別章【ロッキード裁判の経過】 |
更新日/2018(平成30).6.19日
(れんだいこのショートメッセージ) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ここで考察する「ロッキード裁判の経過」は存外貴重である。しかし、ほとんど知られていない。マスコミのリードのままに立花隆のコメントに合わせて「世論なるもの」が作られていったように記憶する。この不正義を糾すべき左翼が居なかったことが悔やまれるところである。社会党、日共は御用提灯持ってけしかける方であったし、新左翼は党派戦争で忙しかった。その間隙を縫うようにして、このような国家テロが押し進められていったのが真相であろう。当時れんだいこも何やかやでせわしく、検察と裁判所が結託してかような無法テロを進行させていったことに気づかなかった。角栄は弁護士の司法取引的法廷闘争戦術の申し出を断り、孤軍奮闘情に訴えぬいた。この歴史までは消せない。遅まきながら、れんだいこはここに、角栄の百年戦争を熱烈に支持することを申し上げておく。 逮捕者は総勢18人、起訴された者16人となった。これを確認しておく。
ロッキード事件を廻る裁判は、丸紅ルート、全日空ルート、児玉・小佐野ルートの三公判で審理が進められた。これを図示すれば次のようになる。
(これによれば、全日空ルートの裁判長がはっきりしない) 角栄の関与を廻る究明は丸紅ルートに預けられ、東京地裁で169回もの公判等が行われた。角栄は事前に届出をすませておけば毎回出廷する要はなかったが一日も休まず通った。これは秘書の早坂茂三も同じであった。角栄は、五億円授受を認め政治献金論で争った方が却って有利とする弁護団の誘導を聞き入れず、最後まで無罪を求めて争った。「ウィキペディア田中角栄」は次のように記している。
窺うべきは、授受しているのに否認する角栄に対する立花−日共ばりの謗(そし)りではなく、最後の最後まで否認し続けた角栄の方にこそ真実があり事件そのものが冤罪だったとする可能性の方ではなかろうか。 2003.9.20日、2011.2.5日再編集 れんだいこ拝 |
2.24日、日本の捜査史上初めての三庁合同捜査体制が発足した。ロッキード事件は、この当事者の審理の都合上から、丸紅ルート・全日空ルート・児玉ルートの三ルートに分けられて追及されていくことになった。
目次 | |
逮捕者、起訴者リスト | |
裁判経緯その1、公判開始から検察側の論告求刑まで | |
裁判経緯その2、検察側の論告求刑要旨(第148回公判) | |
裁判経緯その3、検察側の論告求刑から弁護人の最終弁論まで | |
裁判経緯その4、田中側弁護人の最終弁論要旨(第187回公判) | |
補足・丸紅側弁護人の最終弁論要旨(第190回公判) | |
第一審判決まで | |
児玉・小佐野賢治公判の経緯 | |
半谷恭一裁判長のその後の履歴 |
(私論.私見)