日中国交回復を終え帰国した直後の記者会見で、田中は質問に答え次のように語っている。
「最大の懸案の日中が終わった。残っているのは日ソ間の領土問題だ。歯舞、色丹、国後、択捉の四つの島の返還がソ連との平和条約締結の最大のポイントである。平和条約の下交渉は外務省が既に進めてくれているはずだ」。 |
つまり、日ソ交渉にも意欲を表明していた。角栄のこの表明は実現する。
1973.10.7日、田中首相は、鳩山一郎に次ぐ二人目の首相としてモスクワ入りした。10.8日午前11時半、クレムリン内のエカテリーナ広間で首脳会談に臨んだ。列席者は、ソ連側がブレジネフ書記長、コスイギン首相、グロムイコ外相、バイバコフ国家計画委員会議長。日本側は田中首相、大平外相、新関駐ソ大使、鶴見外務審議官、新井弘一東欧第一課長。午後1時50分終了。
第2回会談は同日午後7時から9時40分まで行われた。この時、ブレジネフが、シベリアの地図を広げ、1時間半にわたって開発計画を説明した。田中首相は、次のように述べている。
「あなたのお話しは良く分かりました。しかし、私は、そのようなことを話しに来たのではありません。ここは首脳同士でしか話せないこと、即ち北方領土の問題を話しに来たのです。ここでは首脳会談らしい話しをしようじゃありませんか」。 |
10.9日、第3回会談。この時の会談の具体的な内容は明らかにされていない。田中首相とコスイギン首相の次の遣り取りが伝えられている。
田中首相 |
「私は、ソ連政府の招きで当地にやって来たことには、それなりの覚悟があります。つまり、首脳同士でなければ解決できない問題に道を開くためです。東洋には『画龍点晴を欠く』という言葉があります。龍の絵は、著名な人でないと描かないものだが、精魂込めて描かれた龍に、最後に目を入れることで、初めて絵が完成するのです。その目が入らないと、せっかくの絵も台無しになるという意味です。今度の首脳会談も、画龍点晴を欠いてはいけません」。 |
コスイギン首相 |
「いや、田中首相は、既に二つの目を入れたではありませんか」。 |
田中首相 |
「いや、この龍には、四つの目を入れてもらいたいのです」。 |
10.10日、第4回首脳会談。日本側は田中首相、大平外相、新井外務相東欧1課長。ソ連側はブレジネフ書記長、コスイギン首相、グロムイコ外相。こうして、交渉は4度に及び共同コミュニケの文面が練られた。日本側が、記されていた「第二次大戦の時からの未解決の諸問題を解決して、平和条約を締結することが、両国間の真の善隣友好関係の確立に寄与することを認識し、平和条約の内容に関する諸問題について交渉した。双方は、1974年の適当な時期に、両国間で平和条約の締結交渉を継続することに合意した」の「第二次大戦の時からの未解決の諸問題」中に北方領土問題が含まれるかどうか確認していくことになった。それまでは、「領土問題は、ヤルタ以来、一連の国際協定によって解決済み、日露間には領土問題は存在しない」とされてきていた難関中の課題であった。
田中首相は、「これでは共同声明は出せない。我々は共同声明を出さないまま帰国します」と最終通告し、「但し、我々の最後の案として、これがあります。これが最後の案です。これを承知してくれるなら共同声明を出すことができます」と助け舟を出した。この案の具体的内容が開示されてないが、ソ連側一行は部屋を出て1時間後に戻ってきた。
新井の著書「モスクワ・ベルリン・東京―外交官の証言」(2000年刊・時事通信社)を参照しながられんだいこが意訳すれば次のようになる。
「角栄が、『未解決の諸問題のうち、もっとも重要な問題は、四つの島、すなわち歯舞、色丹、国後、択捉の四島であることを確認したい。諸問題の中に、四つの島が入っていることを確認されるか』と、4本の指を突き出してたたみかけると、ブレジネフは、『ヤー、ズナーユ』(私は知っている)と答えた。新井はとっさに、この表現だけでは曖昧で弱いと判断し、『もう一度ご確認を』と走り書きしたメモを、大平正芳外相を通じた田中首相に手渡した。田中首相が、『それでは弱い。含まれるのか、含まれないのか。イエスかノーか、もう一度はっきりご確認願いたい』と迫ると、ブレジネフは今度はうなづくように『ダー』(イエス、その通り)と答えた。これにより『年来のソ連の立場の一角が崩れ』、北方四島返還の道が開かれることになった」。 |
1973.10.10日の「日ソ共同声明」には「領土返還」の文字はなかったが、角栄は歴代の首相が口にすることすらできなかったこの難しい外交課題に風穴を開けたてた功労者となった。角栄のこの交渉振りが、「タフ・ネゴシエーター(手強い交渉相手)」としての印象を強く持たせることになった。
ところが、1992年刊のパノフ大使の著書「不信から信頼へ―北方領土交渉の内幕」(サイマル出版)には、次のように書かれている。
「ブレジネフは田中が日本の立場を述べる様子に非常に立腹した。『未解決の諸問題』に領土が含まれるという日本側の参加者の解釈を、ソ連側の代表者たちは断固として否定した」。 |
午後1時、第4回首脳会談が終わり、午後5時直前、共同声明の日露両文を読み合わせしたところ、「継続交渉」部分が欠落していることが判明した。既に手直しする時間がなく、声明の調印後に訂正することを約束させた後に調印した。 |