イエズス会宣教史考

 (最新見直し2007.3.4日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 今から約500年前、日本初のキリシタンが誕生し、攻防の結果撃退した。れんだいこが思うに、学問的にキリシタンと云われてきた命名には問題があるのではなかろうか。キリシタンならまだ許容できた。実際にはバテレンは即ち改宗ユダヤ人シオニスタンであったが故に、時の為政者は大いに苦悩し、渾身の知力、武力で撃退したのではなかったか。その結果、良し悪し別として鎖国へと導かれた。

 今、この問題の考察を急ぐ理由は、その日本の現在が戦後60年を経て、稀代のシオニスタンによって首相、官邸、政府自民党、野党各党に至る「政財官学報」界が占拠されてしまっていることを凝視したい為である。はっきり云っておく。小ネズミも前原もシオニスタンではないのか。その同じ穴のムジナが同類の徒輩を従え猿芝居政治しているのではないのか。

 連中が、国庫秘蔵金の郵政事業金を放出した次に皇室解体、憲法改正、自衛隊の軍事戦闘化と戦後構造の諸「改革」に矢継ぎ早に乗り出している。既に主要事業及び産業の有望企業は中曽根以来の民営化路線の下で無残にも侵食されている。我々はこれ以上指をくわえて座して眺めるべきかということが、せめて議論上で問われている。

 2006.2.7日 れんだいこ拝

 (れんだいこのショートメッセージ)
 日本史上の戦国時代、改宗ユダヤ人がキリスト教宣教師として世界のあちこちを探訪し始め、後の植民地化の足掛かりを築き始めていた。云うなれば、この頃から始まる宣教師の世界的跳梁は来る植民化時代の地均しであった。「ザビエルの来日布教」は「キリスト教伝来」として知られているがこの見地だけでは失当で、それはあまりにも表層的な受取りに過ぎる。ザビエルの属したイエズス会そしてザビエルのネオ・シオニスト的素性がもっと詮索されねばならない。イエズス会はカトリック派に属する信徒団体ではあるが、教義的にも運動的にも変種カトリックであり、ユダヤ教的ネオ・シオニズム的な傾向を持つことが知られねばならない。

 イエズス会の個々の宣教師の主観的意図がどうであれ、イエズス会の活動そのものを本質は、改宗ユダヤ人的発想からするキリスト教義のユダヤ教的読み取り及びその運動にこそ特質があり、功罪はすべてここに凝縮している。故に、「イエズス会宣教師ザビエルの来日は、キリスト教の伝来というにとどまらず、ネオ・シオニズム的対日外寇の嚆矢である」とみなしたい。言い換えると、「ザビエルのキリスト教伝来は、ネオ・シオニズムの日本来襲第一陣であった」とも表記されるべきであろう。従来の記述は、最も肝腎な部分である「ネオ・シオニズムの日本来襲第一陣」的側面を抜かしていることになる。我々の父母祖はかの時、相手の素性を見破り賢明に対処した。そういう史実を見て取ることができる。よほど脳力があったのであろう。

 太田龍・氏が早くよりこの観点を打ち出している。れんだいこはこれまでそれなりの歴史書を学んできたが、この視角は珍しい。このたび検証してみて、数々の証拠がこれを物語っているように気づいた。これが真実だとすると、当時の支配者豊臣秀吉の「バテレン追放令」には充分すぎる根拠があった、ということになる。こうなると、従来の「バテレン追放令」から鎖国へ至る過程を否定的に評する見方を変えねばなるまい。従来の歴史記述は大幅に変えられねばなるまい。以下、検証する。 

 付記

 検索で出てきた関連サイトから必要情報を引き出し、れんだいこ史観に則り文章を構成しました。関係者の皆様に篤く御礼申し上げます。願わくば、著作権云々の批判を為されませぬように伏してお願い申し上げます。読み返すごとに必要な箇所に付きましては「転載元明記とリンク」しようと思っております。漏れの場合、ご遠慮なくご指摘下さいませ。

 2006.1.28日 れんだいこ拝


関連サイト イエス論・キリスト論 「シオンの議定書」考
タルムード考 パレスチナ問題考
ユダヤ人問題考 世界植民地化考

目次

イエズス会考
イエズス会宣教師の日本布教史
関連年表
来日宣教師列伝
キリシタン大名の実態考
日本人女性人身売買考
織田信長のキリスト教政策、本能寺の変考
豊臣秀吉の「伴天連(ばてれん)追放令」
キリシタン禁制の論理考
キリスト教禁教史
天正遣欧使節
鎖国
島原の乱
鎖国期の隠れキリシタン史
改宗ユダヤ人考
フランシスコ会考
関連著作本
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