別章【神話以降の大和王朝考】 |
更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3).7.21日
(れんだいこのショートメッセージ) |
2006.12.3日、2008.4.7日再編集 れんだいこ拝 |
コード | 目次中項目 |
大和王朝考 | |
屯倉制考 | |
氏姓制度考 | |
古墳考 | |
別章【大和王朝の豪族考】 | |
筑紫君磐井(つくしのきみいわい)の乱 | |
継体天皇考 | |
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関連著作本 |
(私論.私見)
倭王武は、中国南朝宋に対して、使持節都督倭・新羅・百済・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍と自称したが、ここに当時存在しない秦韓(辰韓)・慕韓(馬韓)など過去の三韓の国名を加える一方で、その一つである弁韓を加えていない。これは、弁韓は倭王が現実に支配している任那そのものであるからあえて加える必要はないが、倭王は過去に三韓を支配したことを主張したものだと見られること。そして、事実過去に、三韓(辰韓・馬韓・弁韓)の一部を統治した「辰王」という扶余系の騎馬民族と考えられる支配者が存在した。また、上述したように、唐は、日本は、辰王朝が倭を征服した国家だと見ている。