高木尋士・鈴木邦男の「対談『北一輝とは何者なのか』」論



 (最新見直し2011.04.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、皇道派イデオローグとしての北一輝を確認しておく。れんだいこの北との邂逅は歴史的かもしれない。れんだいこは、2011年6月、齢60歳にして北とまみえることになった。れんだいこが求め確立しつつある史観上に北が登場したことになる。恐らく北のそれは、れんだいこのものとは違うだろうが琴線が振れていることは確かである。いざ探査せん。

 2011.6.10日再編集 れんだいこ拝


【高木尋士・鈴木邦男の「対談『北一輝とは何者なのか』」論】
 「対談『北一輝とは何者なのか』」(2011/05/16 鈴木邦男)を転載しておく。
 北一輝


 劇団再生高木尋士さんとは何度か対談しています。もの凄い読書家です。私は、月に30冊のノルマを決めて読書してましたが、高木氏には簡単に抜かれてしまいました。「思想全集を読む」シリーズでも何度か対談しています。第一回の分は、『鈴木邦男の読書術』(彩流社。2010年4月発行)にも収録されています。

 今回は、革命家・北一輝をテーマに対談しました。4月14日(木)の午前11時から2時間です。高田馬場の喫茶店「ミヤマ」の会議室です。私は、右翼運動に入ってからは、北一輝を常々意識してました。著作集を全て読み、いろんな人が書いた北一輝論も片っ端から読破しました。私ほど読んでいる人間はいないだろうと自負していました。又、北一輝の目指した〈革命〉をやろうと思いました。さらに、他の革命家にはない、進化論的大ロマンや夢にも惹かれました。北一輝について、少しずつ、部分的には書いてます。いつか、本格的な「北一輝論」を書きたいと思っています。

 でも、右翼運動に入った私なら分かりますが、なぜ高木氏は北一輝に興味を持ったのでしょうか。その辺から、話は始まります。高木氏は当日、北一輝関係の資料、本を持ってきて、机の上にひろげました。私の読んでない本も多いです。プレッシャーをかけられました。討論する前から負けてました。しかし、気を取り直して北一輝論をやりました。高木氏はよく読んでるし、よく勉強してます。又、北一輝の本質をズバリと衝いてきます。これは、真剣勝負でした。革命的な対談になったと思います。じっくり読んでみて下さい。

 @なぜ今、北一輝を語るのか

 鈴木 今日は、「北一輝」というテーマですが、北一輝の「一部分」を取り上げて、掘り下げていくのは今後の課題として、今日は「北一輝」というキーワードでお互いに思いつくまま話しましょう。
 高木 よろしくお願いします。北一輝という人生・生き方・思想・方法などを細かく分析すると、あまりに多様多面で途方に暮れてしまいます。思いつくまま話すことで、共通のテーマが出てくるかもしれませんね。
 鈴木 そうですね。北一輝は、とらえどころがない人物ですよ。右翼にとって安心して尊敬出来るっていうのは「西郷隆盛」と「吉田松陰」、時代が近くなって「頭山満」というところです。そういう人たちは、欲がなく自分を越えてる。それで国のために尽くしている。
 高木 北一輝を尊敬しているというのは、また違うということですか?
 鈴木 北一輝は、ちょっと覚悟が要るんです。だって、欲がものすごくあるじゃないですか。
 高木 自分で、「金が好き」って書いてますからね。
 鈴木 それにスキャンダルもある。
 高木 現在、北一輝の一般の評価というのはどうなんでしょう。右や左に分けるのではなくて、所謂北一輝という評価。教科書には出てきますよね。二・二六事件で刑死したと。
 鈴木 反逆の徒でしょう。それで左翼の人たちが、「北一輝は革命家だ」と。ぼくが学生運動をやっている頃ですが、北一輝が「天皇陛下万歳」を拒否したというので「左翼だ」って思われたんです。それまで左翼には、ロシアや中国という革命のモデルがあった。でも、それが時代と共に色あせて、日本の中でモデルを作ろうとしたんです。その一つのモデルに北一輝が一番あてはまったんです。左翼も北一輝を評価してました。
 高木 「評価」という言葉で言うと、現在も北一輝という「評価」は定まっていない気がします。
 鈴木 僕は、右や左のそういう場所から北一輝を「一つの思想」に取り戻す必要があると思うし、もう一度考え直す必要があると思ってるんです。それは、非常に危ないテーマなんだけどね。ぼくは、ずっと活動をやってきたから、北一輝に興味を持っているのは当然なんだけど、高木さんは僕とは時代が違うし、学生運動を経験していない。にも関わらず、どうして北一輝に興味持ったんですか?
 高木 そうですね。評価できない。分かりきれない。謎の人物。興味を持った理由としては、そんなキーワードでしょうか。例えば、今の鈴木さんの話で、右と左という二元論ですが、右翼も左翼も北一輝には、そんなに触れてはいないと思うんです。腫物に触るように、というか。
 鈴木 それはそうですよ。北一輝とがっぷり四つで組むのは、みんな危険な気がするんですよ。
 高木 北一輝はユートピア、理想郷を求めた人ですよね。北一輝の生前も、その死後も誰もそのユートピアを見ることができなかった感じがします。でも、右翼は右翼で北一輝を評価している。ぼくには、何故評価するのかわからない。左翼は左翼で評価してます。それも何故評価するのかわからない。
 鈴木 革命の契機みたいなのを見てるんじゃないですか。日本にもこういう革命家がいた、と。無理やりにでも自分たちの先輩がいたことを見つけたいんです。
 高木 そういうモデルを見つけることで安心したかったんでしょうか。鈴木さんは、新右翼という立場で、右翼の北一輝観というものをどう見てましたか?
 鈴木 僕は、北一輝のユートピア思想を非常に評価するんだけど、一般の右翼の人たちはそうじゃなくて、北一輝は「順逆不二」だと。北一輝の著作を読まないで「北一輝だって恐喝してたし、財閥から金ももらってた。贅沢に暮らしてたじゃないか。俺たちだってやっていいだろう。汚く取っても、きれいに国のために使ってやるんだ」と、悪い意味で利用されてる事が非常に多いんです。
 高木 鈴木さんは、そういう考え方や方法を見てどう思ってましたか?
 鈴木 そういうのはちょっと嫌だなぁと思うんです。全ての北一輝を知った上で、こういう点は我々は学んじゃいけない、というのだったらわかるけど、そこだけを学ぶっていうのはやっぱりね。そういう風に北一輝を捉えたら、北一輝も可哀そうだし、死んでも死にきれないだろうなぁと思う。
 高木 今日、ぼくは鈴木さんにそういう点を聞きたかったんです。活動をやってる中でどこを評価したのかな、と。右翼的な考えで言うと、北一輝が目指した世界連邦などは田中智学の八紘一宇と同じですよね。
 鈴木 そうなんだけど、活動で動き回っている右翼の人たちは、そういう事はあまり考えてないよ。
 高木 そうなんですか? でも、活動をする上での大きな思想として、とても理想的だと思うんです。基本的な構造としては法華経を基にした八紘一宇、世界連邦、という、ユートピア的大状況というのは、それを日本という一国においても当てはまる思想だと思います。
 鈴木 大きすぎるんだよ。大きすぎて見えない。大きすぎて考えられない。
 高木 それは、理解出来ないから自分たちが理解できるところまで落として理解する、ということですか。
 鈴木 その方法は、どこでもよく使われる理解の仕方だよね。
 高木 そう思います。巨大な思想大系の中から、自分たちが理解できるものだけを取り出す。左翼は一つの社会主義的な方法、右翼は一つの国家主義的な方法を取り出して、理解しているので、大きな理想的な北一輝自体を評価しきれない。
 鈴木 20年くらい前に「民間学事典」の編集で、いろんな人物を振り分けたんですよ。この人は右翼なのか左翼なのか、どこに取り上げるべきか、と。例えば谷口雅春だったら右翼にしようか宗教家にしようか、田中智学もどっちにしようかって。それを会議するんです。「じゃあ、これはこっちに下さい。これはおたくにあげます」とかって。そういう意味じゃ、北一輝は、右翼なのか左翼なのか宗教家なのか、3つで取り合いになるよね。
 高木 鈴木さんは今の時点で、どこだと思いますか?
 鈴木 だんだん宗教家かなぁ、って思い始めてます。だって右翼でもないし、左翼でもない。新しいジャンルを作らなくちゃいけないのかもしれない。「革命家」というジャンルでもいいかな。ぼく自身も右翼か、左翼か、どっちに入るかわからなくなっちゃったし(笑)。
 高木 鈴木さんも新しいジャンルがいるんじゃないですか(笑)鈴木主義、とか。主義ということでは、北一輝は主義者としては何でしょう。超国家主義と言う人もいますね。
 鈴木 その超国家主義って言葉自体もね、「超・国家主義」なのか、あるいは「超国家・主義」なのか、両方の意味が混然としてるよね。じゃあ、高木さんは、どっちだと思う?
 高木 やっぱり右翼でも左翼でもないとは思いますね。そして、宗教家、というのもどこか違う感じがします。北一輝自身も「右だの左だのと相争うのは、日本人自らが国体を正当に理解してないからだ」と書いていますし、「酔っぱらいのように右や左にふらふら歩く」と左右二元論をバカにしている感じもありますね。
 鈴木 北一輝は最後に刑死してるよね。その死によってすべて聖化された。三島由紀夫が小説や評論で天皇批判的なことをいろいろ書いていても、最後は自決して「三島は神になった」っていうのと同じように、北一輝もある意味では神になったんですよ。それまでの生活もチャラになった。右翼が北一輝を評価して、俺たちだってすぐに死んでやるんだ、だから今は酒だ女だ、何したっていいだろうと、北一輝を自分の生活のだらしなさの理屈付けに使ってる。「もし北一輝が刑死してなかったら、総会屋みたいになってただろう」と松本清張は言ってた。その発言に、みんなそんな事ないっていうけど、ぼくは、あり得ると思うね。やっぱりあそこで死んだから、北一輝は英雄になったんですよ。
 高木 右翼的にも二・二六で殺されたのは評価する場所なんですか?
 鈴木 北一輝を評価するのはそれしかないんですよ。だから何をやってもいいって自分たちの事も正当化するんです。
 高木 「天皇陛下万歳」を拒否したとしても。
 鈴木 うん。拒否したっていうのは無視して。それはただの伝聞だろうと言ってる右翼の人たちは多い。
 高木 都合がいいですね。でも左翼にもその都合の良さが見えますよね。
 鈴木 そうそう。みんな都合のいい部分だけ取ってるんです。北一輝の「人間が神に近付いていく」なんていう理想的なところは若気の至りで書いたんだろうと。実際、北一輝自身も、青年将校たちに『国体論及び純正社会主義』のユートピア思想について質問されると、「いやあれは若い時に書いたものだから」と誤魔化して真面目に答えなかったみたいだし。でもそれは、本当にそう思ったんじゃなくて、「青年将校たちにユートピアの話をしてもしょうがないだろう」という事だと思うんだよね。


  A北一輝の著作に触れてみる

 たくさんの北一輝関連書籍
 高木一輝の著作というのは、三冊です。『国体論及び純正社会主義』『支那革命外史』『日本改造法案大綱』。みすず書房から『北一輝著作集全三巻』として読むことができます。旧字だし難しいし、読むのに時間がかかりますが、鈴木さんは、どれが良かったですか?
 鈴木 『国体論及び純正社会主義』は素晴らしいと思うね。論点は多岐に亘るけど、そのどれもこれもが何というか、大きい感じがするよね。
 高木 鈴木さんの著作などの関係では、その中で北一輝は、愛国心についても触れていますね。「愛国と忠国」です。「愛国は個人の責任とする」という言い方を北一輝はしています。考えさせられた一言です。話は変わりますが、去年、佐渡に行ってきたんですよ。8月19日(北一輝の命日)の北一輝法要に参加して来たんです。その時にある佐渡の人が、「今でも佐渡では北一輝は天皇に弓を引いた逆賊で、おおっぴらに評価することは出来ない」と言うんです。
 鈴木んなに時間経ってるのに?
 高木 そうなんです。北一輝の生家を訪ねたり、墓所をお参りしたり、北一輝が学生の頃何度も足を運んだという真野御陵を訪ねたりしたのですが、なんというか、とても寂しい感じがしました。
 鈴木 それが「評価できない」という北一輝の大きさなのかもしれないね。
 高木 「評価」「理解」という点で言えば、『北一輝著作集』の第三巻には、二・二六事件後の供述調書が収録されています。それを読むと、憲兵に捕まった時点では、殺されるとは思ってないんですよね。事情聴取されたらすぐ帰れるだろう、くらいの軽い感じなんです。「私は佐渡に生まれて、目が悪くて、新潟の病院を行ったり来たりして、23歳の時にこういう事を書いて、」というような供述調書があるんですが、10日目くらいでしたか、急に供述内容が変わって、嫌疑を認めるような供述になってます。それは、憲兵隊に社会主義理論とか自分の事について説明しても、憲兵隊が理解しきれなくて、(こんなレベルか)と思ったんじゃないかと感じるんです。「後はいいように書いて下さい」と。
 鈴木 みんなが理解しやすい形で責任とって死のう、と思ったんだろうね。
 高木 その責任を取って死のう、というロマンは、わかります。中国の革命をやって、餓死寸前になって改造法案を書いた。そして、「そうだ、日本に帰ろう」という叫びです。ロマンですね。
 鈴木 著作集は、ロマンが溢れてますよ。
 高木 「現代日本思想大系」を読むと、中江兆民の論旨と北一輝の壮大なロマンが同じように思えます。兆民の思想を受け継いだのが北一輝なんじゃないかと思ったりもします。
 鈴木 幸徳秋水じゃなくて。
 高木 文体は似てるんですよね。『国体論及び純正社会主義』も、出版当時、「こんなの23歳で書けるわけがない、幸徳秋水の偽名じゃないか」って言われたみたいだし。
 鈴木 とにかく文章がうまいよね。
 高木 『支那革命外史』なんて、涙が出るような美文ですよ。
 鈴木 「二三行にして・・・」という壮絶な執筆だったんだよ。倒れ、横たわりながら必死で書いている。
 高木 『日本改造法案大綱』の「第三回の公刊領布に際して告ぐ」ですね。「眞に気息奄々として筆を動かしたものである。二三行にして枕し、五六行にして横はり。故に自分は信ずる。後十年秋、故朝日平吾君が一資本閥を刺してみずからを屠りし時の遺言状がこの法案の精神を基本としたからとて聊か失当ではないと。死をもってする者と…」美文ですね。
 鈴木 その一文は、僕も、調子悪い時とか、風邪ひいてる時とかに思い出しますよ。寝ながら書いていて「二三行にして枕し」とかね。ものすごい励みになってます。人を鼓舞する文章だよね。
 高木 そうですね。ぼくは、『日本改造法案大綱』を夢中で読みました。アメリカはこれを基にして、日本国憲法を作ったと論じる評者もいます。確かに似てる部分は似てます。アメリカは民主憲法を作った。そうすると北一輝も民主主義者だ、という解釈もある。労働者や、女性のこと、普通選挙や土地の権利や私有財産など、やっぱり先を見て書いてます。
 鈴木 三島由紀夫もそうでしょうけど、見通せる人間の不幸、というところはあるでしょう。面白いのが、女性に対して選挙権は認めないって書いてあるでしょ。普通それは、右翼だから、差別的だから、と思うところだけど、北一輝は女性を非常に崇拝してましたよね。フェミニストです。政治ってのは汚いものだから、女性を巻き込むべきじゃないという考えでしょ。すごい理論だよね。もう崇め奉って、汚いところは我々男がやりますという感じ。
 高木 松本健一は北一輝の若いころの恋愛観を取り出しています。初恋を親に引き裂かれたんだと。相手の女性はテルという名前だった。テルさんは死ぬまで手紙の署名は北一輝の「輝」という字を使ったんだと。北一輝の嫁のスズさんは遊女だったんですが、お前の前職なんか問わない、今お前を愛している、これが大切なんだ、という態度だったんだと。そんな恋愛観が北一輝の人生を如実に彩っているんだと思います。
 鈴木 なるほど。そんな体験が『日本改造法案大綱』や『国体論及び純正社会主義に』に現れてるね。『法案大綱』には、エスペラント語についても書いてる。大杉栄や宮沢賢治もエスペラント語を推していた。右左を別にして、ユートピア思想でくくれる部分があると思う。
 高木 北一輝に関しては、資料はあらかた出尽くしたと思うんですよ。松本健一がかなり発掘しています。それらの資料をもっと読み込んで、理解しやすい部分で理解するのではなく、もっと本質に近付きたいですね。北一輝の文章は、人に影響を与えています。カリスマ的文章です。人を奮い起こすアジテーションです。だからなのか、たくさんの人が北一輝に関して書いています。
 鈴木 でも、行動者はあんまりいないよね。村上一郎、渡辺京二、古谷綱正、田中惣五郎とか、書いてるのは、学者とか、評論家、作家だよね。三島由紀夫も書いてるし、高橋和巳も書いてる。行動者が書くと、やっぱり怖いんじゃないですか。取り込まれそうで。やはりそれだけ、魅力があるんですよ。魔力がある人ですよね。
 高木 書かせる魅力があるんでしょう。「魔王」ですね。演劇でも、北一輝をやろうとは思えないですね。「怖い」と思う。素材としてはすごく面白いと思いますけど。
 鈴木 三島由紀夫が愛国心について「愛国心という言葉は嫌いだ」と書いたのも、北一輝の影響だと思うんですよ。あと、これは左翼にも利用されやすいんだけども、日本人は天皇を尊敬し忠誠を尽くしてきたというのは嘘っぱちで、日本の歴史は賊臣の歴史だと言う。
 高木 独特の天皇観を持っていますね。言葉が無い時代に天皇なんか敬えるわけがない、と。
 鈴木 「天皇をみんなが慕って、天皇を中心に日本の歴史はつくられてきたんだという神話があっただけど、そんなことはない」と北一輝は言ってる。「天皇を弑逆したり島流しにしたり、そういう歴史じゃないのか。万世一系と言いながらどんどん変わってる。どこが万世一系なんだ」と。それだけなら左翼なんですよ。でもその後が違う。「万世一系というのはこれから作るんだ」と言う。凄い。
 高木 進化の過程なんだと。
 鈴木 田原総一朗さんがね、丘浅次郎を読んでるんですよ。この前、会った時聞いたんです。それで、北一輝は丘浅次郎の進化論を受け継いだんじゃないんだ、否定したんだと。今、出てる田原さんの『なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか=アジア主義者の夢と挫折』(PHP研究所)にも詳しく出てました。
 高木 けなしてますからね。丘博士なんか何もわかってないんだというような言い方をしてます。
 鈴木 だけどやっぱり、丘浅次郎の、美しいものが生き残る、というような淘汰論は受け継いでると思うんだよね。人間は今は男女がセツクスをして子供を産んだり、排泄したり、という汚らしい事をやってるけれども、だんだん神に近くなって、セックスなんてしなくても子供が出来るようになる、と。殆ど小学生の夢じゃない。そういう事を真面目に考えるあたり、北一輝はすごい。人間が進化して神のようになる、ってことは天皇も進化するって事なんでしょう。ロマンチストだよね。危ないけど。右翼左翼を越えてる。北一輝の著作の中では『国体論及び純正社会主義』が一番好きだし、今読むとまた違いますね。
 高木 北一輝ブームっていうのがあったんですか?
 鈴木 ありましたよ。学生運動の頃ですね。左翼の人たちもみんな読んでたもんね。
 高木 北一輝著作集は出てました?
 鈴木 出てたと思うよ。でも、右翼の人たちも、著作集三冊を全部読んで北一輝を語るっていう人は殆どいなくて、「お前北一輝読んだか?」「読んだよ」「誰のを読んだんだ?」「村上一郎だ」とかそんな感じなんだよね。
 高木 右も左もこれ『著作集』を読んでいたとすると、もっと違った活動、方法があった気がします。国体論をあそこまで批判して、美濃部機関説も否定しながらも、天皇機関説を唱える。
 鈴木 やっぱり、大きすぎてわからなかったんだろうなあ。僕だって全部は分からない。
 高木 鈴木さんにとって北一輝っていうのは、ずっと活動のベースというか、思考の中にあったものですか?
 鈴木 そうですね。そういえば、嶋野三郎さんが老壮会の話をしてくれた時に――老壮会ってのは右も左も集まって勉強会をする集まりで、一水会も老壮会を目指して作った、ってところもあるんだけど――嶋野さんは北一輝のお弟子さんで、ロシア革命を日本人では唯一見てきた人です。嶋野さんから北一輝の話を聞くと、随分違うんだよね。国家とか、天皇と対決したって言うより、とても天皇を崇拝して、信仰的な人だったと。だから、「もし北一輝が二・二六を指導していたら皇居に行って天皇を拉致して、」と思っている人がいるけど、それは無いと思う。天皇陛下万歳を拒否したっていうのも、嶋野さんの話を聞いて自分で推測すると、やっぱり天皇を崇拝してるからこそ天皇陛下万歳をしなかったんだろうなと思う。だって、銃殺されるわけだから、天皇陛下万歳っていう叫びそのものを血で汚すことになるでしょう。そういうのは潔しとしなかったんだろうなぁ、と。
 高木 嶋野三郎さんによると、北一輝は老壮会を軽蔑してると言うか、無視していたらしいですね。
 鈴木 なんか、講談の集まりみたいで、寄席みたい、って。そういうところはあるでしょうね。
 高木 やっぱりバカにしてたんですかね、みんなを。
 鈴木 それはあるかもしれないね(笑)。あまりにレベルが違ったんでしょうね。ぼくは、いつか『忠臣・北一輝』みないなのを書きたいと思ってます。嶋野さんは北一輝を「まるでゲーテみたいな人だ」って言う。こういう事を言ってる人は誰もいない。哲学者ってのは体系がある。カント、フィヒテ、デカルトとかね。でも、ゲーテにはそういう体系がない。限りなく広いんだ、と。「北さんと話しているとまるでゲーテと話しているみたいだ。美術論あり、科学論あり、哲学や宗教も語るんです」と。こういう話は、いわゆる北一輝らしくない。それまでの北一輝解釈は、もっとドラマチックに自分の理解出来る範囲だったんです。みんな、小さな北一輝像を大量生産しているんです。そういう意味で、嶋野さんの話にはかなり衝撃を受けましたね。


 B北一輝は何がしたかったのだろう。

 高木 これまでの話から、「右翼も左翼も北一輝の都合のいいところだけを取り上げてる」のではないか、と。右翼にも左翼にも属さない。宗教家と一言で言い切れない部分もある。一体、何でしょうね。
 鈴木 劇作家、という感じはすごくするよ。人の使い方とか、役者の使い方がうまい劇作家みたいですよ。青年将校が北一輝を慕って何度も訪ねてくるじゃないですか。そして、彼らが帰るときに西田税が追いかけて、「北先生はもう革命を諦めていたけど、皆さんと出会ってやれると思った」と言うじゃないですか。それを北一輝が直接言うんじゃなくて、西田税が言う。あれはすごいね。青年将校はその気になるもんね。演出家が役者を使うのと同じだね。
 高木 そうですね。指揮、監督をして、ドラマを創るわけですから。
 鈴木 北一輝の本心はさておき、ああいう形で武装蜂起された。「そこに自分の影響があったと言うならば、関与はしてないけど責任はあります」と取り調べ調書にも載ってる。「私は処刑されて当然だ」という。そういう潔さがある。ここが死に場所だと思ったんじゃないですか。それで自分のドラマを完結させたんだろうな、と思いますね。
 高木 例え逆賊と言われようと、ですか。
 鈴木 逆賊と言われようと、ですね。
 高木 逆賊と言われ、もしかしたらその先何世紀もその評価が変わらないとしてもですか・・・。とても寂しい潔さですね。
 鈴木 同じように逆賊として死んだ西郷隆盛とは違うよね。西郷隆盛は、その後は名誉を回復してる。ロシアに逃亡して皇太子と一緒に来るとかそんな伝説まである。北一輝にはないもんね。実は生きてて・・・とか。(笑)
 高木 ないですね、北一輝伝説。非業の死を遂げたって人には大体あるんですけどね。何かになってないですかね、北一輝も。
 鈴木 処刑されたからかな。立ち合った人もいるし、殺されたのは事実だ。ひっそりと自決したようだ、なんて事だったら、あるいは生きていて・・・という伝説があるかもしれないけど。嶋野三郎さんは、仏壇でお祈りしてる姿とかを目の当たりに見てるから、非常に信仰的な真面目な人だったと言ってる。神を信じ、天皇信仰があった、と。「北一輝」って名前そのものが、北に輝く一つの星だしね。
 高木 北一輝は天皇になりたかったという論もあるんですよね。「僕が中国に生まれてたら必ずなれた」って書いてます。中国は易姓革命なわけですから。
 鈴木 日本は続いている血があるからね。
 高木 法華経に帰依したのはポーズで、晩年の生活を誤魔化すためだと書いてる人もいますよね。
 鈴木 それはないでしょう。もしそうだったら、もっと逃げ切りますよ。青年将校に巻き込まれないようにもっとうまく立ち回りますよ。
 高木 そうでしょうね。やっぱり、思想も行動も潔さも恋愛も全部ひっくるめて、自分の生きかたが一つの作品なんですね。そういう意味では、ある種、野村秋介さんにも似てるなと思うんですよ。野村さんが、生前に言葉を尽くしたとは僕は思えないんです。たくさん本も出してますけど、言葉を尽くして、本当の事を書いたものは少ない気がしてます。このくらいでわかるだろう、という書き方をしている気がする。そういう意味で北一輝と似ている部分があるなぁ、と。
 鈴木 それはあるでしょうね。それとね、これは大事なことだけど、北一輝を語ることは自分を語る事でしょうね。
 高木 北一輝を語るのは、なぜかどこか恥ずかしいですね。恋愛観もそうですし、進化論もそうです。影山正治『一つの戦史』の中で、北一輝と似たような事を言ってるんですよ。「女を取るか、維新を取るか」というところがあって、「女の恋愛は捨てる」「俺には維新しかない」と。「恋愛が止揚されたら、天皇への恋闕に至るんだ」みたいな。
 鈴木 恋愛がアウフヘーヴェンされて、恋闕に。すごいね、それ(笑)
 高木 影山正治もまたロマンチストなんでしょう。
 鈴木 北一輝にはみんな影響を受けてるけど、言いたくないんですよ。今はどうかわからないけどかつては、右翼も左翼も、ロマンチストじゃなかったらなれないでしょう。自分のことだけ考えていればいいのに、「自分はどうなってもいいから人のために」「貧しい人々のために」「いい世の中をつくるために」と。それはロマンですよ。赤尾敏さんだって、最初は武者小路実篤の「新しき村」から入ったもんね。そういう人たちは多い。みんな似てるんじゃないですか。
 高木 それは、右も左も、っていう事ですか。
 鈴木 うん。善なのか悪なのかわからないよね。親にとっては、ロマンていうのは悪でしょう。麻薬みたいなものですよ。
 高木 北一輝の中にも出てくる、ニーチェの超人論みたいなものですよね。人生に意味はない、だとするならば意味を与えるのは自分たちなんだと。自分たちが自分に意味を与えるしかないとするなら、神はいないじゃないか、神は死んだんだと。
 鈴木 なるほど。嶋野さんはゲーテと言ったけど、ニーチェか。
 高木 ニーチェだと感じています。
 鈴木 じゃあ、北一輝は哲学者かな?
 高木 それは、あると思います。北一輝は、一人で生きた人ですよね。一人で考え、一人で行動してきた。徒党を組むことを是としなかった。
 鈴木 選民意識とか前衛意識があると、党派を作ってそれを増やそうと思うじゃない。それがないよね。
 高木 北一輝が何かに所属したっていうのは、ちょこちょこはありますけど、一つの大きな組織に、というのは無いですよね。
 鈴木 一人だけだと前衛とか言わないもんね。北一輝が自分で新聞を出したり、活動をしたとかってないもんね。講演会を自分でやったりとかね。
 高木 そうですね。「北一輝」を語る対談ですが、やっぱり大きすぎてまとまりませんね(笑)。ただ、今日話した中で、いくつか掘り下げてみたいテーマも出てきたと思います。今日の対談は、プロローグとして、二回、三回と北一輝を語りましょう。
 鈴木 そうしましょう。ゲストを呼んでもいいね。誰がいいかな。












(私論.私見)