次々部内教会も設立され、教勢も伸び、喜びの空気につつまれているこの前年頃(註・明治27)から□□会長は身上がちとなり、5月24日の東海支教会鎮座祭には、分教会長に代って清水虎次郎理事が祭主をつとめた。□□会長の身上障りは、いっこうに快方にむかわず、6月21日、身上願によっておさしづをいただくと、
『さあ/\たづねる処/\、これまでに何ど/\いくたび事情、なれど道なき一ッ道とゆう、一日なりと/\たのしみ/\、よふ/\の事情、これからながらくとゆう、一時もって不足なるとおもう処、めん/\心一つである。あるも一ッ、ないも一ッ、心事情とゆう、これ一つさとしおこう、心まで身の内不足、世上事情あるによって、はやく事情はこんで、事情ハめん/\あるも一つ、ないも一つ、これ一つはあさん(註・「発散」)したなら又一つ事情、これだけさとしおこう』(明治二八・六・二二)
これから長らくという思いから、一時をもって不足と思うのもそれぞれの心の持ち方一つである。不足の心を持つか持たぬかも心次第とさとしおこう。事情もそれぞれの心一つ、この心一つを発散することが肝要とお教え下されたように拝察できる。
ここでお示し下さっている「心を発散せよ」と仰せの□□会長の悩む心、不足の心の原因が教会内部のことか、長男庄作についてのことか、或いは全く異なる他の問題であるかは定かではないが、次第に身上弱まる病床にあって悩む最大の苦しみは、素行よろしくない庄作に対して、教会長後継の問題も含めて父として将来に対する案じ心を仰せ下さったに違いないし、□□会長自身、父として頭の痛い問題であったに相違ない。
このおさしづをいただいてのち16日後、再び□□会長身上願をもっておさしづを仰ぐのである。
明治二十八年七月七日
‥‥尋ねば事情さしづ一つ、よく事情きわけ/\。事情によってのばす事もあればのばせん理もある。早く事情身に一つ事情、心に一つ事情ある。心にある。発散でける。発散でけねば身に回る。はたに聞きわけ。これまで事情たすけ一つ事情/\、他にはた/\事情、身に迫る事情から、皆な発散せにやならん/\
{押して桜井の方願}
さあ/\尋ねるまでどふしたらえゝ、こふしたらえゝ、こら言わせんで。そんなこと尋ねるのやないで。』
とのおさしづであった。「事情によって延ばす事もあれば延ばせられない理もある。はやく事情身に一つ、心に一つ事情あるということを悟り、心を入替えてくれればよし、発散することができなければ身にまわる」と仰せになった。さらに「押して桜井の方願」について桜井の方、とお尋ねした意味も親神と□□会長のみの知るところで「桜井の方」の真意はわかりにくいところであるが、おそらく教会のことか、幹部役員のことか次期会長のことか、長男庄作の件であったに違いない。この押しての伺いには「どうしたら良い、こうしたら良いとは言わん、そんなこと尋ねるのやない」とお叱りいただいてしまっている。この七月七日のおさしづが、親神から□□会長がいただいた最後のお言葉となったのである。
昭和四十九年八月発行「山田伊八郎伝」(天理教敷島大教会編)159~161ページより |