(最新見直し2012.02.24日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、ロッキード裁判の「角栄、丸紅ルート」の全公判を確認しておく。
2012.02.24日 れんだいこ拝 |
【第1回公判(1977(昭和52).1.27日)】 |
午前8時早坂茂三秘書がメッセージを発表。
「国民の皆さんにうっとうしい思いをおかけして申し訳ない。暫くのことですから、ご辛抱いただきたい。しかし、真実はごく短い間に、必ず解明されると確信しております」。 |
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東京地裁701号法廷、岡田光了裁判長、永山忠彦、中川武隆陪席裁判官。元首相・田中角栄、元首相秘書官・榎本敏夫、丸紅前会長・桧山広、前専務・伊藤宏、同・大久保利春の順で5被告が座る。午前中は各被告の人定訊問。午後より被告人陳述。
角栄の陳述は次の通り。
概要「外為法違反事件について、まず申し上げます。この事件に、私は何の関わりもありません。ロッキード社から、いかなる名目にせよ、現金5億円を受領したことは絶対にありません」、「受託収賄罪についても、私は何の関わりもありません」。 |
「桧山社長の訪問は全く記憶に無く、多数の秘書の記憶にも無いが、当時の日本経済新聞にこの日の日程として『桧山社長ら15組の訪問客と会う』とある。来宅は事実と思われますが、私が総理大臣に就任して1ヶ月ほど経ったばかりの頃で、首相就任の表敬訪問だったと思う。
8.23日は15組の客があったというから、50人から百人の人で事務所は混雑していたはず。桧山社長に会った時間も2、3分から4、5分というごく短い時間だったと想像されます。こんな混雑の中で、ロッキード社なるものの紹介やトライスターという飛行機の説明、全日空への売り込み要請、それに成功したら5億円差し上げますなどということは、常識的に考えられることではなく、桧山社長がそれほど強い心臓の方であるとは、とても考えられません。
そういうことを話す時間があるはずがありません。いかに分かったの角さんなどと云われる私でも、やぶから棒に5億円用意してありますからと申し込まれて、分かったなどと即答するほど単純ではありませんし、事実そのようなことは全く無かったのであります」。 |
「51.7.27日早朝、思いもかけず、全く何の前触れもなく逮捕され、20日間拘置されたうえ受託収賄罪で起訴されました。起訴事実の有無に拘らず、かりそめにも総理大臣の職にあったものが、このような罪名で起訴されることは、空前絶後の思いがする。それだけに総理大臣の職務を十分弁えてきた私としては、痛恨の極みであり(せきばらい、中断)無念至極であります」。 |
「総理大臣の栄誉を汚し、日本国の名誉を損なったことになり、万死に値するものと考えました。私も叉日本人の一人、密かに身を処する潔さに惹かれ、一つの安らぎさえ覚えたこともありました。しかし、この事件は、それだけで済む問題ではなく、むしろ法の正当な手続きによつて真実を明らかにし、総理大臣であった私に違法な行為がなかったことを裁判所の法廷を通じて証明することによって、新憲法に於ける内閣総理大臣の地位と名誉を守り通さなければならない。
それが新憲法下に於ける民主主義的政治の常道であるし、私の公人としての責任であることの核心を抱くになりました。日本人的潔さの美名に隠れた安易な逃避への道を選ぶ事は赦されないことを知って、私はごうごうたる世の批判にも拘らず、まず戦後三十年の長きにわたって私を国会に選出してきた国民に信を問うべく、思い切って総選挙に立候補しました。
世を挙げるような勢いで私を誹謗し、中傷する世評の中でも真実は必ず現れることを信じ、かつ、祈るような気持ちでありました。選挙に出て、中選挙区制始まって以来という大量得票で、多くの選挙民の支持を得たが、雪国の温かい心と思いやりには−−−(かすれ声になり、詰まる)。この事件によって国民の皆様に想像を絶するご迷惑を−−−(絶句中断、涙ぐんでハンカチで顔を拭く)。従って、外為法の被疑事実はもちろん、収賄についても何の関係も無く、私は無実であります」。 |
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桧山被告は、伊藤、大久保両被告と共謀、億円贈賄の事実を否認した。伊藤被告は、共謀などについて否認した後、次のように証言した。
「クラッター氏から渡された段ボール箱を榎本氏に渡したが、内容は知りませんでした」。 |
大久保被告は、共謀、請託、贈賄は否認したものの、「クラッター氏から4回にわたり、金の用意が出来たといわれ、伊藤氏に伝えた」と述べた。以上で、罪状認否を終わった。 |
3.16分より、検察側の冒頭陳述が始まる。松尾検事が全文4万字を越す。起訴状で概略的に述べた犯罪事実を逐次詳細に展開。
3.50分より吉永検事に代わり、事件のヤマ場の請託場面を次のように陳述した。
概要「47.8.23日午前7時頃、桧山は大久保(当時丸紅専務)を伴い田中の私邸を訪ね、『5億円を献金する。全日空がトライスターを採用するよう関係者筋に働きかけて欲しい』と頼んだところ、田中は即座に『よっしゃ、よっしゃ』と機嫌よく答え、秘書の榎本に窓口となるよう指示した」、 |
「田中は47.8月下旬、渡辺(全日空副社長)に電話し、『トライスターに決めてくれると都合がいい』と頼み、砂防会館の事務所で全日空の大株主小佐野賢治國際興業社主に、『ニクソンからトライスターにして貰うと有りがたいと云われたが、全日空はどうか』と働きかけた」。 |
4.26分より石黒検事に代わり、「5億円授受の経過」に入る。
「(5億円の調達は、ロ社経理担当のバロー氏がしたこと、香港のディーク社経由の現金が運び込まれたことと述べ、)現金が届いたことを知らされた伊藤はピーナツ領収証を中居秘書課長にタイプさせ、伊藤の乗用車で課員に取りにやらした。現金1億円入りの段ボール箱は伊藤の車のトランクに移された」。 |
「伊藤は榎本に連絡し、午後2時20分頃、千代田区1番町の英国大使館裏路上で落ち合い、段ボール箱を積み替え、榎本は笠原の運転する車で田中邸の奥座敷に運び込み、田中に報告した」。 |
ロ事件が発覚した後の田中と丸紅側の遣り取りの新事実として、次のように田中側の慌てぶりを克明に描き出した。
「榎本は51.2.5日早朝、伊藤からの電話で、米議会で伊藤の名が出たことを知らされた。榎本は直ちに田中私邸に行き田中にこれを報告した」。 |
「田中は5億円が暴露されることに危惧を抱き、丸紅の口を封じるため同日午前中、榎本に指示して伊藤に電話させ、『この件については田中は金を貰わなかったことにして欲しい。5億円くらいの金は用意できるので、金を返しても良い』と連絡した。伊藤は婉曲にこれを断わったので、榎本は『田中に迷惑が及ばないように丸紅側で頑張ってくれ』と伝えた」。 |
「田中丸紅が隠蔽に努力していることを承知し、2.10日頃伊藤に電話を掛け、『しっかり頑張ってくれ』、『桧山君にも宜しく』と念を押した」。 |
4.44分より小林検事に代わり、丸紅の対策と偽証工作を次のように解明した。
「(事件発覚後)伊藤が領収証を出したことを聞いた桧山は、『あれほど注意したのに』としかったが、金の授受が無かったことで通すことにした」。 |
「大久保は重ねて罪を犯すことに危惧の念をいだいたが、桧山らに『この期に及んで何を』とたしなめられ、偽証を決意した」。 |
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4.52分、陳述が終わった。5時間半。 |
(裁判は、検察側冒頭陳述−検察側立証−弁護側冒頭陳述−弁護側反証−−−という手順で進んでいく)
すぐ証拠調べに入り、証人尋問が始まった。検察側のトップバッターは当時の全日空秘書室長・池田正男氏。「良心に従って真実を述べることを誓います」、「ウソを言うと偽証罪に問われます」の遣り取りの後、小林検事の主尋問。午後からは、全日空経営管理室企画部長・繁森実氏に対する尋問。
連続3回出廷した松岡博厚・丸紅元輸送機械部長は初めスラスラと証言していたが、休憩の後「覚えていません」、「記憶にありません」を連発した。続いて出廷した松岡部長の部下で、トライスター売り込みの第一線指揮者だった坂こう一・丸紅元航空機課長は、スタートから変調証言となった。堀田検事の尋問に「よく覚えておりません」。「まあ、だいたいは」、「多少はございました」、「記憶にありません」、「さあ、正確には知りませんが」という曖昧答弁に終始し、時には「検察官の質問の意味が分からないのです」と答え、のらりくらりとなった。岡田裁判長が「あとどれくらい」と促したところ、堀田検事が、「証人がかなり健忘症にかかっていますので、これが治らない限り、次回で終わるのも難しい−−−」(廷内爆笑)。検察側が用意した証人であることを考えるとかなり杜撰且つ弛緩した遣り取りであったことになる。
証人が次々と取り調べ当時の調書を否定していったため、検察側は取り調べに当たった検事を証言席に立て、密室での模様を語らせた。証言に立った検事は、証人達がその時はいかにスラスラと述べたかを証言し、調書の信用性を立証しようととした。トップバッターは、友野弘・前東京地検特捜部検事。以後、合わせて6名の検事が証言席に立った。
検察側の冒頭陳述で、日系2世でユナイテッド・スチール社社長のシグ・片山氏(米国在住)が幽霊会社のID社とロ社との間に架空コンサルタント契約を結び、5億円の辻褄合わせになる『ID領収書』を切っていた。検察側はそのいきさつを立証させようとしてシグ氏を証人に立て、シグ氏は通訳付きで出廷し、堀田検事の筋書きに添う形で「イエス・サー」を連発した。
検察側の冒頭陳述で、5億円の現金授受に直接タッチしていたのは4名であった。そのうちの一人丸紅の運転手・松岡克浩氏が証言席に立った。松岡証人は、運転日報の改竄はあっさりと認めた。が、最重要な現金授受については、小林検事の尋問に対して「そんなことがあったような気がします」、「何だか分かりません」、「今はそういうことがあったとされているので、そういう気がします」、「覚えておりません」を繰り返した。但し、三回目のホテルオークラ駐車場での引渡しについては、「ブルーの、運転日報の束の倍くらいの、紙袋」を「黒のベンツの、笠原運転手と榎本」に渡したと証言した。
5億円授受に関係していたとされている笠原政則・田中邸運転手の取調べに当たった坪内利彦・東京地検特捜部検事が証言台に立った。笠原運転手は、丸紅との現金受け渡しの現場に関与しているとされたことから東京地検で51.7.31日、8.1日の両日参考人調べを受け、その直後の8.2日朝、自宅から離れた埼玉県比企郡の山中で自家用車の排ガスを使って自殺しているのが見つかった。重要な証人の一人であったと目されていただけに笠原運転手の自殺は大きな波紋を巻き起こした。田中側は、「この自殺は検察側の調べが行き過ぎだったからだ」と主張している。
坪内利彦・東京地検特捜部検事は、笠原運転手が現金授受の様子を積極的に証言したこと、現場を図面に書いて説明した云々と証言した。自殺に対しては、「本人の態度、特に日曜日(8.1日)の帰りの様子などから見て、(自殺など)考えられないし、信じられない感じでした」と答えた。
検察側の冒頭陳述で、ロ社日本支社に現金入り段ボール箱を受け取りに行ったのは、伊藤の部下であった野見山課員であるとされていた。その野見山課員が証言台に立った。堀田検事が尋問しているが、野見山課員の記憶が曖昧で要領を得ず、その為か受けとった段ボール箱の模擬を三種類作り、大きさ、重さを確認させている。
弁護側が、嘱託尋問捜査の違法を述べた。田中・榎本弁護団の新関主任弁護人が読み上げていった。次いで原弁護人が補足意見を述べた。いったん休憩の後、丸紅側の意見陳述となり、吉田・志村両弁護人が交互に朗読した。
当時の丸紅秘書課長・副島氏が、全日空からの献金を「灰色高官」へ届ける役目を引き受け、実際に手渡した様子を証言した。その高官と金額とは、「佐々木秀世に300万円、福永一臣に300万円、佐藤孝行に200万円、加藤六月に200万円」であると証言した。しかし、これによるとむしろ田中派には渡っておらず、福田派、中曽根派になるのではなかろうか。
全日空副社長・渡辺尚次氏は、第44回から第49回の6回出廷した。そのうちの第47回目で、石川達紘・東京地検検事による苛酷且つ侮蔑的な取調べが為されたことが証言された。壁に向かって不動の姿勢で立たせられたり、「お前は副社長でありながら、責任を転嫁しようとしている。けしからん」、「お前のような奴はこの世から抹殺してやる」等々の言辞が浴びせられた云々。次第に恐怖心を覚え、「記憶がはっきりしていない問題についても、石川検事さんがおつしゃるならば、それで結構でしょうと迎合するようになりました」、「調書にはやけっぱちになってサインした」などと述べた。
これに対し検察側は、第49回公判で石川検事を証人に立てた。石川検事証人は、「渡辺は男泣きして供述した」と自供の様子を語り、渡辺証言を否定した。江ボ江ノなり、第当時の丸紅秘書課長・副島氏が、全日空からの献金を「灰色高官」へ届ける役目を引き受け、実際に手渡した様子を証言した。
国際興業社主・小佐野賢治氏が証言台に立ち、第53回まで3回連続、主治医付きで証言した。小林検事が主尋問の口火を切り、田中元首相との関係を質した。ハワイ会談の事前の話し合い、コーチャンとの打合せ内容等々ポイント部分を証言゙拒否したまま終わった。
全日空会長・若狭得治が証言台に立った。若狭氏、第54回から1回抜いて第59回までの5回、さらに年が明けた54.1.24日の第63回の計6回出廷した。小林検事が主尋問し、機種選定時の田中幹事長からの依頼があったかなかったかについて尋問したが、若狭氏は「就職などいろいろなことで電話を受けたことがあるが、機種選定は記憶に有りません」、「はっきり覚えていません」と答えている。次に、47.10.26日の若狭・渡辺(副社長)の首相官邸訪問時に田中首相よりロッキード社の航空機購入の要請が為されたのではないかとの尋問に、特段の指示は為されなかったと逆証言している。更に、調書が検事の作文であることを明らかにし、調書の文面の該当箇所を挙げ「検事の憶測です」と指摘している。更に、調書内容に不満があると度々述べていたが「何十回申し上げても書いてくれない。検事は自分の筋に合うものしか採ってくれなかったんです」とも証言している。「ではどうして調書にサインしました?」の質問に、「そういうことが将来問題になることは痛切に感じなかった」、「検事さんが一生懸命書いたものだから、やむを得ず署名しました」と証言している。
弁護側反対尋問に対し、取調べの状況を次のように明らかにした。担当検事が山辺(力)検事であったこと、広畠その他検事から取り調べを受けたこと、「全く事実無根でしたので、激論を戦わせたこともあって大声を出されたり、『壁に向かって立っておれ』と云われてイスを蹴飛ばされたことや、『お前の女房や息子を逮捕してやる』といわれたこともありました」。但し、検察側は、こうした若狭証言を覆すために、第60回(11.22日)、第61回(12.13日)の公判で、山辺・前東京地検検事を立て『立たせたり、イスを蹴飛ばしたことはない』と証言させている。
第62回公判(53.12.20日)で、岡田裁判長は、コーチャン、クラッター嘱託尋問調書について、証拠として採用する決定を下した。『右証言調書を我が法制下で証拠として許容するにつき、障碍(しょうがい)となるような不公正さや虚偽誘発状況はなく違憲の疑いも無い』としていた。第64回公判から第67回(3.14日)の4回にわたって、調書の朗読が行われた。丸山利明−小林−堤守生検事の三人交代で朗読した。堀田検事がチエック役。
被告人質問一番手として元丸紅専務・大久保利春氏が証言台に立ち、第70回公判(54.4.11)から第80回公判(7.25日)まで11回に及んだ。検事は、丸紅での証人の立場、ロ社との屈辱的契約、ロ社の財政状況、全日空への売り込み状況などを質した。
47.8.23日の桧山の田中私邸訪問に関しての遣り取りは次の通り。小林検事の尋問に添った形で証言が為され、概要「桧山社長から『昨日コーチャンに会って、田中総理に会うことが決まった』、『手ぶらではいけないので、5億円見当でコーチャンに打診し、丸紅を通じないで、一切ロッキードの手でアレンジさせるように』との指示があった」ことを明らかにした。次に、指示を受けた大久保氏とコーチャン氏との遣り取りが明らかにされ、大久保の5億円要求に対して「コーチャンは『5億円以下ではいかんのか』といって金額には拘っていたが、出すことには抵抗しない印象でした。1億、2億、3億円の金額を何度も往復した後で、ようやくOKとなりました」と証言している。
次に、47.8.23日の桧山の田中私邸訪問時の様子を次のように明らかにした。重要部分を要約すると、先客3、4組があったこと、その人数は記憶に無いこと、待合室で暫く待ち、入った部屋には、かなり広い部屋に総理が一人で座っており、他には人がいなかったこと、簡単な紹介の後、桧山の指示で席を外せと合図され、部屋を出たこと、2、3分、長くて4、5分待たされたこと、二人の話は外にいて全く聞こえなかったこと、帰りの車の中で、桧山が片手で5本の指を広げ5億円入用だと指示された、『その日だったと思いますが、帰ってすぐ実行に関して伊藤さんと協力してやれと指示を受けました』、『 桧山は、大久保に対し、伊藤と協力して5億円を田中首相に贈与してもらいたいこと、田中首相の秘書官榎本が窓口になることなどを指示された』等々を証言した。
元丸紅専務・大久保利春氏が引き続き証言台に立ち、小林検事の尋問に添う証言を重ねていった。桧山社長から『田中総理も結構うまくやってくれてるらしいよ』との趣旨の経過報告を受けていたと証言した。注目すべきは、児玉誉士夫が小佐野をロ社に取り組む為の条件として小佐野への5億円贈与を切り出し、コーチャンが追加報酬としての上乗せを約束したといわれる『児玉・コーチャン密約』が存在し、それは小佐野ルートの冒頭陳述で述べられているが、その遣り取りがなされ、次のように証言している。48.6月頃桧山から『先方は待ち遠しくなっているよ』と云われたこと、その為コーチャンの自宅へ国際電話を入れたところ、コーチャンはその予算は全部使い果たしてしまったので応じられないと云いはじめ、大久保は電話を切って桧山にその旨報告したところ、桧山が激怒した。「コーチャンは何を考えているんだ。それなら丸紅としてはこれ以上ロッキード製品を日本で売る訳には行かない、そういって分かってもらえ」と大久保に強く指示、大久保は再度国際電話を入れ、コーチャンも了承したと証言した。
しかし、小佐野への5億円の実際の受け渡し、田中総理への実際の受け渡しについては、「想像、推定していました」と述べるにとどまる不自然さがある。
元丸紅専務・大久保利春氏が引き続き証言台に立ち、堀田検事の尋問に添う証言を重ねていった。事件発覚後丸紅内で想定問答集がつくられ、4月頃から6.21日の逮捕までの間、大久保と伊藤がいつも15階の旧会長室で、中居篤也秘書課長と清水宏員法務室長、時々桧山をまじえて、『一方が検事に、一方が被疑者になって、尋問供述の練習をやっていました。それとロッキード事件に関する情報交換でした』と証言した。『検事ごっこ』というものを持ち出すことにより、贈賄側のいかがわしさが浮き出た。大久保証言は、他の被告と際立って『供述調書の通りです』を多用している。
弁護側の被告人質問として、元丸紅専務・大久保利春氏が引き続き証言台に立った。但し、田中の腰痛で午後より審理中止となった。
検察側は、被告人質問の二番手として元丸紅会長。桧山広を立てた。質問は54.10.17日の第81回に始まり、年が明けた55.1.23日まで9回にわたった。桧山は、田中に5億円の話を伝えたこと、田中側から支払いを催促されたこと、事件発覚後返却の申し入れがあったこと、などを認めている。しかし、請託などの質問には、『調書は検事の作文』と繰り返した。
この時、目白の田中私邸訪問は5〜7回だったこと、マニラで田中とゴルフをしたこと、47.8.23日の訪問の際、『ロ社から5億円程度の献金をすると話した』ことなどを証言した。
桧山広が引き続き証言台に立ち、田中邸訪問の前日22日の様子として、5億円献金をめぐる大久保への指示をしておらず、逆に『5億円献金の話は22日に大久保から聞いた』と証言した。さらに、その申し出はコーチャンの方から為されたように聞いていたと証言した。大久保証言との重大な齟齬であるが、検事は突っ込んでいない。
堀田検事の尋問に従い証言していった。23日当日の様子も『(先客が)もうたくさん、とてもじゃないが、あふれるようで、順番がどうなっているやら見当もつきませんでした』と述べ、明らかに大久保証言と違う証言をした。請託場面のヤマ場について、『最後にコーチャンの伝言を申して、5億円相当の献金をしたいと伝えて欲しいということなので、お伝えします。但し、これは丸紅のものではございません、と申し上げました』。これに対し、総理は『ロッキードのエージェントは丸紅がやってるのか』と云われたような気がします、と証言した。検察側冒頭陳述で、田中が『よっしゃ、よっしゃ』と賄賂申し込みに応じたとする様子は証言せず、何やら要領の得ない遣り取りの様子を陳述した。帰りの車の中で、大久保証言にあるジェスチャーについて、『絶対にしません』と述べた。
次に、5億円の催促の様子について、『1年ぐらい経ってから、伊藤君の方から(田中総理の)秘書官から、あの金はいただけるのか、と聞いてきたと聞きました』、『非常に驚き、ロッキード社ともあろうものが、私に伝えてくれといって履行しないのでは困る』と思い、伊藤に『我が社には関係ないので、指一本関与してはいかん』と指示したと述べた。
次に、51.2.4日のロッキード事件発覚後の丸紅の対応に付いて、伊藤との遣り取りを証言したところ、堀田検事から調書供述との食い違いを指摘され、『あの環境で、罵詈雑言を浴びせられ、何を云ってもダメだとあきらめの気持ちで、調書を作られたので、−−−。私は国家社会のために奉仕してきたのに、手錠をはめられ、被疑者として扱われ、夜なんか眠れず−−−。事実は法廷で申し上げ、厳正な裁断を受けることにして、早く出ようと−−−』。無念の気持ちを思い出してか、何度も声を詰まらせた。
桧山広が引き続き証言台に立ち、堀田検事と8.23日の田中邸訪問での請託場面「よっしゃ、よっしゃ」とある調書の再現の遣り取りが為された。驚くことに、桧山調書にある請託の核心部分を桧山自身が次から次へと否定していった。そのハイライト場面は次の通り。検事「あなたは、『ロ社が全日空に飛行機を売り込み中だが思うようにいかない。それができたら5億円献金する』と言ったのではないのですか」に対し、桧山「私の言葉ではない。(検事の)作文だと思います」。検事「すると検事は、言わないことをいきなり調書に書いたのですか」。桧山「いきさつは覚えていないが、『出来たらウンヌン』なんて気違いでもなければ言えないことですよ」。検事「調書によると、あなたの言葉に対して総理は、『ああ。ああ』といって顔をあげ、それから顔を上下に動かしながらうなずき(申し入れを)快諾された−とあなたは述べています」。桧山「ロ社が献金したいということを伝えただけです。快諾とか『ああ』とか、どこから出てくるのか。そんな態度や表情は一切有りませんでした」。検事「あなたは総理のゼスチャーを交えてその場の様子を(検事に)説明したのではありませんか」。桧山「検事さんは、総理は何か言ったろう、うなずきぐらいしたろう、とか−−−。とにかく(私の話を)全然聞いてくれなくて−−−。表敬訪問しただけで時間も無いし、多くの人が待っているので早々に引き揚げて−−−。それを(検事は)何かいったろう、と。(私は)ああ、どうぞ(調書に)お書きください、と−−−。総理も、ご本人の前でなんですが、そんなことおっしゃるはずがないですよ」。検事「どうしておっしゃるはずがないんですか」。桧山「総理の性格からいって『ああ』とか『う−』とかおっしゃる人じゃないと思う」。桧山「何とか全日空がトライスターを導入するよう、なにぶんのご努力をといった−とありますが」。桧山「ありません。総理がそんなことできると考えただけでも非常識な文言です」。検事「田中総理は、丸紅はロ社のエージェントだったのかといった−というのは」。桧山「この点は、おぼろげながら、その通りだと思います」。検事「調書では、エージェントの後にカッコで、代理店かも知れない、と書いてありますね」。桧山「総理がエージェントか代理店といったかはっきりしません」、「そうなんです、それでこのようなお願いに(と調書にある点)は」、「それは検事さんの作り事、上手な作文だと思います」。
次に、堀田検事が、調書には無いものの冒頭陳述で述べられた請託場面での『よっしゃ、よっしゃ』の様子を読み上げ、桧山を尋問していった。検事「あなたは、『よしや、よしや』の部分は述べていませんか」。桧山「述べていません」。検事「『顔を上下に』の部分では、安保検事に顔を上下に振るようなゼスチャーをしていませんか」。桧山「しておりません」。検事「安保検事が調書を口授する時に、『よっし』と『よしや』のどちらを書いたほうが発言の感じがより強いか、聞きませんでしたか」。桧山「全然聞いておりません」。
次に、検事「お礼の5億円はロ社から全額出すもので、丸紅から出すものではないので、その点お含みおきのことを(とあるくだり)は」。桧山「最後に、丸紅のものではないと伝えました」。検事「田中総理は『ああ、分かった。分かった』と答えた−とあるのは」。桧山「述べていないと思います」。検事「その金が丸紅のものでないと断わった理由は、トラブルが起きたら困るのと、万が一にも後で問題となったとき、丸紅が出したことになると会社の信用に傷がつく−という点は」。桧山「検事さんがお作りになったことです」。
その他、桧山調書の逐一の検討をしているが、桧山は、「噴飯ものです」、「記憶に有りません」、「作文です」を連発していった。
桧山が調書内容を次々と否定していくので、小林検事が詳細な調書を朗読し桧山に確認を求めていった。このたびは、ロ社の献金が行われて以降の『総理からの御礼』遣り取りが尋問されていった。調書には種々書かれていたが、桧山は「述べていません」、「政治家からお礼を云われたことはいっぺんもありません」と、全面否定していった。
今度は弁護側の反対尋問に入った。桧山広が引き続き証言台に立ち、一転、積極的に発言、弁護人にさえぎられるほどだった。注目すべきは、宮原弁護人の「82回公判で検事の問いに、翌年、総理からの連絡があった時、そういうことを言ったが、その時は伝えただけだった、と述べていますが、この『そういうこと』というのは何を指すのでしょうか」の尋問に対し、桧山「私の言わんとしたのは、47.7月、田中総理邸訪問から帰った時、伊藤君に『心にとめておいて欲しい』と伝言した。翌年になって、『あの金がいただけるか』という連絡があった時に、訪問から帰った時は伝言しただけでしたから、『これは丸紅の問題ではないから、指一本触れるな』ということを言った。そういうつもりでした」。
次に、大久保氏の72回公判での「その日、8.23日だったと思うが、実行は伊藤さんと協力してやれといわれたと述べていますが、これは」と質問され、「そういうことはありません。実行などと、私は伝えただけなのにそんなことを言うわけがありません」。
引き続き弁護側の反対尋問に入った。宮原弁護人は、安保検事の桧山取調べの様子と調書作成のいきさつを質した。弁護人「安保検事に事実を述べても聞いてくれないんですか」。桧山「言うとおりにすればニコニコして、反対すればガラッと態度が変わるんです」。弁護人「そんな検事に取り調べられて、危機感はありませんでしたか」。桧山「そこまではありませんでしたが、いつの日か正邪を争わねばならないという気持ちを持っていました」。弁護人「取調べで安保検事に事実を述べても認めてくれない、絶望感があったのですね」。桧山「何をしてもダメというか、捨て鉢な気持ちです」。弁護人「あなたは、検事調書を検事の作文と言われたが、どうして承認したのですか」。桧山「迎合しておれば済むので、従わざるを得なかったのです。これを承認といえば承認ですが、肉体的にも精神的にも苦痛に耐えられなかったのです」。
次に、『よっしゃ』問答の解明に入った。桧山調書にあったとされる「総理は『よしゃ、よしや』と言って快く引き受けてくれました」について、そういう発言があったことを否定し、検事から「『よしや』と『よっしゃ』のどちらが事実に近いか」と聞かれたかどうかについても、「聞いておりません」と否定した。
次に、5億円の呈示問題については、そういう『伝言』をしたことは認めた上で、概要「収賄とは考えておらず、自民党の総裁に対する政治献金であった。成功報酬ではなかった」と主張した。『伝言』の趣旨についても、「ロッキードの名を覚え、名を売ってもらうという趣旨で、トライスターを売っていただきたいとか、お力添えをとは言ってません。また、金自体もああいう国際的な大企業の金で、やましいところはありません。私はそのエージェントの社長として伝言した、それ自体罪はありません。今も罪の意識は持っておりません」と述べた。
被告人質問の三番手として、榎本に5億円を渡したとされている元丸紅専務の伊藤宏が登場した。伊藤の登壇は55.1.30日の第91回公判から10.1日の第110回公判まで計16回に及んだ。同情したて引き続き弁護側の反対尋問に入った。伊藤は、「榎本に対して4回にわたって段ボール箱を渡した」こと、田中側の『事後工作』などほぼ検察側の意向に添う形で証言していった。
土屋検事が尋問していった。段ボールの受け渡しに関与したことを認め、お抱えの松岡克浩運転手を使って榎本への第一回目の授受の様子から4回目までを、検察の冒頭陳述に合わせて追認していった。特徴的なことは、検事の尋問に対して『確か』、『−−−思います』が連発されていることであり、特に三回目の授受については「私は記憶がありませんでしたが、取調べの結果、そう落ち着いたのです」、「(現在の記憶はという尋問に対して)そんなところだと思っています」と答えている。つまり、検事作文に合わせて追認していったということが証言されたことになる。
次に、51.2.5日のロ疑獄発覚後の田中側の揉み消し工作の様子を次のように証言した。桧山が82回公判で「田中さんのほうから、金を返そうかという趣旨のことを言ってきた」と証言していたことの追認を求められ、「正確に日時を覚えていませんし、はっきり『返そうか』ということではなかったと思いますが、私にはそういう風に受け取れる電話が榎本さんからあったと思います」と述べ、その電話の内容について、「一つ一つ覚えていませんが、できれば返したいんだ、と私が思える内容でした」と述べ、検事の「金を貰わなかったことにして欲しい、とは」尋問に対し、「そんなはっきりした言葉ではありません」と証言した。
次に、田中元総理自身の揉み消し工作の様子を次のように証言した。意訳概要「伊藤が榎本と電話中に田中が代わり、『ほんの僅かな間でしたけれど』会話した。内容については『一つ一つ覚えておりません』。田中との会話の後『非常に、ご迷惑をおかけしてはいけないと思いました』。桧山会長への報告は『多分しなかったと思います』」と答えた。
次に、2.10頃の田中との遣り取りについて、意訳概要「『桧山会長と直接話したい』との田中の意向が榎本より伝えられ、『会長には直ちには連絡がつきませんので、申し上げておきます』とだけ、答えました。その時期については、『国会証言前後の頃だとしか覚えていません』」と証言した。
引き続き土屋検事が、伊藤宏に尋問していった。約束の『ロ社の献金』が為されておらず、榎本から催促を受けたとされる当時の模様について次のように証言していった。意訳概要「確か48.6月頃催促の電話を受け、その話を桧山社長に報告したところ、桧山社長はびっくりして『まだなのか』と言って大久保を呼んだ。そういう根回しを経て、榎本さんに『ロ社の方に連絡しております』という趣旨の報告をした」。
次に、5億円の授受の具体化の経過を次のように証言した。意訳概要「確か社長室で、大久保より『ロ社の金が何回かに分けてくる』と報告され、この時桧山社長より『間違いなく渡るように』ということと『これはロッキード社の金だから、タッチしてはいけないよ』と念を押されました。榎本へ連絡し、『ロッキード社の金が何回かに分けて参ります』と伝えた」。
次に、伊藤氏は伊藤調書作成に応じた経過を次のように語った。「このまま(検事の)言うとおりにならないと、またまた犠牲者が出るという恐ろしさ、不安感に襲われ、もう自分が全て背負ってしまおうという自暴的、自己犠牲的な気持ちになつてしまいました。その数日前から、私が8.23日に桧山社長からこのことを聞いてデリバリー(受け渡し)したのではなく、その前から相談を受けていただろうと云われていました。丸紅の政治部長と言われているからには、最初から相談受けていたはずだとも、厳しく−−−。私は身に覚えがありませんでしたので否認していましたが、その日の晩の魂の抜けた虚脱感の中で、もう夜も更けた頃でした。私は検事さんに、私がしたことではないが、5億円の話は私がしたのかも知れないと、申してしまったのです。その時のことは、今も脳裏にはっきり焼きついています」と、涙混じりに熱弁した。
この陳述はどういう意味であろうか。伊藤氏が自ら、検事のシナリオ通りに追認していったという背景を語っているように思われる。
引き続き土屋検事が、伊藤宏に尋問していった。この日は第一回目の受け渡しの様子を証言していった。特徴的なことは、受け渡しが為されたという事実だけは認め、その時の状況説明については「そんなことは覚えていませでしたが、松岡君の供述で、先に榎本さんが着いていたというので、ああそうですかと(話を)あわせました」、「そうだったかも知れません」、「特に記憶はありません」、「(土屋検事より、調書では『有難うございます、と簡単な挨拶をした』となっていますがと聞かれ)検事さんに」『絵になる話を』と云われてそうなったんです」、「(土屋検事より、第一回目の受け渡しが済んだ時どう思いましたかと聞かれ)人様のお金をこんな形で受け渡しするのは気が進みませんでしたので、やれやれと思いました」と陳述した。
次に、田中側と捜査の見通しについての話し合いの様子を述べた後、伊藤自身が逮捕され起訴事実を認めるに至った経過について次のように述べた。意訳概要「検事さんから罵詈雑言を浴びせられ、ひどい仕打ちを受けました。私は生まれてこの方、あんなに侮辱を受けたことは無い。私の座っているイスを蹴飛ばされ、ひっくり返ったこともあります」、「息子の辛い気持ちを察するように云われた後、『我々としては、もうあなたのしたことは全部分かっているんで、何もあなた一人が頑張らなくたっていいじゃないか』と諄々と説得されまして、私はそれまで隠しておりましたけれど、ピーナツ、ピーシズは5億円の献金の為に書いたものと申し上げました」と陳述した。
引き続き土屋検事が、伊藤宏に尋問していった。この日は、伊藤と榎本が盗聴対策として変名で電話連絡しあった後、「確か、2回会ったと思います」、「(1回目は)確か、4月か5月頃」、「(ホテルグランドパレスですか、との問いに)確かそうでした」と証言し、揉み消し事後工作の様子を暴いた。
引き続き土屋検事が、伊藤宏に尋問していった。この日は、伊藤が先の法廷で、取り調べの際に「イスを蹴飛ばされた」と証言したことから、当時伊藤を取り調べた東京地検特捜部検事・松尾邦弘を証言席に迎えた。松尾検事は、概要「イスを蹴飛ばしたことは無く、足で押しただけ」と反論し、その他取調べ時の伊藤陳述を次のように明らかにした。1、陳述は、伊藤が自主的に始めたこと。2、「ロッキード社の5億円を私が政府高官に渡した。私はそのことが怖くて仕方がない」と述べた。3、「5億円の受け渡しをしたが、独断ではなく、桧山社長の指示でやったとはっきり云いました」。
伊藤に対する14回目の被告人質問となった。木村弁護人が、伊藤供述の疑問点を質していった。しかし、伊藤と検事の連携の壁を突き崩せなかった。
桧山と小佐野賢治・国際興業社主の取調べに当たった安保検事が証人として登場した。堀田検事が質問し、安保氏は次のように答えた。「総理の職務権限」について、当時の桧山は次のように述べたと証言した。「『検事さん、そりゃそうでしょう。時の総理から頼まれれば全日空といえどもイヤとは言えない。例え総理から直接でなくても、運輸大臣を通じてでもいいし、とにかく総理は全国の官庁を動かせる最高の実力者なんだから、普通の大臣とは違う』と、なぜそんな当たり前のことを聞くのかと言う口調でした」、「『コーチャンとの会談よりだいぶ前、頭の中では時々、総理に頼めば一発で決まるんだがなと考えていた。口にしたのはコーチャンとの会談が最初だった』と云って、『検事さんも聞き方が上手だが、私も正直だな。全部しゃべっちゃった』と笑いながら云った内幕があるんです」。桧山氏の「あれは検事の作文」説に対する真っ向からの反論であった。
次に請託場面を供述したときの桧山の様子に次々と触れる中で、桧山が田中側からの圧力を非常に恐れていたことを明らかにした。「田中さんにも本当のことを言わせて貰いたい」、「『もし、田中さんがしゃべっていなければ、私に対していろいろな圧力がすする、だから田中さんに本当のことをしゃべらせて欲しい』と何回も云っておりました」、「『(公判になったら)早く裁判を終わりたい。もし田中さんが認めないとするなら公判は長引く。私一人だけ別にしてもらえないか』とも云いますので、私は『それは弁護士に相談することです』と申し上げました」。
元首相秘書官・榎本敏夫被告に対する被告人質問が始まった。土屋検事が尋問し、5億円授受について切り出したところ、榎本は「絶対ございません」と否定した。検事の「どうして(ないと)云えるのですか」の質問に、「無いものは無いのです」と答えた。48.6月頃伊藤に電話して5億円を催促した件についても、「絶対にございません」と否定した。伊藤が5億円には小佐野ガ関係しているのかと榎本に問い合わせ電話したとされる件についても、「ございません」、事件発覚後、伊藤に「5億円を返しても良いが」と電話で打診されたとされる件についても、「ありません」と否定した。つまり、「調書に書かれている事は全て虚偽」、「調書は全て検事の作文」と全面的に否定した。
次に、榎本調書で5億円授受を自供したのは検事に騙された為だと次のように陳述した。51.7.28日付けの「田中自供へ」と報ぜられているサンケイ、東京の両新聞を見せられ、検事から「お前の逮捕が最後なんだ、田中さんもいろいろ云っているようだし、伊藤さん、松岡さんからも聞いている。丸紅の運転日報も改竄されていたのを復元してピッタリ一致した」と責められ、意訳概要「あるいは党に対する献金があっかなと思い始め、少し考えさせてくれと4、5時間の猶予を貰い、苦悶しました。その間いろいろ想像をめぐらせた結果、党に献金があったかも知れず、党に傷つけてはいかんということで田中先生がおかぶりになったんではないかと考えるようになりました」、「笠原さんも丸紅の伊藤さんも松岡さんもおっしゃっているぞと云われ、三人全部の供述が合うんでは、私も『そうですか』と云わざるを得なくなった」。
次に、4回にわたる現金授受の場面描写の供述についても、「(実際には)知らないが、皆さんおっしゃっているならそうだと(認めた)」。次に、検事は、榎本調書が具体的に供述している箇所を引用し、「なぜこういう記載になったのか」と尋問したのに対し、「いずれも一般的なケースについて聞かれたのが、5億円授受の時のことにすりかえられた」と答えた。次に、榎本調書で段ボール箱を田中邸に運んだとある下りについて、「これも『笠原さんがそう云っているぞ』と云われて(止む無く認め)」、検事の質問にあわせて「はい、そうです(と認めていった)」、「全く私の想像で話したことでございます」等々全面否定していった。
榎本の6回目の被告人質問。丸紅弁護側の質問に続き、岡田裁判長以下3裁判官が代わる代わる榎本が自供に追い込まれた心境や5億円の運搬先などについて追及した。この時榎本はしばしば答えを詰まらせ、しどろもどろの場面もあった。
榎本と大久保を取調べした東京地検特捜部の村田恒検事が出廷、51.7.27日の逮捕後、榎本が5億円を授受した状況などを認めていったいきさつを証言した。土屋検事が質問し、村田証人は次のように述べた。意訳概要「(長い逡巡の後)『しゃべるきっかけが掴めない、ふんぎりがつかない』と云っていました。そして、『(私に対し)検事さん、私を大声で叱ってください。どなってくださいむ』と口走りました。私はびっくりして『そんなことはできない。検事は無理なことはしない』と云いました」。「(こうした経過の後)『何から話していいか分からないんですが、お話します』ということになった」。「(逮捕事実の書かれた書面をじっと見て後しばらくしてから)『検事さん、5億円を頂戴したのは事実でございます。しかし、ロッキード社からと書かれているが、私は外国企業から来たことは知らなかった』と意ってりました」。4度にわたる現金授受の様子をどう供述していたかと聞かれ、「『5億円を受け取ったことは事実で、4回という回数も覚えているが、具体的な日時、場所についてはもう一つ記憶が無い』と述べていた」。田中との共謀性については、「丸紅の伊藤さんから5億円をもらったということについては、献金だということで抵抗無く述べていましたが、田中さんとの共謀になると、いいづらそうで、『献金のことは、田中さんにも通じたはずだ。授受の都度田中さんの耳にも入れていたはず』と云っていました」。その使途については、「言い渋っていましたが、『この金は田中先生の政治団体には入れておりません。一部は、自民党の総務局長に渡した記憶もありまか』と云っていました」。
次に、いよいよ5億円の行き先についての供述場面の証言となり、村田検事は、「あの時の苦渋に満ちた榎本さんの顔を忘れられません。うつむいていた顔を上げて私の顔を見据えて『その通りです』と答えました」。「概括的ではございましたけれど、金の行き先は田中さんと分かりましたので、次は授受の方法、授受前後の状況に入っていきました」と述べた。
村田検事に対する弁護側の反対尋問。木村弁護人が取調べの際に「相当な押し付け、誘導」が為されたのではないかと尋問したところ、村田証人は「ございません」と否定した。むしろ、榎本の保釈前の遣り取りの様子を次のように明らかにした。「榎本さんは私に最敬礼しまして、『検事というのは拷問のようなひどいことをすると聞いていたんですが、丁重な扱いを受けて感謝している』と申され、右手をグッと差し出されて私と握手いたしました」。
田中の調書14通の証拠調べが、検察側の朗読で行われた。この経過で、田中が「丸紅からの請託」、「現金5億円の授受」などを「断じてありません」と真っ向から否定していることが明らかにされた。検察側の被告人質問要求に対し、弁護側が強く拒否した。
田中を証言台に立たせるかどうかを廻って、堀田検事と新関弁護人が激しく応手した。裁判長が「本人が質問に応じないと明言している以上、出来ません。現段階では、被告人質問は行いません」と決定した。
弁護側の反証に入った。田中、榎本の両弁護団が冒頭陳述を行い、5億円の授受や請託などを真っ向から否定していった。「両被告は無実で、今後それを証拠で証明していく」と反論し、榎本の具体的アリバイを明らかにした。丸紅側も伊藤の弁護人が、「5億円の献金はロッキード社の話を伝えだだけ」と「丸紅メッセンジャー」論を展開した。
新関弁護人が冒頭陳述を開始し、概要「検察官が冒頭陳述で主張した事実の非現実性と非合理性及びその主張事実を作出するにあたって為した証拠収集の違法を指摘し、犯罪事実とされる全てが存在しないことを明らかにする」として、全面的に争っていくことを宣言した。その趣旨は、1・コーチャン証言に依拠することの誤り、2・5億円の授受そのものの否定、3・その根拠として、受け渡し時の榎本のアリバイ、4・請託場面での「よっしゃ」発言の否定、5・首相の職務権限論争へと展開し、最後に「田中元総理も榎本秘書官も、本件公訴事実に何らの関わりもなく、無実である」と声明した。
次に、丸紅側の伊藤の弁護人・大西氏が立ち、「伊藤は、大久保氏の指示に従い、いわゆるピーナツ、ピーシズ・レシートを作成し、現金が入っていると思われる段ボール箱を預かり、これを榎本氏に引き渡したが、段ボール箱は封印されており、伊藤はこれを開けて見たことはありませんでした」、「(伊藤の認識は)ロ社の金員を田中側に届けるというだけで、クラッターと共謀して、これを田中角栄氏に支払うという考えは、全然ございませんでした」等々、「『丸紅メッセンジャー論』を更に進めた『伊藤使い走り』論」を主張した。
午前中は、桧山、大久保の弁護側が冒頭陳述。午後からはいきなりといった形で、田中・榎本側が、榎本の秘書官時代の官邸専用運転手・清水孝士氏を証人に立て、「榎本アリバイ」の立証を開始した。清水孝士氏はそれまで取調べを受けておらず、いわば弁護側の隠し球証人として登場したことになる。清水氏は、当時の運転記録綴りを持ち寄り、榎本が5億円現金授受したとされている4回の時刻の運転日報の下りを弁護人の尋問に添って説明した。それによると、榎本が現金授受に行ったとされていた時刻に別行動していることが明らかにされていた。田中・榎本弁護団がこれまで度々「いずれ榎本被告は現金授受に関係ないことを証明する」と予告してきていたが、それがこの清水証言で裏付けられることになった。
田中・榎本側は、清水運転手の運転日報「清水ノート」を元に「榎本アリバイ」の具体的立証に取り掛かった。榎本被告が供述席に立ち、木村弁護人の尋問に添う形で、5億円授受が為されたとされている当日の行動を詳細に供述し、検察側が主張するような5億円授受が、時間的物理的に不可能だったと陳述した。そうなると問題は、「笠原運転手の供述書」との整合性如何となり、次のような遣り取りをしている。弁護人「あなたの供述によると、笠原さんは事実と違ったことを供述した訳ですね」。榎本「そうです」。弁護人「どうしてでしょう」。榎本「ひどい調べを受けたのではないでしょうか」。この時榎本は、取調べ中に、村田恒検事と笠原氏の自殺に関する遣り取りがあったことを証言し、榎本「随分ひどい調べを受けたんでしょうね」。検事「お前は自殺を考えたことがあるか」。榎本「こんなひどいことをされているのでは、自殺したくもなりますよ」という遣り取りがあったと述べた。
弁護側証人として元首相秘書官補佐・松平悌次郎氏らが証言台に立ち、第2回現金授受の日の48.10.12日の首相官邸訪問客の状況について述べ、「同日、官邸に小畑秋田県知事が来た際、同行の秋田県東京事務所職員から総理の揮毫を依頼され、榎本秘書官に依頼した」と証言した。
この間「榎本アリバイ」の立証が続き、丸紅の松岡運転手、ホテル・ニューオータニ販売担当総括支配人・斉藤清志氏、元首相秘書官補佐・松平悌次郎氏らが証言席に座った。その他「政治家証人」が続き、5名の閣僚級政治家が登壇した。第133回(6.10日)には山崎竜男・参院議員、第135回のこの時は毛利松平・元環境庁長官、後藤田正晴・元自治相が証言し、それぞれ榎本が現金授受に出向いたとされている時刻の頃に官邸で榎本と会っていた記憶があると述べた。但し、弁護人「会った時刻は何時ごろでしたか」の問いに、後藤田「いや、これはねぇ、何せ8年前でしょ。私の行動記録から見ると、午前中では絶対にない。忙しくてそんな余裕がなかったですからねぇ。(会ったのは)午後には間違いない。ないが、さて何時か、とギリギリ詰められますとお答えしようが無いと云わざるを得ませんな」と述べており、決定打にはならなかった。
続いて赤城宗徳・元農相、山下元利・元防衛庁長官が出廷した。山下は、48.8.10日の第一回の現金授受があったとされた時刻に、国会内で榎本に会ったと証言したが、堀田検事の反対尋問で記憶の曖昧さをつかれ、しばしば口篭もった。これで、田中・榎本側の「アリバイ立証」が終結し、反証が終わった。
検察側は、弁護側の「榎本アリバイ」に対し、追捜査で反撃、8月初めには弁護側証人2名を偽証の疑いで取り調べた。弁護側はこれに激しく抗議し、切り返す検察側と火花を散らす遣り取りが展開された。取調べを受けたのは、松岡・丸紅運転手、斉藤・ホテルニューオータニ販売総括支配人の二人であった。
大久保側の安西弁護人と検察側の間に証拠開示に関する遣り取りがあった後、田中・榎本側の新関弁護人が、「本件訴訟進行について、裁判所に要望し、ご留意を喚起したい」と、8.5日の松岡・斉藤への偽証取り調べに対し「検察庁の措置は、現行刑事訴訟法上違法、不当で裁判制度の否定」と激しく抗議した。取調べの内容にも触れて、概要「両証人はまことに手痛い目にあい、人格も名誉も滅茶苦茶にされた。事情聴取は延べ37.8時間にも及び、勤務に支障をきたしたものもある。その事情聴取も、取調官の意向に添わない限り、いかなる供述も絶対に認めないとの執拗極まりないもので、いかに正常な神経の持ち主でもほとんど参ってしまうほどのものである、との報告を受けている。これは明らかに威迫であり、近代的に形を変えた拷問というべきものである」、「検察庁は、法廷で証言し反対尋問も尽くしたはずの証人に対し、公判進行中にも関わらず、偽証容疑の名において自己の主張を貫くため理不尽な事情聴取を行っている状況であり、公正な訴訟の進行上重大な問題をはらんでいる」と批判した。
丸紅側の宮原弁護人も、「検察官は幸せな職業。反対尋問に失敗しても、国家権力をもって取り調べることができるからであります」と皮肉を述べた。これらに対し、堀田検事が反論し、弁護側が証人の事情聴取にその都度謝礼数万円を支払っており「買収まがい」行為として批判した。これに対し、木村弁護人が「確かに、旅費、日当としてお金を差し上げたことはあります。日曜に来ていただいて申し訳ない、という気持ちもありまして。買収などといわれる金では全くありません。一方的に非難されるのに、黙っているわけにはいきません」と反論した。
検察側の反撃に対し、弁護側は、再度「榎本アリバイ」の立証を展開、清水運転手を登場させたが、検察側は堀田検事が「清水ノート」の杜撰さを立証すべく反対尋問を加えた。清水運転手はしばしば答えられず立ち往生させられた。
検察側の「アリバイ崩し」が本格的になり、48.8.10日の第一回授受のアリバイ傍証を覆すためにずらり7名の証人を証言席に送り込んだ。田中・榎本弁護側は、当日授受現場の英国大使館裏に榎本が行っていない、第131回公判(5.21日)で松岡運転手を証人に立て、同日は松岡氏も大使館裏へは行かず「同大使館近くの洋菓子店『村上開新堂』か『クラブ関東』に行った」と証言させ、「榎本アリバイ」を補強していた。検察側は、その日『村上開新堂』が夏休みで店休していたことを経営者の村上寿美子氏に証言させた。『クラブ関東』についても、事務局長の林龍男氏を登場させ、「8.10日に丸紅関係者は利用しなかった」と証言した。他の証人は当日利用した企業の社員で、その旨だけを次々と証言した。丸紅の社長室総務課長補佐が、「伊藤宅近くの電話ボックスで松岡運転手から書類を受け取ったことはない」と、松岡証言を否定した。
検察側の「アリバイ崩し」が続き、弁護側証人として「榎本さんは現金授受の日に官邸にいた」と証言した元首相官邸秘書官室担当補佐・松平悌二郎氏を出廷させ、「記憶違いだった」、「総理と榎本さんにはお世話になったので、記憶は曖昧だったが、前回のような証言をした」と撤回証言させた。前回の松岡運転手の証言に続いて、又一つ「榎本アリバイ」の裏づけが崩れていく恰好となった。
次に、元首相官邸車庫長・金田治平氏らが、清水車を私用で使ったことがあると証言した。「榎本アリバイ」は、清水車が「清水ノート」の記載通りに動いているという大前提があり、検察側は、私用で使った時などはノートに記載していなかった点をつき、ノートの信頼性を揺さぶった。
第146回公判(1981(昭和56).10.28日) |
「榎本美恵子証言登場」 |
検察側の「アリバイ崩し」の「とどめ」の証人として、榎本前夫人・美恵子氏(「ロッキード事件」発覚後の52.10月協議離婚)が出廷し、事件発覚直後に榎本に「(ロ社からの)金を受け取ったのか」と聞いたところ、うなずいて肯定したこと、「証拠書類」を庭で焼却したこと−など榎本とのなまなましい遣り取りを証言した。
榎本の弁護人は、この証人を裁判所が採用したことに対し、10.27日付けで「三児を残して離別した間柄で、特殊の性格の持ち主であることから現在もなお被告人(榎本)をいろいろな面で悩ましつづけている関係にあり、公平な裁判の証人として適格性を有する者とは到底考えられない。我が国の検察の伝統は、親子間、夫婦間の人情に反するような証人申請を行った例を聞かないが、本件における検察は何を考えたのか、この暴挙を敢行するに至った」と強く反対する意見書を提出していたが、結局、榎本が被告人席に座ったまま、美恵子氏が入廷した。
堤検事が尋問し、榎本とのなれ初め、「ロッキード事件」発覚前からの伊藤との交遊の様子について質していった。この時の「榎本美恵子証言」は次の通り。
「榎本と伊藤の付き合いは結婚前から長くあって、伊藤は敏腕だが敵も多いので交際をやめるように忠告していました。榎本は私のその忠告を入れて交際を止めると云っていました。それ以来、伊藤から榎本の自宅に電話がかかってくることきなかったし、宴席を共にすることもなくなったので安心していました。しかし二人の仲が本当に切れていなかったのを事件で知りました。ロッキード事件が報道された一瞬もしやと思いました。不安が当たり、伊藤からの電話が再び自宅にかかってくるようになった。毎日朝の8時頃かかってくるようになりました。榎本は緊張していて、その内に電話が盗聴されていることを心配し始めました。76年2月10日頃、榎本を目白の田中先生の自宅に送って行く時、大塚3丁目の交差点で信号待ちをしていたら、榎本がどうしようかと相談を持ちかけてきました。報道の通り事実お金は受け取ったのと聞いて顔を覗き込むと榎本は黙っていたが、軽く頷いて肯定しました。また『どうしよう』と云う。『あなたの逮捕はありますね。田中先生への追求はどこまで及ぶのかしら』と云うと、『後は三木総理の腹一つだ』と答えました。そこで『男が腹をくくってやったことにどうしようはないでせう』と云いました。答えは一つ、『何もなかったことなんですよ』と榎本に叩き込むように云いました。その後何日かして、日程表、メモ等、秘書官当時の書類を自宅の庭で焼却しました。榎本にそれを報告したら『ありがとう』と云いました」(石原慎太郎「天才」144P)。 |
榎本前夫人・美恵子氏は、「ハチは一刺しして死ぬ」と覚悟を語り、「ロッキード事件」発覚直後から伊藤より自宅へ電話がかかってくるようになったこと、榎本の態度が異常に緊張していたことを証言した。51.2.10日過ぎ頃のこととして、美恵子運転の車中で、「ロッキード事件」に話が及び、榎本が「どうしよう」と問いかけ話し掛けてきたこと、美恵子が「報道の事実通り金を受けとったの」と聞いたこと、榎本が「瞬時、思い巡らしているようなので顔を覗き込みますと、軽くうなずいて肯定いたしました」。榎本が再度「どうしよう」と問いかけ、美恵子が「あなたの逮捕がありますね、田中先生にはどの程度追及が及ぶのですか」と聞いたところ、榎本が「『後は三木総理の腹一つなんだ』という答えでした」。美恵子が「『男が腹をくくってやった仕事なんだから、今更どうしようもないでしょう。答えは一つ、何もなかったことです』と叩き込むように申しました」と証言した。
更に、美恵子が日頃伊藤との付き合いはしないほうが良いと忠言し、夫婦間で約束が為されていたにも関わらず、関係が続いていたことを詰問すると、榎本が「『君の言うことはもっともだが、上のほうで動き出したら宮仕えの僕としてはどうしようもない』と云いました」。検事が「上の方、とは」と尋ね、「私は、田中先生と丸紅トップと思いました」。続いて、51.2.16日頃、秘書官当時の日程表、メモ、書類など、家にあったものを自宅の庭で焼いたことを明らかにした。「帰宅したとき玄関先で『今日焼きました』と伝えましたら、榎本氏は『どうもありがとう』と云いました」。
5億円授受を全面否定して争ってきている最中に、別れた妻が根底から覆したことになった。これが「ハチの一刺し発言」として流行語となった。この証言で、田中無罪の流れが一挙に消えた。
11.4日、時の人となった榎本美恵子は、記者会見で次のように語っている。
「真実を述べるのは私の国民としての義務だと思います。夫は、『どうしようか』と言いますので、お金は受け取ったのかと聞き返しますと、瞬時迷っておりましたが、顔を上げる際に軽くうなずいておりました。ハチは一度刺したら命を失うと申しますが、人を刺すという行為で私も失うものが大きいと思います」と語った(アサヒクロニクル「週刊20世紀」)。 |
(私論.私見)
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「榎本美恵子のハチの一刺し証言」は信憑性をもって受け取られた。しかし、依然として真実は闇と受け取るべきであろう。ちなみに、その後の榎本美恵子は数奇な運命を辿ることになる。半芸能人になり、「ひょうきん族」ではハチのコスチュームでコントをし、ヌード写真集まで出している。確か、白系外人と愛人関係になっている様子やクラブママとしてマスコミに騒がれたことがあると記憶する。しかし、ネット情報でまともなものは出てこない。
2010.01.15日 れんだいこ拝 |
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(私論.私見)