別章【大東亜戦争史実


 更新日/2022(平成31.5.1日栄和改元/栄和4).6.30日

 (れんだいこのショートメッセージ1)
 小室直樹氏は、「日本の敗因」の中で次のように述べている。
 「アメリカは、自国の戦史も外国の戦史も、ともに実によく研究している。それを将来の指針とするためである。歴史の研究といっても、いつ、どこで、何が起ったのかといった記録やその分析にはとどまらない。そこでは、必ず、『イフ(ifもしも)』の研究が行われる。つまり、もしも歴史の事実とは異なる事態が起ったとしたら、あるいは、もしも政治家が異なる選択をしていたとすれば、といった仮定を、研究に取り入れるのだ。コンピューターが発明されるずっと以前から、欧米諸国ではこの『イフ』の研究が盛んだった。いわば、思考のシミュレーションである。歴史研究の最大の効用は、この思考実験にあるといってもいいくらいだ」。
 「歴史を研究し、そこから導き出される教訓を未来に生かす。このことが重要である。特に戦争は、国家にとって極めて重要な歴史である。同時に、よく研究すれば、得られる教訓は多い。ところが、日本では、それをしない。戦争を歴史として科学的に研究することをしない」。
 概要「官僚制が腐敗すると『省益』が国益に優先することになる。軍事官僚は、外に対する自分たちの役割を忘れ、関心は内向きの省益優先に拘るようになる。これが腐朽した官僚組織に共通の特徴だ。腐朽官僚制の特徴は、軍人が、戦争が分からなくなることだ。大蔵官僚が、経済が分からなくなるのと同じである。本来の目的を、自分たちの役割を、見据えていないから、分からなくなる。

 そうした指導者には、『戦争哲学』がない。『戦争哲学』とは、戦争の目的をしっかりと把握し、そのために何をすべきか、それを高い次元で考えるということだ。戦争哲学をしっかりと頭脳の中心に据え、その上でプロフェッショナルの視点から創出されるのが『戦略』であり、その戦略が、戦いのそれぞれの局面で適切な『戦術』へと具体化される。戦争を闘うために最も重要で不可欠な観念、それが『戦争哲学』である。大東亜戦争を戦った日本の軍事官僚にはそれが欠けていたと、判断せざるをえない」。

 同じような論調で、日下公人氏は「失敗の教訓」の中で次のように云っている。
 「戦争をたとえ話にするとすごく分かりやすい。一筋縄ではいかない現実を読み解くためにも、戦史は大いに役に立つ。物事の厚みが分かり、様々な言説を比較することもできるようになる。そうすれば、他人に左右されず、自分なりの判断ができるようになるはずだ。判断力や決断力を養ういい練習にもなるはずだ」。

 これに付け加えるとするならば、こういうことではなかろうか。戦時の発想、行動には建前論的おざなりは許されない。常に本音、実質志向の体張り発想、行動がついて廻りしかも互いに衝突する。必然的に簡潔明瞭が尊ばれ、そういう意味で、これを学ぶ者には却って分かり易く為にもなるということではなかろうか。今風に云えば、キレイゴト云い師の出る幕はなく、良きにせよ悪しきにせよ学ぶに値する玉石が混交しているということではなかろうか。

 2003.10.12日再編集 れんだいこ拝


 目次
別章【大正―昭和の変動史考
大東亜戦争開戦直前史(1941〜1941.12.8)
大東亜戦争開戦史(1941.12.8)
大東亜戦争史1、開戦からミッドウェー海戦まで
大東亜戦争史2、ミッドウェー海戦からイタリア降伏まで
大東亜戦争史3、イタリア降伏からドイツ降伏まで
大東亜戦争史4、ドイツ降伏後より敗戦終戦まで
開かずの扉/大東亜戦争史5、戦争災害総括
大東亜戦争史5、戦争災害総括
山本五十六失踪事件考
別章【特攻隊考
別章【個別戦史考
別章【ソ連参戦史考】
インターネット・サイト
研究著作本





(私論.私見)