「打ち分け場所」という言葉がある。
これは「おふでさき」には、

  このはなしなんの事やとをもている  神のうちわけばしよせきこむ   (二号 16)

と記されており、その注釈には、
うちわけばしよとは、打ち分け場所で、将来は内、中、外に各々三十一ヶ所宛、都合九十三ヶ所出来ると仰せられた。如何に業病の者でも、その打ち分け場所を回っているうちに、病気を救けて頂くのであるが、そのうち一ヶ所は非常に辺ぴな場所にある。しかし、これを略するようでは救からない。又、たとい途中で救かっても、車やつえを捨てないで、結構に救けて頂いた事を人々に知らせて、最後にそれをおぢばに納めるので、もし途中でそれを捨てたならば、一旦救けて頂いても、又元通りになる。と仰せられた。」
と述べられてある。

この文を見るに、「巡礼」に近いものとも解せれるが・・・


実際に教祖が打ち分け場所になると仰せられたとされる場所は、大縣大教会高安大教会旧郡山大教会敷島大教会の四ヶ所である。前の三ヵ所は、これは、『稿本天理教教祖伝逸話篇』の「四七 先を楽しめ」、「一〇二 私が見舞いに」、「一八九 夫婦の心」のそれぞれの話に記載されている通りである。

敷島大教会については、『増野鼓雪全集 5』にこう述べられてある。
本部直轄の教会が多数ある中で、神様が打分け場所と仰せられたのは、我が敷島大教会と高安大教会の二ヶ所だけである。神様の御予言に、地場を中心に六里四方に内三十一ヶ所の打分け場所が出来ると仰せられてある。して見れば、九十三ヶ所の打分け場所の中、我が敷島は御地場に最も近い内三十一ヶ所の部に属するものである。」  (「國への土産」 より)


とはいえ、必ずしも今ある教会がいずれ「打ち分け場所」になるとは言い切れないだろう。

第一に、講・教会ではなく、その場所・地点を示すものと考えるならば、教会移転等したらどうなのか・・・
そうした未来さえも分からないのであるから。

また、教祖は文久・元治のころから「講を結べ」と仰せになり、「打ち分け場所」「詣り場所」「神の出張り所」などという言葉も口にしていたという。
それを考えるなら、「教会→打ち分け場所」よりは、「講→打ち分け場所」の方が妥当とも考えられやしないだろうか。
今ある教会の役割と本来の講の役割が違うのであれば・・・

また、「打ち分け場所」、「詣り場所」、「神の出張り所」に関しても、
それぞれ違う役割を持っているモノとも捉えられるかもしれない。

詳しい事が分からない以上、曖昧な表現ばかりになってしまうが、
いずれにしても、これが当時の講や今日の教会への予言として仰せられたとされる「打ち分け場所」である。

ただ最後に一つ、「打ち分け」と表記する意味も、私としては興味深いところであるが・・・