履歴その7、宰相時代

 更新日/2016.10.17日


1972(昭和47)年、角栄54歳 1972年当時の主なできごと

 (別章)【首相時代の田中角栄


7.2  田中・大平・三木の三者会談。「この3人のうち誰が次期総裁になっても、日中復交は今や国論であり、政府間交渉を通じて中国との平和条約を締結することを目標に交渉を行うべきである」と合意事項を発表。
7.5  自民党臨時大会で第6代総裁に選出される。就任直後の記者会見で、「日中関係正常化への機は熟した」と宣言。
7.6  臨時国会召集、佐藤内閣総辞職。衆参両院で第64代内閣総理大臣に指名される。
7.7  第一次田中内閣組閣。直ちに組閣を行うが、福田派が入閣を拒否、波乱の幕開けとなった。
7.9  周恩来中国総理が、イエメン政府代表歓迎会で「田中内閣成立は日中国交正常化の早期実現を目指すもので、歓迎する」と演説。
7.10  二階堂官房長官が、「今後は、政府の責任において、日中国交正常化のため具体策を進めていく」との談話を発表。成田社会党委員長が、「日中問題で、復交三原則を認めるならば田中内閣を支持する」と記者団に語る。
7.18  田中首相、竹入公明、春日民社両党委員長と個別に会談。
7.19  田中首相が、初記者会見で、「日中国交正常化は機が熟してきたの一言に尽きる」と意欲を示す。
7.21  田中首相、成田社会党委員長と会談。
7.22  中国から帰国した視野解党の佐々木更三委員長が田中首相と会談し、「周総理は田中首相と大平外相の訪中を歓迎する」との伝言を伝える。
7.24  田中首相、自由民主党日中国交正常化協議会の初会合に出席して決意を表明、党内での合意を強調。
7.25  竹入公明党委員長が二度目の訪中し、周総理と会談。
8.3  日本政府が、日中国交正常化に臨む基本見解を発表。
8.4  8.3日に帰国した竹入公明党委員長が、田中首相と大平外相を訪ね、周首相との会談について説明、中国側の考え方をまとめた「竹入メモ」を手渡す。
8.5  二人とも同級生にして東京都渋谷区に住んでいた長橋信栄を幹事役に、東京のホテルニューオータニで小学校の同級会によるお祝いの会が開かれる。角栄は一人ひとりと写真に納まり、思い出話に花を咲かせた。最後に仰げば尊しを歌った。
8.7  首相の私的諮問機関「日本列島改造問題懇談会」が初会合。
 「日本列島改造論に経済成長第一、公害をまきちらすなどの批判が出ているが、経済成長がなければ道路も住宅も託児所も老人ホームもできないことは過去のデータが示しており、議論の余地が無い」。
8.9  自民党の日中国交正常化協議会が、首相訪中による国交正常化を決議。
8.15  田中−孫平化会談で首相訪中が正式決定。
8.22  自民党副総裁に椎名悦三郎氏が就任。自民党が、日中国交正常化促進と田中首相訪中を党議決定。
9.1  ハワイで、田中・大平−ニクソン会談。日米安保条約の維持・日中国交正常化・日米貿易不均衡是正の共同声明発表。
9.8  自由民主党は、日中国交正常化協議会に引き続き総務会を開き、日中国交正常化の基本方針を決定、反対を続けていた台湾派を説得。
9.12  田中派が「七日会」を正式発足させる(会長・西村英一、衆院41名、参院42名)。
9.18  椎名自由民主党副総裁が、台湾を訪問し、沈外相らに日中国交正常化についての日本側の事情を説明。
9.21  二階堂官房長官が、田中首相の訪中について公式発表。
9.21  田中派の7日会が正式発足(衆院41名、参院42名)。
9.25  中国を訪問。大平外相、二階堂官房長官らが随行。北京着、第一回目の田中・周会談。9.26日第二回目。これについては「日中友好条約、国交回復交渉」で詳述する。
9.27  万里の長城参観のあと、第三回目の田中・周会談。田中首相、毛主席と会談。
9.28  第四回目の会談。
9.29  日中共同声明を発表。台湾が国交断交を発表。
9.30  帰国。羽田空港に帰国した際のステートメントは次の通り。
 「(日中国交正常化という)課題は、今日の国際情勢ひいては大きな歴史の中で捉え、またいつか、誰かが果たさねばならない仕事であったと信ずる」。

 皇居で帰国報告の記帳の後、自民党執行部に報告、臨時閣議で説明、合同記者会見、自民党両院議員総会で訪中結果を報告。
10.4  成田社会党委員長と会談。10.5日、竹入公明党委員長、春日民社党委員長と会談。
10.13  日銀発表の9月卸売り物価指数が前月比0.9%急騰と発表。
10.27  第70回臨時国会召集。
10.28  初の所信表明演説。中国から贈られたパンダのカンカンとランランが上野動物園へ。
 グリーンピア構想」。
11.7  ニクソン大統領が再選される。
11.8  衆議院本会議で、「日中共同声明に関する決議案」を全会一致で可決。
11.12  ジャック.二クラウス選手とプレーし、「帝王」からの手ほどきを受けて満悦している。
11.13  衆院解散(日中解散)。11.20日、公示。
12.1  台湾との窓口として「交流協会」が発足。
12.10  第33回衆議員総選挙。角栄は空前の18万2681票を取り11回目の当選を果たすが、自民党振るわず。追加公認を含めて282議席で、15議席減となった。共産党が14議席から38議席に躍進。

 12.11日の総理記者会見で次のように述べる。
 「国民が長い間続いた自民党政権に対し、反省を求めるため知恵を出したと受け止めるべきだろう。政府・自民党はこれに応えなければならない」。
 総選挙敗北直後、首相就任後始めてのお国入りし、支持者の前で次のように述べる。
 「仕事をすれば、批判が起こるのは当然だ。信濃川に橋を掛ける場合でも、『かける、かける』といっている段階では皆なに喜ばれるが、いざかけてみると、下流の人は『それ上流に掛け過ぎた』、今度は下流に掛ければ、上流の人が同じ事を唱える。皆さんッ、ですから、『田中さん、せっかくの田中ブームを長続きさせる為には、あまりせっかちに仕事をしない方がいいですよ』といつてくれる学者もいるんです。しかし、ムードで政治はできんッ。どうかこれから私の人気が悪くなったら、『ああ田中は仕事をしているんだ』と、まァ、こう思っていただきたい」。
12.12  第二次田中内閣スタート。第71特別国会が召集される。衆院議長・中村梅吉。
12.22  第71回特別国会始まる。第2次田中内閣発足。三木、大平、中曽根、福田氏らが入閣。
12.25  小選挙区制示唆。

1973(昭和48)年、角栄55歳 1973年当時の主なできごと

1.11  北京に日本大使館が38年ぶりに開設される。
1.12  日銀が、47年の卸売り物価の年間上昇率8.5%と発表。
1.15  超大型の48年度予算案を決定。一般会計14兆140億円(前年比24.6%増)、財政投融資6兆9248億円(28.3%増)
1.27  第71回特別国会再開。衆参両院本会議で初の施政方針演説。
 「現代社会は、大きく深い変化を経験しつつある。内に外に変革期の課題は山積している。新しい時代の創造は大きな困難と苦痛を伴うものである。しかし、私は敢えて困難に挑戦し、国民のために政治を決断し実行する」。
1.27  ベトナム和平協定調印。
1.28  48年度経済見通し決定。(国民総生産109兆2500億円、名目成長率16.4%、実質10.7%、沖縄を除く)
2.1  中国が東京に大使館開設。
2.14  円が変動相場制に移行。
2.19  キッシンジャー米大統領補佐官が来日、田中、大平と会談。
3.1  衆院本会議で、商社による投機・買占めなどに関連する緊急質疑が行われる。
3.6  アメリカでウォーターゲート事件表面化。
3.6  首相がソ連のブレジネフ書記長に親書を送る。
3.9  閣議で、「生活関連物資の買占め及び売り惜しみに関する緊急措置法」(投機防止法)を決定。
3.14  自民党親台湾派議員による日華関係議員懇談会が発足。
3.16  ウォーターゲート事件が表面化。
3.27  閣議で、「新国土総合開発法」を決定。
3.28  首相が、小選挙区制採用を骨子とする選挙法改正準備を指示。
3.29  アメリカのベトナム介入が終わり、駐ベトナム米軍が全て引き上げる。
3.31  暫定予算成立。
4.2  建設省の地価公示価格発表される。全国平均上昇率が前年比30.9%の暴騰。
4.3  田中首相が、政務次官との懇談で小選挙区制実現への決意を示す。
4.11  予算成立。衆院物価問題特別委が、大手6商社の代表を参考人として呼び、買占め責任を追及。
4.22  名古屋市長選で、革新の本山政雄が保守系現職を破って当選。
4.24  日中友好議員連盟結成(会長・藤山愛一郎)。社会、共産、公明、民社の4党が小選挙区制阻止で共闘体制。
4.27  自民党総務会が、小選挙区区割り表を含む公選法改正案を国会提出するよう政府に申し入れる。
5.11  小選挙区制導入への選挙法改正問題で国会審議止まる。5.16日首相が小選挙区制導入を断念。47年の全国高額所得者の上位100名のうちの94名が土地成金。
5.12  小選挙区区割り案作成のための「区割り委員会」が発足。国会は5.11日より審議ストップ。
5.16  田中首相が小選挙区制実現を断念。5.22日、区割り案委員会を廃止する。
5.25  東京都区部の5月消費者物価が前年同月比11.6%上昇。4月の全国消費者物価も9.4%アップ。政府は、物価抑制を経済政策の最優先課題とすることを決定。
5.29  中村衆院議長が辞任。後任は前尾繁三郎。増原恵吉防衛庁長官も天皇内奏問題で辞任。後任は山中貞則。
6月  5月の東京区部消費者物価上昇率が前年比11.6%。
6.2  石油輸出国機構(OPEC)とメジャー石油会社の交渉で、原油価格11.9%引き上げ。
6.11   リビアが、米国石油会社を国有化。
6.17  参院大阪地方区補選で、共産党の沓脱タケ子が自民を小差で破り当選。
6.22   衆議員文京委員会が筑波大学法案を、内閣委員会が防衛二法案を混乱のうちに採択。
7.2  公定歩合を0.5%引き上げて年6%に。4月から3ヶ月間に計3回、1.75%引き上げた。
7.5  首相就任1周年。内閣支持率が発足当時の60%台から20%台に急落。「国民の声には謙虚に耳を傾けるが、支持率が5%でも1%でも、やるべきことはやる」、「生産と賃金は先進10カ国の2倍程度の成長を続けながら、物価上昇率は10カ国の平均を下回るようにする」と発言。
7.6  投機防止法施行。
7.8  東京都議選で自民党が善戦。現有議席51を確保。(自民51、公明26.、共産24、社会20、民社2、無所属2)
7.17  自民党内に思想的行動集団「青嵐会」結成される。代表世話人には、中川一郎、渡辺美智雄、玉置和郎、湊徹郎、藤尾正行。座長・中尾栄一、幹事長・石原新太郎、事務局長・浜田幸一。その他中山正あき。
7.24  自民党が国会会期の65日間再延長を単独裁決。
7.25  通産省資源エネルギー庁発足。
7.29  田中・大平が日米首脳会談のため訪米、7.31日・8.1日、会談。天皇訪米、ニクソン来日で合意。
8.1  石油精製会社が灯油、軽由、A重油の卸売価格を1キロリットル千円値上げする方針を打ち出す。
8.8  金大中事件発生。金大中氏が白昼都内のホテルから誘拐される。
8.9  人事院が公務員給与を15.39%(14493円)引き上げを勧告。政府は受け入れ。
8.28  公定歩合を1%引き上げて7%に。
8.31  物価安定緊急対策を閣議決定。
9.7  札幌地裁の福島裁判長が、長沼ナイキ基地訴訟で、自衛隊違憲判決。
9.14  ガット東京宣言が出される。
9.18  国鉄、健保両法案が、参院で修正のうえ成立。
9.23  防衛二法成立。
9.25  筑波学園都市の各法案が成立。
9.26  田中首相西欧・ソ連歴訪に出発。9.27−28日、フランス(ポンピドー大統領)。9.30−10.3日、英国(ヒース首相)。10.3−5日、西ドイツ(ブラント首相)と首脳会談。10.7−10日、ソ連。これについては「諸国友好外遊「自主全方位外交」、新潮流外交」、「資源外交」で詳述する。
9.27  第71特別国会が280日の会期を終えて閉幕。
9.29  関西電力、四国電力、大阪ガスが料金値上げ。
10.3  通産省が、灯油元売り13社に「9月末の卸売り価格以上の値上げを認めない」と凍結令。
10.6  第4次中東戦争発生(10.24日、停戦)。
10.10  訪ソ。日ソ共同声明発表。北方領土返還問題は未解決であり継続交渉に委ねられることを確認させた。これについては「日ソ平和・北方領土返還交渉」で詳述する。
10.12  サウジアラビアのファイサル国王が、「イスラエルに武器を売れば対米石油輸出を停止する」と警告。
10.14  サウジアラビアのファイサル国王が、石油戦略発動を示唆。
10.16  ペルシャ湾岸6カ国が、原油価格の21%の値上げを一方的に宣言。オイル・ショック発生。第4次中東戦争の影響であった。
10.17  OPEC緊急閣僚会議で、石油の生産削減「石油戦略」を決定。
10.20  アラブ産油国が、イスラエル支持国への一方的石油輸出停止を決定。
10.23  国際石油資本の日本に対する原油価格値上げ、供給削減通告が為される。
10.29  小沢一郎が、新潟県の有力建設会社・福田組の長女・和子とホテルニュー大谷で結婚式を挙げる。仲人は二階堂夫妻、角栄は親代わりを務めた。
10.31  兵庫県尼崎市のスーパーで、トイレットペーパーの買占め騒ぎ発生、全国にパニックが波及。
11.1  巨人がV9達成。
11.16  閣議で、「緊急石油対策推進本部」を設置、石油緊急対策要綱を決定。この頃、全国で洗剤、トイレットペーパーの買いだめが生まれる。
11.20  サウジアラビアのヤマニ石油鉱業相が、日本に「断交を含む対イスラエル制裁措置」を要求。
11.22  閣議で、中東政策の全面的転換を決定。二階堂官房長官が発表。これについては「中東政策」で詳述する。
11.23  愛知揆一蔵相急逝。
11.25  第二次田中内閣の第一次改造。福田氏が蔵相になり、経済政策の見直しを表明。列島改造政策から総需要抑制政策へ転換。保利氏が行管庁長官に就任。
 需要抑制・省エネルギー政策へ転換し、電源開発促進税法等電源3法を成立させ柏崎刈羽原子力発電所への補助金へ当てる。
11.27  公取委が石油連盟と日石など元売り13社を独禁法違反容疑で強制捜査。
11.30  「実質成長率6%程度」と経済見通しを改定。
12.1  第72回通常国会開会。所信表明演説の一節は次の通り。
 概要「経済的にも、社会的にも歴史的転換期にある。この際、創造力と適応力に富む国民の総力を結集して、産業活動においては省資源・省エネルギーへの構造的転換を為し遂げ、国民生活においては生活感覚を適応させて資源の浪費を排し、『節約は美徳』の価値観を定着させなければならない」。

 『消費は美徳』からの180度の転換を指針させた。
12.10  三木副総理が政府特使として中東8カ国を訪問。これについては「中東通商交渉」で詳述する。
12.11  イラン政府が、49年の直接販売石油を1バレル16ドル−17ドル40セントで契約したと発表。各国も大幅値上げへ動く。
12.14  補正予算成立。
12.15  ストレスと疲労による顔面神経痛。東京逓信病院へ入院する。
12.18  石油緊急二法(石油需給適正化法、国民生活安定緊急措置法)を衆院で可決。12.21日、参院で可決。12.22日、公布・施行。
12.21  石油需給適正化法案と国民生活安定緊急法案が成立。1・石油、電力の20%供給削減。2・公共料金値上げの6ヶ月間延期などの対策を決定。
12.22  「国民生活安定緊急対策本部」を設置し、田中首相が本部長に就任。公定歩合を2%引き上げ。
12.25  OPECが、日本を「アラブの友好国」と宣言。
12.26  第7回日韓定期閣僚会議開催。
12.29  49年度予算案決まる。一般会計17兆994億円。財政投融資7兆9200億円。

1974(昭和49)年、角栄56歳 1974(昭和49)年当時の主なできごと

1.2  大平外相が日中航空協定交渉で訪中し、5日に日中貿易協定を調印。毛沢東と会見。
1.3  キッシンジャー国務長官が、「自国の都合だけを考える日本の試みは、産油国の価格釣り上げと消費国の原油獲得競争を煽るだけ」と批判。
1.7  田中首相がフィリピン、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシアの東南アジア5カ国歴訪に出発。1.8日、フィリピンのマルコス大統領と会談。1.10日、タイのサンヤ首相と会談。1.11日、シンガポールのリー首相と会談。1.14日、マレーシアのラザク首相と会談。1.15日、インドネシアのスハルト大統領と会談。反日デモに遭う。
1.9  大都市での洗剤不足騒ぎが再燃。
1.11  ニクソン大統領提唱の石油消費国会議に参加を決定。
1.16  石油二次規制スタート。
1月  福田蔵相は「物価は狂乱状態だ」と語る。1月の卸売物価が前年同月比で30%を越える上昇。
1.21  通常国会再開。
1.30  日韓大陸棚協定調印。
2.5  公取委が、石油連盟と元売り12社に対し、前年10、11月の値上げ協定と生産制限が独禁法違反として破棄勧告。2.19日、最高検に告発。
2.6  衆院予算委で、ゼネラル石油が前年暮れの石油危機を「千載一遇のチャンス」と呼び、便乗値上げを奨励する文書を各支店に配布していた事実暴露。
2.13  訪米中の大平外相がキッシンジャー国務長官と会談。会談後、安川大使が、「48.8月の日米共同声明に天皇の49年中に訪米が明記されており、会談でも確認された」と発言し、直ぐに取り消す。安川発言は大平外相の責任追及へと広がる。
2.19  法眼外務事務次官を更迭、東郷文彦に交代。
2.22  教員人材確保法が成立。
2.25  衆院予算委で物価問題集中審議。企業・業界代表23名を参考人に呼ぶ。
2.26  田中首相と福田蔵相が会談。総需要抑制のため、49年度予算の上半期の公共事業繰り延べなどで一致する。
2.28  48年度の国民総生産が名目で112兆8700億円と初の百兆円台に。
3.14  田中首相が、衆院予算委で、「日の丸、君が代を国旗、国歌に法制化する時機に来ている」と発言。
3.18  石油製品値上げ。
3.30  企業の儲けすぎを吸収する会社臨時特別税法が成立。
4.5  ポンピドー仏大統領の葬儀出席のため渡仏。パリで米・英・仏・西独首脳と会談。帰路モスクワでコスイギン首相と会談。
4.10  49年度予算、参院本会議で可決、成立。
4.11  公共事業契約率を36%に抑制することを決定。
4.11  春闘決戦ゼネスト(4.13日まで)。
4.12  衆院内閣委で、自民が「靖国神社法案」を強行採決。
4.13  日中航空協定案を閣議で正式決定。5.15日、承認。5.20日、北京で調印。
4.21  新潟知事選で君健男参院議員が初当選。
5.1  48年の長者番付で、上位100名のうち97名が土地成り金。
5.11  全国遊説始める。(7.6日まで)
5.13  日本武道館で開かれた「田中総理を励ます新潟県人の集い」で、徳育のための「5つの大切、10の反省」を提唱。
5.13  経団連会長に土光敏夫が就任。
5.15  田中首相が、参院決算委で、「5つの大切、10の反省」批判に対し、「子供達に具体的に分かり易く教えることは必要だ。教育勅語には人倫の大本を示した部分があり、お互いもう一度考える必要がある」と答弁した。
5.26  田中首相が、遊説先の札幌で、再び小選挙区制に意欲発言。
5.27  国土利用計画法、参院本会議で共産党を除く賛成多数で可決、成立。
6.3  第72通常国会閉幕。
6.6  発電用施設周辺地域整備法、電源開発促進税法公布。角栄が立案に参画。
6.11  槙枝元文・日教組委員長が、4.11統一ストで地方公務員法違反容疑で逮捕される。
6.14  第10回参院選公示。
6.18  鋼材値上げ。新日鉄など高炉6社がやや愚痴需要向け7品種を平均16.9%(トン当たり7900円)値上げ。
6.25  国土利用計画法公布。角栄が立案に参画。生産者米価28.1%上げ。
6.26  国土庁発足(初代長官・西村英一)。角栄が立案に参画。これについては「国土庁発足」で詳述する。
6.28  国税庁が会社臨時特別税の適用状況発表。3月期決算の1200余社の超過利得は612億円。
7.2  堀米中央選管委員長が、企業ぐるみ選挙批判の異例の見解を発表。
7.4  橋本自民党幹事長が、堀米中央選管委員長発言を東京地検に告発。
7.4  田中首相が、「区教育正常化のため教師の宣誓を参院選後に検討」と発言。
7.7  第10回参院通常選挙。ヘリコプターをチャーターし、栃木県を除46都道府県に訪れて演説等の選挙活動を行う。投票時間を1時間延長、投票率73.23%で史上最高。開票結果は、自民党惨敗。改選前より8議席減らし、保革伯仲時代に入る。(自民62、社会28、公明14、共産13、民社5、諸派1、無所属7)

 このときの選挙で、徳島阿波戦争が起こっていた。三木派の現職議員九次米健太郎が公認に漏れ、田中の息のかかった後藤田正晴が公認された。中央政界での田中と三木の代理戦争となった。結果は、九次米が勝った。これが後々のしこりとなる。

 7.9日の記者会見で、金権、企業ぐるみ選挙への批判について次のように述べる。
 「政治に金がかかりすぎるのは問題で、この選挙を契機に政党中心の選挙に改める方向で内外の考え方をまとめる努力をすべきだ」。
7.8  自民党の橋本幹事長が敗北宣言。
7.12  選挙後、三木副総理が田中首相を批判して辞任。次のように批判した。
 概要「問題の根本は、政策以前の政治道義、政治姿勢につながる党の近代化問題である。政治資金の集め方、使い方も改革しなければならない」。
7.18  続いて福田蔵相時評提出。保利行管長官も閣外へ。
7.22  生産者米価37.4%(1万4156円)引き上げ。
7.24  第73回臨時国会始まる。
7.26  参院議長に河野謙三を再選。
7.26  人事院が、公務員給与の平均18.62%(2万1385円)引き上げを勧告。既に実施の月額本給10%の暫定支払いを合わせると29.64%と空前のベア。
8.8  ニクソン大統領、ウォーターゲート事件で辞任。8.9日、フォード副大統領が第38代大統領に昇格。副大統領にネルソン・A・ロックフェラーを任命。全閣僚が留任。
8.14  韓国、金大中事件の捜査打ち切り通告。
8.15  朴大統領狙撃される。在日韓国人の文世光に狙撃され、陸英修夫人が死亡した。
8.19  朴韓国大統領夫人の葬儀参列のため訪韓。
8.21  48年度末の国鉄累積赤字は1兆5955億円。
9.1  北太平洋上で出力上昇中の原子力船むつで放射能漏れ。むつの流浪始まる。
9.6  消費者米価32%引き上げ。
9.8  フォード大統領が、ニクソン前大統領の特赦を決定。
9.12  メキシコ、ブラジル、米国、カナダの4カ国歴訪に出発。9.14メキシコ訪問。日本メキシコ学院の設立のための援助資金を持ち、 エチェベリア大統領(当時)との会談の結果、「両国民の相互理解のために画期的な重要性を有するものであって、早期建設を支援する」旨の共同声明を発表。

 9.18ブラジル首脳会談。9.21日ワシントンで新任のフォード大統領と会談。9.25日カナダのトルドー首相と会談。9.27日、帰国。
9.19  椎名特使が訪韓。
9.22  日本の人口が1億1千万人に。
9.28  48年政治資金収支報告で、史上最高の678億9千万円。自民は倍増の186億円。
9.29  日中定期航空便スタート。
10.8  佐藤前首相に74年度ノーベル平和賞。
10.9  月刊「文芸春秋」が「田中角栄研究」・「淋しき越山会の女王」を掲載して発売。田中金脈が徹底追及された。
10.11  福田派研修会で、福田が、概要「我々の闘いは、田中総理によって腐食されつつある国家と、民族の危機を救うための闘いである」との決意表明を為した。
10.22  参院大蔵委、「文春」記事を元に田中金脈を追及。
10.22  田中首相、外国人記者クラブで会見、質問攻めされる。この時、角栄は、次のように述べている。
 「一言で言うと、私は経済界の出身であり、政治に支障のない限り経済活動をしてきた。記事で個人の経済活動と公の政治活動が混交されていることは納得いかない。米国だけでなく、政治家が国民の支持と理解を得るためには、プライバシーの問題をある意味で制限されることは承知している」。
10.24  自民党の党基本問題・運営委員会、財界の議会政治近代化委員会が自民党改革案を提出、提言。
10.25  外遊挨拶のため、前尾、河野衆参両院議長と会談。河野氏が記者会見で、田中首相の早期退陣を示唆。
10.28  ニュージーランド、オーストラリア、ビルマ三カ国歴訪。10.29日、ニュージーランド。11.3日、オーストラリアのウイットラム首相。11.7日、ビルマ大統領と会談。11.8日、帰国。
11.10  首相が、三木、福田と個別に会談。内閣改造への協力を要請が拒否される。
11.11  第2次田中内閣第2次改造。金脈問題で記者会見を開き釈明。この時、角栄は、次のように述べている。
 「私は自分で仕事をしながら、20代で政界へ入り、今日に至っている。その後ひたむきに努力してきた。伝えられように政治と経済を混交したり、指弾を受ける行為をやった覚えはない」。
「調べればすべて明らかになることだ。地位利用は無い。やったなら、総理や代議士の地位を去る」。
 と述べるなど、違法・脱法行為はしていないと表明。
11.12  衆議院法務委などで金脈問題追及される。
11.17  視が県知事に革新の武村正義が、保守現職を破って当選。
11.18  フォード米大統領来日。11.20日、日米共同声明。フォード米大統領帰国後に首相辞意表明。
11.26  角栄は、首相官邸に党四役(椎名副総裁、二階堂幹事長、鈴木総務会長、山中政調会長)を呼び、「政局の混迷を招いた」として、2年余886日間の政権の座から降りることを正式に表明した。

 官房長官・竹下登が読み上げた。
 「私は、フォード大統領の来日という我が国にとって、まさに歴史的な行事が、つつがなく終了し、日米友好の基礎が一段と固まったこの機会に、内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞任する決意を致しました。

 政権を担当して以来2年4ヶ月余、私は決断と実行を肝に銘じ、日本の平和と安全、国民生活の安定と向上のため全力投球を続けてまいりました。しかるところ、最近における政局の混迷が少なからず私個人に関わる問題に端を発していることについて、私は国政の最高責任者として政治的道徳的責任を痛感しております。

 一人の人間として考えるとき、私は裸一貫で郷里を発って以来、一日も休むことなく、ただ真面目に働き続けて参りました。顧みまして、いささかの感慨もあります。しかし、私個人の問題で、かりそめにも世間の誤解を招いたことは、公人として、不明、不徳の致すところであり、耐え難い痛苦を覚えるのであります。私は、何れ真実を明らかにして、国民の理解を得てまいりたいと考えております。

 今、国の内外には、緊急に解決すべき課題が山積しております。政治には瞬時の停滞も許されません。私が、厳粛にかつ淡々として自らの進路を明らかにした所以もここにあります。わが国の前途に思いをめぐらす時、私は一夜、はい然として大地を打つ豪雨に心耳をすます思いであります。

 自由民主党は、一日も早く、新しい代表者を選出し、一致結束して難局を打開し、国民の負託に応えるべきであります。私も政治家の一人として、国家、国民のためさらに一層の献身を致す決意であります」

 角栄は、秘書官に囲まれながら、首相官邸執務室のテレビ見入った。ポロポロ涙を流しながら、竹下の代読が終わると早坂秘書に次のように語った、と云われている。
 「ボヤだと思っていたんだが、まるでヤマトタケルの命が、枯野で火に囲まれたようなものだ。草薙の剣を振るえば血路を開けんこともなかつたが、世の中できることと、できないことがある」。




(私論.私見)