原水禁運動の歩み(1)

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).8.16日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 本来であれば、日本原水協なり原水禁なりが克明な原水禁運動史を遺しておくべきである。が、からきしできていない。この謂いが不満なら、原水協原水禁のホームページで確認すれば良かろう。政党史然りであるが、わざわざ運動史が割愛されている。なぜこういうことが起るのか。それは、政治現象一般と同じく原水禁運動ても「良からぬ勢力」が党中央を形成しており、良からぬ企みで指導しているからに他ならない。他に理由があれば教えて欲しいくらいだ。そう云う訳でとりあえず、れんだいこ式原水禁運動史を確認しておくことにする。「原水禁運動の歩み(1)(ヒロシマ・ナガサキから原水禁運動の分裂まで)」、「原水禁運動の歩み(2)(原水禁国民会議の結成から統一大会前まで)」、「原水禁運動の歩み(3)(禁・協の統一行動からその崩壊まで)」、宮地健一核・原子力問題にたいする共産党3回目の誤り(1)1963年→(2)1984年→(3)2011年運動・理論面での反国民的な分裂犯罪史」その他を参照する。

 2012.08.17日再編集  れんだいこ拝


【1945(昭和20)年】

(私論.私見) 

 この年、人類最初の核兵器が登場し、日本の広島、長崎に投下され市民が大量殺戮された。

【米国が核実験成功】
 7月、米国が世界初の核実験。

【核兵器の開発と広島、長崎への投下】
 8.6日、米国が広島に原爆投下。8.9日、長崎に原爆投下。
 8.6日午前8時15分、広島市に原子爆弾(ウラン型原爆)投下される。実戦で使われた核兵器の世界最初の登場となった。当時の広島市の人口は推定で35万人、そのうち被爆直後から12月までの間の被爆死亡者は9万人ないし16万人と推定されている。現在、毎年広島原爆の日には広島平和記念公園で平和祈念式典が開かれている。
 8.9日午前11時2分、長崎に原子爆弾(プルトニウム型原爆)が投下された。現在、毎年長崎原爆の日には長崎平和公園で平和祈念式典が開かれている。

 8.15日、日本がポツダム宣言を受諾し、敗戦。


 9.10日、連合国軍総司令部(ZHQ)が報道管制を敷く。


【1946(昭和21)年】
(私論.私見) 
 この年、米国がビキニ環礁(ミクロネシア)で原爆実験シリーズを開始し、ソ連も追いつけとばかりに研究開発に入る。

 1.8日、広島市復興局設置。


【国連の第1号決議で、「原子力委員会の設置、原子兵器廃絶」を採択】
 1.24日、国連第一回総会の第1号決議で、「原子力委員会の設置、原子兵器廃絶」を採択。以降、原子力の国債管理に関する検討が為されていくことになる。

 3.10日、栗原貞子らが「中国文化」を創刊し、原爆特集する。


【米国がビキニ環礁で原爆実験シリーズを開始】
 7.1日(6.30日)米国がビキニ環礁(ミクロネシア)で原爆実験シリーズを開始している。これに対して、7月、ニューヨークのタイムズスクエアで、核実験に反対するデモが行われている。

 8.5日、広島で平和復興祭が行われ、平和復興市民大会を開く。8.6日、広島で戦災死没者1周年追悼法会。


【「長崎の鐘」運動】
 8月、長崎医科大学の被爆医学博士・永井隆・氏が、病床に臥しながら「長崎の鐘」を著す。1949(昭和24).1月、出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーとなった。6月、これを題材モチーフにして作詞・サトウ・ハチロー、曲・古関裕而、藤山一郎、池真理子の歌謡の「長崎の鐘」が発売され、翌1950(昭和25)年、この曲を主題歌にして松竹で映画化された。

【アインシュタインの反核運動】
 9月、アインシュタインが国連総会に公開状を提出、原子兵器不使用を主張する。

 11.3日、日本国憲法公布。


【ソ連が原子炉1号機を稼働】
 12.25日、ソビエトの原子炉1号機を稼働。翌6月、ソ連がプルトニウム生産原子炉を完成させる。この年、オッペンハイマーが原子力委員会一般諮問委員会委員長に就任している。

【1947(昭和22)年】
(私論.私見) 
 この年、トルーマン・ドクトリンが発表され、冷戦時代に突入する。

 3.12日、米国が、トルーマン・ドクトリンを発表される。
 5.3日、日本国憲法施行。

 6.1日、原民喜が原爆小説「夏の花」を発表する。


 8.6日、浜井信三広島市長が、初の平和宣言発表。


【広島・長崎への原爆使用是認論現れる】
 9.18日、米空軍が米陸軍から正式独立。この年、スチムソン陸軍長官が、「原爆使用が対日地上戦での100万人の死者を救った」と発言。これが原爆使用正当化の定説となった。この年、オッペンハイマーが「自分の手は血で汚れている」と発言している。

 12月、正田篠枝が私家版歌集「ざんげ」を出版する。


【1948(昭和23)年】
(私論.私見) 
 この年、米国がエニウェトク環礁で核実験を実施する。

【米国がエニウェトク環礁で原爆実験シリーズを開始】
 4.14日、米国がエニウェトク環礁のEngebi島、Aomon島、Runit島で核実験を実施。

【湯川秀樹とアインシュタインが会談】
 湯川秀樹夫妻が渡米しプリンストン高等研究所に滞在中、アインシュタインが訪ねてきて、「核兵器全廃のため、私たちは全力を挙げよう」と約束し合う。

【「平和のために社会科学者はかく訴える」声明】
 ユネスコ(国連教育科学文化機関)が主催して8人の社会科学者によって起草された「平和のために社会科学者はかく訴える」声明。

 8.15日、大韓民国が肇国される。9.9日、朝鮮民主主義人民共和国が肇国される。


 10.13日、ヘレン・ケラーが広島訪問する。


 ソ連の科学者サハロフとギンスブルクが新型水爆を考案。


【1949(昭和24)年】
(私論.私見) 
 この年、ソ連が核実験を開始し、米ソが核保有することになった。

 4.4日、NATO発足。
【第1回世界平和擁護大会が開催され、原子兵器禁止を要求】

 4.20日、パリとプラハで、第1回世界平和擁護大会が開催され、原子兵器禁止を要求。


 5.11日、広島平和記念都市建設法が成立する。


【ソ連の核実験が開始される】
 8.29日、ソ連がセミパラチンスクで、最初の核実験 実施。9.25日、ソ連が2年前から原爆を保有と発表。

 9.25日、広島に原爆資料陳列室設置。
 10.1日、中華人民共和国が肇国される。
【「戦争と平和に関する日本の科学者の声明」発表される】
 10.2日、平和擁護広島大会、原子爆弾の廃棄を要求。日本における最初の「反核・軍縮」に関する問題提起が為される。前年の「平和のために社会科学者はかく訴える」声明に呼応したものであった。安部能成、仁科芳雄、大内兵衛の主唱による50余名の科学者がまとめた「戦争と平和に関する日本の科学者の声明」を発布した。

 この続きは、「原水禁運動の歩み(2)、1950年代」に記す。





(私論.私見)