裁判経緯その4、田中側弁護人の最終弁論要旨(第187回公判)

 弁護側最終弁論のトップをきって、田中側の最終弁論が5.11−13日の3日間にわたって行われた。総計1819ページ、68万字。5億円の授受を「榎本アリバイ」に基づいて真っ向から否認し、請託、首相の職務権限についても、検察側見解を否定し、「無罪の判決が必ずや宣告されることを確信、終わります」と締めくくった。


 午前10時に開廷し、冒頭、新関弁護人が弁論書を読み始めた。「始めに」の項で次のように述べた。「本件は、全く不可解の一語に尽きる複雑、難解な事件であります。事件の発端から捜査を経て、起訴にいたるまでの全経過を振り返り、更に6年間の公判審理の状況を回想する時、あまりにも未解明の部分が多く、それこそ底の知れない事件であることが痛感されるのであります」、「国内捜査、嘱託尋問等を経て起訴にいたるまでの過程において『総理の犯罪』は決定的であるとし、ごうごうたる非難と罵詈讒謗(ばりざんぼう)が関係者に浴びせられ、これに刃向かう者は国賊とののしられるという異常な風潮と雰囲気の中で、捜査がこれと不即不離の関係を保ちつつ終始した、という外観上の一点を捉えてみただけでも、この事件の特殊性、異常性は判然とするのであります」。「本件は、起訴に至るまでの捜査の経過を顧み、起訴状を見ただけで、通常の受託収賄罪の事件の形態としては、到底考えられないような内容となっております。深い疑問が次々と湧くのでありますが、このような疑問は、検察官が第一回公判において行った冒頭陳述によって一層濃厚となり、今回の論告によって、その疑問は頂点に達した、と極論することができるほどのものであります」。「弁護人は、以上の経過と今回の論告の問題の多い内容、並びにこれに対応する反証の成果等々にかんがみまして、本件について、田中総理も榎本も、如何なる意味においても無罪である、と断定するものであります」。

 次に、「総論」に入った。「嘱託尋問の実施に先立ちまして、かなり早い時期に、チャーチ委員会やいわゆるSECなどによって明らかにされたコーチャンの証言などを曲げて解釈し、『総理の犯罪』についての構図は既に描かれていたのであります。これに見合う筋書きを作り、これを手本として、主任検事の采配と厳重な統制の元に、それこそ一糸乱れず、所期の目標、すわわち」『総理の犯罪』の構築に向かって、まっしぐらに突き進んだことは、公判に出廷した取り調べ検事が、いずれも不用意な発言の端々でそれとなく容認した紛れも無い事実であります」。「問題は、チャーチ委員会や証券取引委員会におけるコーチャンらの証言内容等からみまして、田中総理が収賄した事実は無いのに、これを歪曲して『総理の犯罪』を作出しようとした点にあります」。

 「『総理大臣の職務権限に関する疑問』、『請託と5億円の成功報酬との関連についての疑問』、『5億円の分割授受と4回の授受の日時、場所等の特定についての疑問』、『約束の成功報酬金というのに、その支払いが10ヶ月も遅れたことについての疑問』」に対して、「全く理解に苦しむ」、「正当な解釈を故意に曲げるもの」、「もともと無理で不可能」、「証拠は何一つない」−など、次々と否定していった。「結局このことから、本件の請託や成功報酬の約束は、元々無かったものと断定せざるを得ない。これが自然の筋道にかなったモノの考え方であります」。

 検察側の捜査の遣り方について

 「取調べ検事は、犯罪容疑の詳細な見取り図を持っておりました。(東京地検特捜部)主任検事(吉永祐介)の厳重な統制の元に、被疑者らの反応や応答はたちどころに仕分けられて、何が役立ち、何が不当かただちに選別され、次々と、巧みに検面調書に仕立て上げられていったのです。それらを積み重ね、組み合わせ、全体として『総理の犯罪』の構図が出来上がっていったものと認められるのであります」。「ともかくも、4回の授受は、その日時、場所、方法等に関する綿密な特定を中心に、驚くほど明細且つ具体的に、関係者らの供述が合致するような検面調書の内容となっております」。

 57.1月の鹿児島県下の夫婦殺し事件で一、二審の有罪判決が「自白や証拠に疑問がある」として最高裁で破棄、差し戻しになった例をあげ、「この判決は、要するに公判において為された被告人のアリバイの主張が不十分であっても、その主張事実の中に、捜査段階における被告人の自白に合理的な疑いを生ぜしめるものがある以上、このような疑いを完全に解消しないままで有罪の事実認定をすることは、許されないというものであります」と述べ、「榎本アリバイ」と検察側の捜査、証拠への疑問を提起した。

 「よっしゃ」について
 「『よっしゃ』という日本語の表現は、関西方面の方言であって、かって田中総理がそのような発言をする生活体験をしたことがなく、そのような発言をしないことは、公知の事実であります」。「検察官の創作にかかる架空のことであります」。

 「5億円の授受及び供与並びに使途に関する問題点」について

 弁護人は、「5億円の授受が証拠上まったく存在しない以上は、当然次のような説が起って来る」として、@・丸紅が社内で処理した、A・丸紅側は違った時期に、違った方面に渡した、B・ロ社から丸紅側で受け取った金額も日時も、領収証の記載とは違うのではないのか−という疑問を指摘した。「検察官の描く『総理の犯罪』の構想は、右の点からも、それ自体証拠上の証拠を欠き、到底容認することのできないものであります」。

 次に、「榎本アリバイ」、「清水ノート」の信頼性と検察側の証拠の杜撰さを際立たせた後、「検察官は、本件5億円が、段ボール箱に入れられて4回にわたり伊藤から榎本に供与されたと主張しております。しかし、検察官の全立証をもってしても、右事実は立証されておりません。以下、これを論証いたします」、「まず『賄賂だから人目につかない街頭で』ということは、我々の常識にはありません。東京の都心近くで『人目につかない街頭』などという場所はありえないのであります。検察官主張の場所、特に、『ホテルオークラのフロント前』などというのは、最も人目につきやすい場所であります」、「検察官主張の授受当時は、ロッキード事件が発覚していたわけでもありませんですし、これが授受当事者の口から発覚するという恐れも皆無でありましたから、段ボール箱の授受を麻薬や覚醒剤取引のように人目をはばかってこそこそと授受する必要は、全く考えられないところであります」。

 丸紅に対する批判を次のように述べた。「丸紅関係者が真実を言わない」ため、「我々の立場からすれば、田中総理に関係ないこと、実体も無いことが、検事の押し付けによって調書に取られているのであります」。伊藤が「裏金」について供述した調書が開示されていないと指摘して、「(検察との間に)何か密約でもあるのかと疑いたくなるくらいであります」。「47年10月の全日空の機種選定から、48.6月頃のいわゆる『5億円催促』まで何があったのかを、検察側がひた隠しに隠しており、従ってこの事件には、日米両国の首脳や捜査機関において、政治的な何らかの事情により約束された『隠されたもの』があるというべきものであります」。「(5億円の支払いも)全く別の話が、L1011の話にすりかえられているのではないかとの疑念が消え去りません」。弁論書に無い次の指摘が為された。「要するに、本件が得体の知れない事件というのは、このあたりの説明がなされていないからであります」。

 「結語」

 「論告求刑は正当である、田中元総理は政治的、道義的責任を負い、直ちに議員を辞職して政界から身を引け、との熱狂的な非難と怒号が乱れ飛び、その罵詈雑言の激しさは、まさに集団リンチにも等しい様相を呈したのであります。我が国の近代刑事裁判史上前代未聞の異様な雰囲気であります」。「検察官は、自ら描いた『総理の犯罪』の構図を過信するの余り、国民の基本的人権を最大限に尊重することを命ずる新憲法下において、考えられないような強要、強制、威迫、誘導等を多くの関係者らに、広範且つ苛酷に加えて、所期の供述を獲得しようとした。これは紛れも無い事実である。検察官がいかに弁解し、いかに強弁しようとも、本件捜査の過程に現れたこの顰蹙(ひんしゅく)すべき事実を拭い去ることはできないのであります」。「田中総理において請託の趣旨に沿うような総理としての職務権限に裏打ちされた行為は、何一つしていないということ」、「田中総理に、現実に5億円が供与されたとの事実を明らかにする証拠は、何一つないということ」。

 「このような途端の苦しみと屈辱に耐え抜くことは並大抵のことではありません。総理大臣であった者として国家と国民に対する崇高な責任を果たさんとする固い決意に支えられた無実の者であって、はじめて、明日を信じ、このような苦しみに、日夜耐えぬくことができるのであります」、「本件起訴は明らかに誤まっているのであります。本件について、田中総理も榎本も、如何なる意味においても無実であることを、弁護人は断定して憚らない」、「本弁論の趣旨に即した無罪の判決が必ずや宣告されることを確信し、衷心よりこれを期待して、本弁論を終わります」。





(私論.私見)