ルネサンスとしての「戦後民主主義」考 |
戦後の廃墟に立って夢想した復興精神とそれによって導き出された「戦後的なるもの」は、まさに日本史上に稀有な形で現われたルネサンスであった。政治家としてはその権化として田中角栄に結実した。その角栄を「ロッキード事件」で葬った時、「戦後的なるもの」が終わった。問題は、それを止揚せしめたのではなく、全く愚昧な建前社会方向にハンドルを切ったことにある。以降の社会の良き面は、「戦後的なるもの」の残滓であり、以降の社会の悪しき面は、それ以降の創造物である。それは一つに、戦前社会への回帰であり復古でしかない。それは一つに、米英ユ同盟的新秩序への屈服でしかない。この両派が野合しつつ、米英ユ同盟派の方が趨勢になりつつあるのが昨今の状況である。 2003年の今日、「戦後的なるもの」はほぼ窒息し、「新秩序体制」が完成間近である。頑迷なる復古派が夢想した国家が漸く近づいたと安堵した時、よく見れば「米英ユ同盟派に組み込まれた新秩序体制」でしかなく、既に当の国家が溶解していたという、笑うに笑えない悲劇を通り越した喜劇がやってこようとしている。 この観点から構築された抵抗史観がれんだいこ史観である。これを無視しようが、追ってこの論の正論ぶりが万力の重みで現実を照らし出すだろう。れんだいこにできることは、この観点から「戦後民主主義」を解析し、手向けることである。後は次の世代に任そう。 考えてみれば、民主主義というのは何時の世でも理想である。その理想が我が日本の戦後直後に訪れていた。戦後直後の日本は、世界史的に珍しい蓮華社会であった。しかし、このことに気づいた者が少なかった。自称インテリ達はむしろ、蓮華社会を認めようとせずその虚構を衝くことに精出した。かくて、右からも左からも寄ってたかって揉みくちゃにされることになった。 考えてみれば、旧社会党の戦後民主主義論こそ一等秀でた見地を保持していたのかも知れない。しかし、残念ながら、彼らは、それを思想として高めることが出来なかった。保守的な擁護運動に終始し、左右からの攻撃に防戦一方となり、容易に懐柔されるその種の運動しか組織し得なかった。 それは失われて初めて見えてきたことである。ならば、そのことに気づいた時、我々は何をどうすべきか。それが問われているのだと思う。 2003.1.30日、2004.11.15日再編集 れんだいこ拝 |
(私論.私見)