第1部 | 邪馬台国論、同論争のもう一つの意義について |
更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).9.27日
(れんだいこのショートメッセージ) |
邪馬台国論の道に踏み入れば入るほどミステリーを深める。れんだいこは今も持論をもたない。しかるに何故に拘るのか。敢えて言えば、思考を鍛えてくれるからであるとも云える。ああでもないこうでもないの宝庫であり、然るに卑弥呼の魅力が頭から離れない。恐らく他の方も同じような思いであろう。つまり、邪馬台国論はある種の中毒性で持って我々の脳を捉える。害がなければ良いことではなかろうか。 れんだいこのいわば趣味の世界です。ゆっくり時間を取って再度考究して見たい。貴重な視点も随所にいれております。未整理未完。 こう書きつけておいたが、漸くれんだいこの邪馬台国論が纏まり始めた。そこで「邪馬台国の研究、れんだいこの新邪馬台国論」と銘打って本サイトをますます充実させて行くことにする。 2003.9.21日、2009.11.23日再編集 れんだいこ拝 |
目次 | |
邪馬台国論、同論争の歴史的意義について | |
邪馬台国論、同論争のもう一つの意義について | |
れんだいこの新邪馬台国論 | |
王朝交代説考 |
(私論.私見)