別章【自民党の党史検証】

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3).7.5日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、れんだいこ史観からみた「自民党の党史検証」を行う。自民党の歴史については「自民党の歩み」があるので、これを参照しながら検証して行きたい。このうち政権交代過程の後継争いを中心に別サイト「派閥考」で確認することにする。現在は草稿中でスケッチ段階である。いずれシリーズとして纏めたいと思うが、今のところ能力と集中して纏まった時間が持てない関係でできていない。

 驚くなかれ、政党の歩みをかようにきちんと振り返りインターネット上でも公開しているのは自民党のみである。できは良くないが、党史を編纂し、誰もが読めるようサイトアップしている姿勢は高く評価されて良かろう。このことは何を意味するのだろうか。れんだいこ思案はこうだ。自民党のやっていることは自慢ほどのことではない、当たり前のことに過ぎない。問題は、この当たり前のことができていない自民党以外の政党のお粗末さに口アングリするばかりであるということではなかろうか。

 次に良くできているのが公明党である。しかし格段に落ちる。ところが、社民党、共産党となるとお粗末なことこの上ない。不満ならご確認してみれば良い。いわゆる新左翼党派の場合もお粗末な限りだ。党史を克明に記帳している党派があれば教えて欲しいぐらいだ。ところで、この現象は何を意味しているのだろうか。ものを云う場合もそうだ。自民党の誰それは分かりやすく時には例え話を持ち出して聴衆を笑わせながら話に誘い込む者も多い。その分失言も多いが。それに比して、左派の連中は対照的に小難しく語る。相手を責めるのを好むが「手前のとこはどうなんだ」と云われると口ごもる手合いが多い。これは何を語っているのだろうか。

 それはそうとして、自民党史を語ることは多面的であるだけに非常に難しい。「自民党の歩み」は政党の党史論であるので総じて提灯解説となっているのも仕方ない。れんだいこなりに解析しようと思うが、いろんな情報を網羅しても細かくなり過ぎるだけであり、簡略に過ぎたら流れが分からなくなる。そのうち閃きを得て趨勢に則り必要な記事を抜書きする方法でまとめてみようと思う。

 一つ云えることはこうだ。戦後直後から吉田茂―鳩山―岸辺りまでは「苦労人」の時代であった。池田―佐藤―角栄辺りまでが「働き人」の時代であった。三木―福田―大平―鈴木辺りまでが「調理人」の時代であった。中曽根―竹下―宇野辺りまでが「遊び人」の時代であった。海部―宮沢―橋龍―小渕辺りまでが「無能人」の時代であった。森―小泉−安倍−福田−麻生までの現在になると「ごく潰し」の時代であろう。この間50年有余つまり半世紀を経ている。これも一つの世の盛衰の方程式のようなものであろう。

 気が付いたことはこうだ。歴代内閣の閣僚名簿が一まとめにされたものがない。党三役と大臣名簿のセットのことを云うのだが、それぞれ別々のものしかないな。なぜだかわからないがアマチュアに分かりにくくさせているとしか考えられない。こういう基礎資料から追跡しないといけないので、多忙心痛のれんだいこには骨が折れるわ。

 2003.5.9日再編集、2009.9.25日 れんだいこ拝


関連サイト 戦後政治史検証

目次
自民党史総評
自民党前史1 戦後の混乱期から自民党結成まで
自民党史2 自由民主党結党  初代、鳩山一郎
 2代、石橋湛山
自民党史3 戦後タカ派政権時代  3代、岸信介政権論
自民党史4 戦後ハト派政権時代  4代、池田隼人
 5代、佐藤栄作
 6代、別章【田中角栄政権論
自民党史5 ハト派とタカ派の死闘戦時代  7代、三木武夫
 8代、福田赳夫
 9代、大平正芳
10代、鈴木善幸
自民党史6 タカ派完勝とその後の経緯 11代、別章【中曽根康弘政権論
12代、竹下登政権論
13代、宇野宗佑
自民党史7 日本国溶解時代の痴態 14代、海部俊樹
15代、宮澤喜一
16代、河野洋平
17代、別章【橋本龍太郎政権論
18代、小渕恵三
自民党史8 無能無策極まれり 19代、森喜朗
20代、別章【小泉純一郎政権論
21代、別章【安倍晋三政権論
22代、福田康夫政権論
23代、麻生太郎政権論
24代、谷垣 禎一
25代、安倍晋三政権論
26代、菅義偉政権論
27代、岸田文雄政権論
別章【自民党総裁選史
「俵孝太郎著『戦後首相論』考」
歴代執行部
インターネットサイト
参考文献
情報ストック




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