原水禁運動の歩み(6)、1990年代

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).1.30日

 これより前は、「原水禁運動の歩み(5)、1980年代」に記す。

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「原水禁運動の歩み(6)、1990年代」を確認する。「原水禁運動の歩み(1)(ヒロシマ・ナガサキから原水禁運動の分裂まで)」、「原水禁運動の歩み(2)(原水禁国民会議の結成から統一大会前まで)」、「原水禁運動の歩み(3)(禁・協の統一行動からその崩壊まで)」、宮地健一「核・原子力問題にたいする共産党3回目の誤り(1)1963年→(2)1984年→(3)2011年運動・理論面での反国民的な分裂犯罪史」その他を参照する。
 「原子力・核関連年表」参照。
 「核・原子力関連年表5(2001~2002年)
 「核・原子力関連年表6A(2003年1~6月)
 「核・原子力関連年表6B(2003年7月~12月)
 「核・原子力関連年表7A(2004年1月~)
 「核・原子力関連年表7B(2004年7月~12月)
 「核・原子力関連年表8A(2005年1月~)
 「核・原子力関連年表8B(2005年7月~)
 「核・原子力関連年表9A(2006年1月~)
 「核・原子力関連年表9B(2006年7月~)


1990(平成2)年
(私論.私見) この年、

【古在由重の逝去無報道事件】

 3月、古在由重の死去で、ほとんどのマスコミが朴報、追悼記事を載せたのに、「赤旗」は完全黙殺した。それへの党内外からの批判が高まり、共産党本部や「赤旗」編集局に抗議が殺到し、かなりの人が「赤旗」購読をやめた。

 5.23日付「赤旗」で、『古在由重氏の死亡の報道に関して――金子書記局長の報告の要点』を掲載した。そこでは、わざわざ『原水禁運動をめぐっての1984年10月の「除籍」にいたる日本共産党との関係』として、彼の「厳密にいえば分派活動」規律違反行為をわざわざ分析してみせて、“死者に鞭打った”。

 9月14日、川上徹が、藤田省三らとともに、「古在由重先生を偲ぶつどい」の企画、事務局側の一人となった。呼びかけ人には、家永三郎、久野収、加藤周一、遠山茂樹、川本信正らが名を連ねた。川上徹は、1400人の参加者のまえで「つどいの経過報告」をした。党中央は、それを、“規律違反で除籍した者を偲んだ”規律違反として、川上徹を査問し、除籍した。


 4.28日、日比谷野音で脱原発法を東京集会。前日には四谷公園で署名提出集会など。

 5.26日、カザフ共和国アルマアタ市で核実験禁止国際市民会議開催。
 6.13日、イタリア議会、原子力発電所全廃を決定。   
 7.3日、フランス、高速増殖実証炉スーパーフェニックスの運転を中止。   
 7.20日、北海道議会、幌延高レベル廃棄物施設計画に反対決議。   
 7月、原子力船むつの試験航行再開。   
 8.2日、イラク、クウェートに侵攻。   
 9.4日、ポーランド、原子力発電所計画を凍結。   
 9.9日、フランス、高速増殖原型炉フェニックスで、反応度異常事故。   
 9.23日、スイス、国民投票で原子力発電所建設10年間凍結を決定。  
 10.3日、東西ドイツ統合。  
 10.21日、原水禁、一〇月反核行動月間にエレーナ・ルキャノヴァ博士とアレクサンダー・ステファネンコ氏を招待し全国でキャンペーン。

 10.21日、横田基地包囲行動。
 10.24日、ソビエト、最後の核実験(通算715回)。
 11.14日、英国、米国のネヴァダで地下核実験 SCULPIN HOUSTON 実施。20~150kt。  
 11.20日、 ソビエトのICBM・SS-19 Stilettoを民需用に改造した衛星用ロケット「Rokot」の発射試験を行う。  

 11.21日、全欧安保協力会議(CSCE)首脳会議、「パリ憲章」に調印。

 11.26日、英国、米国のネヴァダで地下核実験 JULIN BRISTOL 実施。20~150kt。  
 12.16日、米国、24時間空中核戦争指揮所の廃止でソビエトと合意。  
 12月、米ソ地下核実験制限条約(150キロトン超を禁止)発効。  
 12月、米ソ平和目的地下核爆発条約(150キロトン超を禁止)発効。

 この年、米国、大型SLBMトライデントⅡの配備を開始。MIRVで弾頭は100kt・475kt。中華人民共和国、短距離道路移動型弾道ミサイル東風11の発射実験に失敗。ドイツ政府、旧東独の原子力発電所6基を閉鎖し、建設中や計画中の9基を破棄すると決定。

1991(平成3)年
(私論.私見) この年、

 1.12日、 「地球的反核同盟(GANA)」結成、日本から原水禁が参加。
 1.17日、湾岸戦争勃発。   
 1月、ブッシュ米大統領、G-Pals計画発表。SDIの後継計画で、やはり宇宙でミサイルを迎撃するシステム。   
 2.2日、美浜原発2号炉で蒸気発生器細管破断事故。   
 2.26日、イラクのアル・フセイン弾道ミサイルがサウジアラビアのダーラン米軍陣地に命中し28人が死亡。   
 3.21日、ドイツ、カルカー高速増殖原型炉計画を中止。   
 4月、国連安全保障理事会で、対イラク国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)を設立。   
 5.5日、台湾で反原発デモ。2万人参加。   
 5月、米国、西ドイツに配備されていた短距離道路移動型弾道ミサイルMGM-31A パーシングⅠを全てを破壊。   
 5月、ソビエト、IRBM・SS-4 Sandalを全て撤去破壊。   
 7.30日-31日、米国とソビエトでSTARTⅠに調印。米ソが戦略核兵器を三〇%削減する第1次戦略兵器削減条約(STARTⅠ)に調印(1994.12.5発効)。史上初めて大陸間弾道ミサイル(ICBM)や潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)などの戦略兵器を削減する軍縮条約で、発効後7年間でそれぞれの戦略核弾頭を6000個に削減するというもの。

 8.6日、連合(日本労働組合総連合)が広島で単独の平和集会開催。
 8.18日、モスクワでクーデター勃発。市民が蜂起。
 8.22日、モスクワクーデター失敗に終わる。ゴルバチョフ大統領帰還。   
 9.27日、ブッシュ米大統領 核砲弾の廃止と戦略核ミサイルの一方的大幅削減発表。米核軍縮提案。1.地上配備のすべての核砲弾と戦術核ミサイルの核弾頭の一方的廃絶、2.海洋発射ミサイル(SLCM)を含め、洋上艦と攻撃型原子力潜水艦搭載の戦術核兵器を一方的に撤去。ソ核軍縮提案。1.地上配備の戦術核兵器の全廃、2.洋上艦と多目的潜水艦から戦術核兵器をすべて撤去、3.核実験の1年間の一方的停止。
 10.6日、ゴルバチョフ・ソビエト大統領、戦術核ミサイル撤廃と70万人の兵力削減を発表。  

 10.17日、原水禁訪ソ団が「ネバダ・セミパラチンスク核被害者同盟」主催の「核被害者国際会議」に参加。キエフ、セミパラチンスクの被害状況を調査。
 11.26日、英国、最後の爆発核実験を実施(通算45回)。  
 12.15日、中華人民共和国、自主開発の秦山原子力発電所で発電に成功。

 12.18日、原水禁第六三回臨時全国委員会。代表委員制から、議長制に改めるなどの規約を改正。

 12.21日、ソ連が崩壊し、CIS(Commonwealth of Independent States=独立国家共同体)成立。旧ソ連の核戦力と引き金になる「核の発射ボタン」はロシアのエリツィン大統領に引き継がれた。


 この年、フランス、開発中の移動型戦術核ミサイルHadesの配備計画を凍結。関西電力美浜2号機原子炉の蒸気発生器伝熱管破断事故が発生。米が湾岸戦争でトマホークを実戦使用。

1992(平成4)年
(私論.私見) この年、

 1.29日、ブッシュ米大統領、トライデントⅡ用核弾頭の製造停止を決定。   
 1月、北朝鮮、IAEAと保障措置協定を締結。   
 2.1日、米国キャンプデービッド米ロ首脳会談。SDIシステムの世界防衛システム置換で討議。   
 3.12日、国際線ジェット機の乗務員が、成層圏で飛行中に宇宙線被爆していることが問題になる。   
 3月、日本、原燃ウラン濃縮工場操業を開始。   
 5.5日、ロシア、旧ソビエトの戦術核兵器のロシア移送を完了。   
 5月、米国と旧ソ連4ヶ国が、STARTⅠを確認するリスボン議定書で合意。 旧ソ4ヶ国は、ロシア、カザフスタン、ウクライナ、ベラルーシ。   
 6.4日、米国下院、核実験禁止条項を可決。   
 6.16日、米国、ロシアの両国、戦略核弾頭3分の2削減協定に調印。   
 6.29日、フランス、高速増殖実証炉スーパーフェニックスの運転再開を断念。   
 7.2日、米国、海外展開中の水上艦艇などの核兵器撤去を決定。   
 7.4日、米国、原子力空母ジョージ・ワシントン(CVN-73)就役。
 7.13日、米大統領、核兵器用プルトニウム、高濃縮ウランの製造中止を発表。  

 8.3日、フランスが核拡散防止条約に加盟、全核保有国が加盟国に。8.3日、米国上院、核実験禁止法を可決。

 9.20日、ベルリンで第二回核被害者世界大会。
 
9.23日、米国、事実上最後の核爆発実験を実施。  
 10月、エリツィン・ロシア大統領。核関係物質海洋投棄の実体調査を命じる。 ロシア領土に隣接する海洋への放射性廃棄物の投棄実態調査政府委員会発足。  
 11.18日、英国、欧州高速増殖炉計画を断念。   

 この年、ロシア、爆撃機Tu-160ブラックジャック量産型の製造を終了。中華人民共和国、短距離道路移動型弾道ミサイル東風11を配備開始か。フランス、移動型戦術核ミサイルHadesを完成するが配備せず。

1993(平成5)年
(私論.私見) この年、

 1.3日、米ロが第二次戦略兵器削減条約(STARTⅡ)に調印(未発効)。米ロ双方は2003年までに、戦略核を2段階に分けて現有の3分の1(3000~3500発)に削減。先制核攻撃の手段になりやすい地上発射個別誘導多核弾頭(MIRV)化ICBMの全廃に合意した。

 1.5日、フランスで再処理されたプルトニウムを積んだ「あかつき丸」が東海港に入港。
 2月、IAEA、北朝鮮核施設を査察を要求。北朝鮮これを拒否。   
 2月、ロシアのロシア領土に隣接する海洋への放射性廃棄物投棄実態調査政府委員会、大統領に報告書提出。使用済み燃料入り原子炉6基、燃料無し原子炉12基、原子炉遮蔽容器1基、原子炉付原潜3隻(原子炉5基)、原潜用原子炉2基、そのほか核弾頭、多数の放射性廃棄物などを北極方面や極東に海洋投棄していたことが判明。   
 3月、北朝鮮、NPT脱退を表明。米国、2国間交渉を開始。   
 3月、南アフリカ、かつて6発の核兵器開発を行っていたことを認める。   
 4月、シベリアの核都市「トムスク7」でウラン溶液貯蔵タンクの爆発事故発生し、大規模な環境汚染を引き起こす。   
 5月、北朝鮮、日本海に向けミサイル発射実験。ノドン1かどうかは不明。   
 6.23日、ロシア、解体されたボロゴエ4の戦略ミサイル基地を公開。   
 7.3日、同4日、米国・ロシア・フランスが核実験の1年間停止を発表。   
 8.2日、クリントン米大統領、スミソニアン博物館のエノラ・ゲイ常設展示を認可。   
 8.3日、IAEA、北朝鮮核査察を開始。   
 8月、カザフスタン、ロシアの核実験のデータを入手公開。   

 8.29日、カザフで地球的反核同盟(GANA)国際会議。

 9.1日、アスピン米国国防長官、「ボトムアップ・レビュー」を発表し、全面核戦争を否定。   
 9.11日、ウクライナのペルボマイスク戦略核弾頭貯蔵庫で放射能汚染事故。   
 9.18日、ロシア、89年にノルウェー沖に沈没した原潜K278コムソモーレツからプルトニウム流出の危険が高いことを発表。   
 9.22日、米国、ネヴァダ実験場で、データ収集のため、通常爆薬による大規模爆発実験を実施。
 10.13日、日本とロシア、日露核兵器廃棄協力委員会設置協定に調印。  
 10.19日、ウクライナ独立。  
 11月、海洋投棄条約会議で、放射性廃棄物海洋投棄禁止を決議。  
 11月、ロシア、ウラルの核基地から職員2人が核弾頭2個を持ち出そうとして発見される。核弾頭の持ち出しが出来るかの賭けで持ち出し、駐車場で捕まったと言われている。  
 12月、米国、核兵器関係機密情報を公開。核実験総数は1051回、うち204回は20KT以下の秘密小型地下実験。放射能人体実験は800回、600人におよぶ。     

 この年、ロシア、可変翼爆撃機Tu-22バックファイアの生産を終了。総生産数497機と言われる。米国GPSナブスター衛星システムを完成。フランス、移動型戦術核ミサイルPlutonを退役。

1994(平成6)年
(私論.私見) この年、

 1.13日、米ロ首脳会談、モスクワ宣言。お互いのICBMの照準解除を決定。
 1.14日、米国スミソニアン博物館の原爆展(エノラ・ゲイ展)で被爆地の状況も含めた展示の企画書が公開される。   
 1月、米国、ロシア、ウクライナの3ヶ国、核弾頭および核燃料の取引について協議。
 1.25日、 ジュネーブ軍縮会議で包括的核実験禁止条約(CTBT)交渉開始の文書案を採択。 
 1.25日、森滝市郎原水禁国民会議議長が九二歳で死去。


 2.22日、ダニエル・エルズバーグ博士とマーガレット・ブレンマン・ギブソン博士を招き、東京、大阪、長崎、静岡(ビキニ・デー)などで「核廃絶のためのNPTキャンペーン」。

 3.2日、日本とウクライナ、日・ウクライナ核兵器廃棄協力委員会設置協定に調印。   
 3.2日、日本とカザフスタン、日・カザフスタン核兵器廃棄協力委員会設置協定に調印。   
 3.2日、日本とベラルーシ、日・ベラルーシ核不拡散協力委員会設置協定に調印。   
 3.31日、英国、高速増殖原型炉PFRを閉鎖。   
 4.18日、ロシアのパベル・スドプラトフ、スパイ回顧録を発行。   
 5.12日、米国、パンテックス核兵器解体工場を公開。   
 5.20日、ドイツ、原子力法を改正し、原子力発電所の新規建設を中止する。   
 5月、北朝鮮、IAEAの監視のないまま、原子炉から使用済み燃料を取り出し、IAEA、過去の核疑惑は不明となったと発表。   
 6.10日、IAEA、北朝鮮への技術供与停止を決定。   6.13日、北朝鮮、IAEAから脱退。6.16日、カーター元米大統領と金日成北朝鮮主席が会談。

 兵器用核物質生産禁止(カットオフ)条約核弾頭の原料となる高濃縮ウランやプルトニウムの全面的生産禁止を目指す条約.
1993年9月,クリントン米大統領が国連総会で提案し,1994年7月ジュネーブ軍縮会議で草案の検討が始まった

 カットオフ条約の交渉については,1995年にNPT(核不拡散条約)が無期限延長された時,CTBT(包括的核実験交渉)の調印と共に,付属文書に盛り込まれていたが,交渉開始の合意がなかなか立たなかった.1998年8月11日に,ジュネーブ軍縮会議本会議で,この交渉を行う特別委員会の設置が決定.実質的交渉は1999年1月からの予定.

 争点は「生産禁止」の適応範囲

 核弾頭の原料となる物質の「全面的」生産禁止が,一見してめでたいが,はたして,その条約が,核保有国も含むすべての国を対象とするのか,それとも,新たな核兵器保有国を防ぐ目的が優先されるのか.これによっては,実はそう大した内容を持てない可能性もある.

 核保有国は,核保有国の貯蔵原料を対象外にしようとしているが,当然のことながら非核保有国はこれに反対.また,「核保有国」というのが,実際どの国を指すのか,例えば,インド,パキスタンはこれに含まれると解釈するのだろうか,も見物.

 交渉開始の経緯を見ても,核保有国は,いわゆるNPT体制を堅持するために,この条約を進めようとしているが,対象領域の設定によっては,全面的に核兵器時代の後退をもたらす可能性はある.

 従って,争点は,生産禁止の適応範囲. 核兵器保有是認国という特権をどうするのか,に対する世界的な合意がない限り,どんな条約が締結されようとも,反発する国は出てくるものと考えられる.なぜなら,核兵器保有国だけが核兵器を持ち,威嚇に使用していい権利を,一体誰が与えたのだに答えられる人は誰もいないから.

軍縮会議
 10、21日、米朝核合意に調印。北朝鮮は核開発凍結、米国は軽水炉支援。  
 11.16日、日本、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」公布。  
 12.9日、村山富市内閣によって「原爆被爆者援護法」が成立。要求の骨格であった「国家補償」は明記されず。


 この年、複数のCISからの核物質密輸出計画を阻止。米ソでかつて人体に対する放射線秘密実験が行われていたことが暴露される。米国、スカッドミサイル防衛のため、SDIプログラムを変更。米国、新型往還機X-30RLUの開発を中止。X-33以降に計画を変更。北朝鮮、新型ミサイルのモックアップを完成。米国、テポドンと名付ける。


1995(平成7)年
(私論.私見) この年、

 1.9日、米国スミソニアン博物館のハーウィット館長、原爆展の内容を退役軍人会に提示。対日地上戦の死者予想を100万人から6万3000人に修正すると言う内容で、軍人会猛反発。   

 1.25日、ロシア、ノルウェーのアンドヤ島からNASAが発射したオーロラ観測ロケットを核ミサイルと誤認。核攻撃命令用ブリーフケースを用意したが、ロケットの飛行コースがはずれていたため命令は出されなかった。   

 1.30日、米国スミソニアン博物館の原爆展中止。   

 3.8日、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)設立総会。   

 4.18日、ニューヨークで開催のNPT国際市民会議に原水禁も代表団を派遣。
 4.26日、日本、六ヶ所村の施設にフランスから高レベル廃棄物を海上輸送し搬入。   
1995年 5.11 核拡散防止条約(NPT)の無期限延長決定

 5.11日、NPT再検討会議で、178ヶ国が核拡散防止条約(NPT)の無期限延長決定、5核兵器国は「核軍縮」と「非核兵器国への安全の保証」を約束。直後に中国が核実験、フランスも実験再開。

 5.15日、中華人民共和国、地下核実験を実施。   
 6.12日、16日まで、国連軍縮長崎会議開催。はじめて核兵器廃絶がテーマとして討議される。   
 7月、旧原子力船むつの船体を原研から海洋科学技術センターへ譲渡。通常動力の海洋地球研究船「みらい」へ改装開始。
 7.29日、 中国が通算45回目の核実験を実施。30日以降の核実験の凍結(モラトリアム)を宣言。  
 8.3日、米国、核爆発実験なしの核兵器維持計画を発表。核実験の終了を宣言。   
 8.11日、米国、核実験中止を各国に提案。   
 8.17日、中華人民共和国、地下核実験を実施。   
 8.25日、日本原子力委員会、青森大間のATR計画を中止。   
 8.29日、日本、高速増殖原型炉もんじゅ、発電を開始。   

 9.2日、東京代々木公園で「ストップ核実験1万人アクション」。
 9.3日、台湾で反核デモ。2万人参加。   
 9.5日、フランス、ムルロア環礁で地下核実験を実施。   
 9.10日、第50回国連総会特別本会議で包括的核実験禁止条約(CTBT)を圧倒的多数で採択。
 9.12日、韓国当局、北朝鮮が中距離道路移動型弾道ミサイル・ノドン1を実戦配備と分析。  
 10.1日、フランス、ファンガタウファ環礁で地下核実験を実施。  
 10.12日、米国、保有核兵器9000発と発表。  
 10.19日、「原爆の絵」の丸木位里、死去。  
 10.27日、フランス、60kt級の爆発実験を実施。  
 11.7日、長崎・広島両市長が国際司法裁判所(ICJ)で「核兵器使用は国際法に違反」と意見陳述。  
 11.21日、フランス、4回目の地下核実験をムルロア環礁で実施。40kt規模。 11.27日、フランス、5回目の地下核実験をムルロア環礁で実施。30kt規模。  


 12.8日、日本、高速増殖原型炉もんじゅで冷却用ナトリウムが漏れる事故が発生。  
 12.9日、米国、原子力空母ジョン・C・ステニス(CVN-74)就役。  
 12.12日、国連総会、「核実験即時停止決議」採択。  
 12.15日、東南アジア10か国、「東南アジア非核地帯条約」に調印。  
 12.15日、インド、米国の圧力を受け、核実験を中止。  
 12月、ドイツ、MOX燃料加工工場を閉鎖。     

 この年、ホフマン、超ウランおよび超アクチニド元素ウンウンニリウムを発見。元素名はIUPACによる暫定的名称。

1996(平成8)年
(私論.私見) この年、

 1.5日、ウクライナのペルボマイスク戦略ミサイルサイロを公開爆破。   
 1.27日、フランス6回目の地下核実験をファンガタウファ環礁で実施。120kt規模。最後の核実験。  
1996年 1.26 米上院本会議、START・を批准(ロシア議会未批准)
 
 1.29日、シラク・フランス大統領、フランスの核実験を終了したと発表(通算210回)。   
 3.25日、米国、フランス、英国、南太平洋非核地帯を定めたラロトンガ条約調印。   
 4.11日、アフリカ非核地帯創設のペリンダバ条約が定められる。アフリカ53ヶ国中49ヶ国が同意。   
 4.20日、G7原子力サミット、ロシアで開催。   
 6.8日、中華人民共和国、ロプノール実験場で核実験を実施。   
 6月、米国、ビキニ環礁海中を公開。   
 7.8日、国際司法裁判所(ICJ)が、世界保健機関(WHO)及び国連総会から求められていた核兵器使用の違法性について、勧告的意見を言い渡す。国連総会への勧告的意見として、「核兵器の威嚇と使用は、武力紛争に関する国際法、特に人道法に原則的一般的に違反する」との勧告的意見を発表。法的判断を初めて示し「勧告的意見」を出した。しかし、国家の存亡の危機に直面するような極限状態における自衛のための核兵器使用については、「合法か違法かの結論は出せない」として判断を回避した。核兵器を原則的に違法とする。

 7.29日、中華人民共和国、核実験。7.30日、中華人民共和国、核実験凍結を宣言(通算45回)。

 8.4日、新潟県巻原発立地賛否の是非を問う住民投票で反対派が勝利。
 8.14日、12ヶ国17人の核兵器問題研究者が、核抑止論の破綻などをキャンベラ委員会報告として答申。   
 9.11日、国連で、CTBT(Comprehensive Test Ban Treaty=包括的核実験禁止条約、あらゆる核爆発を禁止する核実験全面禁止条約)が採択。但し、米国、中国は批准せず。インドは、核爆発のない施設実験が含まれていないと拒否。 パキスタンもインドとの軍事対立から調印せず。北朝鮮も未署名の為条約は未発行。  

 9.24日、包括的核実験禁止条約(CTBT)調印。


 10月、ロシア、チャリアビンスク70の所長が自殺。給料遅配が原因といわれる。  
 11.15日、フランス、ピエールラットの核兵器工場を閉鎖。  
 11.26日、ベラルーシの最後の核弾頭貯蔵庫がロシアへの移動を完了。  
 12.4日、米軍核戦略担当バトラー元司令官とNATO軍グットパスター元司令官が、核廃絶アピールを発表。  
 12.5日、各国の軍関係者が、バトラー・グットバスター宣言と同様の宣言を発表。グッドパスター元欧州連合軍最高司令官、バトラー元米戦略空軍最高司令官ら17か国61人の退役軍人が「将軍たちの核兵器廃絶声明」を発表。  
 12.6日、広島の原爆ドームがユネスコ世界文化遺産に指定。
 12.10日、国連総会、国際司法裁判所の勧告的意見に基づき、核軍縮を目指す多国籍間交渉を1997年に開始するよう求める決議、究極的な核廃絶を目指す核軍縮の促進を求める決議などを採択。115か国が賛成、核保有国など22か国が反対、日本を含む32か国が棄権、核保有国では中国だけが賛成。

 この年、ロシア、核搭載可能なKh-41 Moskit(3M80)長距離空対艦ミサイルを配備か。ホフマン、超ウランおよび超アクチニド元素ウンウンビウムを発見。元素名はIUPACによる暫定的な名称。 米国、旧東独(?)からスカッドBと発射装置MAZ543を購入し実験に使う。

1997(平成9)年
(私論.私見) この年、

 2.25日、ロシア、米国が輸出禁止している模擬核実験用のIBMスーパーコンピュータを欧州から輸入。   
 2.26日、長崎の惨状を描いた岡田寿吉長崎元市長の水彩画5点が発見され、市に寄贈されることに。   
 2.28日、原水禁第70回全国委員会で岩松繁俊議長代行が議長に就任。
 2月、前年1月に、沖縄県鳥島射爆場で、AV-8BハリアーⅡによる劣化ウラン弾誤射があったことが判明。劣化ウラン弾は、ウラン235抽出で出るフッ化ウランを元に、モリブデンなどを加工した硬質弾頭のこと。 非常に硬く、高温で発火するため、戦車の装甲を貫くのに使用。天然ウランほどではないが放射線が出る。
 3.1日、ドイツ、ゴアレーベン貯蔵施設へのフランス再処理工場からの廃棄物搬入実施。   
 3.11日、東海村の再処理工場の火災爆発事故で、少なくとも35人の作業員が被曝。事故を隠蔽しようとする。
 3.21日、ヘルシンキでの米ロ首脳会談で核兵器削減に合意
 1.第二次戦略兵器削減条約(START・)の発効後、2007年末までにそれぞれの核弾頭数を2,000~2,500とする第三次戦略兵器削減条約(START・)の交渉を開始する。2.START・の履行期限を2007年末まで延期する。   
 3.27日、東南アジア非核地帯条約発効。   

 4.8日、ニューヨークで最初のNPT再検討会議準備会議。
 4.11日、日本、「動燃改革本部」及び「動燃改革検討委員会」を設置。   
 4.14日、日本の新型転換炉「ふげん」で放射能漏れ事故。11人被曝。   
 5.14日、米国のハンフォード再処理工場で爆発事故。   
 5.21日、ブルガリア、ベレヌ原子力発電所を放棄。   
 5.27日、ロシアとNATO、基本文書に調印。ロシア、NATO諸国に対するICBMの照準を解除すると約束。   
 5.28日、広島県被団協(伊藤サカエ理事長)の総会に、もうひとつの被団協の金子一士理事長がはじめて出席。相互出席が実現。

 6.4日、米国、臨界前核実験施設を公開。   
 6.5日、新型転換炉「ふげん」運転再開。   
 6.13日、ロシア、SLBM・SS-20の空中爆破処理実施。   
 6.19日、フランス、高速増殖実証炉スーパーフェニックス計画を放棄。   
 6月、エリツィン大統領、日露首脳会談で、戦略核ミサイルの日本照準を解除すると発言。   
 7.2日、米国、ネヴァダの実験場で爆発を伴わない臨界前プルトニウム核実験を世界で初めて開始。   
 7.8日、日本、CTBTを批准。   
 8.14日、米国、核兵器300発まで削減しても、抑止力維持できると発表。   
 8.16日、米国、ロシア・ノバヤゼムリヤ地方からの地震波を観測。地下核実験の疑惑が浮上。ロシア政府、自然地震と回答。   
 8.21日、米国、地下浸透核爆弾を配備か。   
 9.18日、米国、臨界前核実験を実施。  
 10.4日、レーベジ・ロシア元安全保障会議書記、スーツケース大の小型核爆弾少なくとも52発が行方不明と発言。ロシア政府は、小型核爆弾の存在は認めたが、全て管理してあると言明。暗殺用の10t程度のもの。  
 11.17日、ロシア、第1回臨界前核実験。  
 12.12日、希少価値を高めるため、中性子照射で色を変えた宝石キャッツアイの加工品が問題になる。  
 12.22日、米国、最後のミニットマンⅡミサイルサイロを解体する。    

 この年、日本、高エネルギー加速器研究機構設立。

1998(平成10)年
(私論.私見) この年、

 2.2日、カーター元米大統領、ゴルバチョフ元ソ連大統領ら46か国117人が署名した「世界の文民指導者による核兵器に関する共同声明」を発表。
 2.2日、フランス、高速増殖炉スーパーフェニックスの廃止を決定。   
 2月24日 フランス国会、全会一致でCTBTを承認。   
 3月25日 米国、臨界前核実験。   
 4月 6日 パキスタン、ガウリミサイル発射実験実施。ガウリがノドン2であることを認める。   
 4月 7日 英国とフランス、CTBTを批准。   
 4月、パキスタン、新型ミサイル・ガウリの発射実験を実施。   
 5月 4日 米原潜、24時間前事前通告無しに佐世保に入港。   
 5月11日 インド、3発の核爆発実験を実施。うち1発は水爆。   
 5月12日 米国、TMD用サードミサイルの発射実験実施。標的に当たらず。   
 5月13日 インド、2発以上の小規模核爆発実験を実施。臨界前核実験のデータ収集のため。   
 5月13日 原子力基本法及び動力炉・核燃料開発事業団法の一部を改正。   
 5月20日 米国映画「ゴジラ」公開。日本版第1作と同様、水爆実験を原因としている。   
 5月22日 パキスタンの物理学者イフティカル・カーン博士、亡命のため米国に入る。   
 5月28日 パキスタン、5基の核爆発実験を実施。   
 5月30日 パキスタン、核実験1回を実施。   
 6月 4日 国連安全保障理事会常任理事国外相会議開催。インド・パキスタンを核保有国として認めないと決定。   
 6月 9日 「新アジェンダ連合」が、核兵器のない世界へ向けた共同声明「核兵器のない世界へー新たな課題(新アジェンダ)の必要性」を発表。核保有8カ国に対し、核兵器全面廃絶の誓約などを要求する。「新アジェンダ連合」参加国は、スウェーデン、アイルランド、ブラジル、メキシコ、ニュージーランド、エジプト、南アフリカ、スロベニアの8カ国。但し、その後スロベニアが脱退し、7カ国。   
 6月17日 米国、核実験の記録を公開。   
 6.27日金子被団協が統一方針を決定。
 7月 8日 英国、核戦略見直しを決定。   
 7月25日 米国、原子力空母ハリー・S・トゥルーマン(CVN-75)就役。   
 8月31日 北朝鮮、初の大型ミサイル発射実験を日本上空を経て太平洋へ向け実施。テポドン1。同国は人工衛星の打ち上げだったと説明。最上部の小物体は軌道には乗らず落下。   
 8月、イラン、新型ミサイルShahab3の発射実験を行う。   
 9月 1日 米国とロシア、核兵器から取り出したプルトニウムの民生利用で合意。   
 9月27日 米国、臨界前核実験。   
 9月    新円卓会議発足。  
 10月 1日 日本、核燃料サイクル開発機構発足。  
 10月 2日 日本、六ヶ所村に使用済み核燃料の搬入を開始。  
 10月27日 ドイツに連立政権樹立。原子力発電所の廃止を決定。  
 11月24日 国連軍縮長崎会議開催。  
 12月 8日 ロシア、ノバヤゼムリヤで臨界前核実験。  
 12月11日 米国、臨界前核実験。

1999(平成11)年
(私論.私見) この年、

 1月 8日 80年代にSLBMトライデント核弾頭技術が中国へ漏洩していたことが発覚。   
 1月24日 米国エネルギー省、テネシー州の原発で核兵器用トリチウムを生産すると発表。   
 2月 9日 米国、臨界前核実験実施。   
 2月25日 プルトニウムを発見したシーボーグ博士死去。   
 4月26日 チェルノブイリ事故の日に活動するコンピュータウィルス「チェルノブイリウィルス」が活発化。   
 4月29日 エリツィン・ロシア大統領、戦術核兵器の増産命令に署名。   
 5月12日 ハーグ平和市民会議。戦争抑止を話し合う。   
 5月18日 日本とロシア、核兵器削減に伴う余剰プルトニウム処理研究で合意。混合酸化物(MOX)燃料に加工しロシアの高速増殖炉「BN600」で燃焼させるというもの。   
 6月 8日 日本、ロシアの核解体支援策を G7外相会議で提案すると公表。   
 6月16日 山崎正勝、黒田和夫保管文書から、日本の大戦中の核開発研究の原理の誤りを指摘。   
 6月24日 中国、青海省・海晏県の国営秘密221核工場跡を公開。   
 7月12日 日本、敦賀原発2号炉で1次冷却水漏れ事故。   
 7月15日 中国、中性子爆弾の技術を保有と発表。   
 7月16日 日本、原子力基本法を一部改正。   
 7月、英仏から日本の高浜原発3号炉、福島第1原発3号炉用のMOX燃料輸送開始。9月到着。   
 8月 2日 気象専門家ジャック・ハバートの日記が公開。最初の原爆実験トリニティ前後の記録。   
 9月30日 東海村のJCO社ウラン精製工場で臨界事故があり、3人が大量被曝。のち死者2名。   
 9月30日 米国、臨界前核実験実施。新型の実験容器を使用。  
 10月 8日 中央アジア非核兵器地帯国連札幌会議開催。キルギス、カザフスタン、ウズベキスタンの3ヶ国が条約案に合意。  
 10月13日 米国上院、CTBTの承認を否決。  
 10月15日 2年をかけて破壊する全てのミニットマンⅢサイロの最初の150基の解体が実施される。  
 10月20日 週刊誌上で、核抑止論と核武装の検討を発言した自由党の西村真悟防衛次官が更迭される。  
 11月 9日 米国、臨界前核実験実施。  
 12月 2日 国連で日本提案の「核兵器の究極的廃絶に向けた核軍縮」を賛成多数で決議。新アジェンダ連合提案の「核兵器のない世界」も賛成多数で決議されるが、日本は棄権。  
 12月 9日 IAEA、コンピュータ2000年問題で対応が遅れているとしてウクライナとアルメニアの原子力発電所を公表。  
 12月13日 米国公文書館から、返還前の硫黄島に空軍用の、父島には潜水艦用の核兵器が保管されていた文書が発見される。

 これより以降は「原水禁運動の歩み(7)、2000年代以降」で確認する。




(私論.私見)