半谷恭一裁判長のその後の履歴 |
(最新見直し2015.06.07日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、ロッキード裁判の「児玉、小佐野ルート公判」担当の半谷(はんや)恭一裁判長の訴訟指揮考とその後の履歴を確認しておく。 2015.06.07日 れんだいこ拝 |
【半谷恭一裁判長の児玉誉士夫公判指揮考】 |
半谷恭一さんは昭和32年の東京地裁を振り出しに、同地裁部総括判事などを経て、ロッキード裁判「児玉・小佐野ルート」の1審で裁判長を務め、小佐野賢治元国際興業社主を懲役1年の実刑としたほか、米側証人の嘱託尋問調書を初めて証拠採用するなど斬新な手法で注目を集めた。 |
「1983年(昭和58年)、東京地裁の半谷恭一裁判長は田中角榮に懲役4年・罰金5億円の実刑判決を下した。田中は即日、控訴した」との記述があるが、岡田光了裁判長の間違いではなかろうか。 |
【半谷恭一裁判長の小佐野賢治公判指揮考】 |
1972 年 10 月、浜田幸一はラスベガスのカジノのバカラで、150万ドル(当時のレートで4億7千万円)の大敗をした。その借金を小佐野 賢治が肩代わりしていたことが1980年のロッキード事件の公判で判明し、議員辞職と同年の総選挙出馬見送りに繋がった。1980/3/7
付の朝日新聞より。「 浜田代議士の借金を穴埋め 小佐野が支払う ロス空港の 20 万ドルで新事実 ロ事件公判 米のカジノで大敗」。 ロッキード事件にからみ国会での偽証罪に問われている国際興行社主小佐野賢治被告に対する裁判で、四十八年十一月、小佐野被告がロッキード社から受け取ったとされる二十万ドルが自民党の浜田幸一代議士(千葉三区)のアメリカ・ラスベガスにおけるカジノの借金の一部を支払うのにあてられたという新事実が明らかにされた。六日、東京地裁刑事二十五部(半谷恭一裁判長)で開かれた第四十一回公判で検察側が冒頭陳述の補充訂正という形で明らかにしたもの。検察側は同時にこの浜田代議士の借金の総額が百五十万ドル(当時のレートで約四億六千万円)で、最終的には百二十万ドルに割り引いてもらったものの、この全額を小佐野被告が引き受けて支払っていたことも明らかにし、カジノの帳簿類、ホテル支配人が書いた書面などの関係資料十四点を証拠申請した。これに対し浜田代議士は六日夕、記者会見し「一方的な言い分だ」と全面的に否定した。 |
【】 |
【半谷恭一裁判長の三越事件控訴審指揮考】 |
1982年(昭和57年)に発生した三越事件(みつこしじけん)とでは三越元社長の背任事件では控訴審を担当した。 1982年6月17日、納入業者に対し商品や映画前売券等の購入を要請(押し付け販売)、協賛金や社員派遣を要請、種々の催し物への費用負担の要請につき独占禁止法第19条の不公正な取引方法(優越的地位の濫用)にあたるとした審決を受ける(公正取引委員会昭和57年6月17日同意審決)。大和運輸(現・ヤマトホールディングス)は創業以来三越の専属配送業者だったが、このような要求をされたことから1979年に絶縁している。同年8月29日、「古代ペルシャ秘宝展」の出展物の大半が贋作である事が朝日新聞の報道により判明。 当時の社長であった岡田茂が、ジャーナリストの恩田貢に紹介され知り合い、寵愛した愛人の「三越の女帝」こと竹久みち(本名:小島美知子)の経営する「アクセサリーたけひさ」に不当な利益を与えていたり、自宅の改修費用に会社の金を流用していたりした問題まで出てきた。これに対して社外取締役であった三井銀行(現・三井住友銀行)の小山五郎らは岡田に辞任を求めたが岡田がこれを拒否したため、小山を初めとする三井グループ各社の幹部や三越内部の反岡田派は岡田の追い落としを図り始めた。同年9月22日、取締役会で5つの議案の審議が終わった後、岡田は腹心の杉田忠義専務に議長を交代した。そして岡田に渡された議案には書かれていない第6号議案、岡田解任決議案が杉田から発議され16対0[1]で可決成立し、その場で岡田は非常勤取締役に降格となった。この時に岡田が発したとされる言葉「なぜだ!」はこの年の流行語となった(他の取締役から「キミ、会議は終わったのだよ」と声をかけられても「なぜだ……」と力なく呟き続けていたという)。後任には岡田によって飛ばされた名古屋三越社長の市原晃が就任し、信頼回復に全力を尽くした。後日、岡田と竹久は19億円の特別背任の容疑で逮捕され同罪に問われた。岡田には高裁で懲役3年の実刑判決が下り、上告中の1995年7月20日に死去し公訴棄却。竹久は最高裁まで争ったが懲役2年6月、罰金6000万円の実刑判決が確定し、栃木刑務所で1年6ヶ月服役。2009年7月24日に病気のため獄死した。 |
【半谷恭一裁判長のその後考】 |
宇都宮地裁所長などを経て、1995(平成7)年に東京高裁部総括判事を最後に東京高裁部総括判事を最後に依願退職。退官後は公証人や弁護士として活動していた。 |
【半谷(はんや)恭一裁判長の変死】 |
昨年2.5-6日、ロッキード事件の裁判長を務めた元東京高裁判事で弁護士、半谷(はんや)恭一氏が文京区本郷の自宅マンションで首を絞められ窒息させられた形で殺害されていた。享年78歳。
妻の俊子が6日朝、別居する40代の長女に「お父さんが死んでいる」と連絡。長女が110番通報した。俊子容疑者は警視庁に「朝起きたら死んでいた。お父さんは糖尿病だった」と説明している。
同課の調べでは、半谷さんは自室から頭部を廊下に出して普段着姿のまま倒れていた。顔に不自然なあざがあり、司法解剖の結果、首を圧迫された窒息死だったことが判明した。半谷さんと俊子容疑者は2人暮らし。
2012.2.22日、警視庁捜査1課は、夫の殺人容疑で妻の俊子容疑者(81)を逮捕した。逮捕容疑は昨年2月5~6日、恭一さんの首を絞めて殺害したとしている。但し、同課によると、妻は「主人を殺したりはしていない。糖尿病で死んだ」と否認しているという。家族は「半谷さんと俊子容疑者には認知症の兆候があった」と説明しており、同課は責任能力についても慎重に調べている。遺体発見の前日の5日深夜、半谷さんと俊子容疑者が激しく言い争うような声が聞かれていたほか、防犯ビデオを解析した結果、事件前後に自宅に出入りする人物がいなかったことが分かり、同課は、俊子容疑者が犯行に関与した疑いが強いと判断した。 |
ロッキード裁判で児玉・小佐野ルートの裁判長を務めた半谷恭一氏の昨年の死亡を廻り2.22日、警視庁は妻の俊子を殺人容疑で逮捕した。嘱託尋問調書の証拠採用、小佐野有罪判決で得々としていた裁判長の晩年は認知症を患っていた云々。これは角栄のタタリか罪の自虐かという問いかけの余地はある。 |
しかし、81歳の認知症妻に絞殺は可能か? 事件発生から1年も逮捕に時間がかかった理由も不明である。 |
半谷恭一法律事務所→日本宝くじシステム代表取締役常務の登記簿住所マンションですね。 |
2012年05月15日、東京地検は、「認知症の影響で善悪を判断できない心神喪失の状態にあり、刑事責任は問えない」(「認知症で責任能力が認められない」)として妻を心神喪失で不起訴処分とした。地検は、心神喪失者医療観察法に基づく鑑定入院を請求しなかった為、妻は同日釈放された。家族が面倒を見るという。 妻は今年2月の逮捕当時警視庁の調べに殺害自体を否認していたが、東京地検は「妻が犯人ではある」と殺害は認め、警視庁の逮捕手続きについても「間違いではない」として適法とする判断を示した。東京地検は半谷さんが先に認知症となり、彼の妻が介護していたが、その後、妻も認知症になり、半谷さんの首を絞めたと判断している。警視庁から送検を受けた東京地検は、妻に対して今年3月から約2ヶ月の精神鑑定留置を実施した結果、刑事責任能力はないと判断した。 |
ロッキード事件で陣頭指揮、磯辺律男さん死去
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/545949/ ≪磯辺律男氏(いそべ・りつお=元国税庁長官、元博報堂社長)12日、腎盂(じんう)がんのため死去、89歳。葬儀・告別式は近親者で済ませた。後日お別れの会を開く予定。喪主は妻、啓子(けいこ)さん。昭和23年に大蔵省(現財務省)入省。東京国税局長などを経て52年に国税庁長官に就任。同国税局長時代には東京地検特捜部と連携し、ロッキード事件の脱 税摘発の陣頭指揮をとった。58年に博報堂社長に就任し、平成6年から12年まで同社会長。全国警察官友の会会長、日本損害保険協会副会長なども歴任した。≫これは不審死というわけではないが、電通と並んでCIAの特務機関と目されている博報堂である。国税庁長官がどうして博報堂の社長になるのか? |
(私論.私見)