情緒としての「戦後民主主義」考 |
「情緒としての戦後民主主義」考とタイトル名を付けたが、正確には「法秩序外のメンタルな気分としての戦後民主主義」とでも云うものについて考察したいということである。ズバリ云えば、「戦後民主主義のルネサンス性」考ということになるのかも知れない。というのも、.「戦後日本の民主主義体制」は、西欧で結実したルネサンスが唯一西欧から離れた地域に伝播した稀有な例なのではなかろうか、という観点から考察してみたい訳である。戦後日本は奇跡の復興を遂げたが、その原動力は法秩序としての民主主義体制のお陰というよりももっと広範囲に社会に漲(みなぎ)っていた開放的なルネサンス精神を基底にしていたのではなかろうか。 戦後日本に何ゆえルネサンスが可能となったのか。これを問えば答えは明瞭であろう。戦前の我が国の支配秩序は、世界に冠たる究極の抑圧型支配体制を固めることに成功していた。大東亜戦争の敗戦がその体制を瓦解させた。支配階級は当然にその責任を問われ、聖戦遂行の直接的関与者は生贄的に極東裁判で極刑を言い渡された。その他多くの者も戦犯追及され、なべて社会的に蟄居させられた。この流れが、張り巡らせられていた統制の重石を一挙に外すこととなった。その間隙に史上稀なる「自律秩序」が生み出されたのではなかろうか。詳しく見ると「良くも悪しくも」的なものであったが、そうはおめおめと再現し得ない解放時代となったことは疑いない。このことが我が社会にルネサンス気運を醸成させた。これが第一要因であろう。 しかし、もう一つの側面として進駐してきたGHQの最高指令者マッカーサー及びその取り巻きの進取的な気風がそれを裏から支えていた面もあるのではなかろうか。もっとも、マッカーサーとてアメリカ本国の意向に反しては為しえなかったはずであるから、制限付きで理解する必要がある。事実、その後の冷戦構造の訪れによりマッカーサー的理想政治は束の間のうたかたで終わることになった。だがしかし、この時のマッカーサー政治については、特殊マッカーサーの資質、趣向が関係しているように思われるので、指導者としてのマッカーサーの分析もせねばならないことのように思われる。 もう一つの側面として、日本人民大衆にそうした情況をこなす歴史形成能力があったのではなかろうか。我々人民大衆は案外そうした能力が高いのではなかろうか、ただ一つプロテストする精神の弱さを別にすれば。 以上のようなバランスの中に咲いたのが「戦後ルネサンス」であり、か弱き華であった。という歴史観をれんだいこは持っている。その特質は何か。以下明らかにしていく中で、その全てが失われようとしている瀕死の情況をもクリヤーにさせてみたいと思う。 |
戦後ルネサンスの特質の第一として、働けば報われ、その能力に応じて登用される社会の現出にあった。決して理想とは云えないが、世界のどの国家、地域に比較しても進んだ職域、性差、学歴、起業、出世等々における新秩序創出的柔軟な社会が実現しえていたのではなかろうか。 第二の特質として、第一の特質を機能させる為に纏いついていた阻害課題に対して正面から受け止める精神、議論百出を経て練り合わせの中で指針を打ち出していく社会的な公正明朗さが担保されていたのではなかろうか。国会、議会、町内会、各種諮問会、社内会議、労組会議、各政党での議論等々が、かような合意のもとに実践されていたのではなかろうか。体面、建前よりも内実を重んじる機能的な仕組みの確立に成功していたのではなかったか。 第三の特質として、新秩序形成へ向けて不十分ながらも四民平等社会が現出したことにあった。ある種下克上社会を迎え、旧来の門地門柄にとらわれない新実力主義の社会を創出し得ていたのではなかろうか。もっとも、この新実力主義が金権力に収斂していったのが「戦後民主主義社会」のらしきところのように思える。 第四の特質として、民主主義政体の形式性を補う直接民主主義というか、一揆精神を甦らせ、社会の至るところでより合理的な解決を求めて社会が流動化していたのではなかったか。 第五の特質として、こうした気運がもっとも結実していたのが教育界では無かったか。 これらは、育成されねば枯れるものであり、時々において充分であったことは無い。しかし、この流れを趨勢化せんとしていた動きがあったことは史実なのではなかろうか。 |
この流れを「右」に引き寄せるのか、「左」に手びくのか、それが問われていた。結果的に、我が社会はどんどん「右」にぶれて今日あるようにある、と見るのがれんだいこ史観である。 付言すれば、その最終的ターニングポイントが政界での角栄追放からであった、と見るのがれんだいこ史観である。更に付言すれば、「右」に寄せた勢力は何も右派勢力からだけではなく、サヨ勢力がこれを裏から後押しした、と見るのがれんだいこ史観である。もう一つダメ押しすれば、「左」の側がこうしたルネサンス観点の無いままにやんちゃな運動しか展開し得ず、復古派の潮流によく抗し得ぬまま今日の情況を生み出してしまった、と捉えるのがれんだいこ史観である。 |
かく述べれば、我々が何を取り戻し、どちらへ向かうべきか自ずと判明してくる。一言でいえば、もう一度ルネサンスを! ということであろう。更に高次に廻り会わされるルネサンスをもう一度! ということであろう。この指針には、徒な教条は要らない。各人がこれと思い願うものを社会的に表明し、切磋琢磨、喧々諤々で創出すれば良い。各人互いのこの一歩が貴重である。 |
(私論.私見)