引用転載に絡むれんだいこの事件史考その1、易論研修会事件考 |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).4.29日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「引用転載に絡むれんだいこの事件史考」と題して「易論研修会事件」を取り上げるのは、正邪を糾す為ではない。元々れんだいこの引用、転載行為に対するクレームであり、通説的理解ではれんだいこに非がある。そういう意味では、れんだいこの恥を晒すだけである。その恥晒しを敢えて引き受けるのは、これらの遣り取りを通じて著作権法の正確な理解を得たいが為である。 れんだいこの理解の方が変調なのかも知れない。そういう不安もあるが、著作権法を読む限り、れんだいこ理解の方が正確なのではないのか。現代著作権法を推進する著作権万能適用論者のそれは、あたかも日本国憲法9条の規定をなし崩し的に改憲解釈し、野放図に展開している軍備、派兵の様と似ていないか。そういう意味で、ここら辺りでもう一度原点に戻る必要があるのではないのか。著作権万能適用論者の多くは日本国憲法9条の拡大解釈に反対姿勢を示しているが、滑稽なことにこと著作権法理解に於いては同様の拡大解釈で如意棒をふるっているのではないのか、それはオカシな現象ではないのかという関心と通底している。そういう意味で、当事者の実際例を通じてこれを叩き台にして著作権法理解にアプローチしてみたい。本サイトの意義はここにある。 2004.8.23日、2006.3.20日再編集 れんだいこ拝 |
2012.8.17日、本稿で取り上げたサイトの殆どが閉鎖されている。こういうことになるからリンクだけではいけない、きちっと転載して証拠にしておかねばならない、ということが云えるのではないかと改めて思う。リンク派の面々は、転載させないようにしておいて好き放題に述べ、いつの間にか姿を消す。そりゃぁあんまり虫が良過ぎるのではないかな。 2012.8.17日 れんだいこ拝 |
【「易論研修会事件」考】 |
れんだいこに実際に発生した問題として「泰占会事件」(実際には「易論研修会事件」)がある。言い訳は趣味ではないが、正確を期すためあらかじめはっきりさせておく。 れんだいこは、「陽明学の研究」サイトを立ち上げた時、インターネット検索から「易学と東洋思想」サイトを呼び出し、これにリンクを貼り、一部文章を引用元明記で引用した。その個所は思想内容に関わるところではなく、朱子学のその後の歴史的経過に関する系譜的な記述のところ数行であり(ページ使用と非難されたが、云われるほどのものでもない)、引用元も明示しておいたしそう目クジラされるほどでもないと思っていた。そのうち書き換える暫定のつもりであった。人にもよるのだろうが、れんだいこなぞ逆にされると光栄でありうれしいくらいだ。従って、これが問題になるとは夢にも思わなかった。 |
2011.6.27日現在、「易学と東洋思想」も「易論研修会」もサイトアップされていないようである。 |
【ステップ1、れんだいこの引用に対する抗議その一】 | ||
実際に引用したところは次の下りである。元文は残していないので復元できないが、現在次のように引用している。
ところが、れんだいこのこの所為に対し、無断リンクであり、マナー違反による引用転載であるとして、かような措置に出られた。以下がその文である。
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【れんだいこの引用に対する抗議その二】 | |
もう一つ次のようにも表記されている。(現在はこの部分が削除されている)
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【れんだいこの引用に対する抗議その三】 | |
以上。云いたいこともあるが、暫く自重自戒を込めてここに転載しておくことにする。ここはひとまずお詫びしとこと思っているが、ご丁寧なことにメールができないように措置されており、メールリンクを開けると以下の一文がお目にかかるようにされている。
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これの問題性は次のことにある。メール欄を押せばいきなり上記の文章に出くわし、メールができない。その癖、「 この件に関しましては連絡もいただいておりませんし、了承もしておりません」とれんだいこをなじる。故意か偶然かえらい手が込んでいるわな。こういう遣り方に対してれんだいこは一体どうすればよいのでせう、逆質問しておく。このやり方と儒教精神あるいは陽明学精神とどない関係があるんやろとか思わぬ訳でもない。 2002.6.10日 れんだいこ拝 |
【ステップ2】 | |
「易論研修会より 「れんだいこ」さんのHPより来訪された方へ」は最近(2002.9.1日付け)次のように書き改められている。正確を期すため次の一文もここに転載することにする。
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末尾の「易論研修会は泰占会の分派でも別名称でもありません。泰占会ならびに関係者の皆様にご迷惑をおかけ致しましてお詫び申し上げます」によると、上記の「易論研修会によるれんだいこへの警告文」に対して、その文筆主体の責任を廻って易論研修会と泰占会との間で議論が為されたということであろう。1・易論研修会と泰占会は別団体であり、2・こたびの抗議文は易論研修会が為したものであり、3・泰占会は何ら関係ないということを明記せよ、という抗議が為された模様である。この泰占会の抗議により、易論研修会がわざわざ「易論研修会は『泰占会』の分派でも別名称でもありません。泰占会ならびに関係者の皆様にご迷惑をおかけ致しましてお詫び申し上げます」と詫びを入れた格好になっている。 しかし、これはこれで更に問題がややこしくなる。つまり、れんだいこの易論研修会サイトへの無断リンク、文章の無断一部転載を批判した易論研修会が、無断で泰占会の名を使っていたことになる。実際の正確な関係は分からないが、「易論研修会は『泰占会』の分派でも別名称でもありません」とあるので別団体なのだろう。となるとちょっと待てよ。一体、他団体の名前を「無断で」勝手に使って、れんだいこのリンクと転載が「無断である」との抗議をするような抗議があってたまるかよ。何やら説教強盗の上前を行くような臭いがする。 2002.9.7日 れんだいこ拝 |
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【ステップ3】 | |
ところで、事はこれでは終わらない。次のような一文にも出くわす。「メールの閉鎖について」が新たに言上されており、上述の「ウイルス入りのメール」に対する注意文が記載された後で、「このため、当方のメールボックスは2001年12月より閉鎖いたしております云々」とあり、末尾でかように書かれている。
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こうなるとまた一言せねばならない。「あたかも『れんだいこ』さんのサイトから ウイルス入りのメールが送られてきたかのようなイメージを与えた趣旨の文章が『れんだいこ』さんのサイトに掲載されておりました」とあるが、どの文章のことだろう。掲示板にそれらしいことを書いたのか既に記憶が薄れている。少なくともここのサイトの文にはそういうことは書いていない。 例えば、どなたかが、「あたかもれんだいこさんのサイトからウイルス入りのメールが送られてきたかのようなイメージを与え、これではあんまりではないか」と世話を焼いてくれた者がいるというのなら分かる。それならそう記せば良いだろう。しかるに、「(そういう)趣旨の文章が『れんだいこ』さんのサイトに掲載されておりました」と記す。れんだいこにはその該当文が分からない。れんだいこは抗議した覚えもない。こういうのって、「これは、著作権云々の問題ではなく、ネットのマナーの問題ではないか?と思います」という言葉をそのままお返ししたくなる所為ではなかろうか。 2002.9.7日 れんだいこ拝 |
【ステップ4】 | |
この結末は次のように落ち着いた。易論研修会は、2002.9.8日改訂で、
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つまり、自分で書いてれんだいこの不快を予想し、その不快につき抗議が為されたものと誤読した上で書き方が不適切であったとお詫びし、れんだいこがそういう抗議をした覚えがないと指摘すれば、誤読で申し訳なかったと重ねてお詫びするという流れになっている。こういうのを「自作自演転び」というのだろう。ブザマというより他ない。 とはいえ、元々れんだいこの無断リンク及び引用から始まったことで、それに付き相手先に不愉快な思いをさせたという意味で、れんだいこはここで相手先がそう感じた以上は申し訳ありませんでしたと一言添えておきたい。今日なお不愉快というのであれば、当サイトからリンク及び数行の引用を全抹消するつもりですので、その旨ご連絡ください。 2002.9.16日 れんだいこ拝 |
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ついでであるが質問しておきたい。「リンクフリーではありません」に意見を申し述べておく。それが当人の意思であっても、インターネットを利用するに付き不可避であることを弁え、むしろ本望と思うべきではなかろうか。リンクされたり引用されるのがどうしても嫌なら、トップページは致し方ないとしても、それより先は会員制のパスワード方式にされたら如何かと思う。 れんだいこには理解できないところであるが、改竄・歪曲引用ならともかくリンクとか引用元明記の引用の場合、誉れであっても逆ではなかろう。批判される形で引用される場合でも、引用自体は原文通りに引用されているのなら致し方なかろう。要約引用の場合ややこしいが、趣旨が反していない限り目くじらするほどのことでもないとか思う。そういう気持ちから見ると、「リンクフリーではありません」はかなり一風変わった願望であって且つ法的裏づけもない。そういう意味で、「リンクフリーではありません」に拘る思想的論拠について質問してみたい。 もう一つ、「政治団体でもありません」が目につくが、何を云おうとしているのだろうか。「政治団体であったらなぜいけないのか」 、「そも政治というものをどのように理解しておられるのか」等々疑問が次々湧いてくる。「当サイトは純然たる研究を目的としているものであり、特定の政治団体との繋がりはありません」ということを云いたいのだろうか。それならそう書けばよいのにと思う。 れんだいこ観からすれば、易と祀り、祀りと政治はその昔混交しており、政治団体は政治と繋がっている訳だから関係ないとは云えない。「政治団体でもありません」をことさら断り書きする必要性が分からない。書くのなら趣旨がよく分かるように書くべきではなかろうか。いらぬお節介であるが、何かと関係ができたのでこのことも質問してみたい。 2002.9.16日 れんだいこ拝 |
【ステップ6】 |
2002.10.26日現在、「易論研修会」より何らのコメントが出ていない。れんだいこは構わないが、近々本サイト「著作権問題考」を論文集の中にアップするつもりである。れんだいこが恥をかくのかかかないのか分からないが一応お伝えしておきます。 「盗聴法について考える」の「Link Free」は、れんだいこの所為に対するかなりの弁護論となっている。他にも同種見解を探すのはそう困難ではない。「インターネット・サイトのリンク、引用、転載について」で考察してみた。易論研修会は、これらの見解に対して何らかの態度を表明するのが嗜みだろう。 |
【ステップ7】 | |
2006.10.20日現在、「易論研修会」は封鎖されており、検索すると代わりに「易論研修会 易学 目次」が出てくる。トップページ末尾に次のように記されている。
「ご意見・ご質問 こちらへ」とあるが、「易論研修会のメールボックス閉鎖について」に辿り着くだけのことである。それにしても煮え切らない御仁ではある。 2006.10.20日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)