24 戦後民主主義考

 (最新見直し2006.3.17日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 どうやら我々は、智に角が立ちすぎて、「戦後民主主義」を見誤ってきたのではなかろうか。特に、左派からの混乱が目に余るように思われる。しかして誰も云いっ放しで、この問題に取り組もうとしていないようにも見える。しゃあない、れんだいこが向かいます。

 1945.8.15日の日帝の降伏により第二次世界大戦は終了した。あれからまもなく半世紀を経ようとしている。この間歴史は、その後の冷戦時代、ソ連邦及びその衛星国の相継ぐ崩壊、米帝の一極覇権化、アラブ諸国の不穏化へと流れてきている。この通史の中で、日本は70年代をピークに未曾有の経済的発展を遂げた。それを支える政治体制が「戦後民主主義体制」であった。

 「戦後民主主義体制」とは大きく見て次の5原理から構成されている。これを概括すれば、「1・不戦の誓い(二度と戦争を起こさず、軍事紛争に関与せず、国際平和と協調に勤しむ)。2・主権在民下の議会制民主主義による立憲国家を目指す。3・自由市場主義体制下で経済的繁栄を追及する。4・人命と人権を尊重し、社会保障を充実させる、5・地方自治の尊重の五項を機軸にして展開される法秩序と社会の実現を目指す体制」とでも云うことができる。

 この価値と意義をそろそろ対自化させても良い頃ではなかろうか。50年経って漸く見えてきたことがあるように思える。最初に確認しておきたいことは次のことである。戦後の我が国に現出した社会体制つまり「戦後民主主義体制」はどうやら、世界に珍しいユートピア的であり得たのではなかろうか。敗戦という重みによって戦前の支配権力が息の根を止められ、ファナティックな天皇制イズムと統制社会が崩壊した結果、替わりにやってきたのは、自由主義経済を基調にした史上随一の市民主義的民主主義体制であった。それは、その後にやってきた米ソ冷戦体制の「谷間に咲いた白百合、否世にも珍しい蓮華」であった、のではなかろうか。

 そこには、敗戦により歴史的伝統とも云える精緻狡猾なお上規制が張り巡らされていた諸秩序が一挙に撤廃された結果、その喜びを胸に、廃墟からの再建に向けて貧しいながらものびのびと額に汗する大衆社会が現出していたのではないのか。労働と能力が適正に認められ、社会全般に新秩序形成へ向けての合理的な登用制度―これを下克上とも云う―が成り立っていたのではないのか。

 普通これを「ルネサンス」と云う。我が国では有史上かって似たような流れが、戦国下克上時代、幕末維新期に立ち現れた。しかし、「戦後ルネサンス」の息吹は、過去のどれよりも総体的広範にしてしかも法治主義によってこれを担保したという意味で稀有な経験ではなかったか。しかも、これほどのルネサンスは、世界史上どこの国にも立ち現れていない優れものであった。つまり、世界中が次の時代の指標にするに足りる内実を持っていたとさえ云えるものであろう。端的に云えば、「後先問わずとりあえず当面において、人民大衆の活性化を是とする政策体系で推進・構築された体制」と云えるだろうか。

 しかし、こうした「戦後民主主義体制」は、復古派からは疎ましいものであった。なぜなら「戦後民主主義体制の下克上性」が戦前的な身分制秩序をどんどん解体していったからである。戦前秩序の機軸とも云うべき天皇制が蟄居させられ、彼ら云うところの統合的な芯を失ったからである。これに準じて「非実力主義的な単なる門地門柄的権威」も又後景に退かされたからである。もう一つ、経済主義オンリーな価値観に馴染めなかったゆえにであろう、これについては是非論あろうが。この右派的なノスタルジーについては別途考察しようと思う。

 ここでは、いわゆる左派が「戦後民主主義体制」をどう捉え、これを如何に培養育成したか、あるいは形骸化させていったか、あるいは無理解のまま並走していったか、あるいは否定せんとしたか等々について考察してみたい。

 れんだいこの結論を先に述べれば、左派は、歴史的に見れば「まばゆいばかりの至宝体制」に目をくらまされ、その取り扱い方を知らず、現実から学ぼうとせず教科書的教条を無理矢理現実に当てはめるような対応に終始するという無能さを曝け出し続けてきたのではないのか。あるいはひねくれ精神によって単に斜交(はすか)いに身を持してきただけなのではないのか、こういう作風は今も現にそうなのではなかろうか、少なくとも理論レベルで真っ当に論じ得ていないのではなかろうか、いつの世でもインテリが陥り易い愚かさを演じ続けてきたのではなかろうか、という気がする。

 唯一我々の祖父母大衆がこの価値を認め、黙々と感謝してきた。闘い取る作風はなかったけれども、有り難いとご神体にしてきた、それには随分根拠があったのではなかろうか。語るインテリ達と語らざる大衆との乖離が横たわっていたが、本当に賢かったのは語らざる大衆の方だったのではなかろうか、そんな気がしてならない。

 というような観点から、語らざる大衆に無理やり語らせてみようというのが本稿の狙いである。共感の者は大いにこのサイトの充実を手伝うべしである。

 2003.4.27日再編集 れんだいこ拝


目次

政治的民主主義論
制度としての「戦後民主主義」考
情緒としての「戦後民主主義」考
経済主義としての「戦後民主主義」考
ユートピアとしての「戦後民主主義」考
ルネサンスとしての「戦後民主主義」考
徳球系日共党中央の「進駐軍の解放軍規定」考
戦後冷戦体制とは(第二次世界大戦直後の世界新秩序「戦後冷戦体制」考)
「戦後民主主義」の擁護者と破壊者考
「戦後民主主義」晩鐘考
反戦平和、軍事防衛問題考
れんだいこの「戦後民主主義」賛辞考
れんだいこの「戦後民主主義」検証史
「戦後体制論、補足1・議論編」
「戦後日本の三悪人」を凝視せよ
民族問題について(民族主義と国際主義、国家主義の相関考)
インターネットサイト
参考文献
情報ストック




(私論.私見)