自衛隊に関する歴代政府及び内閣法制局の見解史

 本サイトで、内閣法制局の「自衛隊活動の法的見解史」を検証する。但し、予備知識として次のことが理解されねばならない。
戦後冷戦体制の構図 (れんだいこサイト「戦後冷戦体制考」)
連合国占領軍GHQの戦後対日政策 (れんだいこサイト「敗戦とGHQの進駐、施策指令」)
戦後憲法の制定経緯と史的光芒 (れんだいこサイト「戦後憲法の制定過程について(一)経過」)
(れんだいこサイト「戦後憲法理念及び原理の秀逸さ考」)
(れんだいこサイト「吉田首相の憲法9条解釈」)
GHQの戦後対日政策の転換、米国の日本の再軍備化要請。 (れんだいこサイト「1950年の動き」)
「不文律吉田ドクトリン」総路線の特質。 (れんだいこサイト「1950年の動き」)
対日講和条約と日米安全保障条約。 (れんだいこサイト「1951年の動き」)

 以上を受けて、別章「自衛隊史」に関連させながら、その刻々の内閣法制局の見解を追っていくことにする。
「Web政策審議室」「年表・自衛隊の統一解釈」その他を参照した。

 2004.6.12日 れんだいこ拝


【内閣法制局論】

 その前に内閣法制局についてどういう部局であるのかを確認する。

 内閣法制局は、1952(昭和27)・7・31日付政令290号の「内閣法制局設置法」により創設された。それによると、内閣法制局は内閣の直属機関として設置され、第3条(所管業務)に「1.閣議に附される法律案、政令案及び条約案を審査し、これに意見を附し、及び所要の修正を加えて、内閣に上申すること。2.法律案及び政令案を立案し、内閣に上申すること。3.法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること。4.内外及び国際法制並びにその運用に関する調査研究を行うこと。5.その他法制一般に関すること」とあるように、、国会に提出する政府法案を事前審査する法制機関として機能している。現在、憲法資料調査室も設置されている。

 2004.6.12日現在の内閣法制局のホームページには次のように記されている。「
内閣法制局の主な業務は、次のとおりです。1・法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べるという事務(いわゆる意見事務)。2・閣議に付される法律案、政令案及び条約案を審査するという事務(いわゆる審査事務)」。

 内閣法制局はいわば「官邸の頭脳であり知恵袋的機関」と云える。最も重視するのが各種法案の法治主義国家としての整合性であり、新法が既成の法体系にどう治まるのか法案審査する。あるいは既成の法体系に治まるよう工夫する。あるいは既成の法体系に治まるよう新解釈を呈示する。こういうこともあって、戦後の国会で法制局を通って成立した法律で、最高裁から違憲判決を突きつけられたものはただの一つもない。

 これにつき、法制局の歴史や実態に詳しい明治大学の西川伸一助教授は次のように解説している。「法制局は法律を解釈して意見を述べるだけで、それを守るかどうかは行政府に任されている。しかし行政府は慣例として法制局の解釈に従う。この結果、法制局長官の国会答弁に重みが生まれ、『内閣法制局=行政府内の最高裁』ともいうべき権威が確立されてきた」、「内閣法制局は二つの顔をもつ。時代が変わろうとも法の解釈は変えずに守り抜くという『憲法の番人』と、時の政権の政策を擁護する『内閣の法律顧問』だ」(2004.6.11日付け東京新聞の「『多国籍軍参加は問題なし』 “お墨付き”出した内閣法制局」)。

 内閣法制局は現在のところ定員わずか77名で運営されている。小さな役所で「知られざる官庁」ともいわれている。77名のうち法律審査に当たるのは、他省庁の課長職に相当する参事官で計30人足らず。全員が他省庁からの出向者で、法務省4人、財務省3人、外務省2人などと各省庁に割り当てが決まっている。環境省、防衛庁などにはポストが回ってこず、「霞が関のランク付けが反映されている」(西川助教授)。

 現長官秋山氏は通産省(現経済産業省)出身であることからも分かるように、法務省出身の検事併任者を除けば法律専門家はおらず、いわば官僚エリートによって構成されている。出向期間はおおむね5年間で、この間にエキスパートとしての特訓を受けつつ法案審査に当たっている。



【戦後憲法制定時の吉田首相及び政府答弁】
 「自衛のためといえども軍隊の保持は憲法第9条によって禁止されている」

 1946年の憲法制定議会で、吉田茂首相は、9条の戦争放棄規定について「自衛権の発動としての戦争も放棄したものだ」と答弁した。吉田首相は、過去の戦争は仮に侵略戦争に近いものでも、「自衛」を理由にして行われたものが多いと指摘。交戦権を全面的に放棄することで、世界平和実現の先頭に立つ決意を示している。

 この頃、「戦争放棄」、「戦力不保持」をより明確にするための改憲論が議論されていたほどだった。

 憲法制定時、衆院で改正案を審議する委員会の芦田均委員長らの手で、九条二項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言が書き加えられた。これを「芦田修正」と云う。「芦田修正」は後々、「自衛の戦争は禁じていない」という政府見解の根拠として利用されるようになっていく。


【警察予備隊→保安隊→自衛隊創設時の吉田首相及び政府答弁】
 「警察予備隊は、治安維持の目的以上のものではない。再軍備の意味は、全然含んでいない。目的は国内治安の維持であり、性格は軍隊ではない」
 1950.7.8日、朝鮮半島情勢が不安定になるという国際情勢の変化を受けて、GHQ最高司令長官・マッカーサーが吉田首相宛てに「7万5千名からなるナショナル.ポリス.リザーブを設置せよ」を指令した。これを受けて、1950.7.29日、衆議院本会議で警察予備隊の設置をめぐって論戦が行われた。

 この時、吉田首相は次のように答弁している。「自衛のためといえども軍隊の保持は憲法第9条によって禁止されている」という立場を堅持しつつ、警察予備隊の創設について「治安維持の目的以上のものではない。再軍備の意味は、全然含んでいない。目的は国内治安の維持であり、性格は軍隊ではない。自衛権を放棄するとまで申したことはない」。

 この「治安維持の目的で軍隊ではない」答弁の論法が政府自民党の自衛隊論の原型となった。それは、客観的には再軍備であるがその事実を糊塗しつつ既成事実の積み重ねで容認させていくという手法である。この曖昧さがその後ずっと続いたまま警察予備隊が孵化していくことになり、保安隊→自衛隊へとまぎれもなく軍隊が形成されていく過程においても、「戦力無き軍隊」という二枚舌論理で違憲論争を切り抜けていくことになる。

 1950.8.10日、政令第260号により警察予備隊令公布、即日施行した。こうして「軍隊の卵」のようなものとして「警察予備隊7万5000名の創設、海上保安庁8000名」が創設され、これが今日の自衛隊の前身となる(50年警察予備隊→52年保安隊→54年自衛隊)。ジャーナリズムは、これを「逆コース」と喧伝した。

【吉田内閣時の参議院本会議で、「自衛隊の海外出動禁止決議」】
 「本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照し、海外出動は、これを行わないことを、茲に更めて確認する」
 警察予備隊は保安隊を経て、自衛隊に昇格していった。こうした動きは、戦争放棄を支持する勢力からは「逆コース」と批判された。

 1954(昭和29).6.2日、鳩山内閣は、「7.1日の陸海空の自衛隊発足」に当たり参議院本会議で、「自衛隊の海外出動は行わない」とする「自衛隊の海外出動禁止決議」をしている。「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議。本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照し、海外出動は、これを行わないことを、茲に更めて確認する。右決議する 」。その際、「一度この限界を超えると、際限なく遠い外国に出動することになることは、先の戦争の経験で明白だ」との提案理由が説明されている。

【鳩山内閣の統一見解】
 概要「憲法第9条は自衛権を否定せず、独立国としてわが国が自衛権を持つことを認めている」
 概要「憲法は、戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。@・国際紛争を解決する手段としての戦争行為の放棄、A・専守防衛という制限が課せられているという理解を相当とする」
 概要「自衛隊は上記要件を遵守する限りにおいて合憲である」

 1954(昭和29).12.22日、鳩山内閣は、自衛権問題、自衛隊の合法性について次のような見解を披瀝した。大村防衛庁長官は衆・予算委答弁で、自衛権問題について、概要「憲法第9条は自衛権を否定せず、独立国としてわが国が自衛権を持つことを認めている」として次のように述べている。「憲法は、自衛権を否定していない。自衛権は、国が独立国である以上、その国が当然に保有する権利である。憲法はこれを否定していない。したがって、現行憲法の下で、わが国が、自衛権を持っていることは、極めて明白である」、「憲法は、戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。戦争と武力の威嚇に関連して武力の行使が放棄されるのは、『国際紛争を解決する手段としては』ということである。他国から武力攻撃があった場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであって、国際紛争を解決することとは本質が違う。したがって、自国に対して武力攻撃が加えられた場合に国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない」。

 自衛隊の合憲性について、「憲法第9条は、独立国としてわが国が自衛権を持つことを認めている。したがって、自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつ、その目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない」。
 
 これによれば、吉田内閣時の「治安維持の目的以上のものではない。再軍備の意味は、全然含んでいない。目的は国内治安の維持であり、性格は軍隊ではない」なる事実糊塗論法から、自衛権は専守防衛的限度においてならば国家固有の不可侵権として認められる。この範囲の守備であれば自衛隊も合憲合法とされるとした。


【鳩山首相が「自衛権の範囲として敵基地攻撃可能論」見解打ち出し】
 「他の手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべき」
 1956(昭和31).2.29日、船田防衛庁長官代読による鳩山首相答弁は、「自衛権の範囲として敵基地攻撃可能論」見解を打ち出しており、概要次のように述べている。「わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、例えば、誘導弾等による攻撃を防御するのに、他の手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います」。

【岸首相が「自衛権の範囲として敵基地攻撃可能論」見解打ち出し】
 1960(昭和35)年、日米安全保障条約改定の際、岸信介首相は、「自衛隊が日本の領域外に出て行動することは、一切許せない」と断言した。岸氏は歴代首相の中でもタカ派として知られるが、当時の状況はタカ派でさえこういう認識を示していた。

【加藤防衛庁官房長が「自衛隊法の武力攻撃と間接侵略」に関する見解打ち出し】
 1961(昭和36).4.21日、加藤防衛庁官房長は、衆議院・内閣委で「自衛隊法の武力攻撃と間接侵略」について次のように述べている。
ア    自衛隊法第76条(防衛出動)にいっております外部からの武力攻撃というのは、……他国のわが国に対する計画的、組織的な武力による攻撃をいうものであります。

 自衛隊法の第78条(命令による治安出動)の間接侵略というのは、旧安保条約の第1条の規定にありました1または2以上の外国の教唆又は干渉による大規模な内乱又は騒擾をいうもの……と解釈して、従来そのように申し上げておるところでございます。この意味の間接侵略は、原則的には外部からの武力攻撃の形をとることはないであろうと思うのでありますが、その干渉が不正規軍の侵入の如き形態をとりまして、わが国に対する計画的、組織的な武力攻撃に該当するという場合は、これは自衛隊法第76条の適用を受ける事態であると解釈するわけでございます。


【佐藤首相が「自衛力の限界(自衛隊増強の限度) 」答弁】
 概要「他国に対し侵略的な脅威を与えない。これを防衛力の限界とすべき」
 1967(昭和42).3.31日、佐藤首相が、参議院・予算委で、「自衛力の限界(自衛隊増強の限度) 」について次のように答弁している。

 「わが国が持ち得る自衛力、これは他国に対して侵略的脅威を与えない、侵略的な脅威を与えるようなものであってはならないのであります。これは、いま自衛隊の自衛力の限度だ。……ただいま言われますように、だんだん強くなっております。これはまたいろいろ武器等におきましても、地域的な通常兵器による侵略と申しましても、いろいろその方の力が強くなってきておりますから、それは、これに対応し得る抑圧力、そのためには私の方も整備していかなければならぬ。かように思っておりますがその問題とは違って、憲法が許しておりますものは、他国に対し侵略的な脅威を与えない。こういうことで、はっきり限度がおわかりいただけるだろうと思います」。

 1969年、高辻正己長官が、「わが国民の生存と安全を守る限度を超えないならば、核兵器の保有もできないことはない」と踏み込んだ発言をした。

【佐藤内閣の愛知外務大臣が「自衛権行使の前提となる武力攻撃の発生の時点 」答弁】
 概要「いわゆる予防戦争などが排除せられていることは、従来より政府の一貫して説明しているところである」
 概要「自衛権発動の時点を論ずることは、軽々には論ぜられない」
 1970(昭和45).3.18日、佐藤内閣の愛知外務大臣が「自衛権行使の前提となる武力攻撃の発生の時点 」について次のように答弁している。

 「御質問は、国連憲章第引条及び日米安保条約第5条の「武力攻撃が発生した場合」及び「武力攻撃」の意味についての統一解釈を左の事例で示してもらいたいということでございました。
ア、「ニイタカヤマノボレ」の無電が発せられた時点、すなわち、攻撃の意志をもって日本艦隊がハワイ群島に向け反転した時点。イ、攻撃隊が母艦を発進し、いまだ公海、公空上にある時点。ウ、来襲機が領域に入った時点。 

 安保条約第5条は、国連憲章第引条のワク内において発動するものでありますが、国連憲章においても、自衛権は武力攻撃が発生した場合にのみ発動し得るものであり、そのおそれや脅威がある場合には発動することはできず、したがって、いわゆる予防戦争などが排除せられていることは、従来より政府の一貫して説明しているところであります。こうして、安保条約第5条の意義はわが国に対する武力攻撃に対しては、わが国自身の自衛装置のみならず、米国の強大な軍事力による抵抗によって対処せられるものなることをあらかじめ明らかにし、もってわが国に対する侵略の発生を未然に防止する抑止機能にあります。更に、現実の事態において、どの時点で武力攻撃が発生したかは、そのときの国際情勢、相手国の明示された意図、攻撃の手段、態様等々によるのでありまして、抽象的に、又は限られた与件のみ仮設して論ずべきものではございません。したがって、政府としては、御質問に述べられた三つの場合について、武力攻撃発生、したがって自衛権発動の時点を論ずることは、適当とは考えない次第でございます」。


【佐藤内閣が「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」】
 概要「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさずの非核三原則を遵守する」
 1971(昭和46).11.24日、佐藤内閣が、衆議院・本会議部で次の決議を採択している。「政府は、核兵器を持たず、作らず、持ち込まさずの非核三原則を遵守するとともに、沖縄返還時に適切なる手段をもって、核が沖縄に存在しないこと、ならびに返還後も核を持ち込ませないことを明らかにする措置をとるべきである。  1.政府は、沖縄米軍基地についてすみやかな将来の縮小整理の措置をとるべきである。右決議する」。

【佐藤内閣が「戦闘作戦行動における事前協議」に関する見解打ち出し】
 1972(昭和47).6.7日、佐藤内閣時の高島条約局長答弁は、衆議院・沖縄北方特別委で、「戦闘作戦行動における事前協議」に関する見解を次のように打ち出した。
 ……昭和35年以来国会を通じましていろいろな形で答弁してまいりましたことをまとめまして、ここに戦闘作戦行動とは何かということにつきまして、わがほうの見解を申し上げます……。 

ア 事前協議の主題となる「日本国から行われる戦闘作戦行動のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用」にいう「戦闘作戦行動」とは、直接戦闘に従事することを目的とした軍事行動を指すものであり、したがって、米軍がわが国の施設・区 域から発進する際の任務・態様がかかる行動のための施設・区域の使用に該当する場合には、米国はわが国と事前協議を行う義務を有する。 

イ わが国の施設・区域を発進基地として使用するような戦闘作戦行動の典型的なものとして考えられるのは、航空部隊による爆撃、空挺部隊の戦場への降下、地上部隊の上陸作戦等であるが、このような典型的なもの以外の行動については、個々の行動の任務・態様の具体的内容を考慮して判断するよりほかない。 

ウ 事前協議の主題とされているのは「日本国から行われる戦闘作戦行動のための基地としての施設・区域の使用」であるから、補給・移動、偵察等直接戦闘に従事することを目的としない軍事行動のための施設・区域の使用は、事前協議の対象とならない。 以上でございます。 


【田中内閣が「自衛権発動の3要件」に関する見解打ち出し】
 概要「@・わが国に対する急迫不正の侵害があること、A・この場合に他に適当な手段のないこと、B・及び必要最小限度の実力行使にとどまるべきことが自衛権発動の3要件である」

 1972(47).10.14日、田中内閣が、参議院・決算委で、「自衛権発動の3要件」に関する次のような見解を打ち出した。「憲法第9条のもとにおいて許容されている自衛権の発動については、政府は、従来からいわゆる自衛権発動の3要件(@・わが国に対する急迫不正の侵害があること、A・この場合に他に適当な手段のないこと、B・及び必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと)に該当する場合に限られると解している」。


【田中首相が「専守防衛 、戦略守勢」に関する見解打ち出し】

 1972(47).10.31日、田中首相が、衆議院・本会議で、「専守防衛 、戦略守勢」に関する次のような見解を打ち出した。「専守防衛ないし専守防御というのは、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行うということでございまして、これはわが国防衛の基本的な方針であり、この考え方を変えるということは全くありません。 なお戦略守勢も、軍事的な用語としては、この専守防衛と同様の意味のものであります。積極的な意味を持つかのように誤解されない──専守防衛と同様の意味を持つものでございます」。


【田中内閣時に「憲法第66条第2項の文民規定」に関する見解打ち出し】
 1973(48).12.7日、田中内閣時に内閣法制局が、予算委理事会で、「憲法第66条第2項の文民規定」に関する次のような見解を打ち出した(「文民の解釈(自衛官と文民) 」)。
 憲法第66条第2項の文民とは、次に揚げる者以外の者をいう。 
ア、旧陸海軍の職業軍人の経歴を有する者であって、軍国主義的思想に深く染まっていると考えられるもの。
イ、自衛官の職に在る者

【**内閣時に吉国法制局長官が「日米安保条約第5条に基づく自衛隊の行動」に関する見解打ち出し】
 1975(昭和50).6.12日、**内閣時に吉国法制局長官が参議院・予算委で、「日米安保条約第5条に基づく自衛隊の行動」に関する次のような見解を打ち出した。「憲法上認められております我が国の自衛権の行使は、国際法上いわゆる個別的自衛権の行使に限定されることは、前から政府から御答弁申し上げているとおりでございます。したがいまして、日米安保条約第5条の規定によりまして日米両国が共通の危険に対処して行動する場合のわが国の自衛権の行使も、右の憲法上許容される個別的自衛権の行使に限定されることは申すまでもございません」。

【福田内閣時に真田法制局長官が「核兵器の保有に関する憲法第9条の解釈」に関する見解打ち出し】

 1978(昭和53).3.11日、福田内閣時に真田法制局長官が参議院・予算委で、「核兵器の保有に関する憲法第9条の解釈」 に関する次のような見解を打ち出した。
 政府は、従来から、自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持することは憲法第9条第2項によっても禁止されておらず、したがって右の限度の範囲内にとどまるものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは同項の禁ずるところではないとの解釈をとってきている。 

 憲法のみならずおよそ法令については、これを解釈する者によっていろいろの説が存することがあり得るものであるが、政府としては、憲法第9条第2項に関する解釈については、アに述べた解釈が法解釈論として正しいものであると信じており、これ以外の見解はとり得ないところである。 

 憲法上その保有を禁じられていないものを含め、一切の核兵器について、政府は、政策として非核3原則によりこれを保有しないこととしており、また、法律上及び条約上においても、原子力基本法及び核兵器不拡散条約の規定によりその保有が禁止されているところであるが、これらのことと核兵器の保有に関する憲法第9条の法的解釈とは全く別の問題である。 


【福田内閣時に防衛庁が「いわゆる奇襲対処の問題について」に関する見解打ち出し】
 1978(昭和53).9.21日、福田内閣時に防衛庁が、「いわゆる奇襲対処の問題について 」次のような見解を打ち出した。
 自衛隊法第河条の規定は、外部からの武力攻撃(そのおそれのある場合を含む。)に際して、内閣総理大臣がわが国を防衛するため必要があると認める場合に、国会の承認を得て自衛隊の全部又は一部に対しいわゆる防衛出動を命じ得ることを定めており、この防衛出動の命令を受けた自衛隊は、同法第88条(防衛出動時の武力行使)の規定によりわが国を防衛するため必要な武力を行使し得ることとされている。 
 このように、外部からの武力攻撃に対し自衛隊が必要な武力を行使することは、厳格な文民統制の下にのみ許されるものとされており、したがって、防衛出動命令が下令されていない場合には、自衛隊が右のような武力行使をすることは認められない。 
イ    自衛隊法第76条は、特に緊急の必要がある場合には、内閣総理大臣が事前に国会の承認を受けないでも防衛出動を命令することができることとされており、しかも、この命令は武力攻撃が現に発生した事態に限らず、武力攻撃のおそれのある場合にも許されるので、いわゆる奇襲攻撃に対しても基本的に対応できる仕組みとなっており、防衛上の問題として、いわゆる奇襲攻撃が絶無といえないとしても、各種の手段により、政治、軍事、その他のあらゆる情報を事前に収集することによって、実際上、奇襲を受けることのないよう努力することが重要であると考える。
 自衛隊がいわゆる奇襲攻撃に対してとるべき方策については、右に述べた見地から情報機能、通信機能等の強化を含む防衛の態勢をできるだけ高い水準に整備するよう努めることがあくまでも基本でなければならないが、更に、いわゆる奇襲攻撃を受けた場合を想定した上で、防衛出動命令の下令前における自衛隊としての任務遂行のための応急的な対処行動のあり方につき、文民統制の原則と組織行動を本旨とする自衛隊の特性等を踏まえて、法的側面を含め、慎重に検討することとしたい。

【**内閣の「徴兵制度」に関する答弁】

 1980(昭和55).8.15日、**内閣が、衆議院稲葉誠一議員の質問主意書「徴兵制度」に対する答弁書。「一般に、徴兵制度とは、国民をして兵役に服する義務を強制的に負わせる国民皆兵制度であって、軍隊を常設し、これに要する兵員を毎年徴集し、一定期間訓練して、新陳交代させ、戦時編制の要員として備えるものをいうと理解している。このような徴兵制度は、我が憲法の秩序の下では、社会の構成員が社会生活を営むについて、公共の福祉に照らし当然に負担すべきものとして社会的に認められるようなものでないのに、兵役といわれる役務の提供を義務として課せられるという点にその本質があり、平時であると有事であるとを問わず、憲法第13条、第18条などの規定の趣旨からみて、許容されるものではないと考える」。


【**内閣の「攻撃的兵器、防衛的兵器の区分」に関する答弁】

 1980(昭和55).10.14日、**内閣が、衆議院楢崎弥之助議員の質問主意書「攻撃的兵器、防衛的兵器の区分」に対する答弁書。「政府は、従来から、自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持することは、憲法第9条第2項によって禁じられていないと解しているが、性能上専ら他国の国土の潰滅的破壊のためにのみ用いられる兵器については、これを保持することが許されないと考えている」。


【**内閣の「海外派兵」に関する答弁】

 1980(昭和55).10.28日、**内閣が、衆議院稲葉誠一議員の質問主意書「海外派兵」に対する答弁。
 従来、「いわゆる海外派兵とは、一般的にいえば、武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣することである」と定義づけて説明されているが、このような海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。
 これに対し、いわゆる海外派遣については、従来これを定義づけたことはないが、武力行使の目的をもたないで部隊を他国へ派遣することは、憲法上許されないわけではないと考えている。しかしながら、法律上、自衛隊の任務、権限として規定されていないものについては、その部隊を他国へ派遣することはできないと考えている


【**内閣の「自衛隊の国連軍への派遣」に関する答弁】

 1980(昭和55).10.28日、**内閣が、衆議院稲葉誠一議員の質問主意書「自衛隊の国連軍への派遣」に対する答弁。「いわゆる「国連軍」は、個々の事例によりその目的・任務が異なるので、それへの参加の可否を一律に論ずることはできないが、当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊がこれに参加することは憲法上許されないと考えている。これに対し、当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴わないものであれば、自衛隊がこれに参加することは憲法上許されないわけではないが、現行自衛隊法上は自衛隊にそのような任務を与えていないので、これに参加することは許されないと考えている」


【**内閣の「潜在的脅威の判断基準」に関する答弁】

 1980(昭和55).11.4日、**内閣・大村防衛庁長官が、衆・内閣委で「潜在的脅威の判断基準」に対する次のような見解を打ち出した。「ただいま潜在的脅威の判断の基準はどうかというお尋ねでございました。もともと脅威は侵略し得る能力と侵略意図が結びついて顕在化するものでありまして、この意味でのわが国に対する差し迫った脅威が現在あるとは考えておりませんが、意図というものは変化するものであり、防衛を考える場合には、わが国周辺における軍事能力について配慮する必要があると考えております。潜在的脅威というものは、侵略し得る軍事能力に着目し、そのときどきの国際情勢等を背景として総合的に判断して使ってきた表現でございます。いずれにせよ、潜在的脅威であると判断したからといって決して敵視することを意味するものではございません」。 


【**内閣の「自衛隊と戦力」に関する答弁】

 1980(昭和55).12.5日、**内閣が、衆議院森清議員の質問主意書「自衛隊と戦力」に対する答弁。「憲法第9条第2項の「前項の目的を達するため」という言葉は、同条第1項全体の趣旨、すなわち、同項では国際紛争を解決する手段としての戦争、武力による威嚇、武力の行使を放棄しているが、自衛権は否定されておらず、自衛のための必要最小限度の武力の行使は認められているということを受けていると解している。 
 したがって、同条第2項は「戦力」の保持を禁止しているが、このことは、自衛のための必要最小限度の実力を保持することまで禁止する趣旨のものではなく、これを超える実力を保持することを禁止する趣旨のものであると解している」。


【**内閣の大村防衛庁長官が「防衛研究」に関する答弁】
 1981(昭和56).2.4日、**内閣の大村防衛庁長官が、衆議院・予算委で「防衛研究」に関して次のように答弁した。「防衛研究は……有事の際、わが国の防衛力を効果的に運用して、その能力を有効に発揮させるため、陸海空各自衛隊の統合的運用の観点から、各種の侵攻事態における自衛隊の運用方針、防衛準備の要領、その他自衛隊の運用と、これに関連して必要となる防衛上の施策についてどのような問題があるか、また、どうあるべきかを総合的に研究したものであります。 
 本研究は、国際情勢の緊迫からわが国に対する武力侵攻に至るまでの間生起すると考えられるさまざまの状況のうち、研究上適当と考えられる主要な特定の状況を取り上げ、その状況に対応して自衛隊のとる措置を考え、その際の問題点を検討し、警戒態勢、防衛準備、統合的対処構想等の事項についてはその改善策の概括的な検討を行ったものであります。 
 なお、防衛研究はあくまで研究そのものでありまして、これをそのまま直ちに施策に移すという性格のものではなく、具体的施策に移す場合には、改めていろいろな角度から慎重に掘り下げて検討し、結論を出す考えでございます」。 

【「自衛隊の行動の地理的範囲」に関する答弁】

 1981(昭和56).4.17日、**内閣時、衆議院議員・楢崎弥之助の「自衛隊の行動の地理的範囲」に関する質問に対して、政府は次のように答弁している。
 「我が国が自衛権の行使として我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することのできる地理的範囲は、必ずしも我が国の領土、領海、領空に限られるものではないことについては、政府が従来から一貫して明らかにしているところであるが、それが具体的にどこまで及ぶかは個々の状況に応じて異なるので一概にはいえない」。


【「交戦権と自衛権の行使」に関する答弁】

 1981(昭和56).5.15日、**内閣時、衆議院議員・稲葉誠一の「交戦権と自衛権の行使」に関する質問に対して、政府は次のように答弁している。
 「憲法第9条2項の「交戦権」とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、このような意味の交戦権が否認されていると解している。 
 他方、我が国は、自衛権の行使に当たっては、我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することが当然に認められているのであってその行使として相手国兵力の殺傷及び破壊等を行うことは、交戦権の行使として相手国兵力の殺傷及び破壊等を行うこととは別の観念のものである。実際上、自衛権の行使としての実力の行使の態様がいかなるものになるかについては、具体的な状況に応じて異なると考えられるから、一概に述べることは困難であるが、例えば、相手国の領土の占領、そこにおける占領行政などは、自衛のための必要最小限度を超えるものと考えている」。


【「集団的自衛権と憲法との関係」に関する答弁】

 1981(昭和56).5.29日、**内閣時、衆議院議員・稲葉誠一の「集団的自衛権と憲法との関係」に関する質問に対して、政府は次のように答弁している。

 「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されてもいないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。 
 我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」。


【「極東有事研究とわが国の防衛力整備」に関する答弁】
  1982(昭和57).1.26日、**内閣時、衆議院議員・黒柳明の「極東有事研究とわが国の防衛力整備」に関する質問に対して、政府は次のように答弁している。

 「日米防衛協力のための指針」に基づく日本以外の極東における事態で日本の安全に重要な影響を与える場合に日本が米軍に対して行う便宜供与の在り方については、今後の研究作業の結果を持たなければならないが、右便宜供与の在り方が日米安保条約、その関連取極、その他の日米間の関係取極及び日本の関係法令によって規律されることは、右「指針」に明記されているとおりである。また、右「指針」の作成のための研究・協議については、我が国の憲法上の制約に関する諸問題がその対象とされない旨及び右研究・協議の結論が日米両国政府の立法、予算ないし行政上の措置を義務づけるものではない旨日米間であらかじめ確認されており、したかって、このような「指針」に基づいて行われる研究作業において憲法の枠を超えるようなものが出てきたり、研究作業の結果が両国政府の立法、予算ないし行政上の措置を義務づけるようなものとなったりすることがないことは言うまでもない」。

【「自衛隊と軍隊」に関する答弁】
  1985(昭和60).11.5日、**内閣時、衆議院議員・秦豊の「自衛隊と軍隊」に関する質問に対して、政府は次のように答弁している。

 「自衛隊は、憲法上必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものと考える」。

【「外国の領土における武器の使用」に関する答弁】
 1990(平成2).10.30日、**内閣時、衆・国連特委での工藤法制局長官答弁。

 「
外国の領土における)応戦ということの意味でございますけれども、いわゆる武力の行使のような、武力の行使に当たるようなことはできません。そういうことを意味しての応戦でございましたら、これはできないと申し上げるべきことだと思います。 
 それに対しまして、……いわゆる携行している武器で、危難を避けるために必要最小限度の、いわば正当防衛、緊急避難的な武器の使用ということであれば、これは事態によっては考えられないことはない。ただ、それはいわゆる応戦、通常言われるような意味におきます応戦というふうなものではございませんで、あくまでも護身、身を守りあるいは緊急に避難する、こういう限度において、言ってみれば、本来は回避すべきところでございましょうけれどもそのいとまがないというふうなときに限定されて認められる、こういうふうに考えております」。

 1990年、イラクがクウェートに侵攻し、多国籍軍支援のための自衛隊海外派兵を盛り込んだ国連平和協力法案(廃案)が起草されたが、当時の工藤敦夫長官は「武力行使と一体となった行動への参加は憲法上許されない」と強調し、法案に抵抗した。法制局が法治国家としての整合性を保つために政治的圧力と戦った稀有な例になる。与党幹部からは「法制局長官は罷免してしまえ」と激しい言葉が浴びせられるほどだった。

【海部首相が「自衛隊の海外出動への道を開く 】

 1991年、海部俊樹首相は、自衛隊はこれまでの“禁”を破り、湾岸戦争後、機雷除去のための掃海艇をペルシャ湾に送った。「憲法の禁止する海外派兵には当たらない」と力説した。これを皮切りに自衛隊は海外派遣の道を歩み出す。キーワードは国際貢献だ。


【「自衛隊のカンボジア出動 】
 1992年、自衛隊は国連平和維持活動(PKO)協力法に基づいてカンボジアへ。「武力行使と一体とならないものは憲法上許される」という政府見解を根拠にしていたが“外国領土”での活動に初めて道を開いた。

周辺事態法が制定される 】

 1999年、周辺事態法が制定される。これにより、1996年の日米安保共同宣言に基づいて、日本周辺地域での米軍支援(後方地域支援)が可能になつた。この時、小渕恵三首相は同法の対米支援の範囲について「中東とか、インド洋とか、地球の裏側は考えられない」と答弁していた。


【「海上自衛隊の戦時出動 】

 2001年、米国によるアフガニスタンでのテロ掃討作戦支援のため、テロ特措法をつくり、インド洋に海上自衛隊を派遣することになる。小泉純一郎首相は「武力行使はしない。戦闘行為には参加しない」と強調したが、自衛隊の海外活動は“戦時”に広がった。


【津野長官が、「自衛隊の多国籍軍への参加は憲法上許されない」答弁】
 2001.12月、津野修内閣法制局長官が、「武力の行使自体を目的、任務とする多国籍軍に参加することは憲法上許されない」と答弁している。
 自民党と社会党が二大政党として対立した五五年体制時下では、憲法九条をなし崩し的に解釈する法制局対野党というのが、基本構図だった。それが湾岸戦争以降は劇的に変化した。 「今や『法制局の硬直的な憲法解釈が国際貢献を阻む』と考える政府与党内のタカ派にとって法制局は目の上のたんこぶだ。矢が飛んでくる方向が逆になった」と西川助教授は話す。

 2003年、「イラク特措法」が制定され、自衛隊の海外活動をついに“戦地”まで広げた。武力行使との一体化を避けるため、政府は活動地域を非戦闘地域に限定したが、この定義について、小泉首相は後日「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ」と“迷答弁”。議論は続いている。


【イスラム教シーア派の対米強硬指導者サドル師支持派を「国に準じる者」見解】
 2004.5.16日付東京新聞スクープ。それによると、2004.4月頃、内閣法制局が、米英連合国軍に抵抗しているイスラム教シーア派の対米強硬指導者サドル師支持派を「国に準じる者」との解釈を示し、福田康夫前官房長官(当時)に報告していたことが5.15日判明した。とある。しかし、福田氏は、法制局の解釈を政府見解とすることを留保。防衛庁は、この解釈を認めれば、サマワがイラク復興支援特別措置法上の「非戦闘地域」でなくなる可能性もあるため、激しく反発している。

 石破茂防衛庁長官はこれまでの国会答弁で、自衛隊の派遣先となる非戦闘地域について「海外での武力行使を禁じた憲法九条を担保する規定」と説明。その際、「戦闘」については「国または国に準じる者による、組織的、計画的なもの」と定義してきた。防衛庁幹部はサドル派について「組織性、計画性は認定できる」としながらも、「国に準じる者」と認定するのは困難との立場だ。しかし法制局の解釈に従えば、サマワでサドル派による攻撃や応戦があった場合、イラク復興支援特別措置法上の「非戦闘地域」でなくなり、結果的に「陸自部隊の活動中止−撤退」につながりかねない。

 サドル派は十万人に上るとされる民兵組織を持ち、「反米、反占領」を主張して米軍との衝突を繰り返し、米軍が壊滅対象と位置付けている。防衛庁によると、サマワにはサドル派とみられる約三十人のグループがあり、米国の占領統治に対して反対する活動を続けている。十四日夜(日本時間十五日早朝)には、サマワ市街地で、オランダ軍、イラク警察と、サドル派とみられる武装勢力が衝突、イラク人治安当局者一人が死亡するなど治安悪化が深刻化している。

【秋山長官が、「自衛隊の多国籍軍への参加は憲法上問題ない」答弁】
 2004.6.1日、参院イラク復興支援・有事法制特別委員会で、イラクでの多国籍軍への自衛隊参加について、秋山収内閣法制局長官が次のように述べた。「多国籍軍の任務に武力行使を伴うものと伴わないものの両方があるものについては十分議論されてこなかった」と指摘した上で、概要「決議の内容、多国籍軍の目的、任務、態勢など具体的な事実関係に沿って、わが国として武力行使せず、わが国の活動が他国の武力行使と一体化しないことが確保されれば自衛隊の参加は憲法上問題ない」と国会で答弁した。

 秋山氏は自衛隊の参加について、国連決議の内容など具体的事実にそって検討すべきだとした上で、条件として(1)武力行使を伴わない任務に限定、(2)活動が他国の武力行使と一体化しない、(3)活動期間を通じて条件が確保される−などを挙げた。「この三条件が充足されれば憲法上問題ない。従来の判断が変化したわけではない」としている。

 秋山収内閣法制局長官発言は、2001.12月の津野修内閣法制局長官の国会答弁「武力の行使自体を目的、任務とする多国籍軍に参加することは憲法上許されない」の大訂正であり、小泉政権の「6月末の主権移譲後のイラクで、自衛隊を新しい国連安保理決議に基づき編成される多国籍軍の一員と位置づけ暫定政権にも歓迎される形で自衛隊派遣を継続する。多国籍軍の任務に治安維持に加えて人道復興支援などを盛り込むよう関係国に働きかけている」政策を裏づけしたことになる。


 野党の一部は「従来の政府見解は、武力行使の有無で区分けせずに多国籍軍参加は憲法上できないとしてきた。(内閣法制局長官が)憲法違反の行為を正当化するのは許せない」(福島瑞穂社民党党首)とすぐにかみついた。本来なら、国論を二分しかねない問題に“お墨付き”を与えた格好だ。

【小泉首相が、「日米首脳会談で、国連安保理のイラク新決議に基づく自衛隊の多国籍軍参加を表明」】
 2004.6.8日、米・シーアイランドで八日行われた日米首脳会談で、小泉純一郎首相は主権移譲後のイラクに展開する多国籍軍に自衛隊を参加させ、駐留を続ける方針を表明した。主要八カ国(G8)では、既に半数の四カ国(フランス、ドイツ、ロシア、カナダ)が不参加方針を明らかにしている中での日米同盟最優先の小泉首相の姿勢が国際的に際立った。

【自衛隊の連合軍入りに対する識者の見解について】
 法政大学の永井憲一名誉教授は「多国籍軍への参加は、憲法で認められていない集団的自衛権の行使に踏み込むことにつながり、当然、国会や国民の間で議論が必要な案件。日本は法治国家であるはずなのに小泉首相は完全に国会を無視している」とした上で、内閣法制局の立場について「政府側に立って官邸のおぜん立てをするのが仕事。憲法の番人たる裁判所とはほど遠い存在だ」と言い切る。
 
 今の現状について、東京大学の奥平康弘名誉教授はこう懸念する。多国籍軍参加は憲法解釈上はどうなのだろうか。「参加は自衛隊の武力行使に非常に近い形になる。行使が現実となれば、当然、国際紛争の解決手段として武力行使を永遠に放棄することをうたった憲法第九条に違反する」、「自衛隊のサマワ派遣から始まって小泉首相は、常に違憲の疑いを含みながら進んできた。今回も正面から違憲性を指摘されるのを巧みに避けながらブッシュ米大統領への意思表明という形で決定を先行している。違憲を自覚しながら文言で切り抜けるのが彼の常とう手段」と説明する。

 「人道援助の名のもと、違憲性のある既成事実が次から次へと先行しているが、小泉首相の最終目標は改憲。『現状が憲法にそぐわないから、合わせましょう』との論法だ。私たちが声高に叫ぶ違憲の声も逆に利用する狡猾(こうかつ)さが小泉首相にある。多国籍軍への参加は、まず一度、自衛隊を引き揚げさせ、国会で論議した上で決めるべきだ」

【自衛隊の多国籍軍参加、閣議了解 「自衛隊の多国籍軍参加、我が国の指揮下に」(アサヒコム)】
 2004.6.18日、小泉政府は、「自衛隊のイラクでの多国籍軍参加についての統一見解」を閣議了解した。6.30日のイラクの主権移譲後、「自衛隊の初めての多国籍軍参加」が政府決定された。 これに伴い、イラク特措法施行令に多国籍軍駐留の根拠となる国連安保理決議1546を加えることや関連する基本計画の変更が為されることになる。

 政府の法理論は次の通り。自衛隊の多国籍軍参加は、湾岸戦争(91年)での多国籍軍編成に際して、政府は「目的・任務が武力行使を伴うものであれば、憲法上許されない。『参加』にいたらない『協力』で武力行使と一体とならないものは許される」(90年10月、中山太郎外相答弁)との見解を示しており、これとどう整合性を取るかが問われた。

 小泉首相は、新たな国連安保理決議に多国籍軍の任務・目的として「人道復興支援」を明記させることで、自衛隊の参加を可能にする方法を選んだ。しかし、「多国籍軍参加は違憲」の恐れが強く、秋山收内閣法制局長官ですら「『参加』という意味は私も時々混同する」と困惑した。6.18日の閣議決定に際して発表された政府見解でも、「参加」の2文字は慎重に回避され、「多国籍軍の中で活動する」とあいまいな表現になった。

 6.17日、小泉首相は17日の記者会見で、「参加」と明言した。自衛隊が参加しても憲法の枠内だと判断する根拠を問われても「活動を停止することがイラクの国民に喜ばれるのか」と情緒的に訴え、なんなく乗り切った。2004.6.18日付毎日新聞記事で、中川佳昭記者は、「『結論先にありき。理屈は後からついてくる』との本音が見て取れた」と記している。

 政府の説明は次の通り。自衛隊がイラクで行ってきた活動について「現地で高い評価を得ており、主権回復後も活動の継続に強い期待が寄せられている」とした上で、「新たな決議で、これまで自衛隊が行ってきたような人道復興支援活動が多国籍軍の任務に含まれることが明らかになったこと等を踏まえ、自衛隊は多国籍軍の中で今後とも活動を継続する」とした。「人道復興支援」には、サマワでのイラク人向けの給水・医療などの人道復興支援の他にも従来通り、空自輸送機による米兵輸送を含む「安全確保支援活動」を行なわれる。

 多国籍軍に参加しても活動内容は従来と同じで、「自衛隊は統合された司令部の下にあって、同司令部との間で連絡・調整を行うが、同司令部の指揮下に入るわけではない。自衛隊は引き続き、我が国の主体的な判断の下に、我が国の指揮に従い、人道復興支援等を行う」とし「参加はするが、指揮権は独自」の立場を明らかにした。

 「指揮権の独自性」について、多国籍軍の一員となるが、日本が指揮権を維持することは米英両国も了解している。口頭で了解を取った。これが担保だ」と米英両政府の口頭了解を得ていると説明した。何と、
「日本独自の指揮権」は口頭了解取り付けているから大丈夫だと。

 @・憲法の禁じる武力の行使にあたる活動は行わない、A・イラク特措法に基づいて「非戦闘地域」で活動する、B・他国の武力の行使とは一体化しないなどの原則を強調。その結果、「自衛隊が多国籍軍の中で活動することは憲法との関係で許されないとしてきた、いわゆる多国籍軍への参加に関する従来の政府見解を変えるものではない」と結論づけた。




(私論.私見)