著作権問題に関わるれんだいこに対する叱責考、経緯概括 |
更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).4.29日
(れんだいこのショートメッセージ) |
2004.7.23日、グーグル検索していると、れんだいこの論考文における無断引用、転載箇所を廻って、管理人・坂東千年王国氏の「びっくり ぎょうてん !
晒し刑に処する次第」で新たに叱責されていることが分かった。そこで、本サイトを設け、総合的に考究してみることにする。 これは、れんだいこの「明治維新の研究」の「明治維新の史的過程考(2―1)(伊藤体制から憲法発布まで)」サイトで、北村透谷の自由民権運動家としての側面につき貴重な論及をしていた「幻境の碑」を引用元不明示、リンク掛けなしのまま全文転載していたところ、「びっくり ぎょうてん ! 晒し刑に処する次第」で叱責されたものである。次のように書かれている。(重複するので、「易論研修会事件」考、「大塩の乱資料館事件」考、「晒し刑事件」考」に転載する) れんだいこにはその他数々この種の叱責が多い。つらつら考えるのに、れんだいこがダボハゼの如くあちこちの話題に食いつき、消化未整理のままにサイトアップしていることに起因している。為に余計なトラブルを招いている感がある。このままいけば「れんだいこ黙らすのに刃物はいらぬ。著作権一つあれば良い」ということにもなり、今やより賢明に対処していかねばならぬと反省する次第であります。 但し、このお詫びだけでは事は収まらない。この機会に、著作権法上あるいは文章利用マナー上どうあるべきかを検討し、れんだいこの一層の自重自戒に向けたルールとマナーの確立と、近時の過剰著作権尊重ブームに棹差す双方向から意見を具申してみたい。 2004.7.24日 れんだいこ拝 |
【れんだいこの文章引用、転載に関わるルールとマナー論】 |
2004.7.24日現在、れんだいこの各種論考の中に「無断引用、転載、出典元不記載、リンク不掛けの引用、転載」があることが指摘されており、悪意なきことを踏まえ「出典元記載、リンク掛けによる引用、転載」を容赦いただいた場合と、合意に至らず盗用呼ばわりされる場合の二通りの状態が現出している。これについて本サイトでれんだいこの心情を吐露させていただく。 れんだいこは一般に、「出典元記載、リンク掛けによる引用、転載」につき、これを著作権問題というよりはルール・マナー問題と考え、必要と思われる場合には極力踏まえてきたつもりである。しかし、箇所によってそれを失念している場合がままある。いろんな事情によりそうなっているのだが、それは断じて盗用、剽窃を意図したものではない。しかしながら、そのように受け止められる場合があり、この場合速やかに処理していかねばならぬと心得ている。 この措置につき、れんだいこがまず自身で書き付けを見直さねばならないと思う。しかし、それでも漏れる場合がある。この場合において、れんだいこ宛てメールないし掲示板にご連絡を賜りたいと思う。はなはだ勝手ではございますが、お願い申し上げる次第でございます。 但し、次のことを申し添えさせていただく。れんだいこは、「著作権考」、「著作権法での主要な論争点」で論及しているように現代強権著作権論者の説く著作権全域全方面適用論には同意していない。特に、政治、宗教、思想、哲学戦線での文言に対する著作権万能適用は百害あって一利なしと心得ており、ましてインターネット空間に記載されているものは「ルールとマナー」が遵守される限り相互に無条件で引用、転載為しうる、為しうるべしという立場をとっている。 この場合、「ルールとマナー」には引用元の承諾は含まれておらず、不要と考えている。むしろ、未承諾であれ批判的紹介であれ引用、転載されること自体が名誉ないしは必要と心得ている。この点で、通説的理解と齟齬している。現行著作権法は、承諾問題に対しては賢明にも踏み込んでおらず曖昧であるように受け止めている。承諾必要論者の著作権法理解はオーバーラン解釈であり、法を無視した気難し系の暴論に過ぎないと看做している。 この場合、れんだいこは実践的には次のように処している。れんだいこが引用、転載しようとする場合において、明らかに不快を示しそうだと考えられる相手方の文章については法的に云々というよりも無用のトラブルを避ける為極力控える。情報が欲しい場合には出典元明示で引用、転載する方法を良しとしている。議論の当事者などの場合には、相手方の不快があろうとも無断で引用、転載している。論戦上必要であるという意味と後日の検討を期してあるいは証として記録を残そうとしている。しかしながら、時には単に失念して「ルールとマナー」違反的引用、転載の場合もある。それやこれやで何だかとても難しい。 究極的には、れんだいこ文全体が必要な範囲において「ルールとマナー」が守られており、引用元、出典元明記不要とみなした文意は地文に取り込み、適宜私見も述べながらで整合性を得ているような文にしてみたいと思っている。そしてそれが誰彼構わず利用され、人口に膾炙すれば良いと願っている。 人類の知識、教養は先人達のそのような労作を通じて発展してきたし、今後もそのように発展させていくべきであり、この方法こそが真に学問的態度だと心得ている。近時の次第に旺盛になりつつある著作権万能適用論は、人類史に照らすとき異筋であり暴論ではないか。国際ユダ邪勢力が持ち込んだ知の分野への資本主義精神の導入であり、いわゆる「ユダ邪商法」と云われて嫌われるところのものであり、それは学問、文化戦線への暴力的介入ではないか。それを促進させているだけではないのか、と危惧している。日本の著作権法は賢明にも著作権万能適用論を極力抑制している、と理解している。 以上が、れんだいこの「文章引用、転載に関わるルールとマナー論」であり、著作権論である。この態度そのものが変調であるならば、議論させて貰いたいと思う。この態度にも拘わらず「文章引用、転載に関わるルールとマナー違反」箇所については、れんだいこ自身も見直し、適宜に指摘を受けながら訂正し、双方向でより良いものをつくっていこうと思う。 簡単ではございますが、れんだいこの姿勢を立論してみました。 2004.7.24日、2007.3.20日再編集 れんだいこ拝 |
【「『幻境の碑』よりの無断、無リンク全文転載事件」考】 | ||||
「びっくり ぎょうてん ! 晒し刑に処する次第」については、白黒がはっきりしている。れんだいこが「幻境の碑」の全文転載するにつき、少なくともリンク掛けをし、更に「幻境の碑」よりの全文転載であることを明記しておけば良かった。それを為していない以上それなりの批判をお受けせねばなるまい。 インターネット空間における引用、転載の際の引用又は出典元明記とリンク掛けは「ルールとマナー」であるとれんだいこも心得ているので、この事態に対してはお詫びする以外にない。管理人・坂東千年王国氏が気分を害して治まらないのであれば、速やかに削除するつもりである。但し、記録を残していないと「びっくり ぎょうてん ! 晒し刑に処する次第」の文意が一人歩きし、その場合正確な理解を失うことが考えられるので、ここに記録保存しておこうと思う。 さて、全面謝罪せねばならないれんだいこであるが、若干の重要な認識の差について抗弁しておかねばならない。これにつき以下記す。 坂東千年王国氏は、れんだいこの行為につき、「明らかにパクリ」とみなして憤懣やるかたなしの雰囲気の抗議をされている。しかし、公正に見て過剰批判ではなかろうか。次のように叱責している。
坂東千年王国氏自身がかく認められて居るように、これはパクリではなく全文転載なのだから当たり前のことである。であるならば、パクリ批判に向かうのは為にする批判であり、通常は「引用元不明記とリンク不掛けというルールとマナー批判」に向かうべきではなかろうか。それなられんだいこは無条件にお詫びせねばならない。 その通常的批判に向かうことなく、何とかしてパクリ批判に向かいたがっているところが逆にれんだいこを納得させないことになる。次のように断罪している。
こうなると、れんだいこは詫びつつも黙って居れなくなる。どうしてもそのように理解するという向きの者にいくら説明しても分かってもらえないだろうが、冷静に見れば「失念による引用元不明記、リンク不掛け」のものを、坂東千年王国氏は、どうしても「全文パクリ」と理解したがっているように見える。その上で、「転載元の承諾もアドレスも入れないとは、あきれ果てた」とあるからして、「全文パクリ」がよしんば「全文引用」だったとしても、「転載元の承諾」を要することとしているようである。 ところで、取り込み時のいきさつを忘却してしまったが、メール先が明示してあれば、掲示板参入が容易であれば、れんだいこは挨拶申し上げることもある(全てとはいえない、あるとしか云えない)。それを為さなかったということは、連絡先が分からなかったとも考えられる。逆に、れんだいこのメール先、掲示板はいつでもアクセス可能でオープンにしている。余計な世話だと叱責されるかも知れないが、坂東千年王国氏は、れんだいこにそのように抗議されれば又別の解決策があったのではなかろうか。その辺りを思うと解せないという気持ちが抑えられない。 以上を踏まえて、次のように述べておきます。
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【「『幻境の碑』サイト管理人・坂東千年王国氏の著作権理解との摺り合わせ」考】 |
これについては、「著作権法での主要な論争点」、「易論研修会事件考、大塩の乱資料館事件考、晒し刑考」、「引用転載に絡むれんだいこの事件史考その3、晒し刑事件考」で追加考察した。 |
(私論.私見)