「党派間ゲバルトの経過と実態考」その4、1980年以降

 更新日/2018(平成30).9.6日

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 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「党派間ゲバルトの経過と実態考その2、1980年以降」を確認しておく。後日、再推敲する。「内ゲバ - Wikipedia」、「ネットマガジン『新左翼大論争』第2号」、新左翼内ゲバ事件」、「中核派対革マル派抗争略年表」他を参照する。 中核派は求殺隊、革マル派はジャック、革労協はプロレタリア突撃隊なる別働殺人部隊を組織していた。

 2012.10.22日再編集 れんだいこ拝


【1980(昭和55)年】 
 この年の内ゲバ事件は、発生件数15件、死者8名、負傷者32名、検挙16名で、前年(発生件数22件、死者8名、負傷者32名)に比べると、件数は7件減少、死者、負傷者は変わらなかった。内ゲバ事件をセクト別にみると、中核派が革マル派を攻撃したとする事件が5件、革労協が革マル派を攻撃したとする事件が5件で、これらが全体の3分の2を占めている。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 1.7 日、駒場の東大教養学部、北寮の一室で、寮生10人が懲罰委員会を開いていたが、社青同解放派(革労協)と見られる12、3人の学生が室内と廊下にいた計100人に殴りかかり、11人が負傷した。襲った学生は逃げたが、うち3人は逮捕された。大学の拠点化をめぐり、対立セクトの革マル派とにらみ合う反帝学評は、前年末、他大学の学生を呼ぶなどして、東大の一部を占拠し立てこもった。このことで、寮生から「不法占拠だ」との批判を浴び、反帝学評を懲罰にかけることとなった。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 2.5日、文京区向ヶ丘のアパートで、この部屋の東大文学部4年の男性(当時24歳)が寝ていたところ、ヘルメットをかぶった4人組の男が窓ガラスを割って押し入ってきた。男性は鉄パイプで全身を殴られ重傷、一緒にいた女友達(当時21歳)も頭に大怪我を負った。男性は革マル派の集会に出たことがあった。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 2・15政治集会の当日に東京大革マル箕田の重撃沈。

【革マル派関連】
 80年3月、革マルが党派闘争の「完勝宣言」開陳。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 5.5日、「千葉県旅館「権兵衛」内ゲバ殺人事件/社青同解放派(革労協)-革マル派もしくは誤認」。千葉県安房の旅館「権兵衛」で、西洋史研究会の合宿中、「トミオカはいるか」と入ってきた6人の男におそわれ、助教授が死亡、学生2人が重傷、1人が軽傷。メンバーの17名に「トミオカ」という名字の人はおらず、また死亡した助教授も東大在学中に学生運動をしていたことはあったが、近頃はどのセクトにも繋がりを持っていなかった。革労協は「革マルの秘密メンバーを殲滅」声明。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 5月攻勢―東西2連打。5・5日、「非常任POB」桑原完全打倒―駒澤大「特行」10余名を粉砕。5・27日、大経大Ⅱ部学友会委員長3浦を重撃沈。

【革マル派が社青同解放派(革労協)テロ】
 7・3日、革マル派が社青同解放派(革労協)労働者テロ。

【中核派が革マル派テロ(「豊島郵便局員事件」)】
 7.20日、「練馬区郵便局員内ゲバ殺人事件/中核派-革マル派」。夜、練馬区高野台の路上で、豊島郵便局に勤める男性F(37歳)が、覆面の7、8人の男に鉄パイプで殴られ、28日に病院で死亡した。中核派の「革マルの活動家を殲滅した」という声明があった。

【中核派が革マル派テロ】
 9月、動労中央本部教育宣伝部長・小谷昌幸氏がテロられ重傷。

【社青同解放派(革労協)関連】
 9.15日、かねてから党内闘争が継続されていたが、ついにこの日三里塚において狭間に与するグループが滝口に与するグループを武装襲撃。これによって、社青同解放派(革労協)の組織的分裂が決定的となる。この後も狭間派は後の社青同解放派(革労協)に結集する活動家に対して武装襲撃を繰り返し、拉致・監禁という事態も発生し、負傷者まで出した。

【社青同解放派(革労協)関連】
 9月、「社青同解放派・革労協による東成区路上内ゲバ事件」。盗難車両を使って相手車両を前後からはさみ撃ちにして停車させた上、鉄パイプの先端に出刃包丁を取り付けた凶器で攻撃した。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 9.22日、社青同解放派(革労協)が、動労中央本部教宣部長(後のJR 総連副委員長)革マル小谷の頭上に炸裂、重傷。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 9.25日、社青同解放派(革労協)が、関西全金革マル吉岡の頭上に炸裂。

【中核派が革マル派テロ(「渡辺、益田、清水、深山、楠事件」)】
 10.30日午前10時45分頃、(「大田区南千束路上内ゲバ殺人事件/中核派-革マル派」)中核派が、大田区南千束の区立洗足池図書館前の路上で、革マル派の5名(元千葉大生・渡辺28歳、元明大生・益田30歳、元東工大生・清水29歳、元明大生・深山29歳、東工大生の楠24歳)を襲撃し虐殺した。69年から続く内ゲバ事件で80人目の被害者。1度の内ゲバで5人が死亡というのは最多であった。襲ったのは7、8人のグループ。白ヘルに黒マスクで、作業着やジーンズなどを身に着けていた。あらかじめ現場付近の電話線が切断され、警官が来る前に二台のトラック(盗難車)に分乗して逃走したという。
 事件について、中核派は、「我が革命軍は…カクマルジャックの集団を捕捉し…壊滅的打撃を与えた」、「5人は3・14本多書記長殺害の下手人である。反革命革マル派に対しては、さらに第二、第三の”10・30”を敢行する」などと犯行声明した。翌年に中核派活動家が指名手配されたが時効が成立した。指名手配された男とその母親が、「えん罪だったのに潜伏生活を強いられた」と都に損害賠償を求める訴訟を起こし、2004.3月に東京地裁で300万円を支払いを命じる判決が下されたが、2005.10月の二審では一審を破棄、請求を棄却している。

【社青同解放派(革労協)関連】
 10.30日、社青同解放派(革労協)が、10.31狭山集会の前段闘争で検察庁合同庁舎へ火炎放射器でゲリラ攻撃。

【中核派関連/上口孝夫が試練派立ち上げ】
 1980年、対革マル戦争を担いロンドンに亡命していた上口孝夫が帰国し、正統本多派と称して「『勝利に向っての試練』編集委員会」(試練派)を立ち上げ、中核派から分裂する。(後に試練派は1983年、第四インターに近づくが失敗し、86年に「第四インターナショナル・ボルシェヴィキ派(準備委員会)」(ボル派)を結成し、機関誌『ボルシェヴィキ』を創刊した)

【1981(昭和56)年】
 この年の内ゲバ事件は、発生件数9件、死者2名、負傷者6名、検挙20名で、前年に比べ発生件数は6件、死者は6名、負傷者は26名それぞれ減少した。内ゲバ事件をセクト別にみると、中核派が革マル派を攻撃したとする事件が3件、革労協が革マル派を攻撃したとする事件が1件、革労協の組織分裂に伴う内ゲバが4件それぞれ発生し、これらが全体の5分の4以上を占めている。

【社青同解放派(革労協)関連/革労協が「狭間派」と「反狭間派」に分裂】
 6月、社青同解放派(革労協)では77年に書記長を殺害されてから「徹底報復を主張する軍事路線の狭間嘉明らの学生活動家出身グループ「狭間派」と、大衆闘争・労働運動を重視する佐々木慶明率いる労働者グループ「反狭間派」(滝口弘人、高見圭司ら。後の革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会、通称解放派全協)が対立していたが、この頃分裂した。分裂を機に解放派社青同は事実上機能を停止する。三里塚闘争で、狭間派は反対同盟・北原派を、労対派は反対同盟・熱田派を支援する。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 7.11日、「社青同解放派(革労協)による渋谷区本町内ゲバ殺人事件」。社青同解放派(革労協)が國學院大革マル「特行」高橋殲滅。綿密、周到な事前調査の後、被害者が居住するアパート付近の電話線を切断の上、被害者の居室のドアや窓を破壊して侵入し、就寝中の被害者の頭部、顔面等を鉄パイプで乱打して殺害するといった凶悪、残忍なものであった。

【1982(昭和57)年】
 この年の内ゲバ事件の発生件数は6件、死者数は1名、負傷者数は7名、検挙7名であった。これをセクト別にみると、中核派が革マル派を攻撃したとする事件が2件、社青同解放派(革労協)が革マル派を攻撃したとする事件が1件、革労協の組織分裂に伴う事件が2件、その他が1件となっている。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 2.24日、「2.24荒川区南千住内ゲバ殺人事件/社青同解放派(革労協)-革マル派」。社青同解放派(革労協)が革マル派の國學院「特行」荻原1名を殺害。事前に調査した上、付近の電話線を切断した後、ドアを破壊して侵入し、就寝中の被害者の頭部を鉄パイプ様の物で乱打して殺害するといった凶悪、残忍なものであった。

【1983(昭和58)年】
 この年の内ゲバ事件は3件発生したが、昭和44年以来続いていた殺害事件の発生はなかった。中核派が、「成田闘争」の取組をめぐって戦旗派(荒派)と第4インター日本支部に「党派闘争宣言」を発していることなど内ゲバの兆候は増大した。


【1984(昭和59)年】
 この年の内ゲバ事件は11件発生し、前年の3件を上回ったが、前年に引き続いて殺害事件の発生はなかった。中核派が成田闘争での反目から第4インター日本支部活動家に対して行ったものが多かった。

【中核派が第四インターテロ】
 1984年に入ると、中核派による第四インターへの内ゲバ事件が全国的に起こる。これは成田空港反対同盟の分裂に関係するもので、中核派は反対同盟北原派ではなく熱田派を支援する第四インターを「脱落派」と決めつけて攻撃したものである。

【中核派関連】
 9.19日、中核派が、自民党本部へ無人トラック攻撃。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 10.30日朝、マスク、帽子等を着用した社青同解放派(革労協)が、JR東日本赤羽駅構内において、出勤途上のJR東日本の職員をハンマーや鉄パイプ等で乱打し、頭がい骨や両足を骨折するなどの重傷を負わせた。目立たない服装で人込みに紛れて逃走した。革労協狭間派が、「反革命革マル…を徹底せん滅し、再起不可能状態を強制した…」などと声明した。

【中核派関連】
 11.27日、中核派が、時限発火装置で千葉県知事、浜田幸一代議士らの事務所攻撃。

【1985(昭和60)年】
 この年の内ゲバ事件は12件発生し、前年の11件を上回ったが、3年連続して殺害事件の発生はなかった。検挙28名。中核派が「新たな対カクマル10年戦争」を標ぼうしていることや、革マル派が中核派に対し7年ぶりに攻撃姿勢に転じたことから、すべて両派の間で引き起こされ、そのうち4件は革マル派が攻撃したものであった。

【革マル派が中核派テロ】
 2.5日、「和光大事件/革マル派-中核派」。午後2時過ぎ頃、革マル派が中核派に対し7年ぶりに攻撃姿勢に転じ、和光大学構内で中核派活動家を襲撃。竹竿・鉄パイプ等の凶器を用いて暴行を加え、中核派8人、革マル派1人が負傷した。凶器集合準備・傷害などの罪で逮捕・起訴される。
 兇器準備集合および傷害の罪で逮捕起訴された革マル派被告人A・B・C3名が逮捕手続に違法性があるとして裁判で争っている。第1審は、準現行犯が違法であるなどとして、これによって得られた証拠の証拠能力を否定して無罪としたが、控訴審では、これらの捜査は適法であるとして被告人らを有罪とした。

【中核派関連】
 11.11日、中核派が、動労中央本部書記の革マルT.Y を襲撃、重傷。

【1986(昭和61)年】
 この年の内ゲバ事件は9件発生し、前年に比べ3件減少したが、57年以来4年ぶりに内ゲバ殺人事件が2件発生した。警察は、非公然活動家の検挙、非公然アジトの摘発に総力を挙げて取り組み、非公然活動家20人を含む活動家310人を検挙したほか11箇所の非公然アジトを摘発して多数の資料等を押収した。

【革マル派が中核派テロ(「福島事件」)】
 1.20日白昼、「京都大学教養部構内内ゲバ殺人事件/革マル派-中核派」。京都大学教養部構内でオルグ中だった中核派の全学連副委員長代行・福島慎一郎(25歳)が、待ち伏せしていた集団に鉄パイプで頭部を殴られ、脳挫傷等により死亡した。革マル派は「中核派『軍団』の敵対を完全に粉砕した」などと犯行を自認した。

 京都大学新聞1986.2.1日号は次のように報じている。
 「1月20日午前10時30分頃、教養部A1号館廊下で教育学部3回生で、中核派の活動家、 福嶋慎一郎さん(25)が、革マル派に襲われ殺害された。福嶋さんはC代大の情宣でクラス入りに向かう途中であった。これに対し、学生からの糾弾の声が上がっている。中核派は、声明を出し「反革命カクマル、この憎しみで余りある日帝・中曽根の手先ファシストどもは、わが中核派のほこる京大生、全学連副委員長代行の福嶋慎一郎同志を虐殺するという、絶対に許すことのできない凶行をおかした。わが、革共同中核派は、満身に燃えたぎる憤怒と憎悪を持って、この白色テロルを徹底弾劾し、血の復讐を徹底的に全面的に貫徹することを宣言する」また、同学会、文学部学友会、経済学部同好会など11団体連名で、「革マル派による1.20福嶋君殺害を糾弾する」という声明を出している。民学同もビラで「殺人行為を満身の怒りを持って糾弾する。殺人グループは、自治会運動内部の自治破壊者として追放されねばならない」と述べた。一方、民青系学生諸君は、「内ゲバ殺人」キャンペーンを展開。「大学の内ゲバの戦場化を許すな」「暴力学生は大学から出てゆけ」「大学当局は責任ある態度をとれ」と主張して、弾圧を要請している。警察は、事件を口実に、1月20日に尚賢館、21日に熊野寮を不当捜査した」。

 中核派の声明は次の通り。
 「反革命カクマル、この憎しみで余りある日帝・中曽根の手先ファシストどもは、わが中核派のほこる京大生、全学連副委員長代行の福嶋慎一郎同志を虐殺するという、絶対に許すことのできない凶行をおかした。わが、革共同中核派は、満身に燃えたぎる憤怒と憎悪を持って、この白色テロルを徹底弾劾し、血の復讐を徹底的に全面的に貫徹することを宣言する」。

【中核派関連/「松本アジト」摘発される】
 3.4日、警察が、中核派の長野県松本市内の非公然アジトを摘発し、内ゲバ事件で指名手配中の幹部活動家を逮捕するとともに、「ゲリラ」対象施設や数百人に上る内ゲバ対象者の調査報告等多数の資料を押収した。

【中核派関連/「春日井アジト」摘発される】
 4.20日、警察が、中核派愛知県春日井市内の非公然アジトを摘発し、内ゲバ事件で指名手配中の幹部活動家を公務執行妨害で逮捕(5月2日、手配事実で再逮捕)するとともに、約47キログラムの黒色火薬、時限装置等を押収した(愛知)。

【中核派が革マル派テロ(「前田事件」)】
 9.1日、「真国労大阪地本書記長内ゲバ殺人事件-中核派-革マル派」。未明、中核派が、大阪、兵庫、埼玉の3府県6ヶ所で、真国労幹部宅を襲撃した。この同時多発襲撃事件で、革マル派且つ真国労大阪地本書記長・前田正明(37歳)が兵庫県伊丹市で就寝中を襲われ虐殺された。夫人も全身打撲の重傷を負った。他8人の組合幹部とその家族が重軽傷を負った。当時、国鉄では、「分割・民営化」を支持する真国労・勤労・鉄労・全施労と、これに反対する中核派の対立が続いていた。中核派は5月に襲撃を予告していた。機関紙で「9月1日、…反革命カクマル分子を…徹底せん滅した」などと犯行を自認している。

 9.2日、警察は中核派の関西拠点を殺人未遂容疑で家宅捜索し、犯行を認めるビラや鉄パイプを押収した。

【中核派関連/「盛岡アジト」摘発される】
 10.12日、警察が、中核派の岩手県盛岡市郊外の都南村の非公然アジトを摘発し、活動家5名を公務執行妨害及び火薬類取締法違反で逮捕(23日、爆発物取締罰則違反で再逮捕)するとともに火薬類、爆弾製造工具類等多数を押収した。このアジトは、「圧力釜爆弾」を製造する大掛かりな武器製造工場であることが判明した(岩手)。非公然活動家の男女2人が夫婦を装って偽名で一戸建ての賃貸住宅に入居していた。その引っ越しに際しては隣近所に石けんを配ってあいさつしたほか、「夫」の方は毎日定時に出勤、帰宅し、「妻」の方も買物に出たり、道路等で顔見知りに会えば笑顔で会釈するなど、ごく一般的なサラリーマン家庭を装っていた。その裏で、この「夫婦」以外の3人の男が住居の2階に黒色ビニールで内張りした爆弾製造室を造り、ほとんど住居の外に出ずに専ら爆弾造りに従事していた。

【1987(昭和62)年】
 この年の内ゲバ事件は4件発生し、前年に比べ5件減少した。事案は,いずれも国鉄分割・民営化に絡んで発生した労組幹部等に対する路上襲撃事件である。57年以来5年ぶりに革労協狭間派による革マル派に対する内ゲバ事件が発生しているのが注目される。

【中核派が革マル派テロ】
 2.23日、茨城県茎崎町の路上で、出勤途中の動労中央本部副委員長(後のJR東海労委員長)S.Mが、待ち伏せしていた白、青色ヘルメットの6人くらいの男に襲われ、鉄パイプ、バールなどで滅多打ちにされ両手両足骨折の重傷。中核派が犯行を自認。

【中核派が革マル派テロ】
 5.18日、東京・武蔵野市内の駐車場で、動労拝島運転区渋委員長がJR武蔵境駅まで歩いて出勤中、ヘルメット姿の5、6人の男にハンマー、鉄パイプなどでおそわれ、両手両足骨折の重傷。翌日、中核派は「動労=カクマルへの正義の赤色テロである」と記載したビラを都内数カ所に巻き、犯行を自認。

【中核派が革マル派テロ】
 8.29日、千葉県船橋市の路上で、東日本鉄道労連、・千葉支部副委員長S.Mが自転車で出勤途中、ヘルメット姿の数人の男で鉄パイプで襲われ、両手、両足、顎骨折の重傷。中核派が犯行を自認。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 10.30日、「JR東日本赤羽駅構内内ゲバ事件/社青同解放派(革労協)-革マル派」。朝、社青同解放派(革労協)狭間派が、ラッシュ時の赤羽駅構内で、出勤途中のJR 東労組田端分会組合員職員荒川一夫を鉄パイプやハンマーで襲い、両足と頭蓋骨骨折などの重傷を負わせた(後に死亡)。革労協狭間派は「反革命革マル…を徹底せん滅し、再起不可能状態を強制した」云々と犯行を自認。

【1988(昭和63)年】

【中核派が革マル派テロ】
 3.3日、(JR東日本労組高崎地本委員長内ゲバ殺人事件/中核派-鉄労幹部革マル派)中核派が、群馬県渋川市で東日本旅客鉄道労組高崎地本委員長・動労高崎地本委員長・松下勝氏が自宅で就寝中のところを襲撃され死亡。

【革マル派が中核派テロ】
 7.1日、京大教養学部構内で内ゲバ。中核派8名が負傷した。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 9.6日、社青同解放派(革労協)が神戸大潜入革マル小川を血祭りに上げ、学生革マル追撃戦を叩きつける。

【社青同解放派(革労協)協関連/内ゲバ】
 この頃から中核派と革マル派に関する党派ゲバルト事件自体が急速に減少する。それにかわって深刻になったのが社青同解放派(革労協)の内部抗争で、これは現在まで続き、10名以上の死亡者を出している。

【1989(昭和64/平成元)年】

【社青同解放派(革労協)関連/内ゲバで永井派の元軍事指導部・辻美喜殺害】
 2.5日、永井派の元軍事指導部・辻美喜が狭間派によりリンチ殺害される。革マル派は「辻は永井グループだからリンチ殺害された」と機関紙で宣伝した。警察は、「自己批判をせまられ、発作的に飛び降り自殺した」見解を発表。狭間派は機関紙で辻の追悼文を発表して警察と革マル派に反論した。

【中核派が革マル派テロ】
 2.8日、「東鉄労水戸地本組織部長殺害事件」。中核派が、茨城県那珂町の路上でJR東鉄労水戸地本組織部長K.K を襲い死亡させた。

【社青同解放派(革労協)協関連/内ゲバで狭間派の最高幹部№2の永井啓之殺害(「永井事件」)】
  6.25日、「革労協元幹部内ゲバ殺人事件/革労協狭間派-革労協元幹部」。狭間派が、埼玉県川口市のアパートで、狭間派の最高幹部№2の永井啓之(43歳)方に押し入り、永井を連れ去った。その後、茨城県牛久市の市道トンネル内で寝袋に入れられた永井の遺体が見つかった。殴られた跡があり、顔は判別できないほど膨れあがり、肋骨15本などが骨折する無惨な状態だった。解放派の歴史上初の同志殺しとなった。

 「反狭間派」と別れた同派は狭間・永井を中心に活動していたが、強硬な軍事路線をとる狭間と、大衆闘争で組織を拡大していこうとする永井との間で新たな対立が生まれ、永井は除名処分を受けていた。このことから当初から内ゲバによる殺人事件と見られた。

 6.28日、革労協(狭間派)は都内で記者会見。内部抗争であることを認めた。「わが党、同盟によって昨年除名、その後敵前逃亡し、加重処分の対象となっていた永井が、永井をめぐる組織防衛上の課程で肉体的に変調をきたし、放したが、その後、マスコミ報道によると死亡した」、「今回の事態の全責任は永井にある」と声明した。この事件は時効が成立している。

【中核派が革マル派テロ】
 9.1日、中核派が大阪、兵庫、埼玉の6ヶ所で、国鉄労組幹部宅を襲撃。この同時多発襲撃事件で、革マル派且つ真国労大阪地本書記長・前田正明(37歳)を兵庫県伊丹市で就寝中を襲い乱打死亡させた。夫人にも全身打撲の重傷を負わせた。他8人の組合幹部とその家族が重軽傷を負った。

 当時、国鉄では、「分割・民営化」を支持する真国労・勤労・鉄労・全施労と、これに反対する中核派の対立が続いていた。中核派は5月に襲撃を予告していた。9.2日、警察は中核派の関西拠点を殺人未遂容疑で家宅捜索し、犯行を認めるビラや鉄パイプを押収した。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 10.22(?)日、社青同解放派(革労協)が、JR総連本部革マル田中豊徳を完全打倒。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 10.30日朝、ラッシュ時の赤羽駅構内で、出勤途中のJR東日本の職員が、鉄パイプやハンマーで襲われ、両足と頭蓋骨骨折などの重傷を負った。社青同解放派(革労協)狭間派は「反革命革マル…を徹底せん滅し、再起不可能状態を強制した…」などと犯行を自認。

【社青同解放派(革労協)関連/狭間派の女性活動家・青田君子が腹切り自殺】
 11.7日、北海道帯広市の列車内で、社青同解放派(革労協)狭間派の女性活動家/青田君子が、包丁で腹を切って自殺するという事件が起きている。 週刊新潮や革マル派が「彼女は永井グループで、今回の同志殺しに絶望して自殺した」と報じた。この後、樋口圭之助らの旧永井派は革労協から集団脱走した。

【社青同解放派(革労協)関連】
 11月、「永井殺害事件」から4ヵ月後、狭間派最高指導者・狭間嘉明が、「永井啓之殺人事件」容疑で逮捕される。警視庁公安部は、6年にも詐欺容疑で逮捕したが、永井幹部殺害事件の手掛かりを得ることはできなかった。内部対立が深刻化。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 12.2日、社青同解放派(革労協)が、埼玉県大宮市の路上でJR総連総務部長T.T を革マル派だとして襲い、死亡させた。

【1990(平成2)年】

【党派間ゲバルト死者数考】
 6月現在、70年の海老原事件以来のゲバによる死者計83名。70-1、71-5、72-2、73-2、74-11、75-20、476-3、77-10、78-7、79-8、80-8、81-2、82-1、83-0、84-0、85-0、86-2、87-0、88-1、89-3。党派別の死者は中核派による革マル派殺害46名、解放派による革マル派殺害23名、革マル派による両派殺害15名、その他2名。但し、重傷負傷者数も調査されねばならない。

【1991(平成3)年】

【革マル派が中核派テロ】
 4月、革マル派が、中核派のけしば氏を襲撃。これに対する革マル派への報復テロ(91・5)。

【中核派が革マル派テロ】
 5.1日、「東鉄労水戸地本組織部長殺害事件」。中核派が、JR 東労組水戸地本組織部長Y.Mを襲い死亡させた。

【革マル派関連】
 10月、革マル派の最高指導者・黒田寛一が、労対4人組(森、土門、朝倉、西条?)を批判、元全逓労働者土井(DI)を抜擢する。いわゆる賃プロ主義者台頭する。

【社青同解放派(革労協)関連】
 1991年、社青同解放派(革労協)の関西の全逓組合員らが西原学を中心に西原グループとして分裂した。

【1992(平成4)年】

【革マル派関連/内部抗争】
 3月、春闘集会で、賃プロ主義者DIが三・一提起「解体的再創造」。以降、賃プロ主義による内部思想闘争ひろがる。自治労を中心に離脱あいつぎ教労、沖縄、JR総連へと広がる。

【革マル派関連/内部抗争】
 3月、革マル派が、沖縄教労高橋利雄拉致、後殺害する。

【革マル派関連/内部抗争】
 5月、革マル派の政治集会で森、土門、朝倉、山里、西条が公開自己批判。

【革マル派関連/内部抗争】
 *月、革マル派の沖縄党トップ山里章、全駐労党トップ仲原忠義が賃プロ主義者に反発して脱退する。

【革マル派関連/内部抗争】
 7月、革マル派を脱退した沖縄党トップ山里章が拉致される。

【1993(平成5)年】

【革マル派関連/内部抗争】
 7月、黒田議長が、拡大全国委員会で、賃プロ主義者DIを「粛清」。

【革マル派関連/内部抗争】
 1993年8月、黒田が、17回大会で、「一部の革命主義的偏向の克服」報告。JR総連内革マルの「反党陰謀活動」に対する闘争?

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ】
 8.27日、社青同解放派(革労協)が、JR 貨物労組役員革マル中村辰夫を完全打倒(死亡)。そのつれあいであり民間産別指導部・「虚点」エーザイ革マル中村シズエを重せん滅。「この決定的打撃は、沖縄革マル創始者山里以下の沖縄産別革マルの全面逃亡に端的な革マル組織分裂と崩壊を強制していったのである」。

【革マル派関連/内部抗争】
 1993年10月・12月、産別委全国代表者会議が「X地方組織の建て直し」。X地方とは沖縄か(松崎が仲裁?)

【革マル派関連/内部抗争】
 1993年、高島が査問中投身自殺?。

【1994(平成6)年】

【革マル派関連/内部抗争】
 12月、山里章が脱出生還する。革マル派沖縄県委員会の高橋利雄の拉致・監禁・殺害、山里章の脱落・逃亡により、沖縄県で大きな勢力を誇った革マル派組織は壊滅的状況に陥る。

【1995(平成7)年】

【革マル派関連/内部抗争】
 革マル派沖縄県委員会の高橋利雄の拉致・監禁・殺害される。山里章が拉致されたことにより沖縄県の革マル派組織は壊滅的状況に陥る。

【革マル派関連/内部抗争】
 10月-12月、JR労組幹部(鉄道友愛会議長)宅に電話盗聴。

【中核派が革マル派テロ】
 11.28日、中核派が、JR 東労組情宣部長I.Y を襲撃し重傷を負わせる。

【革マル派関連/内部抗争】
 12月、革マル派を脱退し拉致されていた沖縄党トップ山里章が脱出生還する。

【1996(平成8)年】

【革マル派関連/内部抗争】
 2月、JR内部で活動する革マル派の実態を告発した「JRの妖怪」の著者である小林峻一の自宅から取材メモやフロッピーディスクなどを盗み出し、その情報をもとに、取材に応じた関係者に対して脅迫や嫌がらせを行う。これに対し、警察は革マル派非公然アジト「大和アジト」を家宅捜索。

【社青同解放派(革労協)が革マル派テロ(「五十嵐事件」)】
 5.14日午後9時頃、社青同解放派(革労協)挟間派の十数人が、横浜市青葉区新石川の國學院大學たまプラーザキャンパス付近の路上で、革マル派の国学院大生ら7名を鉄パイプで殴り、「SOB」として派遣されていた早大革マル五十嵐修(元早稲田大学社会科学部自治会委員長)を殺害、6人に重傷を負わせた。

【革マル派関連】
 8月、国鉄労働組合(国労)本部書記長(当時の企画部長)宅に不法侵入する事件を起こす。

【革マル派関連】
 8月~10月、早稲田大学学生部長宅盗聴事件。

【革マル派関連】
 9月、神戸連続児童殺傷事件の被疑少年の精神鑑定を行った医師が勤務していた神戸市北区の兵庫県立光風病院に不法侵入し、警察・検事調書の写し等の事件記録のファイル9冊を盗み出す

【革マル派関連】
 10月、議長・黒田が辞任し、後任議長に植田琢磨が就任。

【社青同解放派(革労協)関連】
 1996年、社青同解放派(革労協)の神奈川のグループが集団脱走し、狭間派の内部崩壊がエスカレートしている。

【1997(平成9)年】

【中核派関連/陶山健一逝去】
 1.14日、中核派最高幹部の一人である陶山 健一(すやま けんいち)氏が、内臓疾患で病死した(享年)。革マル派の幹部森茂(鈴木啓一)は陶山の実兄である。東京大学農学部入学後の1955年、日本共産党に入党。1958年に党を除名された後は社会主義学生同盟委員長として名を馳せた。卒業後は、農林水産省の食糧庁に入庁するものの、60年安保闘争に飛び込み、過激な左翼運動を理由に懲戒免職されている。以後、中核派の専従活動家となる。1974年、革マル派との内ゲバ事件で重傷を負って入院後、病院を脱走して消息不明となる。1987年、養父の法要が行われていた自宅に姿を現し逮捕された。その後は岸本健一の筆名で執筆活動を行っていた。陶山の葬儀に森茂(鈴木啓一)の姿はなかった。

【革マル派関連】
 6月以降、神戸連続児童殺傷事件は冤罪だとする闘争に乗り出す(米国のCIAによる「謀略的権力犯罪」であると主張)。

【革マル派関連】
 8月-10月、早稲田大学学生部長宅盗聴事件。これに対し、警察は革マル派活動家10人を指名手配。

【革マル派関連】
 9月、神戸連続児童殺傷事件の被疑少年の精神鑑定を行った医師が勤務していた神戸市北区の兵庫県立光風病院に不法侵入し、警察・検事調書の写し等の事件記録のファイル9冊を盗み出す。また、盗聴器を仕掛けるため被疑少年の両親宅にも忍び込む。

【1998(平成10)年】

【革マル派関連】
 1月、革マル派非公然アジト「豊玉アジト」が摘発され、偽造した警察手帳や公安調査官証票などが押収される。

【革マル派関連】
 4.9日、革マル派非公然アジト「浦安アジト」(千葉県浦安市)が摘発され、警察無線解読機器12台、再生機(暗号解読機)11台及び録音機20台、無線の内容を録音したカセットテープ約5000本や多数の資料などが押収される。これにより、革マル派が警察無線の傍受を行っていた事が発覚する。同派女性活動家が、このアジトで日夜、警察無線を傍受していた。

 革マル派は、警察の一連の摘発、取締りに対して、「国家権力の打倒を目指す革命党が、国家権力の動向・動態を分析し、把握することは絶対不可欠である」などと機関紙で開き直りの主張を展開した。アジトの摘発や指名手配を受けた際、マスコミ各社を呼び、「権力謀略論」に立脚した記者会見あるいは「緊急声明」の表明を行う。

【社青同解放派(革労協)が「明大ゴスペル愛好会」闘争】
 5月、社青同解放派(革労協)の拠点であった明治大学で「明大ゴスペル愛好会」との闘争が激化した。「明大ゴスペル愛好会」は韓国からの留学生が主体で、キリスト教原理主義の立場に立ち、政治的には反共とシオニズム支持(クリスチャン・シオニズム)であった。革労協は同愛好会を襲撃をするも返り討ちに合い、警察へ突き出されるなどの失態まで出すことになった。そこで明大ゴスペル愛好会への対応をめぐり、闘争をやめて事態の鎮静化を図ろうとする穏健派の山田茂樹ら反主流派(後の赤砦社派)と、徹底抗戦を主張する強硬派の狭間、千木良ら主流派(後の現代社派)が対立。以前から革労協内部でくすぶっていた現代社常任幹部(狭間派)と全学連・寄せ場労働者などのメンバー(赤砦派)の対立が表面化する。

 山田茂樹が個人の判断で勝手にゴスペル代表者と手打ちをしたことで、狭間嘉明の怒りを買い杉並区高井戸の「現代社」での反主流派への査問が始まった。 その際山田ら反主流派は革労協内部での劣勢を立て直すため、ひそかに革労協のシンボルである現代社の乗っ取り計画を立てクーデターを画策した。社防隊が手薄となるゴールデンウィークに狙い定め実行するも失敗。反主流派は逆に外部へと放逐される形で追い出され、現在の台東区下谷の賃貸マンションに新拠点の「赤砦社」を置き、山田茂樹をリーダーとして、革労協の分裂が決定的となった。主流派は現代社派・狭間派、反主流派は赤砦社派・山茂派・木元派などとも呼ばれる。

【社青同解放派(革労協)が「韓国人牧師襲撃事件」】
 1998.10.18日、東京都新宿区戸山二丁目、プロテスタント教会牧師の金圭東・氏(49歳)が襲撃され重傷を負う。社青同解放派・革労協狭間派の仕業とみられる。

 同派機関紙「解放(1998.11.1日付け680号)は、革命軍よりの軍報として「国際反共ファシストの頭目=金圭東に革命的鉄槌―徹底せん滅 ファシスト解体・絶滅戦の歴史的突破口切り開く」なる見出しで次のように声明している。
 「『ウェスレアン・ホーリネス淀橋教会韓国部担当牧師』・金圭東(キム・キュウドン)に対して、革命的鉄槌を下し、徹底せん滅する大戦果をもぎとった」、「淀橋教会韓国部(ヨハン早稲田キリスト教会)に巣食う国際ヘブライ文化研究会傘下の明大ゴスペルソング愛好会を名乗る反共ファシスト宗団は、五・二五―二六、労働者人民の革命的拠点=明治大学において闘う学生・労働者に武装襲撃をかけ、さらに国家権力へのデッチあげ売り渡しを行なった。本戦闘は、こうした断じて許しえない悪行に対する革命的報復である」、「わが軍は、日帝政治警察による十・三反革命弾圧にひるむことなく、キリスト教原理主義者(ファンダメンタリスト)、統一協会・勝共連合、シオニスト、天皇主義右翼どもを革命的テロルでなぎ倒す。全世界の反共ファシストの跳梁跋扈を一切許さず、プロレタリア国際主義のもと全世界労働者人民と共に、ファシスト解体・絶滅戦に連続的に決起する」、「すべての労働者人民、被差別大衆は、闘う朝鮮労働者人民、在日朝鮮労働者人民と連帯し、反革命革マル解体・絶滅戦とともに対ファシスト解体・絶滅戦に総決起せよ!」。

【革マル派関連】
 11月、革マル派非公然アジト「厚木アジト」(神奈川県厚木市)が摘発され、非公然活動家一人が凶器準備集合罪で検挙された。アジトは一戸建てで、「アベ製作所」の看板を出し、板金や塗装を行う製作所を装っていた。アジトには、旋盤機、万力等の大型工作機械が設置されていたほか約150本にものぼる鉄パイプ(伸縮式のものも含む)、約60本の鉄棒入り竹刀、防護用小手、サバイバルナイフ、鉈(なた)、まきびし等の凶器等の凶器が押収された。

【1999(平成11)年】

【革マル派関連】
 1月、革マル派非公然アジト「荒川アジト」が摘発され、指名手配中の1人を含む非公然活動家4名が逮捕される。また、偽造ナンバープレート・鉄パイプ・まきびし・携帯電話電波妨害用機材などが押収される。

【社青同解放派(革労協)関連/滝口弘人病死】
 3月、1969年の革命的労働者協会(社会党・社青同解放派)の結成時の総務委員にして、1981年の革命的労働者協会分裂に伴い、1985年、「革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会」結成に参画、リーダーとなっていた滝口弘人(本名、佐々木慶明(よしあき))が逝去する。

【社青同解放派(革労協)関連/第三次分裂】
 5.6日、社青同解放派(革労協)は1980年に主流派の狭間派、反主流派の労対派に組織分裂(第一次分裂)、1988(昭和63).1月、主流派の狭間派、反主流派の永井派に組織分裂(第二次分裂)しているが、主流派の狭間派内で戦術方針をめぐって狭間派が主流派(狭間嘉明を中心とする中執系千木良派)と反主流派(山田茂樹を中心とする明大系山茂派)に分裂する。

 挟間派は1989.6.25日の元革労協(挟間派)最高幹部内ゲバ殺人事件以降も、神奈川グループや関西グループの脱退などで分裂を繰り返していた。また最高幹部・挟間嘉明の健康悪化による指導力低下で、山田を中心とする学生グループと古参幹部を中心とする労働者グループで主導権争いが起こった。

 5.7日、東京地裁において双方が怒鳴りあうなど表面化していた。以後、主流派を「現代社派」(千木良派)、反主流派を「赤砦社派」(明大系山茂派)と表記する。これにより革労協反帝学評(青解派)は次の三派に分かれることになった。
革労協反帝学評(青解派) 主流派 現代社 狭間派(千木良派)
革労協反帝学評(青解派) 反主流派 赤砦社 山茂派・木元派
解放派全国協 労対派

 1999年は3名の活動家が殺害された。両派は,その後,双方が切り崩しや引き戻しをねらった主導権争いを展開する中で、11年中、5件の内ゲバ事件を引き起こし,活動家3人が死亡、1人が重傷を負った。12年に入っても,両派は機関紙等で攻撃主張を強め、12.2月には3件の内ゲバ事件を相次いで引き起こし、活動家2人が死亡、2人が負傷した。

【社青同解放派(革労協)関連/内ゲバで赤砦社派の最高幹部・山田茂樹重傷】
 6.4日午後5時20分頃、現代社派(狭間派)が、東京・北区豊島の日本キリスト教団「王子北教会」礼拝堂で牧師と談話中の赤砦社派の最高幹部・山田茂樹を鉄パイプのようなもので襲撃。山田は、右腕と両足を骨折、全身打撲という大けがを負った。山田はその後、後遺症により単独での歩行に困難をきたしている。

 「現代社派」は次のように声明している。
 「6.4反革命に直接手を染めた実行部隊の一人一人にハザマ私兵集団の末路を思い知らせてやる。そして、とりわけ、直接の手引き者たる茶坊主・八十島と組織攪乱スパイ分子・森川は絶対許しはしない」。

 赤砦社派はさらなる襲撃に備えるために明大学内サークル室に搬伸縮式鉄パイプや特殊警棒、金属バット類を搬入した。が、それを理由に警察が家宅捜索に入り、6.8日、中心メンバー17名が凶器準備集合罪で逮捕され、赤砦社派は危機的状況に陥る。
 挟間派は1989年6月25日の元革労協(挟間派)最高幹部内ゲバ殺人事件以降も、神奈川グループや関西グループの脱退などで分裂を繰り返していた。また最高幹部・挟間嘉明の健康悪化による指導力低下で、山田を中心とする学生グループと古参幹部を中心とする労働者グループで主導権争いが起こった。それは5月7日の東京地裁において双方が怒鳴りあうなど表面化していた。内ゲバ事件は3年ぶりの発生だった。

【社青同解放派(革労協)関連/内ゲバ】
 6.12日、現代社派が赤砦社派の手薄に乗じ、明大駿河台の学生部隊(赤砦社派)に向け私服部隊で武装潜入をかけ、明大学生会館内の赤砦社派に握られていた革労協拠点の奪還を図るが未遂に終わる。

 6.13日、赤砦社派は、一連の現代社派の攻勢に対して「無制限・無制約の革命的テロ」を宣言し、現代社派との「全面戦争」に向った。山田は幹部/土肥、小沢(従来彼らは革労協の軍事部門の担当だったキャリア?)らと、巻き返しのための革命軍を早速強化し、さっそく全国で「無制限・無制約の革命的テロ」を実行にうつすこととなった。最大の学生拠点である明治大学が両派攻防の主戦場となった。

【社青同解放派(革労協)関連/内ゲバで現代社派の長田佳比古殺害(「長田事件」)】
 7.2日、「明大生協理事殺人事件/革労協(赤砦社派)-革労協(現代社派)」。赤砦社派が、出勤途中だった現代社派の明大生協理事・長田佳比古(50、荻野)が松戸市で出勤中のバイクを倒し、側頭部のみにハンマーで連打を浴びせ虐殺する。

【社青同解放派(革労協)関連/内ゲバ】
 7.7日、東京都中央区茅場町の地下鉄日比谷線茅場町駅のホームで男女がもめ、男の1人が止めにはいった駅助役(58)の顔を殴った。駅員らが男を取り押さえ、警視庁中央署が逮捕した。逮捕されたのは、過激派「革労協狭間派」非公然活動家、秋山祐一郎容疑者(45)。警視庁は内ゲバ事件とみて捜査している。

【社青同解放派(革労協)関連/赤砦社派の相川一郎(中山)殺害(「相川事件」)】
 7.21日、「明大生協職員殺人事件/革労協(現代社派)-革労協(赤砦社派)」。現代社派が、7.2の報復として赤砦社派の神奈川大出身の相川一郎(中山)明治大学生協職員を襲い、相川氏は翌日死亡。狭間派はこの人物を「木元派をつくれと山田をそそのかした正体不明の撹乱分子」と呼んだ。

 7.22日、現代社派は、明大生田キャンパスに再度、全国動員公然ゲバ部隊を差し向け、構内の山田派を「投擲用の鉄片、青竹」で白昼襲撃せんとする。赤砦派は直対応せず、学生部の出した「退去命令」にしたがい構外に出たところ、入れ違いに突入してきた機動隊によって現代社派37名全員が凶器準備集合罪と建造物侵入で検挙・起訴された。現代社派はこの大量逮捕がたたり、拠点の明治をはじめ山谷や福岡、九州大など「同派のシンボル」から一掃され、山田派一色に塗り替えられることになった。

【革マル派関連】
 10.23日、早稲田大学法学部教授宅盗聴事件の電気通信事業法違反容疑で、革マル派非公然アジト「札幌豊平アジト」が摘発され、携帯電話・カセットテープ・文書類などが押収される。また、アジトにいた革マル派非公然活動家の荒井政則が、免状不実記載の疑いで逮捕される。

【社青同解放派(革労協)関連/内ゲバで現代社派幹部の安部利昭殺害】
 11.14日、「福岡県委員会議長殺人事件/革労協(赤砦社派)-革労協(現代社派)」。赤砦社派が、福岡市城南区で現代社派幹部・佐賀大出身で全学連書記長を務めた安部利昭(当時50)を襲撃し虐殺する。これを契機に九州大や福岡の寄せ場に登場、革労協の拠点は三里塚現闘以外、赤砦社派一色に塗り替えらることになった。

【2000(平成12)年】

【社青同解放派(革労協)関連/内ゲバで赤砦社派の片岡知和殺害(「片岡事件」)】
 2.8日、現代社派が、福岡県内の赤砦社を襲撃し、駐車場で現地に派遣されて常駐していた片岡知和(25、福井大生)を虐殺。

【社青同解放派(革労協)関連/内ゲバで現代社派の柿沼忠殺害(「柿沼事件」)】
 2.8-9日、「真鶴駅学生活動家殺人事件/革労協(現代社派)-革労協(赤砦社派)」。赤砦社派が、神奈川県のJR真鶴駅上りホームで、現代社派襲撃部隊のキャップ柿沼忠(48歳)を襲撃し虐殺、サブの女性後藤あざみが3人組の男に襲われ、停車していた伊東発東京行きの普通電車に逃げ込む。2人は小田原駅で降ろされ病院に運ばれたが、男が右胸を刺され死亡、女の方も背中や腹を刺されて重傷を負った。5、60歳代と見られる逃げた3人組は真鶴駅の改札口を抜け、海の方向へ逃げて行った。3人とも大きなマスクをしていた。

【社青同解放派(革労協)関連/内ゲバで赤砦社派の片山美恵子殺害(「片山事件」)】
 8.30日、「鶯谷駅明大生協組合幹部殺人事件/革労協(現代社派)-革労協(赤砦社派)」。現代社派が、JR鶯谷駅で赤砦社派の明治大学生協組合書記長・片山美恵子(48)を小型出刃包丁等で襲撃し刺殺虐殺。襲撃したメンバーはワゴン車で逃走した。

【社青同解放派(革労協)関連/内ゲバで現代社派の仲野茂樹殺害(「仲野事件」)】
 12.10日、「革労協総務委員殺人事件/革労協(赤砦社派)-革労協(現代社派)」。赤砦社派が、東京・清瀬市の路上で、現代社派の革労協総務委員・タクシー運転手の仲野茂樹(52)を襲撃虐殺。革労協狭間派の主流派と反主流派抗争で既に6人が死亡しており7人目の犠牲となった。

【2001(平成13)年】

【社青同解放派(革労協)関連】
 2.16日、朝の出勤時間、相模原にある赤砦社派活動家宅を公安私服部隊が徹夜で監視していた目の前で、現代社派の襲撃部隊を載せたバンが現れ、乗っていた4名全員が凶器車輛もろとも一網打尽に遭う。この未然逮捕は警察が前年の『片山殺害への報復』として起きた現代社派古参現役労組構成員への殺害(12月10日)を受けて現代社派が必ず等価報復に出ると予測し、山田派労組幹部部分への隠密裏監視を行なっていたため成功した。この逮捕により赤砦社派優勢が決定的となる。

【革マル派関連】
 4.7日、神奈川県横浜市青葉区新石川の國學院大學たまプラーザキャンパス構内で午後0時頃、同大学の学生自治会を事実上支配している革マル派の活動家ら数人が、サークルの勧誘をしていた同大学の男子学生を取り囲んで集団で暴行を加え、約10日間の軽傷を負わせた上、「なぶり殺しにしてやる」、「家に火をつけてやる」などと脅迫。これに対し、神奈川県警察は被疑者を指名手配して捜索を行う。

 2001.12.23日~2002.3.21日、國學院大學たまプラーザキャンパス構内で発生した集団暴行事件の被疑者として、革マル派活動家の早水潤二・北條純・福本満および岡田貴行が、傷害と脅迫の疑いで相次いで神奈川県警察に逮捕される。

【社青同解放派(革労協)関連/内ゲバで現代派社幹部・矢野義孝殺害(「矢野事件」)】
 5.16日、赤砦社派の4名が、千葉県八街市の飲食店駐車場で、現代派社の幹部・矢野義孝(49)を乗用車内から引きずり出し、ハンマーで頭などを殴打襲撃虐殺(革労協総務委員殺人事件/革労協(赤砦社派)-革労協(現代社派))。8人目の死者となった。

【革マル派関連】
 6月、革マル派非公然アジト「玉川アジト」が摘発され、非公然活動家2人が逮捕される。翌月、同アジトの名義人だった小学校教諭が犯人蔵匿罪で逮捕される。

【革マル派関連】
 11月、革マル派非公然アジト「名古屋西アジト」が摘発され、活動家1人が有印私文書偽造・同行使罪等で逮捕される。

【革マル派関連】
 12.26日、警視庁と北海道警が、革マル派非公然アジトの札幌市中央区のマンションなど北海道内11ヶ所を捜索。神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の疑いで指名手配されていた、革マル派非公然活動家の塩田明男ら3人の逃亡犯が、アジトに潜伏していたところを発見され、逮捕される。また、早稲田大学法学部教授宅盗聴事件の電気通信事業法違反容疑で指名手配されていた広田雅明も逮捕され、さらに現場にいた革マル派活動家・住井秀行が犯人蔵匿の現行犯で逮捕される。

【社青同解放派(革労協)関連/狭間嘉明最高幹部病死】
 12.8日、社青同解放派(革労協)狭間嘉明最高幹部が病死(享年55歳)。

【2002(平成14)年】

【社青同解放派(革労協)関連/内ゲバで赤砦社派の片山美恵子殺害】
 8.30日、現代社派が、JRうぐいす各駅南口で、赤砦社派の片山美恵子を襲撃し虐殺(享年48歳)。

【中核派関連/56歳の活動家の転落変死】
 2002.12月、56歳の活動家が広島市南区宇品西1丁目2-36の前進社中国支社(革共同中四国地方委員会)のビルの階段から転落死している。

【2003(平成15)年】

【革マル派関連】
 1.17日、革マル派非公然アジト「貫井アジト」が摘発され、フロッピーディスクなどが押収される。

【革マル派関連】
 3.16日、「革マル派結成40周年・『共産党宣言』155周年記念革共同政治集会」を開催。議長・植田琢磨が「わが党組織建設の新たな段階を切りひらけ!革マル派結成40周年記念集会に際して」と題する記念講演を行う。

【革マル派関連】
 4.24日、革マル派非公然アジト「弥生アジト」が摘発され、パソコン、フロッピーディスク、ビデオテープなどが押収される。

【革マル派関連】
 6.20日、革マル派非公然アジト「福岡城南アジト」が摘発され、パソコン、フロッピーディスク、携帯電話などが押収される。

【革マル派関連】
 7.6日、「弥生アジト」に在室していた活動家2人のうちの1人が、詐欺罪及び有印私文書偽造・同行使罪で逮捕される。

【革マル派関連】
 9月-12月、早稲田大学法学部教授宅に対する電話盗聴事件などで指名手配されていた革マル派非公然活動家6人が、東京都千代田区で逮捕される。

【中核派関連/飯田憲・氏の転落変死】
 2003.8.4日午前5時頃、広島市南区宇品西1丁目2-36の前進社中国支社(革共同中四国地方委員会)のビル前の路上でこの政治結社の構成員が血を流し倒れているのを通りがかりの人が見つけ警察へ通報した。男性は顔を強く打っておりすでに心肺停止状態で病院に運ばれたがまもなく死亡が確認された。死亡したのはこの政治結社の構成員飯田憲さん(60)で、普段からこの政治結社事務所に寝泊りしていた。 襲われた形跡がなくまた飲酒した様子が見られることから警察では飯田さんが寝泊りしている「前進社中国支社」の3階から転落したものとみて自殺と他殺の両面で捜査している。

【革マル派関連】
 9.12日、「福岡城南アジト」の名義人だった小学校教諭が詐欺罪で逮捕される。

【革マル派関連】
 10.31日、革マル派非公然アジト「沖縄アジト」が摘発され、フロッピーディスク、携帯電話などが押収される。

【2004(平成16)年】

【革マル派関連】
 1月、革マル派、出頭続々。

【革マル派関連】
 3.25日、革マル派非公然アジト「深川アジト」が摘発され、パソコン、携帯電話などが押収される。

【革マル派関連】
 3.29日、国労役員宅への侵入容疑の疑いで指名手配中の革マル派非公然活動家4名を匿ったとして犯人蔵匿の罪に問われていた革マル派活動家の住井秀行に対し、札幌地方裁判所が懲役1年6ヶ月・執行猶予4年の判決を言い渡す。

【革マル派関連】
 4月、JR総連・教組内の非公然組織の暗号「ヘーゲル」、「ワトソン」を旅行代理店侵入容疑手配の革マル派活動家を逮捕。

【革マル派関連】
 5月、国労幹部宅に侵入容疑の革マル派活動家を再逮捕。


【社青同解放派(革労協)協関連/赤砦社の小山(高山)元全学連書記長と千葉大生の全学連委員長/五十嵐章浩の2名殺害(「小山、五十嵐事件」)】
 6.2日、「赤砦社三ノ輪アジト襲撃事件/革労協(現代社派)-革労協(赤砦社派)」。午前7時15分頃、現代社派が、東京都台東区三ノ輪の路上で、赤砦社派アジトを出てきた赤砦社の小山(高山)元全学連書記長と千葉大生の全学連委員長/五十嵐章浩(31)の2名を襲撃し出血多量などで死亡させた。革労協の内内ゲバではすでに10人が死亡している。赤砦社派は機関紙上で「今度(襲撃に)来たら死人の山となる」と発表し、報復せず事実上の停戦に。

【革マル派関連】
 6月、神戸小学生殺傷事件・記録窃盗で逮捕の革マル派活動家に懲役4年6月。

【革マル派関連】
 7月、 革マル派活動家また出頭。逮捕 昨年9月から9人目。

【革マル派関連】
 7月、早大学生部長宅盗聴事件で革マル派活動家を逮捕。

【革マル派関連】
 9月、革マル派の手配の6人逮捕される。 全員黙秘。

【2005(平成17)年】

【革マル派関連】
 11.30日、神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の被疑者として指名手配されていた、革マル派非公然活動家幹部・竹内政行が警視庁に出頭し、窃盗と建造物侵入の容疑で逮捕される。

【2006(平成18)年】

【革マル派関連】
 1.6日、2005年10月26日に大阪経済大学で教職員に対する暴行したとして、革マル派の活動拠点となっていた大阪経済大学の自治会室や学生会室などを、大阪府警が家宅捜索。活動家8人を逮捕。

【社青同解放派(革労協)関連/内ゲバで赤砦社の大物・岸本修殺害(「岸本事件」)】
 3.28日、赤砦社内で大物・岸本修が死亡。赤砦社は死因を心臓麻痺としたが、全身にアザがあった。翌日、傷害致死の容疑で社内に家宅捜索が入る。

【革マル派関連/黒田寛一病死】
 6.26日、革マル派最高指導者の元議長・黒田寛一が埼玉県内の病院で死亡(享年78歳)。

【革マル派関連】
 12.4日、神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の疑いで窃盗や建造物侵入などの罪に問われていた、革マル派非公然活動家の塩田明男ら6人の被告人に対し、東京地方裁判所(大島隆明裁判長)が懲役5年~1年10ヶ月の実刑判決を言い渡す。

【2007(平成19)年】

【2008(平成20)年】

【革マル派関連】
 2.8ー22日、革マル派活動家の宇田耕一郎が2007.9.24日に偽名でホテルに宿泊していた疑いで、警視庁と神奈川県警察は、有印私文書偽造・同行使などの容疑で、千葉県八千代市八千代台の団地の一室など、計4ヶ所の革マル派非公然アジトを家宅捜索。同派によって収集されていた警察関係者の人事異動記録や顔写真などを押収。同月18日、革マル派の拠点「解放社」の家宅捜索をおこない、22日、宇田を逮捕。

【革マル派関連】
 12.17日、居所と運転免許証記載の「住所」が相違する事を奇貨として、2006.10.24日に免状等不実記載で神奈川県警察公安第三課に逮捕された鎌倉市在住の活動家について、横浜地方裁判所(三代川俊一郎裁判長)は「情報収集を目的とした“為にする”逮捕であり違法不要であった」として国家賠償法に基づく賠償を神奈川県に命じる。

【2009(平成21)年】

【革マル派関連】
 1.14日、神戸連続児童殺傷事件の調書窃盗の疑いで窃盗や建造物侵入などの罪に問われていた、革マル派非公然活動家幹部の竹内政行ら3人の被告人に対し、東京地方裁判所(戸倉三郎裁判長)が懲役2年6ヶ月の実刑判決を言い渡す。

【革マル派関連】
 4.28日、大阪経済大学の革マル派学生活動家退学処分について、大阪地方裁判所が処分を無効とする判決。

【2010(平成22)年】

【革マル派関連】
 7.3日、他人名義でホテルに宿泊したとして、有印私文書偽造・同行使などの容疑で革マル派活動家1人を警視庁公安部が逮捕。

【革マル派関連】
 7.26日、革マル派活動家に譲渡する目的で預金通帳をだまし取ったとして、詐欺容疑で奈良女子大学4年の革マル派活動家を奈良県警警備部が逮捕。

【革マル派関連】
 革マル派は、警察のデジタル無線を傍受する技術を持っている。しかし、警察のデジタル無線はそのパスワードが定期的に変更されている。警察のデジタル無線を傍受するにはパスワードを知らなければ不可能である。とすれば、革マル派はパスワードを知ることができる立場に位置していることになる。即ち警察内部に革マル派メンバーがいる、又は警察と革マル派間に何らかの意思疎通がある、と云うことになる。

【中核派関連/北小路敏病死】
 2010.11.13日、中核派の最高幹部の一人/北小路敏が病死(享年74歳)。

【革マル派関連/松崎明病死】
 2010.12.9日、松崎 明(まつざき あきら)(革マル派創設時の副議長、鉄道労連(後にJR総連)副委員長、東鉄労(後のJR東労組)委員長、JR東労組会長、顧問のJR東労組のトップ)が、突発性間質性肺炎で病死(享年74歳)。

【2015(平成27)年】

【中核派関連/メンバー査問中に逃亡の際の転落死】
 2015.5.3日夜から5日間、中核派活動家の男2人(28歳、32歳)が、東京都江戸川区の拠点「前進社」で、メンバーの20代男性を前進社内の会議室に監禁し、中核派内の情報を警察やマスコミに漏らした疑いがあるとして査問中、男性が屋上の雨どいを伝って逃げようとした際に足を踏み外して転落。男性は頭などを打ち一時意識不明の重体となっていたが骨盤骨折など3カ月の重傷を負った。その様子を警戒中の警察官が目撃していた。9.29日、警視庁が監禁した男2人逮捕した。警視庁では組織内で「総括」と称した暴行が行われていたとみて調べている。二人は黙秘している。(朝日新聞デジタル等々

【2019(令和元2)年】

【中核派関連/野島三郎病死】
 2019.2.28日、中核派の最高幹部の一人にして対革マル戦争の理論的指導者だった野島三郎(本名/木下尊晤(たかよし))が病死(享年82歳)。






(私論.私見)