戦後学生運動10期その2、90年代の諸闘争概略 |
(最新見直し2008.6.22日)
これより前は、「第9期その3、戦後学生運動の考察/70年代の学生運動(1975-79)」に記す。
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここでは、1990年代の学生運動史を概略する。詳論は「10期その2、戦後学生運動の考察/90年代の学生運動」に記す。既にこの頃より左派運動は態を為していない。これを確認する。 |
【1990(平成2)年の動き】 | 「戦後史90年当時」 |
1月、成田空港反対同盟熱田派が、江藤運輸相ら政府側と会談。
6月現在、70年の海老原事件以来のゲバによる死者計83名。70-1、71-5、72-2、73-2、74-11、75-20、476-3、77-10、78-7、79-8、80-8、81-2、82-1、83-0、84-0、85-0、86-2、87-0、88-1、89-3。党派別の死者は中核派による革マル派殺害46名、解放派による革マル派殺害23名、革マル派による両派殺害15名、その他2名。但し、重傷負傷者数も調査されねばならない。
【1991(平成3)年の動き】 | 「戦後史91年当時」 |
【湾岸戦争勃発】 |
1.17日、湾岸戦争勃発。 |
【自衛隊の海外出動】 |
4.26日、海上自衛隊の掃海艇がペルシャ湾へ。 |
10月、革マル派の黒寛が、労対4人組を批判(森、土門、朝倉、西条?)。元全逓労働者土井(DI)の抜擢、いわゆる賃プロ主義者が台頭する。これが1992.3月、春闘集会で、賃プロ主義者DIが三・一提起「解体的再創造」。以降、賃プロ主義による内部思想闘争ひろがる。自治労を中心に離脱あいつぐ。教労、沖縄、JR総連へと広がる、とある。
【ソ連邦崩壊】 |
12.25日、ソ連崩壊。ソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、同時に各連邦構成共和国が主権国家として独立したことに伴い、1922年の設立以来アメリカ合衆国に匹敵する超大国として69年間続いたソビエト連邦(ソ連)が解体された。ソ連型社会主義体制が崩壊した事により世界を二分した冷戦時代が名実共に終焉を迎えた。 |
【1992(平成4)年の動き】 | 「戦後史92年当時」 |
3月、革マル派が、同派の沖縄教労・高橋利雄を拉致、後に殺害する、とある。
5月、革マル派の政治集会で森、土門、朝倉、山里、西条が公開自己批判する、とある。
6.15日、国連平和維持活動(pko)協力法成立。 |
7月、拡大全国委員会(黒田が、賃プロ主義者DIを粛清)、とある。
8月、17回大会で、黒寛が、「一部の革命主義的偏向の克服」。JR総連内革マルの「反党陰謀活動」に対する闘争?、とある。
10月―12月 産別委全国代表者会議「X地方組織の建て直し」、X地方とは沖縄か(松崎が仲裁?)、とある。
12月、山里章が脱出生還、とある。
読売憲法問題調査会が第一次提言。 |
野坂失脚。ソ連共産党の保管文書から、野坂が戦前、同志を密告し、銃殺に至らしめたとされる手紙が見つかった。除名された。翌93.11月に101歳で亡くなった。 |
【1993(平成5)年の動き】 | 「戦後史93年当時」 |
衆院選挙前、自民党の羽田.小沢派の43名が離脱、新生党を結成。竹村正義ら10名も自民党を離党して新党さきがけを旗揚げ。
8月、細川連立政権成立。
8月、JR東労組が開いた青年婦人部学習会において、松崎委員長が「特別講演」を行なう。
「労働組合のリーダーの多くは、出世主義に走る。いい思いをしたい。だから特別出向その他で苦勞しない為にも、組合の専従役員でいて、おいしいところがあったら、その時に乗り移ってしまおうというような、邪なことを考えている労働組合の幹部が多い。そういう事を頭において、労働組合とは何だということを考えてみてほしい。決して弱い人の立場に立っていない。我々はヒューマニズムということを強く言っている」、「こういう労働貴族みたいな者が、日本の労働運動をダメにしてきており、まじめに闘おうとする労働組合の幹部を潰そうとする。間違ってることを指摘して下さるなら、それはいい、いっこうに構わない。しかしそういう人達は、その種の指摘を一回もしたことがない」とした上で前出の勝俣康之氏に対して、名前をあげて以下の調子で批判している。 「この労働組合を割りたいというのであれば、千葉の勝又君よ、まともに考えてみたまえ。この組合を守るというのであれば、何を目標にしているか言ってみなさい。馬鹿馬鹿しいから、あんな者に声をかけるつもりはないけれども、組織を割るというのであれば、それなりの価値観があるでしょう。自分たちの人生とこれからの未来のために、正義を貫こうとした闘いが必要ですよ」、。「馬鹿面こいて、あちこちで酒を喰らって、会社や権力の言いなりになっていって、アル中でくたばる自由はあるんですから。でも、そんなことをやっていたら、世の中、救いがありませんよ。労働組合とは少なくとも、社会正義に立脚しなければいけない。我々はそう考えている」(矢沢修太著『JR―歪んだ鉄路 「JR東日本」の不可解な労使関係』日新報道、1995年、pp.55~57)。 |
【1994(平成6)年の動き】 | 「戦後史94年当時」 |
6月、村山内閣成立。
7.20日、村山首相、衆院本会議で自衛隊は合憲と答弁。
11.3日、読売新聞が憲法改正試案発表。
【石川被告、仮出獄果たす】 |
12.21日、石川氏は第2次再審請求中のまま31年7ヶ月ぶりに仮出獄を果たす。石川被告は、一審判決「死刑」、二審「無期懲役」の判決によって平成6年12月の仮釈放になるまでの実に31年7ヶ月間を獄中で過ごす事を余儀なくされたことになる。その後、 狭山事件の真相と公正な裁判を求める ための訴えに全国を廻る。 |
【1995(平成7)年の動き】 | 「戦後史95年当時」 |
1月、阪神大震災。
11.30日、よど号赤軍、田宮高麿死亡。
【1996(平成8)年の動き】 | 「戦後史96年当時」 |
5.14日、横浜市青葉区で革労協(挟間派)の十数人が、革マル派の国学院大生ら数人を鉄パイプで殴り、1人を殺害、6人に重傷を負わせた。
【1997(平成9)年の動き】 | 「戦後史97年当時」 |
5.23日、超党派の憲法調査委員会設置推進議員連盟(憲法議運)発足。
9.23日、日米両政府が新たな日米防衛協力の指針(ガイドライン)を決定。
11月、山一證券破綻。
【1998(平成10)年の動き】 | 「戦後史98年当時」 |
【1999(平成11)年の動き】 | 「戦後史99年当時」 |
5.24日、ガイドライン関連法成立。
6.6日、建党協議会、ワーカーズ、『国際主義』編集会議などとともに「共産主義協議会・未来」を発足。
7.29日、衆参両院に憲法調査会を設置する改正国会法成立。
10月、自自公連立
これより後は、「2000年代の諸闘争」に記す。
(私論.私見)