別章【原水禁運動の歩み】 |
更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).2.12日
参照サイト、「核・原子力関連年表」その他(目下、整理推敲中です)
(れんだいこのショートメッセージ) | |
地球規模の大殺戮戦争となった第二次世界大戦は、日本のみならず世界に平和の尊さを教訓とさせた。日本の戦後の反戦平和運動は、大東亜戦争に敗戦し、明治以来の軍国の歩みを反省したところに立脚している。但し、運動的には、そういう反戦平和運動と、1945(昭和20).8.6日の広島、8.9日の長崎への原子爆弾被災を起点とする「二度と原爆許すまじ」、「ノーモア広島・長崎」の反核運動の二側面が合体して担われてきた。とりわけ毎年夏に訪れる慰霊祭は、原爆被害の実態と悲惨な光景を蘇らせ、日本国民に非戦・不戦の誓いを新たにさせていくことになった。 「原水禁運動の歩み」は、次のように記している。
ところで、そうした反核運動をよそに米ソ超大国及びイギリス、フランス、中国が核開発を競い合う時代でもあったというのが史実のような気がする。こうした核実験との絡みでの平和運動の歩みを追跡して見たい。この場合、日本の平和運動が如何に生まれ、育まれ、如何に潰され、今日なお低迷を余儀なくされているのか、それは如何に宮顕―不破系日共の変調指導の賜物なのかを明らかにする道でもある。こういう論の立て方なしに原水禁運動を語るものが有るとすれば、あまりにも臭いものに蓋式の穏和なものでしかなかろう。 2003.10.15日再編集 れんだいこ拝 |
【加藤教授様、サイト紹介有難うございます】 | |||
「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」の「金正日の核実験は、北朝鮮自滅への一里塚?日中朝露民衆を敵にして、ブッシュと安倍内閣を助ける?」の中で、次のように紹介受けました。これを転載させていただきます。
|
関連サイト | 【軍事・防衛史論】 | 【原子力発電史考】 |
目次 | |
コード | 項目 |
原水禁運動の歩み(1)、1940年代 | |
原水禁運動の歩み(2)、1950年代 | |
原水禁運動の歩み(3)、1960年代 | |
原水禁運動の歩み(4)、1970年代 | |
原水禁運動の歩み(5)、1980年代 | |
原水禁運動の歩み(6)、1990年代 | |
原水禁運動の歩み(7)、2000年代以降 | |
インターネットサイト | |
関連著作 | |
未整理情報 |
(私論.私見)