逮捕者、起訴者リスト |
更新日/2018(平成30).6.19日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「ロッキード事件」の逮捕者、起訴者を確認しておく。 2003.9.20日、2011.2.5日再編集 れんだいこ拝 |
【「ロッキード事件」の逮捕者、起訴者リスト】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2.24日、日本の捜査史上初めての三庁合同捜査体制が発足した。ロッキード事件は、この当事者の審理の都合上から、丸紅ルート・全日空ルート・児玉ルートの三ルートに分けられて追及されていくことになった。「ロッキード事件」の逮捕者は総勢18人、起訴された者16人となった。これを確認しておく。
ロッキード事件を廻る裁判は、丸紅ルート、全日空ルート、児玉・小佐野ルートの三公判で審理が進められた。これを図示すれば次のようになる。
(これによれば、全日空ルートの裁判長がはっきりしない) 角栄の関与を廻る究明は丸紅ルートに預けられ、東京地裁で169回もの公判等が行われた。角栄は事前に届出をすませておけば毎回出廷する要はなかったが一日も休まず通った。これは秘書の早坂茂三も同じであった。角栄は、五億円授受を認め政治献金論で争った方が却って有利とする弁護団の誘導を聞き入れず、最後まで無罪を求めて争った。「ウィキペディア田中角栄」は次のように記している。
窺うべきは、授受しているのに否認する角栄に対する立花-日共ばりの謗(そし)りではなく、最後の最後まで否認し続けた角栄の方にこそ真実があり事件そのものが冤罪だったとする可能性の方ではなかろうか。 2003.9.20日、2011.2.5日再編集 れんだいこ拝 |
2.24日、日本の捜査史上初めての三庁合同捜査体制が発足した。ロッキード事件は、この当事者の審理の都合上から、丸紅ルート・全日空ルート・児玉ルートの三ルートに分けられて追及されていくことになった。
(私論.私見)