アイヌ学院

 更新日/2024(平成31.5.1栄和改元/栄和6).1.22日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 れんだいこはこたびアイヌの森に分け入ることにする。それは、出雲王朝考の絡みから生まれた。日本古代史上の最大の政変である国譲り譚に注目する時、破れた側の出雲王朝にどうも当時のアイヌ勢力が絡んでいるような気がしてならないからである。そういうところから、アイヌ史とアイヌ思想、文化の探求に向かおうと思う。

 2008.5.19日、2008.10.25日再編集 れんだいこ拝


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 目次
れんだいこのアイヌ人問題考
別章【アイヌ語考
別章【アイヌ史
別章【アイヌ思想及び宗教及び文化考
別章【アイヌ祭祀/考
別章【アイヌ神話考
別章【アイヌ研究史考】
知里幸恵(ちり・ゆきえ)のアイヌ文化紹介考
アイヌの語り部考
別章【世界の宗教考
別章【世界の哲学考
別章【世界の社会思想考
別章【世界を変えた実践者考
別章【親族法考
別章【暦法考
別章【名所旧跡、風物風情、温泉、人物紀行
別章【日本酒考
別章【日本茶考
別章【日本生け花
別章【日本食考
別章【民芸品考
別章【日本犬考
別章【大麻考
別章【家畜行政考
別章【医療、生命倫理考
別章【悪魔手術考
別章【不審事件、事故、冤罪、虚報考
別章【婚姻考
別章【閨房術考
別章【性病考
別章【世紀の発見不遇事件考
別章【鑑定術考
Re別章【幕末剣客伝】(歴史学院サイトに収納)
別章【武道考
別章【身体考
別章【祭り考
別章【踊り考
別章【生年別著名人考
別章【不思議数学考
Re別章【スポーツ関連】(制度考)
別章【学歴の通用しないすばらしい世界考
便器考
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参考文献




(私論.私見)

なぜ、この世の中には結婚という制度があるのか?を、動画にしました。
よろしければ御覧ください。
以下は動画の文字起こしで、かなりの長編ですが添えておきます。
最近は同性婚、LGBTQ理解増進法といったことが言われているが、そんな議論の中で、一番大事なことが無視されていることが、気になる。
人類はなぜ、男女が夫婦となる結婚という制度あるいは風習といったものを作ったのか?ということだ。
キリスト教の『旧約聖書』によれば、人類はその太初アダムとイブ(エバ)から結婚という制度があったことになっているが、これはそのときの様子をちゃんと自分の目で見た人が書いたのではなく、後世に想像で作られたお話に過ぎない。
それも、ユダヤという極く限られ地域の少数の人たちの伝承である。
しかし西洋では、全世界人類の根本がそうだったと信じて疑わず、この前提で論理を展開している。
本当に人類は、その太初から男女間に結婚という制度、風習があったのだろうか?
こんなことを言うと、結婚しなければ子供が生まれないじゃないか、と訝しく思われるかもしれない。
しかし、少なくとも日本や中国では、人類は太初から結婚という制度があった、とは考えていなかった。
〇 易経が示唆する女尊男卑の母権制社会
中国古典、五経のひとつに、『易経』がある。
易の理論、いわゆる易占いの基本を書いた本だ。
その『易経』の「序卦伝」というところに、結婚、夫婦という単位についての気になる文章があるのだ。
天地有て然る後に万物有り、万物有りて然る後に男女有り、男女有て然る後に夫婦有り、夫婦有りて然る後に父子有り、父子有りて然る後に君臣有り、君臣有りて然る後に上下有り、上下有りて然る後に礼と義を錯く所有り、
大雑把に言うと、
この世界はまず天と地、空と大地ができて、やがてその間にいろいろなものができた。
いろいろなものができて、やがて人間の男女ができた。
男女ができて、やがて夫婦という単位ができた。
夫婦という単位ができて、やがて父子の関係が成立した。
父子の関係が成立すると、それに擬えて君臣の関係が成立し、
さらに君臣の関係が成立すると上下の関係が成立し、
上下の関係が成立することによって、人は礼と義を考えるようになった。
ということである。
夫婦というのは、一緒に暮らす男女のこと、要するに結婚である。
結婚するとその夫婦の間に子が生まれる。
すると、その子を生んだ女性の夫と、その生まれた子の間に、父子の関係が生じる。
しかし結婚すなわち夫婦とならなくても子供は生まれる。
夫婦というのは、女性が夜を共にする相手をひとりに限定することであって、そんなことをせず、女性が不特定多数の男性と夜を過ごしても、子は生まれる。
ただし、この場合、子の父親は特定できない。
だからここでは、ことさら夫婦有りて然る後に父子有り、としているのである。
したがって、夫婦すなわち結婚は、生まれて来る子の父親を特定するために考案された風習、制度だと、ここでは示しているのだ。
それ以前は、夫婦という単位を構成せず、女性は気分に任せて夜毎異なる男性と寝床を共にするとか、大勢の男女が入り乱れて雑魚寝していたので、生まれて来る子の父親は判然とせず、そのために社会には父親という存在がなかった、ということである。
父親が存在しないので、男性には子の親としての地位はなく、責任もないのだから、男性の地位は低く、子を産める女の子だけが大切にされ、必然的に家督は母から娘へと受け継がれ、社会は言うなれば女尊男卑となっていたのである。
このような社会を母権制社会と言う。
対する現在のように、結婚、夫婦ということで、女性が特定の男性とだけ夜を共にして、生まれて来る子の父親を特定し、父系の血統を重視する社会を父権制社会と言う。
それでも少数の部族単位で暮らしていた時代ならば、男性にしても性的には満足できただろうし、特に問題はなかったのだろう。
西洋にそういう母権制社会があったという記録はないようだが、
日本や中国には、そういう部族が居たことを歴史書の片隅に書き残している。
〇 司馬遷の史記・商君列伝の場合
司馬遷の『史記』の「商君列伝」というところに、次のような記事がある。
商君曰く、始め秦は戎翟の教えにして、父子の別なく、室を同じくして居る。
今、我、其の教えを更めて制して、その男女の別を為し、大いに冀闕(きけつ)を築き、營むを魯衞の如くす、
意味は、
中国を統一した始皇帝を生んだ秦は、元々は父子の別がなく、男女が入り乱れて同じ部屋で寝起きする野蛮で未開な国だったが、やがて商君という人が官吏として政治を行うようになると、孔子が居た魯や衞を見倣って、男女の別をきちんとするようにとおふれを出し、その後は父子の関係を大切にする正しい風俗の国になった。
ということである。
とすると、秦だけが野蛮で未開な国だったのだろうか?
いや、そんなことはない。
魯や衞にしても、はるかな昔は、野蛮で未開だったからこそ、このようなことが言えるのだ。
それが、なんらかのきっかけで、周辺の部族よりも先に野蛮で未開な母権制の風習から抜け出し、男女が夫婦となって父子の関係を成立させるようになり、そうなると周辺の部族を野蛮で未開だと見下し、周辺の部族も見下されたことにより、自分たちが野蛮で未開なことに気づき、その風俗を改めて行った、というふうに歴史は流れるものである。
〇 日本書紀景行四十年条の蝦夷の場合
日本でも『日本書紀』の景行天皇四十年秋七月条に、東の蝦夷の様子として、
男女交わり居り、父子の別無く、冬は則ち穴に宿(ね)、夏は則ち樔に住み、
云々とある。
物語では、ヤマトタケルによって蝦夷は滅ぼされるのだが、天皇を中心とする日本は、父子の別があり、父系で相続しているのだから、父権制社会、男女交わり居り父子の別が無いのは、夫婦という単位を有しない母権制社会である。
したがって、この蝦夷征伐は、父権制社会が母権制社会と戦い、母権制社会を滅ぼした、と言っているのだ。
蝦夷は日本人なのか、日本人とは別の民族が日本列島に居たのか、という議論もあるようだが、少なくとも母権制社会が日本列島に存在したからこその記事である。
歴史学の政治的宗教的忖度による建前を気にしないで言えば、日本も、太古はすべからく母権制社会だったのであって、それが何らかのきっかけで父権制社会に移行した、ということである。
おそらく、母権制社会だと、他部族と険悪な関係になったときには、血の繋がりのない他人同士として、簡単に武力衝突、戦争が起きたのではないだろうか。
そんな中で、戦争はなるべく回避したい、何かよい手段はないかと考えて、思いついたのが、生まれて来る子の父親を特定し、父系の血統を重んじる、ということだったのだろう。
父系の血統を重んじれば、双方の有力者同士が結婚して双方の血を引く子を誕生させることで、親戚関係を構築できる。
いわゆる政略結婚である。
親族同士の部族であれば、互いに譲り合える面もできて、武力衝突を回避する有効な手段になったのではないだろうか。
また、父親という存在に価値を見出したことで、男性の地位も向上したのだろう。
『日本書紀』では、奈良時代当時の豪族はすべからく神々や古代の天皇の子孫だと書いている。
皇位継承が父系なのも、女尊男卑の母権制社会に戻らないよう、父権制社会を確かなものにするためだった、と考えれば、すんなり腑に落ちるではないか。
日本で最初に母権制社会からの脱却を試みたのが後の天皇家を中心とする部族で、それに賛同して父権制社会に移行した部族と、あくまでも反対して母権制社会を死守しようとした部族が居て、その間で抗争が続いた時期があり、やがて父権制社会がほぼ日本全国を掌握すると、日本はその始まりから父権制社会であったとするフィクションの歴史書を作成し、その母権制社会側を、蝦夷と表現したのだろう。
司馬遷の『史記』も、そんなふうに歴史物語を作成したものだったから模倣した、ということではないだろうか。
としても日本は、西洋キリスト教社会や中国のような厳格な男尊女卑にはならなかった。
〇男尊女卑と女尊男卑が入り混じった日本
例えば夫婦というのは漢語で、男性である夫か女性である婦の上にあり、男尊女卑を表している。
しかし、夫婦茶碗という言葉があるように、日本では夫婦と書いて「めおと」と訓じた。
「めおと」を漢字で書けば、女夫になる。
女性が男性より上位である。
江戸時代までの日本は、男尊女卑と女尊男卑が入り混じった社会で、家庭内では女性の方が男性より上位だから、女夫=めおと、と訓じたのだ。
恋人同士を意味する妹背(いもせ)という言葉も、女性である妹が上で、背=男性の背中が下で、やはり女性上位である。
男性が背中に女性をおんぶしている様子、といったところだろうか。
また神社では、六月末や大晦日に、延喜式の大祓祝詞に基づいて大祓という儀式が行われるが、この大祓祝詞には、すべての人間を対象とした罪穢れのほかに、男性のみを対象とした罪穢れがあり、その罪穢れを祓うのは、女性の神様三人と性別記載のない神様一人なのだ。
男性が、女性の神様に 罪穢れを祓い清めてください、とお願いできるのは、女性の方が男性よりも上だと認識されているからに 他ならない。
これは、平安時代の延喜年間、醍醐天皇の頃には、善悪の最終決定権は女性にあり、それに基づいて社会は運営するのものだ、という考えがあったからこそのことだろう。
なお現在神社で読まれる大祓祝詞では、罪穢れの具体的な内容は削除している
大正時代に、西洋キリスト教社会に対して恥ずかしい、といったことで、削除されたらしい。
詳細はwikipediaで、天津罪 国津罪 で検索すれば出て来る。
念のために付け加えると、伊勢神宮の御祭神、古事記日本書紀が皇室の御先祖様とする天照大御神も女性の神様である。
が、それはともかく話を母権制社会に戻そう。
〇 中国雲南省奥地に住むモソ族の場合
中国の雲南省の奥地、ルグフ湖という湖の辺には、かつて、父親という単語すら存在しない母権制社会を営んでいたモソ族という少数民族がいる。
険しい道なき道を数日かけて歩いてやっとたどり着ける場所だったので、近代文明とは無縁の昔ながらの生活をしていた とのこと。
それが、30年ほど前に、中国政府によって車が通行できる道路が開通した。
すると近代文明の凄さに圧倒されつつ、共産主義の下で中国語と父権制の価値観を植え付けられ、今は観光客向け母権制社会を演じている、といったようになったようだが…。
とにかく洋の東西を問わず、人類の太初はすべからく女性が不特定多数の男性と夜を共にすることが当たり前の、女尊男卑の母権制社会だったのであって、それがやがて、例えば文字ができて物事を記録することを覚え、子の名前や性格とかを書き記しているうちに、父親の違いによって違いがあることに気付いたりして、父親というものを意識するようになり、父系の血統を書き残すことに意義を感じるようになると共に、その父系の血統を重視することで、他部族と親族関係になって戦争を回避できる利点も見出すなどして、父権制社会へと移行したのだろう。
そのためには、女性が夜を共にする相手をひとりにすることを納得させる必要がある。
最初は武力で威嚇したり、掟といったものを作ったりなども考えたのかもしれないが、結局あまりうまく行かず、試行錯誤の末に、愛とか貞操といった概念が考え出されたのだろう。
としても、とにかく生まれて来る子の父親を特定するための制度・風習なのだから、一夫一妻でも一夫多妻でもよいのである。
そうして母権制社会から脱却すると、父権制をより強固なものにするために、母権制社会時代を歴史上から抹殺し、人類はその太初から父権制社会だったとする歴史書や宗教書を作成したのだろう。
したがって結婚は、女性が夜を共にする男性を限定し、生まれて来る子の父親が特定できるようにするために作られた風習・制度なのであって、子が生まれない関係、同性婚は、この結婚の本来の意味を言わば冒瀆しているのである。
子が生まれない同性婚を認めれば、結婚の意味が変わってしまい、価値が下がり、そうなると、女性が特定の男性の子を生みたいという気持ちは希薄になり、さらに未婚でも一人で子育てできるように環境を整えれば、やがて多くの女性が結婚を望まないようになるだろうことは、容易に推測できよう。
事実、同性婚や夫婦別姓を認める欧米では、結婚する女性の数は年々減り続け、父親不明の子が増えている。
父親不明の子が増加すれば、社会での男性の地位は下がり、やがて男女平等を通り越して女尊男卑の母権制社会になるだろう。
男女平等は男尊女卑から女尊男卑への通過点に過ぎず、この社会は、女性が生まれて来る子の父親を特定することに価値を見出せば男尊女卑、見出さなければ女尊男卑になる、ということである。
父系の血統の価値が下がれば、家族は母子の関係だけになり、男女間に心の繋がりがなくなり、それが人間関係をギスギスさせ、社会のほんの数%の権力の側の者以外、生き地獄のような暮らししかできなくなろうことは容易に推測できる。
母権制から父権制への移行年代は、地域や環境によって多少違いはあるとしても、とにかく人類の太初は女尊男卑の母権制社会だったのだ。
〇 そもそも日本にはLGBTQの差別はなかった!
LGBTQにしても、そもそも日本はキリスト教国ではないので、差別したことはないし、江戸時代までは男色が武士の嗜みのひとつとされたり、陰間茶屋という同性愛の遊び場もあった。
同性愛者は、いわゆる内縁関係で一緒に暮らせばよいだけである。
愛し合う男女でも、結婚なんかしないで、内縁関係のほうがよいと考える人も普通にいる。
宗教的戒律で男女は男尊女卑の下、教会の許可を得て一夫一婦制の結婚をするものだ、としてきた西洋キリスト教社会では、男女の気楽な内縁関係も禁止の、とても息苦しい社会だった。
その呪縛から逃れたくて欧米では、民主主義、人権、男女平等同性婚と、進んだのだ。
ましてLGBTQ理解増進法には、女湯や女子トイレに、身体は男性の女性が入ることによる本当の女性が抱く恐怖や、女子スポーツに身体は男性の女性が参加する理不尽さ、という問題もある。
西洋では、現実の幸不幸よりも論理的整合性が優先し、論理的に完璧な社会に生きることこそ幸福なのだ、という考え方があるらしい。
しかしそれは、宗教を信じ、宗教に縛られて生きることこそ幸福なのだ、ということと同じではないか。
日本人が昔から大切にしてきた書物、『論語』の「先進第十一」には、過ぎたるは猶及ばざるが如し、という有名な言葉がある。
この言葉を当てはめれば、人権も民主主義も、振りかざして行き過ぎれば、顧みないのと同じだ、ということになる。
この世の中には、絶対に正しいと言い切れることは何もないのだ。
易六十四卦はこの世の中の様子を⚋陰⚊陽の記号の組み合わせで表現したものなのだが、どれひとつを取っても完璧に素晴らしいと言える卦はない。
人間には長所と短所があるわけで、そんな人間が作り出すものに、長所だけのものなどあるはずがないのだ。
宗教も思想も法律も、みんな長所と短所があるものだ。
善悪も、取り敢えず善いこと、悪いこと、としたほうが世の中が落ち着く、というだけのこと。
明治維新までの日本はそれでやってきた。
だから幕末にやってきた欧米人は、日本は欧米よりも人々が穏やかで幸福そうだ、という感想を持ったのだろう。
とにかく、人権も平等も民主主義も、長所と短所があり、このLGBTQと女性専用スペースや女性スポーツとの問題によって、人権の短所が炙りだされたわけだ。
そんなイデオロギーに固執せず、これまでの人間が刻んできた歴史を検証して、自由な発想で世の中を考えてほしいと願うばかりである。
誰一人取り残さない、と言われれば、期待してしまう面もあるが、現実にはそんな世の中は有り得ない。
あちらを立てればこちらが立たず、という言葉があるように、誰かが得をすれば、必ず誰かが損をするのが世の中である。
法律が平等に扱っても、必ず得をする人と、その法律が作られたことで損をする人がいるものだ。
とすれば、どういう人が得をして、どういう人が損をするのかを考えて、物事は判断しないといけない、と、江戸時代までは考えていた。
世の中は論理的な整合性を追求するのではなく、適当なところで妥協しないといけないのだ。
大事なのは、公徳心を大切にして、より多くの人々が安心して暮らせる世の中にすること。
それが孔子の願いであり、易を学ぶ者の願いでもある。

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配信

文春オンライン

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