事件の生き証人の証言考



 「おっちゃんBBS」より議論を引き継ぐ。南京大虐殺の生き証人・李秀英婆さんが「『南京虐殺』への大疑問」の著者・松村俊夫爺さんを訴えた裁判(第一審)があるとのことである。第二審は、これからのようである。原告の主張(争点)はこれですとある。これを見ると、「中国人戦争被害者を支える会」サイトの「李秀英南京虐殺名誉毀損裁判」の「李秀英さんの名誉毀損裁判とは?」のページで原告の主張が明らかにされている。
 それによると、概要「南京大虐殺事件の被害者である李秀英さんは、1995年8月、日本国を被告として損害賠償の訴えを起こしました。1999年9月22日、請求は棄却されたものの、李秀英さんの被害事実と南京虐殺の事実は認める判決が言い渡されました。ところが、『「南京虐殺」への大疑問』(展転社刊・松村俊夫著)という本で、現在日本国に対し損害賠償請求の訴えをしている李秀英さんは、実際に被害を受けた者ではない、別人であるとの記述をしています。 李秀英さんは、南京で受けた被害に続き、今回の不当な記述によって二重の被害を受け、怒り悲しみ、自己の名誉を守るため、1999年9月、松村俊夫、展転社等に対する、名誉毀損に基づく損害賠償請求の訴えを東京地方裁判所に起こしました。この名誉毀損事件は、李秀英さんが別人かどうか、別人と信じるに足る資料を著者が有しているかという点が争点です。通常の名誉毀損事件と同様に法的判断がなされるのであれば、必ず勝利判決を得ることができる事件です(以下略)」とある。

 李秀英さんの被害とは、「私は18歳で結婚し、妊娠していた時、日本軍が南京に入ってきました。難民地区にあるアメリカ軍の学校の地下に60〜70人ほどの人達と避難していましたが、私は、父から日本兵によって女性が強姦されていることを聞いて知っていましたので、死んでもはずかしめは受けまいと頭をコンクリートの壁に打ちつけて気絶し、幸いその場は助かりました。ある日の午後、日本兵の一人が私の服を脱がせようとしました。相手のすきを見て、私はその兵の銃剣を抜きとり立ち上がりました。日本兵たちが駆けつけ、私の顔や体をめった斬りにしました。 37カ所もの傷を負った私が気が付いた時は病院で、危うく命をとりとめましたが死産でした。私の歯は義歯となり、右頬の傷跡はいまも雨が降ると痛みます」というものである。
 これに対し、「南京虐殺への大疑問」(1998年展転社刊、松村俊夫著)で李秀英さんのこの証言が取り上げられ、「南京法廷とマギーフィルムの李秀英とが、同一人であるとの保証がないというのはいい過ぎだろうか」(359P)、「一つの推理であるが、谷寿夫裁判の時の李秀英の話が語り部に受けつがれ、それを聞いた毎日新聞記者がマギーのフィルムに結びつけ、南京大屠殺紀念館がそれに乗ったのではないかと思う。南京軍事法廷、記事のインタビュー、映画撮影、日本の裁判所と、証言のたびごとに内容がクルクル変わるのは、実体験でない証拠であろう」(363P)(マギーフィルムとは、アメリカ聖公会牧師のマギー牧師が、1937年当時、日本軍が南京を占領したとき南京国際安全区で難民を助けていたが、その時マギーが病院で治療を受けている人々を16ミリフィルムで撮影しており、その中に李秀英さんも映っている。これを「マギーフィルム」と云う)。
 「李秀英さんの被害証言」と「松村俊夫氏の証言批判」のどちらが正しいのか、南京事件研究者の争点となった。
 ちなみに、証言批判派は更に次のように云う。「中共・朝鮮・左翼の歴史改竄」の「『南京事件と日本人』柏書房刊 笠原十九司 の虚妄」と「『南京事件と日本人』柏書房刊 笠原十九司 の虚妄−2」参照。「この原告・李秀英(一度も法廷に姿を現さず)自身について不審な点が明らかになった」、「李秀英婆さんは自分が被害者で自身が強姦されそうになり(色々言ってるが)数十数か所刺され子供を流産したと主張している。ところが、中華民国(当時)公文書では、被害者は李秀英の娘(李秀英之女)で李秀英とは被害届を出した人、つまり被害者の母親であったことが分かった」、概要「そこで笠原以下はどうしたか? あくまで被害者は李秀英だと言い張り、その文書は被害について死亡に限定して書いてあるのであって、殺害された被害者は流産した李秀英の胎児のことである。『殺害の被害者は李秀英の娘(原告の胎児)、これで矛盾はない』と主張した。ところがその後、南京で原告に聞き取り調査したら李婆さんは『流産した胎児は男児だった』と答えたというお笑い」。
 2002.5.10日東京地裁で判決の言い渡しが為された。判決は、李秀英さんが本人であることを認め、松村氏が「偽者」呼ばわりしたことは、著しく李さんの名誉を傷つけたとして、李さんに130万円の慰謝料、弁護費用20万の合計150万円の支払いを命じた。判決では、この本が歴史資料について資料批判をしないで書いていること、記述に合理性が無いこと、松村氏が南京事件を否定するために書いていることが、合理性が無いことは普通の読者には容易に理解できるでたらめであると認定した。
 この時の弁護団「声明」は次の通り。
 弁  護  団  声  明 2002.5.10 李秀英名誉毀損事件弁護団 弁護団長 尾 山  宏
1 2002年5月10日、東京地方裁判所民事第39部(裁判長)は、李秀英名誉毀損事件に対し、被害事実を認め、被告らに対し金150万円(内弁護士費用30万円)の賠償金の支払いを命じる判決を下した。
2 原告の李秀英氏は、南京虐殺事件において日本兵により瀕死の重傷を負わされながらも、生存した南京虐殺事件の生き証人である。本件は、村松俊夫著「南京虐殺への大疑問」(展転社出版)の中で、この李秀英氏に対し、同人があたかも南京虐殺事件の被害者として仕立てられた偽物であるかのように記述して、李秀英氏の名誉を著しく毀損した事件である。李秀英氏は、これに対し、著者松村俊夫氏、出版社展転社、発行人相澤宏明氏らに損害賠償と謝罪広告を求めていた。
  本件裁判は、藤岡信勝氏(東京大学教授・「新しい歴史教科書をつくる会」副会長)が、平成11年11月8日付け産経新聞正論にて、本件訴訟について「「南京」裁判に関わる新しい動き」として、「この裁判は法廷の場で、「南京虐殺」の存否を初めて本格的に争う絶好の機会となるであろう」と指摘したように、被告らを含む「新しい歴史教科書をつくる会」など歴史歪曲グループは南京虐殺論争の一部として位置づけた。
  本判決は、李秀英の南京虐殺事件当時の被害事実を詳細に認定し、本件書籍の記述が李秀英さんの名誉を毀損し、違法であることを認め、特に本件書籍について資料批判がなされてなく合理性がないことを認めた。  
3、原告李秀英は、南京虐殺事件当時、日本軍人によって、強姦未遂にあい、抵抗したために瀕死の重傷を負わされるという被害を受け、未だその損害は償われていない。それのみならず、今回、原告李秀英は、本書籍によって、本人の人生そのものを否定されるという筆舌に尽くしがたい被害に再び遭わされたのである。
  裁判所は、この原告李秀英の2度目の被害について、本件書籍の該当部分が名誉毀損に該当すると認定し、上記の損害賠償金の支払いを命じたことは、法律上当然のこととはいえ、歴史歪曲グループに大きな打撃を与えるものととして高く評価される。
 さらに本判決は、これまで、そして現在も無責任に南京虐殺否定説を出版し、南京虐殺の被害者の人権を傷つけてはばからない日本の一部マスメディアに対する重大な警告となるものである。
 判決に力を得て証言肯定派は次のように云う全てを争点として第一審判決が為され、原告が勝利した。これに控訴する為には、「新事実新証拠を提示できなければならない」。控訴されない限り、その段階で刑は確定される。「名誉毀損と言うのは『偽者だ』と主張した方が偽者であることを立証できなくてはならない」。それが立証できるのか?








(私論.私見)