1538 |
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ロヨラの聖イグナチオら、 パりでイエズス会を結成。 |
1543 |
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ポルトガル人 乗船のシナ・ ンヤンク船、種子島に漂着し、鉄旭が伝来。 |
1544 |
天文13 |
改宗ユダヤ人マラノにして貿易商ピントと二人のポルトガル人の仲間が、種子島に鉄砲を伝えた。 |
1549 |
天文14 |
イエズス会宣教師ザビエル・トレス・フェルナンデス、鹿児島に到着。 |
1551 |
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ザビエル、京都に上る。11月、豊後府内よりインドに帰還し大友義鎮使臣を伴う。 |
1552 |
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ザビエル、ゴアに到着、五 月中国渡航のためゴアを出発し、12月、上川島で病死。 |
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イエズス会のガーゴ神父府内到着。 |
1556 |
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イエズス会イ ンド副管区長 ヌーネス・バレト、 視察のためガスパ ル・ヴィレラ神父を伴い府内に着く。 |
1559 |
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ヴィレラ、京都で宣教開始。 |
1560 |
永祿3 |
将軍足利義輝、ヴィレラに 布教許可状交付。 |
1563 |
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肥前の領主大 村純忠、大和 沢城主高山厨書キリスト教に改宗、純忠イエズス会に横瀬浦を譲渡するも焼き討ちされる |
1564 |
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高山右近、キリスト教に改宗。 |
1565 |
永祿8 |
将軍義輝暗殺される。勅命 「大うすはらい」によりヴィレラ、フロイス神父ら京都から追放される。 |
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フィリピンがスペインに占領される。以降、植民地化する。 |
1570 |
元亀元 |
イエズス会上長カブラルと オルガンティーノ来日。前上長トレス死去。 |
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長崎開港。 |
1571 |
元亀2 |
大村純忠、長崎新町六町の地割を行う。ポルトガル船、長崎に初めて入港。 |
1572 |
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信長、カブラ ル神父を岐阜城で引見。 |
1576 |
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京都に南蛮寺 建つ、信長、 安土城を築(一五七九)。 |
1579 |
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イエズス会東 インド管区巡 察師ヴァリニャーノ来日。 |
1580 |
天正8.4月 |
大村純忠、長崎6か町と茂木をイエズス会に寄進。 |
1581 |
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信長、本能寺でヴァリ ニャーノを引見。 |
1582.2 |
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天正少年 使節、(伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアン)ヴァリ ニャーノと共に長崎を発つ。 |
1582 |
天正10.6.2 |
本能寺の変で信長死去 |
1583 |
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秀吉、大阪城 を築き、イエ ズス会に教会用地を与える。 |
1584 |
天正12 |
有馬晴信、浦上村をイエズス会に寄進。 |
1585 |
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グレゴリオ一 三世、天正遣 欧使節を引見して後程なく死去、シスト五世新教皇に就く。 |
1586 |
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秀吉、大阪城で準管区長コエリョを引見。 |
1587 |
天正15 |
天正遣欧使節、リスボンよ りゴアに到着。
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大友宗麟・大村純忠死去。 |
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天正15.6.19 |
秀吉、禁教令を出す。高山右近改易 |
1588 |
天正16 |
イギリス艦隊がスペイン無敵艦隊・アルマダを撃滅、世界の制海権を手中にする。 |
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教皇勅令によ り、日本司教設置。 |
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天正16.4.2 |
秀吉、イエズス会知行所を没収し公領とする |
1590 |
天正18.6.20 |
ヴァリァリ ニャーノ、天正遣欧少年使節と共に長崎に到着。サンデ編『日本使節対話録』マカオで刊行。 |
1591 |
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秀吉、フィリ ピンに入貢を 要求。 |
1592 |
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秀吉、長崎奉行を置く。 |
1592 |
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フィリピン総督使節フア ン・コーポ、肥繁盛屋城で秀吉に謁見。 |
1592 |
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朝鮮に出兵(文禄の役)。初期は朝鮮軍を撃破し漢城を占領したものの、しだいに朝鮮各地での義勇軍の抵抗や李舜臣率いる朝鮮水軍の活躍、また明から援軍が送られてきたことで、戦況は悪化して休戦した。しかし、講和が決裂する。 |
1593 |
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秀吉、名護屋 城でフィリピ ン総督使節ぺドロ・バウティスタを引見。 |
1596 |
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府内司教ぺト ロ・マルチィ ンス、来日し伏見で秀吉に謁すスペイン船サン・フェリーぺ号土佐浦戸に漂着。 |
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慶長元.12.19 |
カトリック教宣教師と信者26名を西坂で処刑(日本26聖人) |
1597 |
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府内司教ペト ロ・マルチィ ンス、来日し伏見で秀吉に謁す。 |
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キリシタン二六名、長崎で処刑される(二六聖人殉教) |
1597 |
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再び朝鮮に出兵(慶長の役)。 |
1598 |
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府内司教マル ティンス、マ ラッカ近病没。 |
1598.8.18 |
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秀吉、伏見城で死去(享年62歳)。 |
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日本司教ルイス・デ・セルケイラ、日本巡察師ヴアリニヤーノと共に長崎に着く。 |
1599 |
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フランシスコ 会士へロニ モ・デ・ヘスース、徳川家康の許可をえて江戸に教会を建てる。 |
1600 |
慶長5 |
関ケ原の戦い、徳川軍が勝利。 |
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イギリス、オランダ、フランスが東インド会社創立。 |
1601 |
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イエズス会宣教師マテオ・リッチ、北京に至る。 |
1603.3.24 |
慶長8.2.12 |
江戸幕府開かれる。 |
1604 |
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幕府、糸割符 法を制定し生糸貿易を統制する。 |
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家康、伏見城でドミニコ会上長メーナを引見。 |
1606 |
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家康、伏見城で日本司教セルケイラを引見。 |
1607 |
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イエズス会準管区長パシオ、駿府に家康を、江戸に将軍秀忠を訪ねる。 |
1608 |
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有馬晴信派遣の朱印船関係者ら、マカオで市民と衝突し五三人殺害される。 |
1609 |
慶長14 |
オランダ船、 平戸に入港し、幕府の許可をえて商館を開設。 |
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対馬宗氏の仲介で慶長条約を結ぶ |
1610 |
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ポルトガル船 ノツサ・セ ニョーラ・ダ・グラサ号、有馬晴信軍の攻撃を受け長崎沖で自爆、ドン・ロドゴ、三浦按針(ウィリアム・アダムス)建造船でメキシコに帰還。 |
1612.9.1 |
慶長17.8.6 |
岡本大八事件が発覚し、幕 府、江戸・駿府・京都の直轄地と有馬嶺に禁教令を施行。 |
1613 |
慶長18 |
江戸のキリシ タン八名処刑 される。 |
1613 |
慶長18 |
伊達政宗、支倉常長とフランシスコ会士ソテロをスペインとローマ教皇庁に遣わす |
1613 |
慶長18 |
平戸にイギリス商館ができる |
1614.1.25 |
慶長18.12.16 |
使節、スペイン領メキシコのアカプルコ港に着く。 |
1614.2.1 |
慶長18.12.23 |
幕府、全国に キリシタン禁教令を布告 し宣教師および高山右近らを国外に追放、長崎市内にある11教会被壊される。 |
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この年の統計によれば、聖職者150名、信徒数 65万を超え,信徒の中には公卿2家及び大名55名があった。 |
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大坂冬の陣始まる。 |
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ニアバラ・ルイスら難破。 |
1615 |
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高山右近、マ ニラで病死。 |
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支倉常長、マドリードでキリスト教に改宗し、ローマで教皇パウロ五世に謁す。 |
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ベトロ岐部マニラに渡航 |
1616 |
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家康死去。 |
1616 |
元和 2.8.8 |
幕府、外国船(主としてオランダ、イギリス)の入港を長崎・平戸の二港に制限し、キリスト教を厳禁。 |
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支倉常長の一行、ローマを発ち帰路に着く。 |
1619 |
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京都大殉教。 |
1620.10.18 |
元和 6.9.23 |
政宗、使節の帰国を幕府に報告する。この月、仙台藩におけるキリスト教徒の探索迫害が激化し、領内全域に及ぶ。 |
1620 |
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教皇パウロ五世、重ねて大赦令を発し、日本キリシタン宛書翰を書き認める。 |
1622 |
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イグ ナチオ、ザビエル列聖される。 |
1622 |
元和8 |
木村セバ スティアン、木村レオナルドら殉教。長崎でキリシタン55名が処刑される(長崎大殉教)。 |
1623 |
元和9 |
ベトロ岐部、 リスボンから ゴアに向かう、オランダ、アンポイナでイギリス人・日本人らを虐殺。 |
1623 |
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江戸大殉教。 |
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平戸のイギリス商館が閉鎖される。 |
1624 |
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仙台、出羽秋 田でディエゴ・カル
ヴァーリョらと キリシタン41名処刑。 |
1624 |
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江戸幕府はスペイン人の渡航を禁じた。 |
1624.8.25 |
元和10.7.12 |
大村で密入国のソテロ(51歳)ら4名処刑。 |
1626 |
寛永3 |
長崎の住民、 キリスト教の 信仰を禁じられる。 |
1626 |
寛永3 |
カトリック教徒を改宗させるため、踏み絵を行う。 |
1630 |
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ペトロ岐部、 松田ミゲルら ルパング島を出航し帰国 |
1633 |
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〜34年、徳川幕府は日本鎖国令を発し、スペインとの外交を閉ざした。全国に寺請け檀家制度を設け、全国民を仏教寺所属の信徒として登録させた。これによりキリシタンを取り締まった。更に、5人組制度による相互扶助及び監視密告体制を作り上げた。イエスや聖母マリアの聖像を踏ませる「踏み絵」による摘発が続いた。これによって信仰の有無を判断するというのは日本独特の遣り方であった。 |
1634 |
寛永11.5 |
長崎の商人、 幕命により出島を築く(?一六三六)。 |
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寛永11 |
眼鏡橋完成。 |
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寛永11.9 |
長崎くんち始まる |
1635.7.12 |
寛永12.5.28 |
幕府が御朱印船を停止し、唐船の貿易を長崎港に制限する。日本人の海外渡航と外国からの帰国を禁止、帰国者は死罪。外国船の入港地を長崎1港に限定。 |
1636 |
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幕府、ポルト ガル人と日本 人との混血児二八七名をマカオに追放(カスタ流し)。 |
1636 |
寛永13.5.10 |
出島完成、ポルトガル人を収容し市中雑居を禁止。 |
1637.12.11 |
寛永14.10.25 |
島原の乱発生 (1638年まで続く)。キリシタン勢力による島原・天草の乱が起り、約4万人の農民が一 揆を起こして、「全滅」した。原城で信徒2万7千余人が殉教した。 |
1639 |
|
ベトロ岐部、 江戸で殉教。 |
1639.8.4 |
寛永16.7.5 |
幕府、ポルトガル人(船)の日本渡航を禁止(鎖国の完成)。オランダ、中国、朝鮮とだけの貿易が許される。正確にはバテレン勢力との絶縁と云うべきである。 |
1640 |
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幕府、マカオ 使節六一名を 西坂で処刑しポルトガル船を焼く、大目付井上政重、宗門改役に就く。 |
1640.4.21 |
寛永17.3.1 |
常長の子常頼、斬罪に処される。召使い3名と弟常道がキリシタンであったことの責任を問われたもので、召使い3名も殉教。 |
1641.6.24 |
寛永18.5.16 |
平戸のオランダ商館を出島に移す(鎖国体制完成)。 |
1642 |
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イエズス会日本巡察師ルビノ一 行、下甑島に渡航し捕えられてのち処刑される。 |
1643 |
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管区長マル ケスの一行、上陸し捕え、ディエゴ・モラレスら 殉教。 |
1644 |
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ポルトガル国 王ジョアン四 世、マカオ・長崎間貿易再開のため特使シケイラを日本に派遣。 |
1647 |
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ポルトガル国王使節シケイ ラ、長崎に来航、幕府、ポルトガルとの通交を許さず同使節を帰国させる。 |
1657 |
明暦3 |
大村領のキリシタン600余人が捕らわれる(郡崩れ)。 |
1663 |
寛文3.3.8 |
長崎大火、66町中全焼57町、半焼6町(寛文の大火) |
1672 |
寛文12 |
寛文の大火の再建に当たり都市計画を行い、長崎の町を80か町に分く。 |
1688 |
元禄元 |
入港唐船194、史上最高記録。 |
1689 |
元禄2.4.15 |
唐人屋敷完成。 |
1715 |
正徳55 |
長崎貿易新令を発布し、輸入を制限。 |