「党派間ゲバルトの経過と実態考」その3、1975年から1979年まで

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4)年.3.29日

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 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「党派間ゲバルトの経過と実態考その3、1975年から1979年まで」を確認しておく。後日、再推敲する。「内ゲバ - Wikipedia」、「ネットマガジン『新左翼大論争』第2号」、新左翼内ゲバ事件」、「中核派対革マル派抗争略年表」他を参照する。

 2012.10.22日再編集 れんだいこ拝



【1975(昭和50)年】 
 この年の内ゲバは全国で229件と前年に引き続いて多発した。中核派による革マル派幹部H殺害事件(3月6日・東京)、革マル派による前進派書記長I殺害事件(3月14日・埼玉)を契機に、中核、革マ ル両派の激しい報復戦的内ゲバ事件が相次いだ。内ゲバ殺人事件が年間で16件(死者20名)と多発し、前年の10件(死者11名)を大きく上回った。内ゲバ事件をセクト別にみると、中核派対革マル派の抗争が162件(88.0%)と圧倒的に多く、殺人事件についても、12件、16名と両派の抗争によるものが最も多い。こうしたなかで、中核派が昭和50年2月から、「産別全面戦争」と称して全逓、日教組、自治労等の革マル派労働者に攻撃を指向したことが注目される。

【中核派の革マル派テロ】
 1.1日、中核派が、熊本各所で革マル派殲滅(「75年1・1熊本、中郵」)。

【中核派の革マル派テロ】
 1.2日、中核派が、革マル派の金沢大生1名徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.5日、中核派が、革マル派の関西全逓キャップ防衛隊5名殲滅(「1・5大阪」)、革マル派曰く「中核派の大阪中央郵便局員反撃2名徹底粉砕」。

【中核派の革マル派テロ】
 1.6日、中核派が、革マル派曰く「神戸で中核派が市民を誤爆襲撃」。

【中核派の革マル派テロ】
 1.7日、中核派が、革マル派の九州全逓幹部4名粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 1.9日、中核派が、革マル派の北海学園大生1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.9日、中核派が、革マル派曰く「新宿区のマンションを襲撃しホステスを誤爆」。

【中核派の革マル派テロ】
 1.11日、中核派が、革マル派曰く「東大生の住居が襲われる。犯人はエンジンカッターや日本刀を使用」。

【中核派の革マル派テロ】
 1.11日、中核派が、革マル派の大田区の西南ブロック軍団本部を襲撃幹部を殲滅。広島自治労殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 1.12日、革マル派が、中核派の九州の学生官僚を粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 1.12日、中核派が、革マル派のスパイ1名殲滅。九州解放社3名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.16日、中核派が、革マル派のJAC中枢撃沈重傷、新潟大生徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.17日、中核派が、革マル派の福岡でJAC5名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.21日、中核派が、革マル派の早大JACを大阪市港区路上で徹底殲滅(革マル派曰く「大阪の先進的労働者が襲われる」)。

【中核派の革マル派テロ】
 1.22日、中核派が、革マル派の広島自治労1名徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.23日、中核派が、革マル派の札幌医大最高幹部を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.24日、中核派が、革マル派の九州学院大キャップを殲滅(目黒で誤爆)。

【革マル派の中核派テロ】
 1.25日、革マル派が、中核派の関西襲撃隊員を尼崎で粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 1.27日、中核派が、革マル派の神奈川JACの富士通社員を大阪で殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.30日、中核派が、革マル派の広島教労1名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 1.31日、中核派が、革マル派の関西自治労2名殲滅(産別革マル総殲滅戦)。

【中核派の革マル派テロ】
 2.1日、中核派が、革マル派の都職労1名殲滅(千葉で誤爆)。

【中核派の革マル派テロ】
 2.4日、中核派が、革マル派の中央SOB潜入オルグ1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 2.5日、革マル派が、中核派の杉並革新連盟を襲撃20名粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 2.6日、中核派が、革マル派の全逓下谷郵便局員を殲滅。神奈川県最高幹部を撃沈。

【中核派の革マル派テロ】
 2.8日、中核派が、革マル派の全逓仙台キャップ3名を徹底殲滅。東海自治労最高責任者を徹底殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 2.9日、革マル派が、中核派の軍団指導者他1名を粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 2.10日、中核派が、革マル派の1名殲滅、元全学連委員長を鉄槌、都営交通最高幹部殲滅。西南軍団本拠爆砕。全学連書記長ら2名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 2.15日、中核派が、革マル派の全逓仙台1名粉砕、金属労働者を大阪で殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 2.17日、中核派が、革マル派のJAC中部千葉ブロック軍団幹部を殲滅。金沢大JAC隊長ら5名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 2.19日、中核派が、革マル派の北海道大幹部・都職幹部殲滅。

【革マル派関連】
 2.19日、革マル派が、前進、ニセ号外事件。

【革マル派の中核派テロ】
 2.20日、革マル派が、中核派のレポ1名を東京品川で粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 2.21日、革マル派が、中核派の都職労、横浜市営交通労働者を撃沈。

【中核派の革マル派テロ】
 2.25日、中核派が、革マル派の浜市従業員組合最高幹部防衛隊8名粉砕、1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 2.26日、中核派が、革マル派の鹿児島県委員長、教労幹部撃沈。横浜・静岡で各殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 2.28日、中核派が、革マル派の全逓東部幹部、京都大生秘密同盟員殲滅。九州JACら4名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 3.4日、中核派が、革マル派の教労千葉1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 3.4日、革マル派が、中核派の自治体労働者に鉄槌。

【中核派の革マル派テロ(「堀内事件」)】
 3.6日、「革マル派機関紙発行責任者内ゲバ殺人事件/中核派-革マル派」。革命マル派の機関紙「解放」の発行責任者・難波力こと堀内利昭(36歳)が、東京渋谷区内の日通航空新宿支店路上で中核派のテロにより虐殺される。(革マル派10人目の死者となる) 秋田経済大キャップ他1名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 3.7日、中核派が、革マル派の九州JAC4名殲滅2名重体。

【革マル派の中核派テロ】
 3.8日、革マル派が、中核派の広島で1名鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 3.10日、中核派が、革マル派の全逓担当オルグ1名殲滅。全金東海労組1名殲滅、都職労他1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 3.11日、革マル派が、中核派の都職反戦議長を制裁。

【中核派の革マル派テロ】
 3.11日、中核派が、革マル派の横浜水道局女性幹部1名殲滅。九州JAC5名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 3.12日、中核派が、革マル派の関西教労中心人物を徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 3.13日、中核派が、革マル派の東交幹部殲滅。

【革マル派の中核派テロ、中核派最高指導者・本多延嘉書記長虐殺(「本多事件」)】
 3.14日、「中核派書記長内ゲバ殺人事件/革マル派-中核派」。午前6時過ぎ、埼玉県川口市にあるアパートで、中核派最高指導者本多延嘉書記長(41歳)が革マル派にテロられ、斧、ハンマー、鉄パイプなどで全身をメッタ打ちにされ殺害された。(中核派9人目の死者)。中核派の主張によると、傷のほとんどは手斧によるもので、即死に近い状態での虐殺であった。革マル派は、「解放」(3.24日付)で次のように宣言、犯行を認めた。
 概要「今朝、わが全学連の革命戦士は、反革命スパイ集団・ブクロ=中核派の頭目・書記長本多延嘉を、川口市内の隠れ家において捕捉し、これにプロレタリアートの怒りをこめた階級的鉄槌を振り下ろした。これは、産別戦争と称して、無差別無制限のテロを労働者に加えるという、世界革命史上、前古未曾有の反革命集団に対して振り下ろした怒りの鉄槌であります。我々の同志難波力が襲撃されたことへの報復であり、権力と癒着している中核へのみせしめでもある。殺害を目的としたものではなかった。わが全学連戦士の燃えたぎる階級的怒りが鉄槌の一振り一振りに於いて表現されたことの結果として死亡ということになった」。

 中核派の怒りは凄まじく、3日後、「革マル派一人残らずの完全殲滅、復讐の全面戦争への突入」を宣言した。警視庁は19日に専従員配置を決定したが、報復は続いた。革マル派は「一方的テロ停止宣言」。しかし内ゲバを完全にやめたわけではなく、また中核派側の攻撃はおさまらず、死者は増えていくばかりとなる。この年だけで15人もの革マル派活動家が殺害された。


【革マル派の中核派テロ】
 3.14日、革マル派が、中核派の京大生1名鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 3.15日、中核派が、革マル派の宮崎県委員長を殲滅。全身骨折の重体。

【中核派の革マル派テロ】
 3.18日、中核派が、革マル派の全逓鶴見郵便局オルグ殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 3.18日、革マル派が、中核派の北大生1名撃沈。

【革マル派の中核派テロ】
 3.19日、革マル派が、豊中で中核派の1名鉄槌。

【中核派の革マル派テロ(「岡本、中島事件」)】
 3.20日、中核派が、荒川区東日暮里今村のマンションの全逓東部アジトを襲撃。鉄製の三段式のはしごで侵入し郵便局員2名(岡本良治、25歳)(中島章、28歳)をバールで殴打し虐殺した。(革マル派11~12人目の死者となる) 「元信州大キャップを殲滅」。

【中核派の革マル派テロ】
 3.24日、中核派が、革マル派の全逓東部アジト爆砕。

【中核派の革マル派テロ】
 3.25日、中核派が、革マル派の中央からの送り込みJAC8名粉砕。

【革マル派の中核派テロ】
 3.25日、革マル派が、中核派の九州前進社襲撃4名撃沈。

【中核派の革マル派テロ】
 3.26日、中核派が、革マル派の全逓重要幹部殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 3.26日、革マル派が、中核派の九州教労委キャップ制裁。

【中核派の革マル派テロ(「西田事件」)】
 3.27日、「川崎市女子職員内ゲバ殺人事件/中核派-革マル派」。午後4時頃、中核派の3人組が、革マル派の川崎市役所職員・西田はるみ(26歳)を神奈川県川崎市役所裏で鉄パイプ襲撃し虐殺する。(初めての女性犠牲者、革マル派13人目の死者)。3人組の1人はその場で市職員らにより取り押さえられ、川崎署員が殺人の現行犯でその男を逮捕した。 川崎市役所では約40人の反戦系労働者がおり、内訳として半分が中核派、6人が革マル派、残りが他セクトだったという。前進3.31号で「反革命白色テロ分子を完全せん滅(中略)川崎市職潜入分子Nに復讐の階級的鉄槌」と声明した。
 Nは都立日比谷高校卒業後、1967.4月、現役で東京教育大学文学部ドイツ文学専攻に入学。学内の演劇研究会に入会。このサークルは革マル派の拠点だった。1971年春、大学内サークル「教育大学新聞会」に入会。教育大学新聞は1973年4.10日号を最後に彼女の卒業とともに廃刊になっている。このことからNがひとりで教育大学新聞を支えていたのではないかとの見方がある。1973年3月、卒業。川崎市で初めての大学出身の女性事務職員として採用され、市民局広報課第二係に配属。市政だより、ポスター製作などを担当していた。この頃のNは革マル派幹部と親密な関係にあり同派の集会によく参加していた。事件の1か月ほど前から若い男から市役所のN宛に電話がかかり、その都度Nは「人違いでしょう」、「忙しいから失礼します」と電話を切っていた。事件当日午後3時頃、市役所にN宛ての電話があり、4時過ぎにNが職場から急に居なくなり事件に遭っている。Nの父によると、Nは高校在学中から学生運動を始め、大学は活動のために進級が遅れ6年間在籍した。就職後もNは活動を続け「身辺に危険があるから」という理由で実家近くのアパートで一人暮らしをしていた。東京教育大学の学生・卒業生が内ゲバの被害者となった事件としては、この他に「東京教育大学生リンチ殺人事件」がある。(「ウィキペディア(Wikipedia)川崎市女子職員内ゲバ殺人事件」その他参照)

【中核派の革マル派テロ】
 3.27日、中核派が、革マル派の広島県職員を殲滅。

【革マル派関連】
 3.28日、革マル派は、「革マル派が組織防術のための反撃の権利を留保し、革命的暴力の行使を伴う党派闘争の一方的停止を宣言する」とする「内ゲバ停止宣言」(3.28声明)を発表した。「敵対派との激烈な党派闘争に圧倒的な勝利をかちとった。残る任務は小ブル雑派の残務整理のみ」と高言している。しかし、中核派の怒りは凄まじく、「復讐の全面戦争への突入、全面無制限戦争」を宣言し、直後から革マル派の「革マル派一人残らずの完全殲滅」を開始した。

 これに対し、革マル派は「権力の謀略論」を強め、概要「(以後の中核派、革労協による攻撃に対し、)権力が、瓦解した中核派、革労協にテコ入れして、わが派に対する盲動を活用し最後的に双方を一掃しようとするものである」との見解を披瀝している。その後、この論法をエスカレートさせて、「ブクロ派(中核派)と青解派(革労協)は,自己組織の政治的延命をもくろんで国家権力の懐ふかくとびこみ,権力内謀略グループに助けをもとめた。このふたつの集団を権力の走狗にしたてあげた権力内謀略グループは,彼らを謀略追認役者としてあやつりつつわが革命的左翼の組織を破壊するための攻撃をくりかえし兇行してきた」、「(中核派や革労協が)明白に反革命として権力の走狗へと転落した以上、それらとの闘争はもはや党派闘争ではなく,対権力の闘いの一環となる」(昭和50年3月機関誌「共産主義者」)と捉え,両派との党派闘争を国家権力と対決する階級闘争の一環とみなすようになり、今日に至っている。

【中核派の革マル派テロ】
 3.29日、中核派が、革マル派の千葉県職員産別キャップを徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 3.31日、中核派が、革マル派の関西全逓都島郵便局支部書記長を徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ(「船崎事件」)】
 4.1日、「東京元革マル派全学連幹部内ゲバ殺人事件/中核派-革マル派」。中核派が、東京・墨田区の喫茶店で、千葉県委員長・船崎新(千葉大、元革マル派全学連中央執行委員、27歳)を襲撃し虐殺する。(革マル派14人目の死者)。

【中核派の革マル派テロ】
 4.5日、中核派が、革マル派の九州キングの新キャップを殲滅。広島県教労最後の県委員を撃沈。

【中核派の革マル派テロ】
 4.6日、中核派が、金沢で、革マル派の北陸JAC幹部を殲滅。

【中核派対革マル派の日比谷公園集団会戦】
 4.6日、日比谷公園での全共闘1500名の集会に500名の革マル派が乱入。竹竿や投石による乱闘となり、両派30名が負傷。

【中核派の革マル派テロ】
 4.8日、中核派が、革マル派の名古屋で東海自治労を殲滅1ヶ月の重傷。

【中核派の革マル派テロ】
 4.9日、中核派が、革マル派の鹿児島教労2名を殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 4.11日、革マル派が、中核派のレポ1名鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 4.12日、中核派が、革マル派の京王電鉄労働者ナンバー2を徹底殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 4.13日、革マル派が、中核派の立命館大生1名鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 4.15日、中核派が、革マル派の仙台産別サブキャップを殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 4.16日、中核派が、大阪で革マル派の関西教労中枢を殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 4.17日、革マル派が、中核派の東海襲撃隊員鉄槌。福岡NHK職員鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 4.21日、中核派が、革マル派の静岡教労1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 4.22日、中核派が、革マル派の秘密印刷所襲撃解放社最高責任者殲滅。東京で都職労1名殲滅。

【革マル派の中核派テロ】
 4.23日、革マル派が、中核派の救殺隊長ら3人鉄槌。

【中核派の革マル派テロ】
 4.25日、 中核派が、広島市内の喫茶店で白昼、県職労書記の山浦陸夫が四人組に襲撃される(中国地方委議長殲滅)。襲撃過程の写真が新聞に公表される 。

【中核派の革マル派テロ(「芦野、鈴木事件」)】
 4.26日、「東京元革マル派幹部内ゲバ殺人事件/中核派-革マル派」。中核派が、革マル派政治局員ら2名(解放社事務局員・芦野豊(32歳)、早大生・鈴木和弘(23歳))を新宿区西新宿の喫茶店で襲撃し虐殺。(解放社責任者・JAC隊長完全殲滅、革マル15~16人目死者)。
 慶応病院職員殲滅。
 関西全逓最高幹部殲滅。

【中核派関連】
 4.27日、杉並区議会選挙。

【中核派の革マル派テロ】
 4.27日、中核派が、革マル派の中央送り込み九州JAC隊長殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 4.28日、中核派が、革マル派の神奈川湖北教労1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.1日、中核派が、革マル派の富士通社員2名・千葉大最後の支柱を殲滅。

【中核派の革マル派テロ(「竹原事件」)】
 5.7日、「鹿児島高校教諭内ゲバ殺人事件/中核派-革マル派」。中核派が、鹿児島県内の革マル派アジトを襲撃し3名殲滅。革マル派の教労キャップ・高校教諭の竹原寿(41歳)を虐殺。(革マル派17人目の死者となる)

【中核派の革マル派テロ】
 5.12日、中核派が、革マル派の日大JAC隊長撃沈。

【中核派の革マル派テロ】
 5.13日、中核派が、法政大で革マル派のレポ1名粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 5.14日、中核派が、革マル派の金沢大5・15上京団集会襲撃5名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.16日、中核派が、革マル派の日本油脂サブキャップ殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.19日、中核派が、法政大で革マル派のJAC60名の襲撃に逆襲。法政大川崎分校でビラまき中4名殲滅、隊長徹底殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.20日、中核派が、革マル派の横浜国立大JAC1名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.21日、中核派が、革マル派の江戸川区役所職員を殲滅。全学連関西共闘議長ら3名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.22日、中核派が、革マル派の全逓西北地区重要幹部殲滅。

【マル青同の一般学生轢死】
 5.25日、「岡山大生内ゲバ殺人事件」。岡山大で、マル青同がマイクロバス突入によりノンセクトの岡山大生(18歳)を轢死殺害。

【中核派の革マル派テロ】
 5.28日、中核派が、法政大で革マル派のJAC100名の襲撃を爆砕。神奈川JAC最高幹部ら2名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 5.31日、中核派が、東京で集会帰りの革マル派20名粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 6.3日、中核派が、革マル派の横浜国立大1名、西南ブロック最高幹部ら3名撃沈。

【中核派対革マル派の大阪市立大教養学部前集団会戦(「碓井、藤井、米田事件」)】
 6.4日、「大阪経済大生等内ゲバ殺人事件/中核派-革マル派」。中核派が、大阪市立大教養学部前で、革マル派35名の集会中、鉄パイプを持って10数名が乱入、革マル派の元大阪経大2部革マル派副委員長・碓井規義(25歳)、藤井陽一、米田真章の3名が死亡した。(革マル派18~20人目の死者となった) 4名が重傷。逮捕者は5名、うち女性4名だった。

【中核派の革マル派テロ】
 6.7日、中核派が、大阪産業大の革マル派シンパの一般学生(軍事責任者ともある)・小野正裕(武司)を虐殺、とある。浜国立大生を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 6.10日、中核派が、東大で革マル派の東京大幹部を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 6.18日、中核派が、大阪経済大自治会書記長を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 6.18日、中核派が、革マル派の法政大会戦JAC60名を完全粉砕。
 6.18日、中核派が、千葉大最高幹部ら1名を徹底殲滅。
 6.18日、中核派が、革マル派の中国地方委を徹底殲滅。
 6.18日、中核派が、革マル派の大阪経済JAC幹部4名(大阪経済大自治会書記長ほか)殲滅。

【中核派の革マル派テロ(「藤盛事件」)】
 6.19日、「東京郵便局員内ゲバ殺人事件/中核派-革マル派」。中核派が、東京・品川区の路上で、革マル派の郵便局員全逓労働者・藤盛広之(22歳)を衆人環視の下で鉄パイプで殴打、虐殺した。(革マル派21人目の死者)

【中核派の革マル派テロ】
 6.20日、中核派が、横浜国立大で革マル派のJAC8名粉砕。

【中核派の革マル派テロ】
 6.21日、中核派が、東京・品川区の路上で、革マル派の郵便局員全逓労働者・蒲田藤盛(22歳)を衆人環視の下で虐殺。革マル派21人目の死者となる。

【中核派の革マル派テロ】
 6.24日、中核派が、革マル派の解放社を襲撃。

【革マル派の社青同解放派(革労協)テロ(「石井事件」)】
 6.24日、「静岡別荘内ゲバ殺人事件/革マル派-社青同解放派(革労協)」。革マル派が、静岡県伊東市内にある歌手・加藤登紀子の別荘に泊まって武闘訓練をしていたとみられる社青同解放派(革労協)を襲撃。元九大生で革労協福岡県委員会のリーダー、石井真作(26歳)が死亡、9名が重軽傷。狭間嘉明が瀕死の重傷を負う(狭間の口元に手をあててきたので、咄嗟に息を止めたとの事)。加藤夫妻は「無関係」と記者会見を開いた。正午、革マル派の上位組織の解放社が「防衛のために反撃した」と声明。

【中核派の革マル派テロ】
 6.26日、中核派が、革マル派の横浜国立大サブキャップを徹底殲滅。愛知大でビラまき中東海JAC10名粉砕、1名殲滅。

【中核派対革マル派の法大構内集団会戦】
 6.26日、法大構内でヘルメット姿の両派約100名が鉄パイプ、旗竿で乱闘。機動隊が導入され、97名が逮捕された。負傷者は機動隊に保護された。

【革マル派関連】
 6.27日、「革共同両派への提言-内ゲバ終結を訴える」(「6・27提言」)による内ゲバの停止声明が出される。埴谷雄高、対馬忠行、藤本進治、色川大吉、井上光晴、もののべながおきら12名の発起人、11名の賛同人による。革マル派の随伴文化人高知聡氏の働きかけが大きかった。革マル派は声明「左翼知識人諸氏の決起を評価し権力の暴虐に共に闘うことを訴える」を発表、 前向きだったのに対して、中核派は「100%拒否」を声明。 「検証内ゲバ」は次のように記している。(「別章2」に記す)
 「この提言に対し、革マル派は一部については不満を述べるものの、『我々の巨大な勝利を画するもの』と大きく評価し、一大キャンペーンに乗り出した。だが中核派は『怒りを込めてきっばりと拒否する』として、提言を弾劾する声明を発表した」。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 6.27日、社青同解放派(革労協)十数名が、東大教養学部生協食堂前で情宣活動中の革マル派東大生(22歳)を鉄パイプ等で殴打し、同日死亡した。殺害された学生は後の仏文学者石田英敬の駒場寮同室。石田英敬は、この2年前に目の前でやはり革マル派の友人を殺害されている。「石田は私の知らなかったいくつかの事実を教えてくれた。駒場寮では同室にもう一人、梅田順彦という学生がいたが、彼もまた1975年10月に大学の学生会館の前で社青同の手で頭蓋骨を割られ、惨殺されたこと」(四方田犬彦 2009)。後に劇作家となる野田秀樹はこの事件を至近距離で目撃しており、後の NODA・MAP 「贋作・罪と罰」などに大きな影響を与えている。

【中核派の革マル派テロ】
 6.28日、中核派が、革マル派の東京西南JAC4名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 6.30日、中核派が、東京外語大でビラまき中応援の革マル派のJAC20名撃破。3名殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 7.1日、東京・北区の東京外国語大学の1号館1階廊下で、革マル派の学生が、女性1人を含む数人の学生に囲まれ、鉄パイプで殴られ、全治1か月の怪我を負った。襲撃した男女は生協門から逃走した。置きビラ中の東京西南JAC1名殲滅。大阪市立大で40名粉砕。関西JAC殲滅。

【革マル派関連】
 7.2日、中核派を殺人罪で告訴・告発。同日、革マル派は声明「左翼知識人諸氏の決起を評価し権力の暴虐に共に闘うことを訴える」を発表。

【中核派の革マル派テロ】
 7.3日、中核派が、革マル派の東交幹部を殲滅。港区芝公園の区営グラウンドで野球をしていた都営地下鉄車掌(当時28歳)が、突然4人組の男に鉄パイプでメッタ打ちにされ重傷を負う。

【中核派の革マル派テロ】
 7.4日、中核派が、革マル派の国学院大JAC幹部ら3名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 7.5日、中核派が、中央大で中央大JAC隊長を徹底殲滅。「千代田区神田駿河台の中央大学二号館前中庭で、学生2人がビラを配っていたところ、鉄パイプを持った8名に襲撃された。この時の乱闘でビラ配付の1人が頭を殴られ重態。襲ったグループは全員スーツ姿だった」。
 7.5日、中核派が、金沢大JAC幹部3名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 7.8日、中核派が、革マル派の広島で中央JAC2名殲滅(「7・8広島の女性労働者」)。1名重体。

【中核派対革マル派の上智大学構内集団会戦】
  7.9日、千代田区紀尾井町の上智大学構内で、革マル派系の学生約30名が機関紙を配ったり演説をしていたところ、約15名が鉄パイプで殴りかかった。この乱闘で3人が重軽傷を負った。中核派は「上智大で中部千葉ブロック軍団の15名粉砕2名殲滅」、革マル派は「智大で襲撃隊7名粉砕、3名鉄槌」と主張。

【中核派の革マル派テロ】
 7.9日、中核派が、革マル派の大阪教労他2名を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 7.11日、中核派が、革マル派の国家公務員労働者(科学技術省職員)を襲撃、3ヶ月の重傷。

【革マル派の中核派テロ】
 7.11日午後0時10分頃、早稲田大戦争。新宿区西早稲田の早稲田大学の13号館(生協)と14号館(社会科学部)の通路付近で、学生と見られる3名が負傷して倒れているのが発見され病院に運ばれた。1人が意識不明の重態。目撃者の話によると、鉄パイプを持ったグループがあらわれ、乱闘をおこない逃走したという。さらにこの直後、10号館付近でも学生同士の乱闘事件が発生している。警視庁公安部と戸塚署は革マル派による中核派襲撃と断定した。革マル派は「襲撃部隊30名を先制的粉砕」と主張。

【中核派の革マル派テロ】
 7.14日、中核派が、革マル派の全学連大会帰路の国学院大ゲバ隊長ら4名を撃沈。東海教労委議長撃沈。

 7.15日午前8時20分頃、東京・小金井市本町の小金井公会堂2階ドア付近に、茶色の紙に包まれた不審物があるのを用務員の女性が見つけ、出勤してきた責任者に知らせた。通報を受けた小金井署員が駆けつけ、不審物を公会堂南側の空地に移し、警視庁爆弾処理班に出動を要請、様子を見ていたところ9時23分に爆発した。付近には鉄クギなどが飛んだが、怪我人は出なかった。公会堂では、この日の朝に革マル派全学連の第38回全国大会が開かれることになっており、爆弾の時限装置はこの時間にセットされていたらしい。内ゲバに爆発物が使われたのは初めてだった。

【中核派の革マル派テロ】
 7.17日、中核派が、革マル派の広島県委員長を4度目の殲滅。

【中核派対革マル派の新橋駅集団会戦(「甲斐事件」)】
 7.17日、新橋駅内ゲバ殺人事件/中核派-革マル派。中核派と革マル派が新橋駅ホームで会戦。皇太子夫妻の沖縄訪問に反対して国電蒲田駅周辺で沖縄海洋博粉砕・皇太子訪沖阻止闘争の帰途にあった革マル派約400名が新橋駅到着時に、中核派の約400名が竹竿・石等で襲撃し新橋駅山手線内回りホームで衝突。同駅を通る京浜東北線など各線がストップした。この衝突で革マル派の立命館大経済学部の甲斐栄一郎(20歳)が死亡、革マル22人目の死者となる。44名が重軽傷。321名(うち女性53名)が逮捕される。
 中核派の機関紙「前進744号」は、「空前の大勝利、カクマル反革命本隊350名を完全にせん滅、ついに爆発した中核派魂」という見出しで「ファシストの墓場と化す駅構内」、「JACを死の谷」へ等々と報じている。玉川信明編著「内ゲバに見る警備公安警察の犯罪」は次のように記している。
 「全学連の仲間を大量逮捕し全学連を組織的に壊滅させることを目的として、警察権力が一から十まで周到に計画し、瀕死のウジ虫=中核派や、さらには右翼・ヤクザゴロツキ分子などを総動員しつつ、大がかりに仕組んだ空前の大謀略」。

【革マル派関連】
 7.21日、埴谷雄高氏らが「革共同両派への提言」に続いて再提言「殺しを止めよ」が出される。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 7月、社青同解放派(革労協)が福教大革マルせん滅。「総攻勢の狼煙をあげる」。

【中核派の革マル派テロ】
 7.22日、中核派が、革マル派の「教労幹部を徹底殲滅。3ヶ月の重傷」(「7・22研修旅行中の教育労働者」)。静岡県下田市の路上を歩いていた東京・昭島市の小学校職員の男性(当時34歳)が、3人組に鉄パイプで襲われ、重傷を負った。この男性は研修旅行中で、以前にも内ゲバ事件で襲われたことがあった。
 電通社員を殲滅。

【中核派の革マル派テロ】
 9.4日、中核派活動家が、 横須賀緑荘アジトで爆弾製造中に誤爆。中核派活動家3名と同アパート住人2名を巻き込み5名が死亡する。

【中核派の革マル派テロ】
 9.12日、「埼玉国学院生内ゲバ殺人事件/中核派-革マル派」。中核派が、革マル派の国学院大生21歳を帰宅途中に鉄パイプで殴打、虐殺。

【**派の革マル派テロ】
 9.16日、「9・16都職労組合員」。

【**派の革マル派テロ】
 9.27日、「9・27北九州八幡高教組組合員」。

【**派の革マル派テロ】
 10.6日、「10・6全逓三鷹支部役員」。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 10.8日、「立正大内ゲバ殺人事件/社青同解放派(革労協)-革マル派」。社青同解放派(革労協)が、「静岡別荘内ゲバ殺人事件/革マル派-社青同解放派(革労協)」の報復として革マル派の立正大生・秋本雅治(21歳) が立正大構内で情宣中に鉄パイプで殴打、火炎瓶を投てき、虐殺。

【**派の革マル派テロ】
 10.9日、「10・9横浜国立大生」。

【**派の革マル派テロ】
 10.10日、「10・10大阪豊中市職労書記」。

【**派の革マル派テロ】
 10.14日、「10・14広島の労働者」。

【**派の革マル派テロ】
 10.23日、「10.23全逓練馬支部組合員」。

【**派の革マル派テロ】
 10.26日、「10・26大阪の狭山闘争を闘う学生」。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 10.27日、「東京大内ゲバ殺人事件/社青同解放派(革労協)-革マル派)」。社青同解放派(革労協)が、革マル派の東大生梅田順彦が駒場構内で情宣中に鉄パイプ等で襲撃し虐殺する。

【革マル派の中核派テロ】
 10.27日、 革マル派が千葉県下の中核派「中央武装勢力」の調査&出撃拠点四方所を一挙に壊滅し、入手した資料を暴露する。

【**派の革マル派テロ】
 10.29日、「10・29独協大構内で全学連の学生」。

【**派の革マル派テロ】
 11.11日、「11.11世田谷で戦闘的教育労働者」。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 11.9日、社青同解放派(革労協)の女性同志が、東京女子大革マルを構内奥深くで捕捉・せん滅。

【中核派の革マル派テロ】
 12.14日、「金沢大生内ゲバ殺人事件/中核派-革マル派」。中核派が、革マル派の金沢大生・関谷隆(25歳)をアパートで就寝中に鉄パイプ・バール等で殴打、虐殺。

【革マル派の中核派テロ】
 12.14日、 革マル派が、中核派「中央武装勢力」官僚・大島忠一らを捕捉し極秘資料を入手。翌15日に台東区入谷の調査=出撃拠点を摘発。スト権スト最中の全逓労働者襲撃計画が判明。

【**派の革マル派テロ】
 12.17日、「12・17関西の満員電車内で自治体労働者」。

【1976(昭和51)年】
 この年の内ゲバ発生件数は全国で91件、死者3名、負傷者192名、検挙152名となった。中核派対革マル派が46件(50.5%)とその半数以上を占め、2件の殺人事件も、この両セクト間で行われたものであった。主要セクトは、「人民革命軍・武装遊撃隊」(中核派)、「特別行動隊」(革マル派)、「プロレタリア統一戦線戦闘団」(革労協)等の非公然軍事組織を持ち、これがいわゆる「内ゲバ」部隊の中軸となって組織的、計画的に内ゲバを敢行している。

【中核派の革マル派テロ】
 1.13日、 中核派が、 横浜国立大から下校途中の学生を襲撃する。一遇間後に中核派が追認。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 1.13日、社青同解放派(革労協)が、横浜市立大構内で学生を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 2.2日、中核派が、 革マル派曰く「東京外語大一般学生を誤爆」とある。

【中核派の革マル派テロ】
 2.6日、中核派が、 革マル派の大東文化大生を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 2.12日、中核派が、 革マル派の都教組南多摩支部組合員を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 2.13日、中核派が、 革マル派の三菱原子力工業の労働者を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 2.26日、中核派が、広島で 革マル派の女性自治体労働者を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 2.28 日、中核派が、仙台市の郵政アパートの革マル派の郵便局員方に侵入、寝室で寝ていた郵便局員、妻、長男(当時2歳)を鉄パイプで殴り、重軽傷を負わせた。あらかじめフキンの電話線を切断し、折りたたみ式ハシゴでベランダから侵入していた。

【革マル派の中核派テロ】
 2月、「所沢の内ゲバ殺人事件/革マル派-中核派」。所沢市の喫茶店にいた中核派系活動家が襲われて1人が死亡。後日、革マル派系の機関紙で襲撃状況が詳報された。この事件に関連して「女性活動家に逮捕状」(朝日新聞1976.4.2日夕刊3版11面)。

【中核派の革マル派テロ】
 3.4日、中核派が、革マル派の全金大阪地本書記を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 3.11日、中核派が、革マル派の愛知県教育労者を襲撃する。

【中核派の革マル派テロ】
 3.12日、中核派が、革マル派の東京国分寺市職員を襲撃する。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 3.19日、社青同解放派(革労協)が、総評青年協集会で動労青年部を武装襲撃。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 5.21日、社青同解放派(革労協)が、大東文化大文連本部を襲撃し、革マル派学生4名が負傷(うち一名は一時危焉)。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 5.29日、社青同解放派(革労協)が、福岡教育大で集会中の学生を襲撃。

【中核派の革マル派テロ】
 6.3日、中核派が、大阪守口市で学生2名を襲撃。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 6.3日午後零時30分過ぎ、社青同解放派(革労協)の十数名が、上智大(東京都千代田区紀尾井町七番地)構内で情宣中の革マル派学生15名を襲撃。革マル派のEことF(当時25歳)に対し全治まで約1か月間を要する頭部外傷、脳挫傷、左耳裂創、全身打撲、右第四中手骨骨折、自称G(当時22歳)に対し全治まで約2か月間を要する頭蓋骨骨折、左急性硬膜外・硬膜下血腫、脳挫傷を負わせた。

【中核派の革マル派テロ】
 6.11日、中核派が、世田各区内の路上で横国大にむかう全学連学生の車を襲撃。

【革マル派の社青同解放派(革労協)テロ】
 6・27日、革マル派が、社青同解放派(革労協)の自治体・教育労働者に対する白色襲撃を凶行した。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 10.27日、社青同解放派(革労協)が、革マル派東大生(22歳)を東京で殺害。

【中核派の革マル派テロ】
 12.5日、「山口県防府市内襲撃事件/中核派-革マル派」。山口県防府市で、中核派による革マル派襲撃事件が発生している。革マル派は、「犯人は山口県警の現職警察官」と宣伝し、大々的に「権力謀略論」を展開している。

【1977(昭和52)年】 
 この年の内ゲバは、全国で41件発生し、死者10名、負傷者47名。これは1969(昭和44)年以来最低を示した1976(昭和51)の発生91件、死者3名、負傷者192名に比べ、発生件数及び負傷者数で更に大幅に減少し、これまでの最低となった。しかし、このような内ゲバの総体的な減少のなかで、殺人事件による死者は、前年の3名に比べ10名と逆に増加した。内ゲバ事件をセクト別に分析すると、革マル派対中核派が14件(34.1%)、革マル派対革労協が10件(24.4%)であり、この33セクトで全体の半数以上(58.5%)を占め、殺人事件もこの3セクトの間で発生している。内ゲバセクトは、「糾察隊」(中核派)、「特別行動隊」(革マル派)、「プロレタリア統一戦線戦闘団」(革労協)等の訓練された非公然軍事部門を擁し、これらが中心となって組織的、計画的に内ゲバを敢行している。

【革マル派関連】
 1.6日、「水本事件」」。千葉県下の江戸川で革マル派活動家の日大生・水本潔氏が水死体で発見されている。革マル派はこれを「権力による謀殺、死体スリカエ事件」と大々的に喧伝している。(れんだいこサイト「革マル派系活動家・水本潔(日本大学生)変死事件考」)

【革マル派の社青同解放派(革労協)テロ/社青同解放派(革労協)最高指導者・中原
一虐殺(「中原事件」)】
 2.11日、「革労協書記長内ゲバ殺人事件/革マル派-社青同解放派(革労協)」。社青同解放派(革労協)書記局長で筆頭総務委員の「中原一」こと笠原正義が、茨城県取手駅付近で車に乗っていたところを、乗用車に挟み撃ちにされ、革マル派6名に鉄パイプで頭などをメッタ打ちにされて死亡した。
 
 革マル派のコメントは次の通り。
 「革労協の最高責任者である中原一に対して、革命的鉄ついを下した。これはあくまでも、われわれ労働者、学生への彼らの反階級的な襲撃を未然に防ぐための防衛的闘いである」。

 革マル派の機関紙「解放」(77.2.21日付け)は次のように報じている。
 「中原一派の盲動を未然に粉砕」の見出しで、「『人殺し、助けてくれ』という消え入りそうな萎えきった声がお前の最後の言葉となった」。

 最高指導者を殺された社青同解放派(革労協)の怒りは凄まじく、「2.11反革命をとおして、わが革労協と反革命革マル派とは、彼我いずれかの絶滅をもってのみ決着のつく不可逆的な『戦争』関係に突入した」と声明し、中核派をも凌ぐ対革マル派戦争の全面に踊り出て、中核派に代わって「対革マル」の前線に立つことになった。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 3・7日、社青同解放派(革労協)が早稲田大マル同渡辺殲滅。「2・11報復戦に敢然と決起」。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 3・9日、社青同解放派(革労協)が九州大革マル菊池せん滅。「2・11報復戦に敢然と決起」。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ(「藤原、関口、伊東、伊藤事件」)】
 4.15日、「浦和車両放火内ゲバ殺人事件/社青同解放派(革労協)-革マル派」。社青同解放派(革労協)・革労協が、埼玉県戸田市の機関紙印刷所「こだま印刷」を出発した革マル派のワゴン車を浦和市内の新興住宅街で挟み撃ち襲撃(走行中に前方の空き地に停まっていた大型トラックが進路をふさぐように飛び出してきて、さらに後方から追尾していた幌付トラックが追突し、2台に挟まれるように停車させられた)し、車から飛び出してきたヘルメットに覆面姿の約10人は、鉄パイプやツルハシでワゴン車を乱打し、ワゴン車は鉄板や金網が張られた装甲車のようなものだった為、ドアを変形させて中から開けられないようにしてからガソリンを流し込んで放火し、車が炎上するのを確認した犯人は幌付トラックの後方にあった車で逃走した。これにより、革マル政治組織局(POB)常任(実質的書記長、黒田につぐ革マル中枢のナンバー2)・藤原隆義(34歳)、「こだま印刷」指導者関口誠司、防衛隊の金沢大革マル伊東亘、岐阜大革マル伊藤修の4名が全員焼死した。犯人の作業衣や凶器などは翌日に市内の荒川土手で、逃走に使った車は朝霞市内の路上で17日夜に発見された。4.16日、革マル派は事件の存在を明らかにし、死亡した構成員の氏名を公表した。

 4.17日、社青同解放派(革労協)が犯行声明を出す。成田空港問題の集会で犯行を自認するビラ「革マル「政治組織局員」藤原ら4名を完全に打倒!」を配布している。
 「革マル政治局員藤原隆義ら4人を打倒!2.11中原同志暗殺に対する怒りの革命的テロル炸裂!更に、すさまじい革命的テロルの猛攻を黒田ら反革命頭目の頭上に」。
 わが革労協―プロレタリア統一戦線の革命的戦士は4月15日午後9時10分、反革命印刷所「こだま印刷」から出た反革命装甲車輌を的確に補足し、革マル「政治組織局員」藤原隆義、「こだま印刷」指導者関口誠司、金沢大革マル伊東亘、岐阜大革マル伊藤修に革命的テロルを叩き込み、車輌もろとも完全に打倒した。この偉大な闘いは2・11反革命、わが革命党の最高指導部同志中原暗殺に対するプロレタリア革命党の鉄の回答である。最悪の反革命分子藤原らは格子、鉄板を溶接し、内側から白スプレーで目かくしをした反革命装甲車輌に乗り、「この車は鉄壁防衛だから大丈夫」という"神話"にとりつかれ、「こだま印刷」から出てきた。我が戦士たちは直ちに戦闘体制に入る。反革命分子どもは約70メートルすすんで県道を左折して約400メートル、わが革命的部隊の手の内にスッポリとはまりこんだ。わが部隊は直ちに4トン車をもって車道をふさぎ、2トン車で後方からはさんだ。卑劣漢革マルどもは逃げ道をふさがれるやサイレンをならし、権力を唯一のたよりにする反革命ぶりを発揮したのだ。反革命分子らは右前方つづいて左前方に逃げようとしたが無理とみてバックしようとしたところを、わが革命戦士の2トン車が後方から突撃し、数回革マル装甲車の後にぶつけ、反革命車輌を完全ストップさせた。革マルは自らの2・11反革命の罪業の深さにおののき、まったく抵抗を放棄し、権力と鉄板に身を委ね、ドアのとっ手をにぎりしめ、助けを求めるばかりであった。しかしわが革命的部隊は敵の頼りの反革命装甲車を「鉄の棺桶」に変えたのであった。わが部隊は2・11反革命への煮えたぎる憎しみに燃え、猛然と突撃し、前面フロントガラスをたたきわり、それに対して天井からおろした防御板でふせごうとした。革マル「政治組織局員」藤原隆義、反革命印刷所指導者関口誠司、防衛隊員であり、反革命「全学連」特行である伊東亘、伊藤修計4名の反革命分子に革命的テロルを炸裂させた。わが戦士達は、埼玉全県、首都各県、都県境橋全域にわたる権力の戒厳令をあらゆる手段を駆使して突破し、全員帰還した。この闘いこそ、2・11反革命、わが革命的労働者協会総務委員会書記局員であり、偉大な共産主義者である、同志中原暗殺に対する煮えたぎる怒りと憎しみを、鉄の組織性と計画性、戦闘遂行における大胆さとして絞りあげ、階級的革命的原則にのっとったすさまじい革命的テロルとして革マルの頭上に炸裂させたものである。この闘いは3・7早大革マル渡辺―3・9九大革マル重撃沈に続き、敵中枢への革命的テロルの炸裂の第一弾である。わが解放派は2・11反革命・同志中原暗殺にあらゆる方法、手段をもって復讐すると宣言してきた。そして2・11復讐戦は日本党派闘争史上空前の炸裂をもって激烈かつ熾烈に闘いぬかれるであろうことを宣言してきた。4・15戦闘こそまさしくかかるわが革命党の宣言の実践化である。プロレタリアートとその革命党の怒りを更に更にすさまじい革命的テロルとして革マル反革命分子の頭上にうちおろすであろう。革マルの完全な解体までやむことなき猛攻として炸裂するであろう。最悪の反革命分子藤原はわが機関紙「解放」191号ではっきりと示したように、革共同分裂以前からの早大最古参の反革命分子として、山代と肩をならべる位置にあり、革マル政治軍事中枢を握る「政治組織局」の中枢であった。第一次早大闘争(66年)当時の早大革共細胞のキャップをつとめ、68年早大文連乗っとりの総責任者であり、徹頭徹尾、わが解放派への憎悪をむき出しにして革マル内部でのしあがってきた最悪の反革命分子だったのだ。革マル「政治組織局員」藤原に対する革命的テロルの炸裂こそ、黒田・山代・朝倉・土門・西条ら革マル反革命指導部打倒の鮮血の導火線である。わが解放派は必ずや革マル「政治組織局」全員を革命的テロルで打ち倒すであろう。 革マルよ!直視せよ!彼我の真の戦闘関係を直視することを恐れ、自らの絶望的敗退、崩壊的現実をウソとペテンで糊塗し、「ボーリャク」を吹聴し、内心わが解放派に恐怖しながら、内外をあざむくアヘンとして「謀略論」をがなりたててきた報いが、藤原を守るべき防衛隊、反革命「特行」2名が戦闘時になにひとつ反撃しないという脆弱ぶりとして露呈しているのだ。

 4・15戦闘の大戦果の意義は
第1に、革マル政軍中枢=反革命「政治組織局」の一角の打倒という対革マル戦史上最大の成果として裏指導部―敵中枢の補足打倒という新たな地平を戦取し、2・11復讐戦の本格的第一弾を闘いとったことである。
第2に、反革命機関紙エセ「解放」発行体制に重度の打撃を加えたことである。
第3に、方法・手段・戦果において革命的テロルの徹底性、反革命党と革命党との相互絶滅戦にふさわしい革命党の戦闘指導の徹底性、非妥協性、革命党指導部暗殺に対する回答にふさわしい徹底性を一点の曇りもなく明らかにしたことである。
第4に、党の戦闘指導下におけるわが軍の作戦能力の飛躍的前進及び本格的死闘戦にふさわしい革命的敢闘精神の戦取による戦果であったこと。
 以上の必然的帰結として
第5に、革マルの党的危機を決定的地平にまで促進したことである。

 2・11復讐戦は更に激しく徹底的に闘い抜かれるであろう
 同志中原虐殺に対する復讐・報復戦は革マルの確実な解体を実現する解体戦として貫徹され尽くされるであろう。黒田を頭目とする「政治組織局」全員を革命的テロルで打倒せよ!反革命白色テロ部隊を総殲滅せよ!労学両戦線から革マルを粉砕・放逐せよ! 2・11反革命の正面突破を藤原ら4名の反革命分子への革命的テロルの炸裂をもって貫徹し、かつ革マル「政治組織局」全員の打倒への鮮血の導火線となるべき4・15戦闘の超巨弾に、今や革マルは大混乱、大動転し、おしとどめることのできぬ破局に叩き込まれ、死の行軍に入っている。小心虚飾の革マル「指導部」は自らに迫りくる"最後の日"への恐怖に眠れぬ日々を送っている。革マルは又もや、4・15戦闘に心底驚がくし、真の現実を直視することを死ぬほどに恐怖し、「権力による謀略」論をがなりたてている。そして革マルの「反撃の第一弾」たるや京葉道路に重油とクギをぶちまけるという、ブル新からも"ヤツアタリ"と言われる始末の、笑止千万ぶりなのだ。そして革マルは、己れにせまる根底的破局の危機をわが解放派の"政治軍事中枢の壊滅(6・24、2・11)"なる主観的判断に立って「権力の手先」規定から「謀略グループの広報班に転落した解放派」なる規定に変化させつつ新たな反革命テロ襲撃によって乗り切ろうとしている。革マルの言う「権力による報復的謀略」たるや、「JCIAの凶行」と"水本謀殺"問題以上に「権力」を肥大化して描いたかと思うとその舌の根もかわかないうちに「謀略を可能とする追認者=走狗集団の解体・一掃の闘いを断固としておしすすめ、もって謀略の息の根をとめる」と"追認者"の一掃が「謀略」の封殺になるという180度逆に「権力」の甘い評価になるというデタラメぶりである。まさにこれこそ、わが解放派の戦闘能力の飛躍的前進に対する革マルの完全敗北の自認であり、わが党―軍の圧倒的優勢を正面打開する力を失った革マルがコケオドシ的テロ襲撃で急場を乗り切ろうという最後のあがきである。わが対革マル戦闘は確実に革マルをしめあげ、彼らの絶滅へ追いつめてきた。革マル学生戦線は敗退に敗退を重ね、全国数少き"虚点"大学自治会支配の崩壊が続き、3月30~31日に行なわれたエセ「全学連」中央委員会に全国から結集した学生革マルはなんと百名そこそこという凋落ぶりで、革マル反戦を叩き込んでようやくもたせるという破産を示したのであった。他方革マル労働戦線は動労・全逓の破産と崩壊が続き、この労学両戦線の破産は3・26総評青年協闘争を通して一挙に促進してしまった。わが解放派の部隊制圧によって革マルはもはや総評青年協に本隊登場すらできず、エセ「労学共闘」は完全破産し、青年労働者運動と全く無縁になり、権力による解放派排除を唯一の頼みに登場の機会をねらった。しかし動労革マルの総評民同に泣きすがっての権力導入は逆にわが解放派と青年労働者の怒りによって粉砕され、会場は革マル・民同・向坂・権力糾弾の爆発の場となってしまったのだ。その後の青年協幹事会での動労革マル大久保の惨めな大破産についてはさすがに消耗したらしく革マルは内外に口を閉ざし、今やデマゴギーとわが全逓、自治体の革命的労働者に対する名指しのテロ宣告で乗りきりと敗退のまきかえしを策している。6・27襲撃に続く新たな労働者襲撃をわれわれは絶対に許さないであろう。革マルの戦略的路線的思想的破産はなだれをうって進行し、"ハンガリア革命20周年運動"なる原点再確認、反スタ主体性再確立運動がパンクし、そして今や、反スタのバネを「スターリニスト・ソ連による北方四島支配反対、公海の占有支配弾劾」にもとめるほどに破綻し(要するに「反スタ」なら内容ぬきになんでも飛びついていく)、又、朝鮮問題を"日韓疑獄弾劾闘争"にするというデタラメぶりなのだ。反革命テロ部隊は河合・水本問題をめぐって大混乱し、更に脱落者、転向者・消耗者が続出している。謀略論のいきつく果ての"水本謀殺"で、乗り切りを策してみたが、うまくいかず、さりとて次に打つ手もないと無方針の中で、あの笑止千万な"道路遮断"の茶番劇が延々と4回も続いているのだ。
この出口なしの大破綻の革マルの頭上に、2・11復讐戦の猛然たる炸裂である4・15の超巨弾が深々と叩き込まれたのであった。

 革マルのドンヅマリの危機を直撃せよ!
 わが解放派は確実に革マルをしめあげ追いつめてきた。革マルを解体し尽す闘いへ敢然と踏み込み血みどろの死闘を通して勝利を闘いとるであろう。プロレタリア解放、永続革命=世界革命、共産主義=革命的マルクス主義の名において勝ち抜くであろう。同志中原の生前の闘いと意志は我々の団結と死闘の中で生き続け発展するであろう。2・11復讐戦を更に徹底的に貫徹せよ!敗走する革マルにトドメの第2の4・15を!黒田を頭目とする革マル指導部を一人残らず葬り去れ!白色テロ部隊を総殲滅せよ!全党―全軍―全勢力をあげ、革マル解体を闘いとれ!4・15戦闘の大勝利万才! 全学連(伍代委員長)

 出典: 革命的労働者協会政治機関紙「解放」193号1977年05月01日

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 5・13日、社青同解放派(革労協)が、革マル東北地方委議長城の完全打倒。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 5・30日、社青同解放派(革労協)が、独協大革マルせん滅。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 7・4日、社青同解放派(革労協)が、千葉大マル同学生革マル中枢矢萩完全打倒。

【中核派の革マル派テロ】
 9.12日、中核派が、革マル派の国学院大サークル員・田中玲彦が自宅付近で虐殺する。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 10.8日、社青同解放派(革労協)が、革マル派の立正大生・秋本雅治を、大学構内で火炎ビンを用いて虐殺する。

【革マル派の中核派テロ】
 10.27日、革マル派が、千葉県下の中核派「中央武装勢力」の調査=出撃拠点四方所を一挙に壊滅し、入手した資料を暴露。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 10.27日、社青同解放派(革労協)が、革マル派の東大生梅田順彦を駒場構内で虐殺する。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 12・9日、社青同解放派(革労協)が、東京大革マル兵頭を完全打倒。

【1978(昭和53)年】  
 この年の内ゲバ事件は、全国で32件、死者7名、負傷者45名、検挙31名であり、前年(発生41件、死者10名人、負傷者47名)に比べ件数、死傷者ともそれぞれ減少し、これまでの最低となった。革マル派対中核派が12件(37.5%)、革マル派対革労協が8件(25%)と、この3セクトで全体の半数以上(62.5%)を占めている。の未然防止に努めている。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 社青同解放派(革労協)は、「2.11反革命一周年決戦へ全党全軍総決起」をうたう。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ(「中武、古橋、高井事件」)】
 1.27日、「水戸市、勝田市内ゲバ殺人事件/社青同解放派(革労協)-革マル派」。社青同解放派(革労協)は、勝田市.水戸市などの茨城県下で同時多発的に革マル派のアジト4箇所を襲撃、中武、古橋、高井の3名を殺害、中島、嶋野、堀切3名に重症を負わせた。

【中核派が大阪、神戸、岡山、鳥取で同時多発ゲリラ】
 9.2-3日、中核派が大阪、神戸、岡山、鳥取で同時多発ゲリラ。

 9月、革マル派の動労中央本部教育宣伝部長・小谷昌幸氏がテロられ重傷。

 1978年以降、党派間ゲバは中核、解放両派の革マル派への熾烈な復讐戦として、一方的に、革マル派の死者が増加する。が、81年以降、次第にそれも減少の方向に向かってきた。それまでの死者の合計80人のうち中核派による革マル派の殺害43名、社青同解放派(革労協)の革マル派殺害22名、革マル派の中核、社青同解放派(革労協)両派殺害14名、その他1名である。

【1979(昭和54)年】 

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 1.27日、社青同解放派(革労協)が、茨城県下の勝田市、水戸市などで革マル派3名を殺害し、3名に重傷を負わせた。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 3・16日、社青同解放派(革労協)が、革マル派のこぶし書房防衛隊/角田を完全打倒。

【中核派関連】
 3月、動労千葉が動労本部から分離独立。北小路敏が、動労千葉の分離・独立に際し、動労本部カクマルの襲撃から動労千葉を防衛するために闘う。

【革マル派-社青同解放派(革労協)が「全国青年労働者層決起集会」会場で集団会戦】
 4.11日、革マル派280名と社青同解放派(革労協)260名が、総評主催の「全国青年労働者層決起集会」会場でゲバルト。

【中核派の革マル派テロ】
 5月、「津市内内ゲバ殺人事件/中核派-革マル派」。中核派が革マル派襲撃。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ】
 6.9日、社青同解放派(革労協)が、専修大革マル大岡・越塚を完全打倒し3名を重せん滅。

【革マル派が社青同解放派(革労協)アジト3箇所を襲撃】
 11.21日、革マル派が、東京、神奈川の社青同解放派(革労協)アジト3箇所を襲撃。「果敢な反撃で撃退したとはいえ、権力と革マルとの結託を物語るように、襲撃された側が逆に凶器準備集合罪で弾圧された」。

【社青同解放派(革労協)の革マル派テロ(「佐藤、小林事件」)】
 11.16日、「新宿区外苑東通り路上内ゲバ殺人事件/社青同解放派(革労協)-革マル派」。午後7時10分頃、新宿区愛住町の外苑東通り路上で、若い男2名が10数人のグループに取り囲まれ、大型ハンマーや鉄パイプで全身メッタ打ちにされ、1人が死亡、もう1人も翌日病院で亡くなった。襲ったグループはトラックで逃走、トラックは2km離れた新宿6丁目(丸の内線四谷3丁目)に乗り捨てられていた。これは10月に横浜市内で盗まれた車両だった。死亡したのは横浜国大教育学部・佐藤修平(26歳)、北大生・小林智(26歳)、所持品などから革マル派の活動家と判明した。

【革マル派の社青同解放派(革労協)テロ(「革労協の軍事アジト襲撃」)】
 11.21日、革マル派による3件のゲバルト事件があった。午前4時40分頃、藤沢市大鋸のアパートで、学生2人が黒ヘルをかぶった11人の男に襲われ大怪我。寝こみを襲われたもので、逃げようとして下着姿のまま階段や庭先に倒れていた。また同じ時刻、平塚市南原で、8人の男がはしごをかけてビルに侵入し、中にいた人をメッタ打ちにした。そして午前7時過ぎ、八王子市椚田町でも2人が重傷を負う事件があった。この一連の事件で、革マル派は「革労協の軍事アジトを摘発した」という声明を出した。

【革マル派の社青同解放派(革労協)テロ】
 12・10日、革マル派が、関西大において「障害者」に対する差別主義白色テロを凶行した。




(私論.私見)