| 講元一覧表 |

更新日/2024(平成31→5.1栄和6年).10.8日
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| ここで、「教勢の発展と講の結成」を確認しておく。「天理教ORTHODOX - 講 - 教会 - ライブドアブログ」その他参照 2007.11.30日 れんだいこ拝 |
| 【この頃の教勢の発展と講の結成】 | |||
| 明治3年、4年、5年にかけて「珍しい助け」が次から次に現われ、この頃になると親神様の神名は一段と知れわたり、「お道」は大和の国境を越えて、河内、摂津、山城、伊賀と近隣の国々へ広まって行くこととなった。更に東は東海、関東にまで、西は中国、四国へと激しい勢いで延びて行った。ただ数の上で信徒が増えたばかりでなく、教祖を慕う人々の気持も益々強烈な勢いをもって進行していた。教祖の一列助けを急き込む仕込みもなお盛んに教理の形も次々と整えられて行く時代となった。 教祖は、文久、元治より人々に「講を結べ」と仰せられた。「講」とは、同じ信仰に結ばれる集団(信徒集団)の寄り合い組織であり「組」とも云う。当時から様々な宗派や信仰において「講」が結ばれていた。主な例としては、氏神を中心とした集団、檀那寺を中心とした集団、また富士山を参詣する人々の富士講、伊勢神宮を参詣する人々の伊勢講などが挙げられる。教祖にあっては、道人の続々と列なり来る姿と、こうした道人の信者組織としての「講の結成」とが、「お道」の将来の青写真として映じていたようである。「講の結成」は、実際には明治11年の秀司を講元とする真明講を始まりとするが、「お道」のこの後の展開が「講の結成」を眼目として進展して行くこととなる点に着目を要する。 これにつき、稿本天理教教祖伝p141-142は次のように記している。
講そのものについては、既に1867(慶応3)年に御製された「御神楽歌」の中で次のように説かれている。
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| 【講元⇒大教会の系統】 |
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天理教における主な講については以下の通りである。()書きは現教会名とする。(記述検証はできていない)講のその後の展開は「別章【お道の系統大教会史考】」に記す。(「講-教会」、「大教会の系統(敷島~治道)」、「講-教会」。その他参照) |
| 1867(慶応3)年頃 | |
| 矢部村講中(「御神前名記帳」に記されている) | |
| 七条村講中(「御神前名記帳」に記されている) |
| 1875(明治8)年頃 | |
| この頃、道人の数は日増しに増加し、各地に講社の結成を見ることとなった。この時代、教勢は大和の国境を越え、東は東海、関東にまで、西は中国、四国へと激しい勢いで延びて行った。それは、ただ数の上で信徒が増えたばかりでなく、教祖を慕う人々の気持も益々強烈に昂進していくこととなった。 | |
| 天元講 (てんげん) |
(こかんの出直しの葬儀を手伝った庄屋敷村、三島村の人々が後仕舞いの膳の席で講をつくる話となり始まったのが「天元講」であり講の第1号となった。誰が講元ということもなく毎月、日を定めて赤衣を持ち廻って講勤めを始めたという。後に天元分教会となる。明治16年、安達秀治郎を講元に選ぶ。高井猶吉が庄屋敷村の北田嘉市郎宅に寄寓してお屋敷へ運んでいたので、傍ら天元講の世話取りに当たり、講勤めの後、神様の話を取り次いだ。
(稿本天理教教祖伝逸話篇p43その他参照) |
| 神楽講 | (河内の老原村)(講元・松田伊之助) |
| 真心組 | (大阪) |
| 1876(明治10年)頃 |
| 真栄講(⇒大縣) |
| 神徳講(⇒古市) |
| 天水組(⇒網島) |
| 恵心組(⇒大江) |
| 平真講 |
| 真誠講 |
| 一心講 |
| 永続講 |
| 敬真講 |
| 天徳講 |
| 天心講 |
| 天恵組 |
| 1878(明治11)年頃 |
| 眞明講(講元・中山秀司、芦津) |
| 明心組(船場) |
| 天地組(北) |
| 1880(明治13)年頃 |
| 伊豆七条村講中⇒誠心講(⇒治道) |
| 積善講⇒平安 |
| 心実講(講元・前川喜三郎)⇒城法 |
| 心勇講(講元・上村吉三郎)⇒敷島(講元・上村吉三郎) |
| 永神講(講元・梅谷四郎兵衛) |
| 天明講(八木) |
| 日の本講⇒旭日 |
| 天龍講⇒郡山 |
| 治心講⇒中和 |
| 大和講⇒櫻井 |
| 明元講⇒田原 |
| 1882(明治15)年頃 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 明治十五年三月改めの講社名簿が遺されている。これを確認する と以下の通リ。 大和国五、河内国十、大阪四、堺二の講社が結ばれて居る。その他 この名簿には見えないが、この以前からあったものに天元、積善、天 徳、栄続、朝日、神世、明誠等がある。当時、講元周旋の人々は、山 城、伊賀、伊勢、摂津、播磨、近江の国々にもあり、信者の分布は更 に遠く、遠江、東京、四国辺りにまで及んだ。
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| 1884(明治17)年頃 |
| 深谷源次郎が明誠社より脱会⇒斯道会(講元・深谷源次郎、河原町) |
| 1886(明治19)年頃 |
| 新たな講元として次の講が結社された。 |
| 阿波真心講 |
| 遠江真明講 |
| 斯道会 |
| 天地組 |
| 天元組 |
| 天明講 |
| 兵神真明講 |
| 天竜講 |
| 大和講 |
| 日元講 |
| 東京真明講 |
| 治心講池田組 |
| 1887(明治20)年頃 |
| 名張分教会 |
| 大阪天地組の布教師、中川徳蔵が北海道布教に出かける前に郷里である名張に寄り布教。名張分教会の始まりである。関係教会24のうち2カ所を除いて全て三重県にある。 |
| 大江(初代講元・中西金治郎)⇒天恵四番専心組。天恵組四番講元泉田藤吉が中西金次郎をおぢばへ連れて行っている。 |
| 1888(明治21)年頃 |
| 講を元として教会になる。教会は以下の例である。 |
| 郡山天龍講(講元・平野楢蔵)⇒郡山大教会(初代会長・平野) |
| 遠江真明組(講元・諸井国三郎)⇒山名(初代会長・諸井)が12.5 日、天理教教会本部の最初の直轄教会として設立を許された。 1889(明治22)年4.25日、山名分教会設立。 1909(明治42)2.2日、山名分教会がに山名大教会の改称。 |
| 1889(明治22)年頃 |
| この年、次の講が教会となった。 |
| 大阪真明組(講元・井筒梅治郎)⇒芦津(初代会長・井筒)(大阪) |
| 摂津播磨真明組(講元・端田久吉)⇒摂津播磨 |
| 神戸兵庫真明講(講元・清水与之助)⇒兵神(神戸兵庫、初代会長・ 清水) |
| 東京真明組(講元・上原佐助)⇒東(初代会長・上原佐助) |
| 大阪明心組(講元・梅谷四郎兵衛)⇒船場(大阪、初代会長・梅谷) |
| 河内国講社(講元・松村吉太郎)⇒高安(河内、初代会長・松村) |
| 近江国斯道会(講元・深谷源次郎)⇒河原町(初代会長・深谷) |
| 阿波国信心組(講元・土佐卯之助)⇒撫養(初代会長・土佐) |
| 1890(明治23)年頃 |
| この年、次の講が教会となった。 |
| 斯道会第2号(講元・西野清兵衛)⇒宇治田原(初代会長・西野) |
| 心勇講⇒敷島(上村吉三郎) |
| 大坂の柏原集談所(講元・山本利三郎、板倉槌三郎)⇒中河(初代会 長・山本) |
| 朝日組(講元・平野辰次郎)⇒堺(初代会長・平野) |
| 摂津播磨真明組(講元・端田久吉) |
| 播磨以西各国天地組⇒北(講元・茨木基敬) |
| 大阪天恵組(天恵組四番講元・泉田藤吉) |
| 正明講⇒南海(初代会長・山田作治郎)(和歌山県新宮町) |
| 心実講⇒城法(初代会長・前川喜三郎) |
| 誠心講(講元・喜多治郎吉)⇒治道(初代会長・喜多)。 |
| この年、新設分教会の開えん式が相次いで行われた。 6.2日、兵神、7.2日、郡山、船場、奈良の田原(久保小三郎)、敷島 (上村吉三郎)、中河(山本利三郎)、堺(平野辰三郎)の直属分教会が 創設されている。 |
| 1891(明治24)年頃 |
| 正明講⇒南海支教会⇒南海大教会(山田作治郎) |
| 山田作治郎らが和歌山県新宮町に南海支教会を設置した。 |
| 9.16日、天理教髙知分教会設立(島村菊太郎)。 |
| 1892(明治25)年頃 |
| 津大教会 |
| 天龍講系の人たちが津支教会を設立した。その後、津大教会となり、三重県内に37カ所の教会を有している。 |
| 南紀大教会 |
| 下村謙三郎が、斯道会講元深谷源次郎に匂い掛けされ入信。熊野地方の中心地である本木にて南紀支教会を設立した。その後、南紀大教会となり、紀伊と志摩を中心に三重県内に51カ所の教会を持つ。 |
| 紀陽大教会 |
| 前田友千代、藤楠兄弟らが岩出市に紀陽支教会を設立した。その後、紀陽大教会となり、紀ノ川、貴志川流域に55カ所の教会を持つ。 |
| 名草分教会 |
| 紀陽の発端を作った常極らが名草支教会を設置した。その後、名草分教会となり、41カ所の関係教会を持つ。そのうち30カ所が和歌山県にある。 |
| 1893(明治26)年頃 |
| 東海大教会 |
| 心勇組に加わり城島(現敷島)分教会に所属していた奈良県笠間村 の加見兵四郎が、度会郡滝原村に東海支教会を設立した。その後、 東海大教会となり、三重県内のほとんど中勢、南勢に46カ所の教会 を持つ。 |
| 松阪大教会 |
| 松阪近辺の敷島系信者を一つにまとめ松阪支教会を設立した。その 後、松阪大教会となり、中勢、南勢を中心に三重県内に42カ所の教会 を有している。 |
| 1894(明治27)年頃 |
| 岐美大教会 |
| 石原政治を会長に岐美支教会が設立された。その後、岐美大教会と なり、岐阜県岐美は県内に100カ所近くの教会を持つ。 |
| 1898(明治31)年頃 |
| 東濃大教会 |
| 酒井国三郎、川辺村長の勝村伴次郎らが川辺ほかで結ばれた講を 統合し、東濃出張所を設立した。現在、東濃大教会となり、岐阜県内に 31カ所の協会を持つ。 |
| その後 | ||
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| 心実講(講元・前川喜三郎)⇒城法 | |
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| 心勇講(講元・上村吉三郎)⇒敷島(講元・上村) | ||
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| 天恵組四番(講元・泉田藤吉) | ||||
天地組部内の有力講が天恵組四番(講元・泉田藤吉)。
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| 郡山天龍講(講元・平野楢蔵)⇒郡山大教会(初代会長・平野) |
| 郡山の部内に中和、島ヶ原、熊本、中央、北陸、東肥、山陰、生駒 、中背、山陽。 |
| 中和の部内に津、津軽。 |
| 島ヶ原。1886(明治19)年頃、天龍講(後の郡山大教会)の萬田平治郎が三重県の伊賀上野町に布教し講が結ばれた。これが島ケ原大教会の始まりとなる。伊賀地方を中心に三重県内に17カ所、関東、東北にも伝道線を伸ばしている。部内に高宮。島ケ原の関係教会は伊賀地方を中心に三重県内に17 カ所あり、関東、東北にも伝道線を伸ばしている。 |
| 東肥の部内にノウスアメリカ。 |
| 遠江真明組(講元・諸井国三郎)⇒山名(初代会長・諸井) | ||||
| 12.5日、天理教教会本部の最初の直轄教会として設立を許された。1889(明治22)年4.25日、山名分教会設立。1909(明治42)2.2日、山名分教会から山名大教会に改称する。 | ||||
| 大正年間に教会継承者が二人となる事態を生じ、その解決を図るために山名大教会を分割した。1923(大正12)11.23日、天理教本部より名京大教会設立の認可が下り、名古屋市東区田代町字西畑53番地(のちに千種区春岡二丁目8番10号と住居表示変更)に敷地13200平方メートルの大教会として発足した。2017年1月現在、国内外の直轄分教会33か所と、その部内分教会69か所の計102の部内教会が存在する。大教会のある名古屋市だけではなく、北は北海道、南は鹿児島県と、日本全国に広く分布している。 | ||||
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| 大阪真明組(講元・井筒梅治郎)⇒芦津(大阪、初代会長・井筒) | |||
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| 摂津播磨真明組(講元・端田久吉)⇒摂津播磨 | |||
| 神戸兵庫真明講(講元・清水与之助)⇒兵神(神戸兵庫、初代会長・ 清水与之助) |
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| 東京真明組(講元・上原佐助)⇒東(初代会長・上原佐助) | |||
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| 河内国講社(講元・松村吉太郎)⇒高安(河内、初代会長・松村) | |||
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| 阿波国信心組(講元・土佐卯之助)⇒撫養(初代会長・土佐) | ||||
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| 柏原集談所(講元・山本利三郎)⇒中河(初代会長・山本) | |
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| 誠心講(講元・喜多治郎吉)⇒治道(初代会長・喜多) | |
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| 正明講⇒南海支教会⇒南海大教会(山田作治郎) | ||
| 山田作治郎らが和歌山県新宮町に南海支教会を設置した。その後、 南海大教会となり、和歌山県内に109カ所、中紀関係に55カ所の教 会を持つ。 |
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| 髙知分教会設立(島村菊太郎)。 | |
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| 山名大教会 | |
| 敷島大教会 | |
| 大教会の系統 (敷島~治道) | |
| 北大教会 | |
| 兵神大教会 | |
| 飾東大教会 | |
| 天理教飾大分教会80年のあゆみ | |
| 網干大教会 | |
| 高安大教会 | |
| 名京大教会 | |
| 本島大教会 | |
| 郡山大教会 |
(私論.私見)