
(最新見直し2011.04.13日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、皇道派イデオローグとしての北一輝を確認しておく。れんだいこの北との邂逅は歴史的かもしれない。れんだいこは、2011年6月、齢60歳にして北とまみえることになった。れんだいこが求め確立しつつある史観上に北が登場したことになる。恐らく北のそれは、れんだいこのものとは違うだろうが琴線が振れていることは確かである。いざ探査せん。
2011.6.10日再編集 れんだいこ拝 |
目次


(私論.私見)
2月26日の群像B
226事件の黒幕と言われる
北一輝といえば「共産主義者」西田税といえば「革命ブローカー」のレッテルが貼られています。以前から言われた、そのレッテルが完全に定着したのはなんと・・・
(東京日日新聞記者、石橋恒喜の回想)
昭和11年3月13日記者クラブに現れた軍当局の(松村少佐)が「北一輝と西田税は、憲兵隊と警視庁とで厳重取り調べ中である。その結果、驚くべし、彼らは右翼の仮面をかぶった共産主義者であることが判明した。
北の著書{日本改造法案}を見るがいい。それは共産主義を基調としていることは明らかである。彼らはこの左翼革命理論に基づき、世間にうとい青年将校たちに近づいて{上下一貫、左右一体、挙軍一体のための将校団運動}なるものを吹きこんだ。そして、巧みに軍隊を、こんどのような不祥事に利用したのだ。どうだ、たいへんなニュースだろう」
彼は記者団が、これに飛びつくものと考えたのか、はな高々であった。ところが、記者たちはドッと笑った。
(石橋恒喜記者)「松村少佐、見当違いなことをいうな。北、西田は右翼の浪人ではあるが、赤じゃないよ」
記者団から笑い飛ばされて、彼はカンカンになって出て行った。
翌日(14日)「日本改造法案」を持ってきた松村大佐は
「きのう諸君は、北、西田は共産主義者ではない、といって笑ったので早速、内務省警保局へ出かけてこれを借りてきた。読んでみるがいい。(憲法停止)(華族制の廃止)(国民自由の恢復)(皇室財産の国民下附)(私有財産の制限)(大資本の国家統一)(労働者・夫人・児童の権利擁護)など、どれをとってみてもマルクス・レーニン主義のにおいがプンプンしているじゃないか、それでもニュースにならないと否定するのか」
(石橋恒喜記者)「松村少佐、軍当局がどうしても書いて欲しいというなら、(戒厳司令部発表)ということにしたらどうか?発表というなら新聞も報道せざるを得まい」
(松村少佐)「いや、軍の公式発表というわけにはいかない。諸君の自主的な取材によるものとしてもらいたい」
(石橋恒喜記者)「戒厳令下で、軍と対立するわけにもゆくまい。そこでどうだ。ボクが模範原稿を書こう。万一外部からとがめられた時には戒厳司令部発表のものだと言ってすまされるじゃないか」
翌15日の社会面トップ6段見出しー「右翼の仮面かぶって、矯激な北一輝の思想、血気の徒を邪道へ・・・・直接行動によりクーデター、政権獲得の不逞描く」と大々的に扱った。他紙の扱いも同じく大きかった。今考えると、慚愧のいたりにたえない。
(右翼団体から非難の投書が相次いだ)「北、西田両氏は革新将校の蹶起を抑制こそすれ、扇動した事実はない。また共産主義者呼ばわりは、まったくのでたらめである」
第一師団司令部舞伝男参謀長の講演
「純真なる将校が矯激な思想の持ち主たる北一輝、西田税と悪縁を結び、判断を誤りて彼らに動かされた結果である」
そして「赤色団体の過激思想に基づいたものとか財閥を恐喝して資金を出させたとか、第三国から資金の提供を受けた」
昭和の反乱下巻(P174)
取り調べも進んでいない状態でこの刷り込み工作はどうですか?
今言われている226事件は戦後の研究の成果などではない。
226事件直後に陸軍当局が真相を闇に葬る為にでっち上げた一方的な発表に過ぎないのです。それを80年間も「当時の日本人は未熟だと言わんばかりに罵っているのです・・・」