【外務省関係】 日ソ平和・北方領土返還交渉

 (最新見直し2009.7.5日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 角栄−大平同盟は、日中首脳会談のみならず返す刀で日ソ首脳会談をも手掛け、日中交渉の際に見せた手際とはまた一味違う有能な外交振りを遺している。これを確認しておく。

 2005.9.7日 れんだいこ拝


【田中首相のモスクワ入り】

 日中国交回復を終え帰国した直後の記者会見で、田中は質問に答え次のように語っている。

 「最大の懸案の日中が終わった。残っているのは日ソ間の領土問題だ。歯舞、色丹、国後、択捉の四つの島の返還がソ連との平和条約締結の最大のポイントである。平和条約の下交渉は外務省が既に進めてくれているはずだ」。

 つまり、日ソ交渉にも意欲を表明していた。角栄のこの表明は実現する。

 1973.10.7日、田中首相は、鳩山一郎に次ぐ二人目の首相としてモスクワ入りした。10.8日午前11時半、クレムリン内のエカテリーナ広間で首脳会談に臨んだ。列席者は、ソ連側がブレジネフ書記長、コスイギン首相、グロムイコ外相、バイバコフ国家計画委員会議長。日本側は田中首相、大平外相、新関駐ソ大使、鶴見外務審議官、新井弘一東欧第一課長。午後1時50分終了。

 第2回会談は同日午後7時から9時40分まで行われた。この時、ブレジネフが、シベリアの地図を広げ、1時間半にわたって開発計画を説明した。田中首相は、次のように述べている。

 「あなたのお話しは良く分かりました。しかし、私は、そのようなことを話しに来たのではありません。ここは首脳同士でしか話せないこと、即ち北方領土の問題を話しに来たのです。ここでは首脳会談らしい話しをしようじゃありませんか」。

 10.9日、第3回会談。この時の会談の具体的な内容は明らかにされていない。田中首相とコスイギン首相の次の遣り取りが伝えられている。

田中首相  「私は、ソ連政府の招きで当地にやって来たことには、それなりの覚悟があります。つまり、首脳同士でなければ解決できない問題に道を開くためです。東洋には『画龍点晴を欠く』という言葉があります。龍の絵は、著名な人でないと描かないものだが、精魂込めて描かれた龍に、最後に目を入れることで、初めて絵が完成するのです。その目が入らないと、せっかくの絵も台無しになるという意味です。今度の首脳会談も、画龍点晴を欠いてはいけません」。
コスイギン首相  「いや、田中首相は、既に二つの目を入れたではありませんか」。
田中首相  「いや、この龍には、四つの目を入れてもらいたいのです」。

 10.10日、第4回首脳会談。日本側は田中首相、大平外相、新井外務相東欧1課長。ソ連側はブレジネフ書記長、コスイギン首相、グロムイコ外相。こうして、交渉は4度に及び共同コミュニケの文面が練られた。日本側が、記されていた「第二次大戦の時からの未解決の諸問題を解決して、平和条約を締結することが、両国間の真の善隣友好関係の確立に寄与することを認識し、平和条約の内容に関する諸問題について交渉した。双方は、1974年の適当な時期に、両国間で平和条約の締結交渉を継続することに合意した」の「第二次大戦の時からの未解決の諸問題」中に北方領土問題が含まれるかどうか確認していくことになった。それまでは、「領土問題は、ヤルタ以来、一連の国際協定によって解決済み、日露間には領土問題は存在しない」とされてきていた難関中の課題であった。

 田中首相は、「これでは共同声明は出せない。我々は共同声明を出さないまま帰国します」と最終通告し、「但し、我々の最後の案として、これがあります。これが最後の案です。これを承知してくれるなら共同声明を出すことができます」と助け舟を出した。この案の具体的内容が開示されてないが、ソ連側一行は部屋を出て1時間後に戻ってきた。

 新井の著書「モスクワ・ベルリン・東京―外交官の証言」(2000年刊・時事通信社)を参照しながられんだいこが意訳すれば次のようになる。

 「角栄が、『未解決の諸問題のうち、もっとも重要な問題は、四つの島、すなわち歯舞、色丹、国後、択捉の四島であることを確認したい。諸問題の中に、四つの島が入っていることを確認されるか』と、4本の指を突き出してたたみかけると、ブレジネフは、『ヤー、ズナーユ』(私は知っている)と答えた。新井はとっさに、この表現だけでは曖昧で弱いと判断し、『もう一度ご確認を』と走り書きしたメモを、大平正芳外相を通じた田中首相に手渡した。田中首相が、『それでは弱い。含まれるのか、含まれないのか。イエスかノーか、もう一度はっきりご確認願いたい』と迫ると、ブレジネフは今度はうなづくように『ダー』(イエス、その通り)と答えた。これにより『年来のソ連の立場の一角が崩れ』、北方四島返還の道が開かれることになった」。

 1973.10.10日の「日ソ共同声明」には「領土返還」の文字はなかったが、角栄は歴代の首相が口にすることすらできなかったこの難しい外交課題に風穴を開けたてた功労者となった。角栄のこの交渉振りが、「タフ・ネゴシエーター(手強い交渉相手)」としての印象を強く持たせることになった。

 ところが、1992年刊のパノフ大使の著書「不信から信頼へ―北方領土交渉の内幕」(サイマル出版)には、次のように書かれている。

 「ブレジネフは田中が日本の立場を述べる様子に非常に立腹した。『未解決の諸問題』に領土が含まれるという日本側の参加者の解釈を、ソ連側の代表者たちは断固として否定した」。

 午後1時、第4回首脳会談が終わり、午後5時直前、共同声明の日露両文を読み合わせしたところ、「継続交渉」部分が欠落していることが判明した。既に手直しする時間がなく、声明の調印後に訂正することを約束させた後に調印した。

【「大平外相の田中首相の日ソ交渉譚」考】

 この時の様子を廻って、角栄が辞任する少し前の頃、大平外相と藤原弘達の間で次のようなゴルフ談義の遣り取りが為されている。これを紹介する。

 「いや、藤原君、我々のようなインテリジェンスのある者には、角さんみたいなことは出きんだろう」。「じゃぁ、あなたはやる気はないんですか」。「私は、日ソ交渉の時、角と一緒にソ連に行ったが、あの時、角は、ブレジネフを相手に、机をガンガン叩きながら、国交断絶寸前までいくほど、がなりたてて、その晩は、ブランデーを飲んでグーグーと寝てしまう。そんな角の姿を見たとき、これは、わが国が生んだ大日本男児だと思ったもんだよ。この男にあるところまでやらせておいて、ピッチャー交代の時は考えなければならないが、しかし、わしなんか、とても角のあとをやれる器ではないよ」。


【「田中・ブレジネフ会談前秘話」考】
 「週間文春(2001.1.4新年特大号)」によれば、田中・ブレジネフ会談の約半月前、東京目白の田中邸を訪れた木村博保氏(刈羽村長・新潟県議会議員・刈羽群越山会会長)と次のような会話をしている。
 木村「ブレジネフに会うなら、シベリア鉄道の電化と複線化を条件に、北方4島の返還を迫ったらどうです。電化と複線化といったって、たかが1千億ぐらいのものでしょう。投下した資金は、シベリア開発で得られる利権でやがて回収できますから」。

 角栄から為された反応は度肝を抜くような次のような話であった。

 角栄「シベリア大陸やユーラシア大陸は石油、ガス、石炭、木材、レアメタル(希少金属)などの天然資源の宝庫だ。これらの資源をシベリア鉄道でウラジオストックまで運び、さらに海路で新潟まで運ぶ。それには新潟東港を隣の新発田市(しぼたし)まで拡張して、世界有数の港に造り替えなければならない。新潟に陸揚げされた資源は更に関越自動車道で首都圏に送り込む」。

 いかにも角栄らしい雄大な構想が伝えられた、という。

 これには後日譚がある。田中・ブレジネフ会談の結果を尋ねた木村氏に、角栄はこう答えたともある。
 角栄「ブレジネフもなかなかのもんだ。まぁ、領土返還は平和条約を結んでからだな」。

 (10月8日)、ソ連側主催午餐会における田中総理大臣挨拶 (於クレムリン大宮殿・グラナヴィータヤの間)  
 ブレジネフ書記長閣下 ポドゴルヌイ議長閣下 コスイギン首相閣下  御列席の各位
 ただ今は,御懇篤な御挨拶を頂戴し,厚く御礼申し上げます。私は本席をお借りしてあらためて私に対するソ連政府のご招待に対し心から感謝申し上げます。 かえりみますれば,今から17年前の同じ10月,日ソ間に外交関係が回復されて以来,両国の関係は年を追つて緊密なものとなつてまいりました。しかし,日ソの最高首脳による相手国への訪問はこれまで実現をみるに至りませんでした。変動する世界情勢の中にあつて,それぞれの国の最高責任者が膝を交えて,相互間の問題のみならず,共通の関心事である世界平和の問題について隔意なき意見交換を行なう必要性は益々増大しております。私がこのたびソ連政府のご招待を欣然と受諾し,モスクワにまいつたのもひとえにこのような理由によるものであります。わが国は,体制の垣根を越えてすべての国との間に友好関係を増進し,広く人類の平和と繁栄に寄与することを外交の基本としております。とりわけ隣国である貴国との間に,内政不干渉及び互恵平等の基礎の上に善隣友好関係を打ちたてることは,わが国が一貫して追求する目標であります。

 1956年に国交が回復されて以来,日ソ間の関係は,幅広い分野にわたり,当時何人も予測できなかつたような急速な発展を遂げてまいりました。貿易の分野でもわが国は,貴国の最大のパートナーの一つとなるに至りました。更にシベリア開発協力につきましては,日ソ間に既にいくつかのプロジェクトが実施されているほか,より大きな規模の計画についても話合いが進められております。

 しかしながら,私は,これをもつて満足するには未だ十分ではないと考えております。日ソ両国は,単に隣国であるにとどまらず,経済的にも稀にみる相互補完の関係にあります。われわれが双方のたゆまぬ努力により真の相互信頼を築き上げることができるならば,日ソ関係は,より一層明るい展望に満ちていることは疑問の余地がありません。

 私は,両国関係の将来について述べるとき,やはり未解決の平和条約の締結の問題に触れざるをえません。 平和条約締結の交渉とは,ブレジネフ書記長閣下がソ連邦結成50周年記念式典において述べられた通り,「第二次大戦の時から残つた懸案を解決し,われわれ両国の関係に条約的基礎を置くこと」を目的とするものであります。日ソ平和条約の締結こそは両国国民の総意であり,われわれ両国の指導者に課せられた厳粛な課題であると考えます。私はこの問題は,双方が相互理解と信頼に基づいて臨むならば必ずや解決される問題であり,また解決されなければならないと信じます。それによつて日ソ両国がゆるぎない善隣友好関係を確立することは,日ソ両国民の共通の利益に答えるばかりでなく,極東,ひいては世界の平和と繁栄に役立つと信じて疑いません。今日の国際社会は,人類の英知が創り出した科学技術の進歩それ自体によつても,新たな転機を迎えようとしております。かつてわが国からモスクワに赴くには,はるばるシベリア鉄道によつて半カ月もの旅を重ねたものでしたが,現在,空の旅は,その距離を僅か9時間に縮めました。このような情勢下にあつて,国際社会におけるコミュニケーションの拡大と相互依存関係の高まりは,言わば時代の要請であり,歴史の必然でもあると申せましよう。また,人類の英知は,力の対決が最早不毛であり,時代遅れのものであることを悟りつつあります。今やわれわれ人類は,国民生活の向上,食糧,環境,資源,発展途上国に対する協力,人間復権の新しい文明社会の創造などの解決すべき困難な問題に直面しております。現在,世界が抱えているこれらの諸問題のどれをとっても一国のみで解決することはできないのであります。日本とソ連のごとく,世界有数の成長を遂げた国は,硬直することなく、独断をかなぐりすて,柔軟,かつ積極的に対応していく責務があります。私は,日ソ両国が相互の関係の完全な正常化の上に立って,人類の理想の実現のため,それぞれの立場から建設的な役割を果していくことを強く願うものであります。終りに臨み,私共に対し,関係各位から示されたあたたかいおもてなしに対し深い感謝の意を表するとともにここに皆様のお許しを得てブレジネフ書記長閣下,ポドゴルヌイソ連邦最高会議幹部会議長閣下及びコスイギンソ連邦大臣会議議長閣下の御健康,御列席のソ連の友人各位の御健康,更に日ソ関係の発展並びにソ連邦共和国とその国民の一層の繁栄をお祈りして皆様とともに乾杯したいと思います。乾杯−
 (10月9日)、日本側主催午餐会における田中総理大臣挨拶 (於 レーニン丘政府迎賓館)
 コスイギン首相閣下御列席の各位
 御多忙のおりにもかかわらず,コスイギン首相閣下他ソ連党・政府の首脳の方々,並びに当国の著名な方々をお迎えして,ここに午餐を共にする機会を得ましたことは,私の大きな喜びとするところであります。

 昨日私のあいさつの中で指摘いたしました通り,今回のソ連訪問の最大の眼目は両国最高指導者間の対話の開始でありました。

 私は右に際し,ブレジネフ書記長閣下をはじめ,ソ連党・政府首脳の方々と日ソ間の最大の懸案である領土問題の解決を含む平和条約の締結をはじめ,両国間の諸問題につき卒直な意見交換の機会を持つたことに重要な意義を認めております。

 昨日,ブレジネフ書記長閣下は,私どもを招いた心暖まる午餐会の席上,平和条約の締結が日ソ関係発展のためのより強固な基礎となるとの趣旨を述べられました。私は書記長閣下の深い御理解に対し,改めて敬意を表するものであります。

 何故ならば,日ソ千年にわたる真の善隣友好関係の確立を心から願うものにとつてこの問題をさけて通ることは出来ないと考えるからであります。くり返して申すまでもなく,わが国にとつて平和はかけがえのないものであります。

 戦後わが国の国民総生産は,実質で年間10%以上の成長率を維持し,米ソにつぐ地位を占めるに至りましたが,これは働き蜂のような日本人一人一人のバイタリティに加え,歴代のわが国政府が効率的な経済運営を行ない,もてる力をすべて平和な国民経済発展のために集中してきた一貫した政策のたまものによるものであります。 平和国家に徹し,世界の平和と福祉に貢献することはわが国不動の方針であります。私は,かかるわが国の真摯な姿勢に対しソ連の皆様方の充分な御理解を得たいと思います。終りに際し相互理解と信頼に基礎を置く日ソ間の永久の善隣友好関係の確立を祈念しつつ,また,コスイギン首相閣下及び御列席の各位のために杯をあげて乾杯したいと思います。

【日ソ共同声明発表】
 10.10日、訪ソ。日ソ共同声明発表。北方領土返還問題は未解決であり継続交渉に委ねられることを確認させた。この時調印され発表された「日ソ共同声明」は次の通り。
 日ソ共同声明(1973年10月10日 モスクワにおいて)

 田中角栄目本国内閣総理大臣は,ソヴィエト連邦政府の招待により,1973年10月7日から10日までソヴィエト連邦を公式訪問した。田中総理大臣には,大平正芳外務大臣及びその他の政府職員が随行した。

 田中総理大臣及び大平外務大臣は,L・I・ブレジネフソ連邦共産党中央委員会書記長,A・N・コスイギンソ連邦共産党中央委員会政治局員兼ソ連邦大臣会議議長及びA・A・グロムイコソ連邦共産党中央委員会政治局員兼ソ連邦外務大臣と平和条約締結交渉を含む日ソ間の諸問題及び相互に関心を有する主要な国際問題について率直かつ建設的な話合いを行なつた。また,田中総理大臣及び大平外務大臣は,N・V・ポドゴルヌイソ連邦共産党中央委員会政治局員兼ソ連邦最高会議幹部会議長と会見した。大平外務大臣とグロムイコ外務大臣との間に第三回の定期協議が行なわれた。  

 友好的雰囲気の中に行なわれたこれらの会談において,双方は,日ソ関係が,1956年の日ソ共同宣言により外交関係が回復して以来,広範な分野において順調な発展を遂げており,特に,近年においては,政治,経済及び文化の面において両国間の関係の進展が著しいことに満足の意を表明した。双方は,内政不干渉及び互恵平等の原則に基づき日ソ間の善隣友好関係を増進することは,日ソ両国民の共通の利益に応えるのみならず,極東ひいては世界の平和と安定に大きく貢献するものであることを認め,このために両国関係の一層の発展に努力する旨の決意を表明した。

1  双方は,第二次大戦の時からの未解決の諸問題を解決して平和条約を締結することが両国間の真の善隣友好関係の確立に寄与することを認識し,平和条約の内容に関する諸問題について交渉した。双方は,1974年の適当な時期に両国間で平和条約の締結交渉を継続することに合意した。

2  双方は,日ソ間経済協力の拡大の方途につき意見交換を行なつた。その結果,双方は,互恵平等の原則に基づく両国間の経済協力を可能な限り広い分野で行なうことが望ましいと認め,特に,シベリア天然資源の共同開発,貿易,運輸,農業,漁業等の分野における協力を促進すべきである旨意見の一致をみた。双方は,日ソ及びソ日経済協力委員会の活動を高く評価した。このような両国間の経済協力の実施に当たつては,双方は,それぞれの政府の権限の範囲内で日本の企業(又はそれらによつて組織される団体)とソ連邦の権限ある当局及び企業との間で契約が締結されることを促進すること,かかる契約の円滑な,かつ,適時の実施を促進すること及び右契約の実施に関連して政府間協議が行なわれるべきことについても意見の一致をみた。また,双方は,特にシベリアの天然資源の共同開発に関連して,日ソ間の経済協力が第三国の参加を排除しないことを確認した。

 双方は,日ソ漁業に係る諸問題の解決の方途につき意見交換を行なつた。その結果,双方は,長期かつ安定した北洋漁業の確立のため,漁獲量を定める問題を含め,適切な措置をとることに合意し,両国主管大臣間の協議を可及的速やかに開催することにつき意見の一致をみた。

 双方は,別途合意される水域における日本人漁夫の操業についての従来から開始されている交渉に関し意見を交換し,この問題についての交渉を継続することに合意した。

 双方は,科学技術の分野における政府間の交流の拡大を有益と認め,10月10日日本側大平外務大臣とソ連側グロムイコ外務大臣との間で科学技術協力に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定が署名されたことを高く評価した。

 双方は,文化の分野における交流の順調な発展を満足の意をもつて指摘し,10月10日に両国の外務大臣の間で署名された学者及び研究者の交換,公の刊行物の交換,並びに広報資料の配布に関する取極の意義を高く評価した。

 双方は,自然の保護及び人間環境の保全の分野における日ソ間の接触の増大が必要であることを認め,このための協力の第一歩として,10月10日両国の外務大臣の間で渡り鳥及び絶滅のおそれのある鳥類,並びにその生息環境の保護に関する日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の条約が署名されたことを高く評価した。

 双方は,高度に効率的なエネルギー源の開発が世界的なエネルギー問題の解決に貢献することができることを認識して,原子力の平和利用の分野における協力を拡大する必要性を認めるとともに,その第一歩として,両国の科学者及び技術者の交換,並びに情報の交換を行なうことが有意義である旨強調した。

 双方は,各層にわたる日ソ間の人的交流を積極的に評価し,両国間の一層幅広い交流を奨励すべきである旨意見の一致をみた。 双方は,1966年に両国外務大臣間で合意された両国外務大臣間の協議の定期的な実 施に賛意を表明した。

 ソ連側は,人道的考慮に基づき,ソ連邦に居住する未帰還邦人の日本への帰国及び 従来から実施されている日本人墓地への遺族の墓参に関する田中総理大臣の要請に関して,今後もこれらの問題を然るべき注意をもつて検討する用意がある旨を確認した。

 3  双方は,現在の国際情勢の主要な,かつ,双方が関心を有する諸問題につき意見を 交換した。双方は,近年国際情勢が全体として緊張緩和の方向に向かつていること及び異なつた社会体制を有する国家間の関係正常化が一層進展したことに満足の意を表した。同時に,双方は,現在世界の若干の地域で紛争が続いていることに憂慮の念を示すとともに,すべての国が,国連憲章に従い,その相互関係において紛争を交渉により解決するとの原則及び武力による威嚇又は武力の行使を慎むとの原則を遵守する必要性のあることを強調した。

 双方は,国際間の緊張緩和を一層促進し,永続的な世界平和を実現することがすべ ての国民の利益に係わる現代の根本問題であるとみなしている。また,双方は,国際 連合が世界平和の維持と国際協力の促進のため重要な貢献を行なつていることを認め,同機構の有効性を強化するため引き続き努力することにつき意見の一致をみた。

 双方は,世界の恒久的平和を確立するために,有効な国際的管理の下における軍縮の達成,特に核軍縮の早期実現の重要性を認識して,この目標に向かつて努力する旨 を表明した。

 双方は,戦略兵器制限交渉(SALT)関係諸合意及び核戦争防止に関する米ソ協定を含む軍備管理及び紛争の回避の分野でなされた前進に対し満足の意を表明した。

 双方は,アジア情勢に関する意見交換において,ヴィエトナム和平協定並びにラオスの和平協定及び同協定の実施議定書の締結について満足の意を表明した。双方は,これらの協定がすべての当事者により厳格に履行されるならば,インドシナにおける恒久平和確立の可能性を開くものであり,また,ヴィエトナム,ラオス及びカンボデ ィアの問題の解決は,外部から如何なる干渉もなしにこれら諸国の国民によつて実現されるべきであるとの見解を表明した。

 双方は,朝鮮半島において南北の間に対話の途が開かれたことを歓迎した。

 双方は,南アジア亜大陸における緊張緩和についての関係諸国の努力に対する歓迎の意を表明した。

 双方は,また,アジア諸国の自主性の尊重の上に立つてこれら諸国の自助努力に積極的に協力することこそアジアにおける平和と安定のために大きく貢献する方途であ る旨を強調した。

 双方は,中東における軍事行動の発生に対して大きな懸念を表明し,現在の事態ができる限り速やかに解決されるべきであるとの希望を表明した。双方は,中東における公正かつ永続的平和ができる限り早期に確立されるようにとの希望を表明した。

 双方は,国際間の永続的な平和と福祉を増進するため建設的な貢献を行なうとの決意を表明した。

 4  双方は,率直かつ建設的な精神で行なわれた両国最高首脳間の直接の対話が極めて有益であり,かつ,両国関係の発展にとつて重要な貢献を行なつた旨を満足の意をもつて表明した。双方は,両国最高首脳間の対話が継続されるべきである旨を強調した。

 田中総理大臣は,ソ連邦訪問中に受けた暖かい接遇に対し感謝の意を表明した。

 田中総理大臣は,日本国政府の名において,ブレジネフソ連邦共産党中央委員会書記長,ポドゴルヌイソ連邦最高会議幹部会議長及びコスイギンソ連邦大臣会議議長に対し,別途合意される時期に日本国を訪問するよう招待した。これらの招待は謝意をもつて受諾された。

  1973年10月10日にモスクワで
 日本国内閣総理大臣 (署名)
 日本国外務大臣    (署名)
 ソヴィエト社会主義共和国連邦大臣会議議長 (署名)       ソヴィエト社会主義共和国連邦外務大臣    (署名)





(私論.私見)