司会者 |
他の同僚が見張りについている間も中国の捕虜、民衆・市民の虐殺があったとお聞きなりましたか? |
元兵士 |
そうです。見張りに立つのが私どもだからよその科の兵隊も「どらどらおれにも見せろ」と見に来るわけです。そう簡単にだれでも見れるという状況でないので、好奇心が手伝って見に来たと思います。 |
司会者 |
当時そのような光景をごらんになって、又ご自分でも銃を握られて中国の民衆又兵士、中国人に対してどのような気持ちを持っていらっしゃいましたか? |
元兵士 |
当時はね、私どもは、日本人はほとんどですが、天皇のために死ぬということ、天皇に命を捧げることを最高の道徳として生きて来たわけです。そのような教育をこどもの頃からされて、私も18,9歳若い頃すでに軍国少年となってしまったわけですね。だから徴兵検査まで待とうと待つまいと男と生まれれば必ず兵隊に行くとということになっていましたから、ならば自分で選べる間に行きたいと、そういうことで海軍を志願したわけです。 |
司会者 |
そうして60年目の今、南京大虐殺の日にあたります今日証言していただいたその思いですね、お考えを教えて下さい。
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元兵士 |
60年ぶりにこうしてここにチャンスをいただけて大変感謝しているのですが。これまでにこういうチャンスに私はなかなか巡り合わなかったということです。常にね、このような事件があったこと、このようなことについては日本人として深く反省しているわけです。しかし今日、南京大虐殺はなかった。あるいは従軍慰安婦はなかったと言う人々はどういう人かということです。つまり日本国憲法をなしくずしに解釈を変えて、今日までに大きな軍隊を作り上げて、再軍備はすでに出来上がったということです。
しかも、それがアメリカの目下の同盟者としてアメリカにくみする戦争の用意が着々と進んでいると言う事。新しい安保条約・新ガイドラインの下にアメリカが起こす戦争には自動的に日本が引っ張り込まれると言う事。こういう状態があれば、またしても南京大虐殺に似たようなことがおこるのではと考えられます。歴史の真実を明らかにして、これをちゃんと自分で確認できる状態の中でなければ、新しい反省の下に平和な世界、我々の家庭自身も築きあげることは出来ない。そういう意味から本日ここに証言に立たせていただきました。 |
司会者 |
どうもありがとうございました。 |
(私論.私見) (れんだいこコメント)
元兵士は、いつでも証言できただろうに「これまでにこういうチャンスに私はなかなか巡り合わなかったということです」と云うが、
1997年12月13日の、めもりある南京1937inおおさかにて初めて為されねばならないほど、それほどこの証言を為す事に困難があっただろうか。
よく聞いてみると、「アメリカの目下の同盟者としてアメリカにくみする戦争の用意が着々と進んでいる」という観点を披瀝している。これは、共産党独特のそれである。これでは、不戦の誓いと謝罪による歴史的責任を果たさんことを強調せんが為に政治的発言を為していると見られても仕方なかろう。「お里が知れる」とはこのことだろう。
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