敷島大教会 |
更新日/2018(平成30).7.5日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、敷島大教会考をものしておく。 2007.10.25日 れんだいこ拝 |
「増野鼓雪の敷島大教会論」(増野鼓雪全集5)。
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敷島大教会は、奈良県桜井市大字金屋806-1にある。0744-42-6602。 |
上村吉三郎【うえむら きちさぶろう】 天保9年(1838)1月28日生まれ(大和国十市郡倉橋村出屋鋪‐現・奈良県桜井市倉橋出屋敷) 。明治17年(1884)足のケガを山田伊八郎(心勇組初代講元)のおたすけでご守護頂く。この後、講元を譲り受けることで入信。心勇組2代講元。稿本天理教教祖伝』では明治16年、城島分教会(現敷島大教会)初代会長。明治28年(1895)11月24日、出直し(享年58歳)。 |
【大神大社と天理教敷島大教会との関係】 | ||||
大神大社の鳥居の南に天理教敷島大教会がある。敷島大教会は何故にこの地にあるのだろうか。これが偶然である訳がなかろう。これを推定して見る。
敷島大教会の前身は、心勇組講である。心勇組は、1886(明治19).2.18(陰暦正月15)日、講元上村吉三郎に引率された心勇組の講中が7里の道を遠しともせず参詣にやって来て、「十二下り」をおつとめさせて頂きたいと御願いしたところ、お屋敷では警備取り締まりの厳しい折柄、この由を話し聞かせて断わったのに対し、一同が二階が信徒の宿泊所になっていた門前の豆腐屋こと村田長平方に引き揚げ、自然にお手振りが始まり声高らかに唱和し始め、これが原因で「教祖最期の御苦労」になったことで知られている。 本部教理では心勇組の勇み足を咎める記述の仕方になっているが、教祖の受け取り方は違っていた。教祖は、心勇組のお手振りの声を聞いて、「心勇組は一の筆やなぁ」と取次ぎの者に仰せられたと伝えられている。ここで確認すべきは、当時のお道の教徒、講中が「応法の理」に従い、教祖の意向に反して逼塞していたところ、心勇組が唯一、教祖に一筋心になり匂いがけ、お助けに東奔西走していた講であったことである。 これより先、1882(明治15).10.20日(9.9日)、熱心な道人である泉田藤吉系譜の信者が、和泉国豊中村我孫子(現在の大阪府泉大津市我孫子町)で、熱心な信者の一人が病人を救おうとしたあまり、死なせてしまうという不祥事件が起こして警察沙汰となった事件がある。これを「我孫子事件」と云う。事件の責任者であった泉田は、大阪で警察に拘引された際に堂々と所信を披瀝した。これを「泉田藤吉所信表明事件」と云う。事件は、当時の大坂朝日新聞等に大々的に取り上げられ、激しい非難を浴びせられることになった。当時のマスコミは得たりとばかり口を極めて攻撃し、これを大々的に取り上げて全国的な報道となった。我孫子事件は格好の天理教パッシングの材料になった。お道内にも動揺がひろがった。 本部教理では「信仰の浅い信者達が起した我孫子事件」として否定現象事件として釈明しているが、この時、教祖は、「さあ海越え山越え、海越え山越え、あっちもこっちも天理王命、響き渡るで響き渡るで」と述べ、揺るぎのない信仰の義を指示している。これによれば、本部教理釈明と違って教祖は泉田籐吉らの跳ね上がりをむしろ激励していたと受け取るべきであろう。 この系譜が敷島大教会創出へと向かっていることが判明する。その敷島大教会が他の大教会と違ってなぜ大神大社の入り口に居を構えたのかが問われねばならない。何らかの繋がりがあると読むべきであろう。 敷島大教会の初代は、山田伊八郎(やまだ いはちろう)である。山田は、1848( 嘉永元).3.14日、大和国十市郡倉橋村出屋鋪(現・奈良県桜井市倉橋出屋敷)にて誕生し、1881(明治14)年、山中忠七の次女こいそ(いゑに改名)との結婚により信仰を始めている。同年末、教祖より名付けられた心勇組の講元となる。教祖より赤衣を授けられる。明治17年、上村吉三郎が入信し心勇組の講元を譲る。明治20年9月、本席よりお授けを戴いている。別席取次人となる。1899(明治32)年、城島分教会の2代会長の許しを受ける。1900(明治33)年、城島分教会を三輪町金屋886に移転する。城島を敷島と改名する等の許しを受ける。明治42年、敷島分教会が大教会に昇格改称する。明治44年、天理教教会本部役員に任命される。1916(大正5).8.21日出直している(享年69歳)。 この履歴からは、敷島大教会が何故に大神大社の入り口脇に設置したのか特段のことは判明しない。しかし、何か強い因果関係があったものと思われる。追々確認して行くことにする。 ネット検索で次の一文に出くわしたので転載しておく。(「第二節 山田伊八郎」)
ネット検索で次の一文に出くわしたので転載しておく。(「天理教教祖中山みきの口伝等紹介」)
2010.7.23日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)