴訟を起こした。 この裁判の過程でしばしば南京事件が取り上げられ、当事国として関心を持つ中国、韓国等が関心を寄せ国際問題化した。以降、南京事件を否定したり過小評価しようとする動きに対して、その都度中国、韓国の不快見解が表明されるようになり、外圧として折々に指弾されてくることになった。国内では依然として70年代、80年代、90年代と論争が続き決着をみなかったが、1993.10月の第3次控訴審で、 南京事件記述に対する文部省検定を違法とする判決が出され、文部省はこれに抗告せず判決が確定することとなった。 この時の文部省の方針変更には、南京事件に対するそれまでの否定的見解に対する態度修正もさることながら、当時の国際協調気運に迎合するという政治的配慮が働いた面も多分にあったように思われる。但し、この裁判での判決の効果は著しく、文部省の指導方針が変更され、その結果、90年代以降現在まで高校と中学の日本史教科書のほとんどに南京事件が記述されるようになった。歴史論争の決着が裁判所によりはかられるというのは妙なものではあるが、これが事実経過である。 ところが、90年代後半より、事件の発生はともかく大虐殺というのは捏造ではないかとする「歴史見直し論」の台頭が著しい。遂に、2001年より「新しい歴史教科書をつくる会」主導の扶桑社版「歴史・公民教科書」が登場し、その採択の攻防戦が全国各地で繰り広げられている。これが現段階である。 れんだいこ見解はこうである。南京事件の有無について私も気になり、当時憲兵として中国大陸に渡っていたという人に尋ねて見た。私の親父も満州方面に招集されていたのでもっと詳しく聞いてみればよかったのだけれど、そういう会話の機会もないままに旅立ってしまった。で、その元憲兵隊員曰く、「陸軍は北支、中支、南支で多少統制が違っていた。私は北支だから中支の南京事件については分からない。但し、当時の雰囲気として十分ありえた事件だったと思う」ということだった。 事件の背景として、当然次のような事情があったことは十分考えられる。交戦中の真っ只中の事件であるからして、日本軍側から見れば、中国の軍人も民間人も共に結託した敵ではなかったか、軍人だけ選りだして銃殺するという余裕はなかろうし、そうすべし論は戦争というものの実態から離れたあまりにもおめでたい論だろう。問題は、戦争に付き物として発生した「やって、やられたら、やり返す」見せしめ事件であったのではなかろうか。但し、どういう程度の規模で、一朝夜に為されたのか断続的に為されたのか、その他の同様事件との比較でどうなのか、について正確な史実を確認しておく必要があるということではなかろうか。 その「正史」の上に立って、反省とお詫びが為されるべきであろうが、南京事件の実態精査が為されていないようである。なしてそのようになるのか分からないが、左派−右派間の水掛け論に終始させられており、今後も共同テーブル上で議論される形跡はない風がある。左派から見て、仮に、南京事件が数十万規模での虐殺蛮行ではなかったとしても、類似の事件がかなりあるように聞かされているし、何より日本軍のほうが中国大陸に進出している事実は消しようもないのだから、そういう全体の中で見れば「二度と起こしたくない戦争犯罪」であったことには相違なかろう。逆に日本軍人あるいは民間人が包囲殲滅された例もあることを思えば、どちらの論に与しようとして牽強付会するのではなく、国際連帯反戦派の眼を形成させる方向でこうした事例の徹底検証をしていくことこそが大事なのではなかろうか。 2005.5.7日再編集 れんだいこ拝 |