角栄、小沢、CIA(2)
角栄は、常々次のように言っていた。
「平和外交を旗印に、資源の先鞭はおれがつける。相手の理解を得て、折れるところは折れて、あとは民間が実行すればいい。首脳どうしで決めれば、ほかが横槍を入れてきても、変えようがないからな。資源は戦略商品だ。トップダウンでなきや動かせないよ」。 |
田中を囲む資源派は、メジャー支配からの自立を目指して「エネルギー供給源の多角化」に向かった。石油戦略の第一歩を「北海油田への開発参加」で踏み出した。清玄は英国外務省の要人と交渉を重ね、スワップ方式で第三国を介して原油を融通する方式を英国側と交渉し、九分九厘問題なしの内諾を得ていた。ところが、いよいよ議会で議案を通して詳細を発表するという日の朝、英国外務省の要人が日本側一行が泊まるホテルに駆け込んで来て、「フィナンシャル・タイムズ」を差し出した。一面トップに「不可解な事件」の見出しで次のように書かれていた。「議会の承認なしに北海油田の割譲を日本に約束し、ノース・スロープ油田とのスワップの権利を日本に与えた経緯は極めて不明朗だ。日本側が記者を集めて発表した」。新聞に秘密交渉が暴露され、英国側は議会に案を提出できなくなった。一転して手詰まりに陥った。
情報漏洩について、田中清玄は「田中清玄自伝」に次のように書いている。
「俺は、これは今里広記(元日本精工社長)だなとピンときた。今里も同行していたから、『おい、貴様だな。おしゃべりめ。貴様がこういう事をやるとは思っておった。お前、日本を立つ間際にしゃべったんだろう』と言ってやったんだ。土光さんも中山も言えないんだよね。俺が言った。今里は『俺じゃねえ』と言ったな。それから俺はもう今里という人間は一切相手にしなくなつた。彼はもともと株をやっていたですからね。この話を利用してひと儲けを企んだんですよ。今と同じです。今里はその後死んだが、俺が財界そのものを信用しない理由はそれだ」。 |
だが、覆水盆に返らず。英国側がリップサービスで北海油田に触れることはあっても事業としては進展しなかった。清玄は、「田中清玄自伝」に次のように記している。
「英国側は議会に出せないよ、そんなもの。それでおしまい。イギリスという国は実にはっきりしている。逆立ちしたって、何百億積んでもだめ。だめなものはだめ。日本の中には政治家はだめだけれど、財界人はいいという考えがあるけど、これは間違いです。政治家と同じです。甘さ、のぼせ上がり、目先だけの権力欲。それを脱しきらなければ、日本人は本当の意味で世界の人達から尊敬されません。日本になりきり、アジアになりきり、宇宙になりきる。そういう人がいま政界でも財界でも、求められているんじゃないでしょうか」。 |