引用転載に絡むれんだいこの事件史考その2、大塩の乱資料館事件考 |
更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).4.1日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「引用転載に絡むれんだいこの事件史考」と題して「大塩の乱資料館事件」を取り上げるのは、正邪を糾す為ではない。元々れんだいこの引用、転載行為に対するクレームであり、通説的理解ではれんだいこに非がある。そういう意味では、れんだいこの恥を晒すだけである。その恥晒しを敢えて引き受けるのは、これらの遣り取りを通じて著作権法の正確な理解を得たいが為である。 れんだいこの理解の方が変調なのかも知れない。そういう不安もあるが、著作権法を読む限り、れんだいこ理解の方が正確なのではないのか。現代著作権法を推進する著作権万能適用論者のそれは、あたかも日本国憲法9条の規定をなし崩し的に改憲解釈し、野放図に展開している軍備、派兵の様と似ていないか。そういう意味で、ここら辺りでもう一度原点に戻る必要があるのではないのか。著作権万能適用論者の多くは日本国憲法9条の拡大解釈に反対姿勢を示しているが、滑稽なことにこと著作権法理解に於いては同様の拡大解釈で如意棒をふるっているのではないのか、それはオカシな現象ではないのかという関心と通底している。そういう意味で、当事者の実際例を通じてこれを叩き台にして著作権法理解にアプローチしてみたい。本サイトの意義はここにある。 2004.8.23日、2006.3.20日再編集 れんだいこ拝 |
2012.8.17日、本稿で取り上げたサイトの殆どが閉鎖されている。こういうことになるからリンクだけではいけない、きちっと転載して証拠にしておかねばならない、ということが云えるのではないかと改めて思う。リンク派の面々は、転載させないようにしておいて好き放題に述べ、いつの間にか姿を消す。そりゃぁあんまり虫が良過ぎるのではないかな。 2012.8.17日 れんだいこ拝 |
【曾根崎新地のひろ氏/「大塩の乱資料館事件」考】 |
2004.2.8日、曾根崎新地のひろ氏/「大塩の乱資料館事件」が勃発した。れんだいこが種々の考究において必要な知識を著作やインターネットサイトからいただいてきていることは確かである。極力れんだいこ的に咀嚼しており、引用、転載の場合はその旨記す作風を良しとして実践しているつもりである。場合により漏れているところもあるかも知れず、気づき次第あるいは指摘され次第に訂正するつもりでいる。あるいはまたいずれ取り込みたいと思い欄外末尾で全文転載しておく場合もある。この際は、極力リンク掛けして引用元を明らかにしている。 れんだいこは、これらの作風で何ら非難を蒙るいわれはないと考えている。逆にそうされた場合には光栄であり喜ばしいこととして受け取っている。しかし、世の中はそうは受け取らず逆に非難の対象にしたがっている者も多い。前述の易論研修会事件の場合もそうであるが、こたびの「大塩の乱資料館事件」のように、歴史上体制反乱者の事跡考究の際にもいわゆる著作権適用なる観点から掣肘を受けたのは初めてである。 「大塩の乱資料館」サイト主催者に尋ねてみたいが、貴公が大塩平八郎の事跡研究為すのは勝手であろうが、貴公がその文章に付き著作権壁廻らすに付き大塩平八郎が喜ばざるのは想像し易い。貴公が著作権適用で他者の容喙を拒否したり権威的に望む事態に対して、大塩平八郎は何と思うだろうか。大塩平八郎の精神を思うにつき、最もその精神に違背した精神を貴公は弄んではいないか。 貴公の潔癖論理に従えば、そもそも貴公は史上の実在人物大塩平八郎に何らかの形で接触を試み、排他独占的に飯の種にすることの了承を得、一筆取り付けておく必要がありはしないか。それは叶わぬことだろう、つまり貴公の著作権なぞ得手勝手が過ぎる「他人のふんどしで相撲を取る、しかも独善的な典型」ではないのか。 |
【ステップ1】 | |
2004.2.8日、れんだいこの主催する左往来人生学院掲示板に次の書き込みが為された。投稿人は、曾根崎新地のひろ氏であり次のような文面であった。
|
|
![]() |
|
これまでメールで為されたり、当該サイト上で抗議されたりしたことはあったが、れんだいこ掲示板にやって来て、このような形で指摘されたのは初めてである。しかし、末尾の「お間違いではないでしょうか」なる文意が不明である。了承を取り付けていないという事に対する批判か、事実は別として「ページがまるごととりこまれている」事自体に対する批判なのか、他の意味での婉曲表現なのかやや不明である。 |
【ステップ2】 | |
れんだいこは、該当サイトを検分し、同日付け「ページのまるごと とりこみについて」という題名で、早速に次のレスを送信した。
|
|
![]() |
|
この事件も易論研修会事件と同じ臭いがするので早速ここへ書きつけておくことにした。曾根崎新地のひろ氏がどこの部分を指摘してくるのか分からない。しかし、その指摘箇所が「ページのまるごと とりこみ」のようには思わない。今読み返してみたが、曾根崎新地のひろ氏のサイトから学んだことはさほど多くない。貴重情報のところはいただいた気がする。しかし、末尾のところでサイト名明記とリンク掛けしているのだから、クレームをもらうことはないと思っている。れんだいこなどは逆にされるとうれしいくらいだ。なぜ、気難しく責め合う関係に向かおうとするのだろう。 大塩平八郎氏は歴史的実在の人物である。この彼を評論するのに後世の者が著作権を振り回すのはおこがましいのではなかろうか。曾根崎新地のひろ氏が著作権を云々したいのであれば、せめて自身に纏わる私秘情報とか自伝とか創作物に関して限定すれば良いのに。第一、大塩平八郎氏が曾根崎新地のひろ氏のクレームを知ったなら、俺はお前にそのような権限与えた覚えもないし、俺の乱の意義をそのように狭量に扱われたくはないと逆に抗議するのではないのか。 曾根崎新地のひろ氏の第一報は抑制がかかっているので、その真意はまだ明記されていない。しかし、「あるページがまるごと とりこまれている」という大げさな物言いは、本サイトで考察している前の二事件にも共通なパターンである。恐らくこの線で何事か云い始めるものと思われるので、今から身構えておこうと思う。 2004.2.8日 れんだいこ拝 |
【ステップ3】 | ||
れんだいこは、次の文面を、曾根崎新地のひろ氏主宰の「大塩の乱資料館掲示板」に投稿した。
|
||
送信ボタンを押すと、次のような表示が為された。
|
||
![]() |
||
今後どう展開するのか分からないが、「史上の実在人の評論に対する著作権発生の是非論」という未踏の分野のやり取りが為されることになりそうである。れんだいことしては、まず、左往来人生学院への投稿が曾根崎新地のひろ氏当人によって為されたものかどうかの確認から始めることにした。次の展開を刻々に記して行こうと思う。 |
2004.2.10日現在、曾根崎新地のひろ氏から何の反応もない。送信したはずの投稿も掲載されていない。しかし、送信したはずの投稿が掲載されていないことは、氏がれんだいこの左往来人生学院への投稿当事者であることを逆に知らせる。以上を踏まえて次のように云うことができる。 一般に、この種の抗議者は非常に姑息であり、メール送信できない措置にしているか、掲示板を持っていても「管理人が不適当と判断するものは、掲載しませんので、ご了承ください」なる特殊的専横権を駆使する癖がある。 自称知識人の底の浅さ、度量偏狭さ、得手勝手主義等々が共通して見て取れる。「大塩の乱資料館事件」の場合は更に特殊で、本来喧伝されるべき対象の考察において著作権如意棒を振り回している。仮にマルクスでも同じであろうが、マルクスは自著作に対してこれが広範に大衆的に普及されるべきことを念願しつつ営為した生涯の軌跡を残している。ところが、後世の者が勝手に著作権網を張り巡らし、わが国の場合でも日共系の出版社が版権元になり、大衆的普及阻害に向かっている。 明らかに倒錯現象であるがこの倒錯を訝らず、正義と権利の名の下に睥睨せんとする輩が跋扈する。おかしいではないか。この問いを持ち続けるれんだいこは、他方ではよりマナー、ルール遵守に洗練しようと思うと同時に、一方ではこの種の倒錯者とは何の遠慮もなく闘おうと思う。なぜなら彼らの論法は社会柱に巣食うシロアリのそれだから。 2004.2.10日 れんだいこ拝 |
【ステップ4】 | ||
2004.2.11日、曾根崎新地のひろ氏よりレスが為された。当人の主宰する大塩の乱資料館掲示板に前述のれんだいこ投稿文が掲載され、これに対し、次のようなレスが付けられた。
|
||
続いて、れんだいこの主宰する左往来人生学院掲示板に次のようなレスが投稿された。
|
【ステップ5】 | |||
れんだいこは、次のようなレスを付けた。
|
|||
![]() |
|||
2004.2.13日現在何もない。指摘していないが、「前に画像がまるごと、しかもゆがめて取り込まれていることがありました。連絡先もわからないサイトで、しかたなく、ブロバイダーに連絡してもらいました。主宰者からは何の連絡もありませんでしたが、かなりたってから削除されたようです」は、どういう意味で書きつけているのだろう。れんだいこは、「画像がまるごと」も、「ゆがめて取り込み」も、「連絡先もわからないサイト」でもない。そういう例を挙げて何の足しになるのだろう。 2004.3.3日現在、その後の動きはない。れんだいこの方からレスするつもりはないので、このまま何となく風化するのだろうか。 2004.3.3日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)