裁判経緯その3、検察側の論告求刑から弁護人の最終弁論まで |
第152回公判(昭和56.12.16日) |
弁護側は、検察側の反証に対し、再び榎本を供述席に座らせ、「アリバイ崩し」に反論を加えていった。質問は、第148回(11.18日)から第152回の連続5回。この日の法廷で、榎本は先の美恵子証言を否定していった。木村弁護人の尋問に添って、「『報道されているお金を受け取ったの』と聞かれたことは」に対し、「ありません。全くありません」と強く否定し、他の会話のすり替え捏造だと反論した。書類を焼却したことについても、「それは知りません」、「頼んだことはない」と全面否定していった。
56.暮れ、榎本が高血圧性脳症で倒れ入院。
57.早々、新関弁護人が倒れた。
第154回公判(昭和57.2.17日) |
次に、「首相の職務権限」論の遣り取りになっていったが、田中側は「反証準備のため3月いっぱい休廷」を要求した。が、「公判遅延作戦」と受け取られた。
第171回公判(昭和57.7.14日) |
首相の職務権限論を廻って、田中側と検察側が激しく火花を散らした。
第172回公判(昭和57.7.21日) |
首相の職務権限論を廻って、田中弁護側が木村睦夫・参院議員を証言台に立たせた。木村氏は三木内閣時代の運輸相という実際の経験から概要「首相の指示といっても、首相が意見を表明しているだけで、職務権限に基づいて指示しているわけではない。こちらが義務を負う関係ではなく、総理は国政一般のことを考えた上での意見がある訳ですから、それを云われるだけなんです」などと、弁護側主張に添う証言をした。
第176回公判(昭和57.10.13日) |
田中弁護側が再度「榎本アリバイ」立証の為の証人を立て、竹中修一・参院議員らを出廷させた。これに対し、検察側は堀田検事が代表し、弁護側の遅々とした立証の進め方を批判し、立証計画を明らかにするよう迫り、双方激しく応酬しあった。
10.20日、3回目の授受があったとされるホテルオークラの現場検証。
第178回公判(昭和57.11.17日) |
榎本が田中邸に現金入り段ボール箱を運び込んだという検察側主張に反論するため、田中弁護側が目白の田中邸の元書生5名に証言させた。5書生は揃って「段ボール箱を、榎本さんから預かったり受け取ったりしたことはない」と証言した。
各書生は、木村弁護人の尋問に添う形で証言していった。トップは、片岡憲男氏。そのハイライト場面は、榎本の検事調書にある「常に本宅には書生の誰かが留守居役で居合わせており、私(榎本)は、これは田中先生承知のものだから預かってくれと預けた記憶がある」、「4回とも、私が本宅の玄関をくぐる戸の音に書生が飛び出してきていました」、「私が預かるように申し向けると、書生は、はい、分かりましたと返事をしていた」、「確か一度、お勝手の方から奥様が奥座敷の前の廊下に顔を出したことがあり、お預かりくださいというと、ハイ、ハイ、ハイ、と返答されていました」について、木村弁護人は「このようなことはありましたか」と尋ねた。木村氏は「ありませんです」、「ありませんでした」、「ありません」といずれも否定証言した。
第180回公判(昭和57.12.1日) |
田中側は最後に、丸紅3被告に対し、再び被告人質問した。第179回(11.24日)では、桧山に「取り調べ検事に『国賊』、『バカヤロウ牢』などと云われたことは終生忘れられない」、「調書は検事の作文」と言わせた。このたびは大久保被告への質問。
真鍋弁護人が大久保被告に尋問していった。真鍋弁護人は、コーチャンが48.6月以前に47.12.3日から7日間、48.1.10日から13日までの2回にわたって来日しており、その際大久保被告も会っていることを質した後、概要「この段階で5億円の話が出ないのはおかしいが、いかがですか」と尋ねた。大久保「私は、出ていないと記憶しているのです」と答えた。榎本の催促を知っていたかどうかについては、「私は(あったかなかったかを)確認していません」。弁護側は、もし榎本よりの催促の話があったとするなら、この時なぜ大久保がコーチャンに催促していないのかという当然の疑問を尋ねていたが、大久保被告は正面から答えていない。
次に、大久保が国際電話でコーチャンに2回催促したとされている時の遣り取りを質した。大久保は、「コーチャン氏は予算を全部使い果たしてしまったと云っていた」と答えた。この時の遣り取りは、(桧山自身は否定しているが)伊藤調書では、「コーチャンが応じないなら、丸紅はこれ以上ロッキード製品を日本で売る訳には行かない。そういって分かって貰え」と、桧山が言ったことになっている。それにも関わらず支払われなかった不自然さを質したが、大久保被告は「予算を使い果たしたということだったと理解しております」と繰り返している。この時、大久保被告は、「『このままでは日本にいられなくなる』ということまで、その時(桧山は)言った」ことを補足した。
第181回公判(昭和57.12.8日) |
田中側は補充立証の締めくくりに、伊藤を被告人質問した。伊藤は、「丸紅は裏金で政治献金したことなどはございません」と供述した。
第182回公判(昭和57.12.15日) |
堀田検事が伊藤に尋問し、「本件5億円、つまりロッキードから丸紅へ届いた5億円を榎本さんに渡さず、丸紅の政治献金に流用したと疑う向きもあるようですが」と質した。伊藤「そんなことは全くございません」。この後丸紅側弁護人よりの伊藤、大久保被告人質問を為す。
第183回公判(昭和57.12.22日) |
初公判を除いて、一貫して語らずのまま見守り続けて来た田中が口を開くときがきた。但し、裁判長と田中の直接の遣り取りとなった。裁判長は、終始一貫全面否認する田中に、「桧山さんは法廷で、『田中邸を訪問した際、ロッキード社が5億円を献金したいと言っているのでお伝えします。これは丸紅からではありません』と申し上げると、『田中さんは丸紅はロッキードのエージェントなのかと言われた』と供述しています。この事実も無かった、ということですか」と質した。著を苦節の堀田検事が伊藤に尋問し、「本件5億円、つまりロッキードから丸紅へ届いた5億円を榎本さんに渡さず、丸紅の政治献金に流用したと疑う向きもあるようですが」と質した。これに対して田中は次のように答えた。「ありません。が、お許しいただけるなら一言申し上げたい。桧山さんが突然訪問してきて、いやしくも現職の内閣総理大臣に対して『成功したら報酬を差し上げる』などと言ったとしたら、全く言語道断であり、即座に退出を求めたはずです。政治家の第一歩は、いかなる名目であろうと、外国会社、第三国人から献金を受けてはならないということであります。どういうつもりで、桧山さんがこういうことを言ったのか、桧山さんの人格を疑います。私は、エージェントなどという言葉を使ったことはありません。エージェントといえば、『シークレット・エージェント』つまりスパイのことしか考えない。『丸紅がロッキードのエージェントか』など申すわけがありません。私が言うとすれば、代理店か特約店と言うはずです」。
次に、「(請託の遣り取りについて)突然、出会い頭にものを頼むなど常識的にはありません」、「(5億円授受については)全くありません。事実上も職務上もございませんっ」、「(政治献金としても)自民党の党則でも、総理には一切、政治献金を扱わせない」、「外国からの金は一万円でも問題。そんな金には関わりをもたず、というのが政党人の不文律です」、「(職務権限に関連して)総理は党総裁であり、閣僚はほとんど党員ですから総理に敬意を払い協力的であることは当然です。総理が意識的に閣議をまとめることはないんです」、「(機種選定関与に関して)全く作られたものであります。そんなことは全くありません。大体、首脳会談の何たるかが分かっていません。首脳会談で特定の業者のことなどを言ってはならないのは、世界的な共通の大原則であります」、「(事件勃発後の伊藤への電話を為したとされていることに関して)電話をしたことも無く、伊藤さんについても私は事件前は全然知らなかった」。
第184回公判(昭和58.1.26日) |
東京霞ヶ関の東京地方裁判所第701号法廷で、検察側は、東京地方検察庁公判部検事・小林幹男により、563ページ、約34万文字に上る論告求刑を行った。その論告の中で、「本件は、その規模、態様において類例をみないものである」とし、田中に対して「反省の色は全く見られない」、「その刑事責任は極めて重且つ大であるといわなければならない」と厳しく決め付け、懲役5年、追徴金5億円を求刑した。初公判から丸6年を費やしていた。
小林検事、堀田検事により、受託収賄罪の適用、「民間航空会社の機種選定に関する内閣総理大臣の職務権限」、「5億円の授受を裏付ける情況事実」として「事件発覚後の田中側の揉み消し工作、丸紅側の証拠隠滅工作」、「榎本夫人美恵子による『ハチの一刺し証言』」、「『清水ノート』の証拠価値の否定」等々に言及した後、各被告の求刑に入った。「被告人田中を懲役5年、同榎本を同1年、同桧山を同4年、同大久保を同2年6月、同伊藤を同2年6月に各処するを相当と思料する」とした。
「よって本件関係被告人のうち受託収賄、外国為替及び外国貿易為替管理法違反・田中角栄は、法律第45号(刑法)第25章第195条第一項、並びに法律第194(政治資金規正法)号第12条第一項にそれぞれ該当、違反するものと思料する。これにより被告人・田中角栄に対し、懲役5年、追徴金5億円の刑罰を課することが相当である。 被告人は内閣総理大臣という最高権威者の職務にありながら、この地位を利用し本件関係法律違反を為したるも、これまで一貫してこの事実を否定しており、反省、改心はみられなかった。よって各関係法に照らし、厳重に処罰されんことを希望します」。 |
第185回公判(昭和58.5.11日) |
弁護側最終弁論のトップをきって、田中側の最終弁論が5.11−13日の3日間にわたって行われた。総計1819ページ、68万字。5億円の授受を「榎本アリバイ」に基づいて真っ向から否認し、請託、首相の職務権限についても、検察側見解を否定し、「無罪の判決が必ずや宣告されることを確信、終わります」と締めくくった。
第190回公判(昭和58.6.15日) |
丸紅側最終弁論も3日間、桧山、伊藤、大久保と三者三様の弁論を展開。桧山側は、「ロッキード社の献金話を田中首相に伝えたに過ぎない」と「丸紅メッセンジャー論」を強調。伊藤側も田中首相への5億円請託を否定した。大久保側はこれに対し、これまで同様、検察側の主張に添って論旨を述べた。最終日の弁論で、弁護人同士が互いに反論し合うという異例の場面を現出し、丸紅被告側の亀裂がクローズアップされた。
(私論.私見)