428915 | 「『軍事的自衛・防衛・戦争放棄』その対価としての『国際協調・平和主義的防衛』について」 |
(最新見直し2006.9.22日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
分からず屋の為に、最も肝心な事を記しておく。要するに、戦後憲法は次のことを指針させている。軍事防衛に予算をつぎ込むのではなく、それは戦前の二の舞になり、決してわが国の利益にならない。そうではなく、極東の島国にして自然環境に恵まれ文化程度の高い稀有の国日本は、今後は産業及び技術立国として生き延び、それでもって世界平和に貢献する。それが第二次世界大戦の敗戦国日本が世界に誓約した指針であった、ということである。 この前提が崩されたのか、今なお価値を持っているのかの喧々諤々の議論こそ為さねばならないところである。れんだいこは、後者の観点を持っている。だがしかし多勢に無勢になりつつある。そういう局面である事は相違ない。国会で議論するのは、本当はこういうところぜよ。即ち、憲法9条問題の本質は、国防問題のようで実は財政問題なんだ。財政問題+国防問題なんだ。国防問題一人歩きさせるべきではないんだ。ここが分からないと足元すくわれるんだな。そういう手合いが多いわな。 2004.3.4日、2,006.10.27日再編集 れんだいこ拝 |
【戦後憲法9条の「首尾一貫不戦規定」について】 | ||||||
日本国憲法は、我が国の軍事防衛政策について次のように規定している。その一つは、憲法前文における国際協調外交の称揚であり、具体的には憲法9条で次のように規定している。
つまり、我が国の軍事防衛政策は、この二つの観点を統一的に理解するのが正式であり、憲法前文と憲法9条を分離して論ずるのは正確では無かろう。ところが、専ら憲法9条のみ吟味されるきらいがある。それは不毛な論議に誘われるであろう。なぜなら、憲法9条の規定は、憲法前文の思想性に依拠しており、その論理の赴くところとして規定されているのであるからして、思想性を問わない軍事防衛論議はどこまで行っても解剖学的にならざるを得ず、そこから思想性をくみ上げるのは至難の業であろう。 こう観点を据えると、憲法9条第1項の、1・「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」は、憲法前文に照応していることが判明する。その上で、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とある。これを読めば、国家権力の発動する2・戦争行為、3・武力による威嚇、4・武力の行使につき、「永久にこれを放棄する」と宣言していることになる。 憲法9条第2項は、「前項の目的を達するため」とあり、1項の規定を受けて以下の如く規定するとしている。その内容は、5・陸海空軍その他の戦力の不保持、6・国の交戦権不認とある。以上から、1・正義と秩序を基調とする国際平和の誠実なる希求、2・戦争行為の禁止、3・武力による威嚇の禁止、4・武力の行使の禁止、5・陸海空軍その他の戦力の不保持、6・国の交戦権不認の6項目を基本的要件とした軍事防衛政策を規定していることになる。これを一括して、法学的に「国策遂行の手段としての戦争放棄規定=首尾一貫不戦規定」と理解している。 憲法学者西修博士の研究(「日本国憲法を考える」文春新書)によれば、「国策遂行の手段としての戦争放棄」規定は、1928年に締結された不戦条約で述べられた思想に発し、1931年のスペイン憲法にも戦争放棄条項が加えられており、世界の現行憲法の中で何らかの平和条項を持っているものは124カ国にも上ると云う。しかし、最も明確に厳格に「不戦規定」しているのは戦後の日本国憲法を嚆矢とする。 ここから汲み出す法解釈は、「日本国憲法に随う限り、我が国の軍事防衛政策は、国家権力の手段としては平和外交、通商交易により不断の国際協調路線しか為しえない」ということになるであろう。この規定が現実的な国際環境にあって空文であるのか無いのかの論議は又別であり、忽ちはかく理解すべきであろう。 |
【戦後憲法99条の「行政当局者の憲法遵守義務規定」について】 | |
日本国憲法は第99条で、行政当局者の憲法遵守義務規定を次のように課している。
本来であれば、この99条規定に基づく違憲訴訟裁判所が設けられるべきであろうが、そこまでの強行的規定にはなっていないようである。諸外国の憲法との比較で論じたいが、残念ながられんだいこにはその知識が無い。しかし、この規定は、行政当局者、公務員一般に対して強い義務を課していることには相違ない。ということは、行政当局者、公務員一般は何人も、この規定との緊張関係無しには業務出来ないのであり、国民はこれを監視する権利を得ている、というべきだろう。爾来、憲法学者はこのことを指摘してきたのであろうか。 |
【憲法9条の生成過程考】 | |||
「GHQ草案」作成過程で、新憲法の理想的精神について、幣原首相とマッカーサー元帥との間で白熱共鳴のやり取りが為されている史実がある。第9条の「武装放棄」については、幣原はマッカーサー元帥に、マッカーサー元帥は幣原の発案としてお互いが譲り合っている。「羽室メモ」は、次のように証言している。
幣原首相は次のように述べたと伝えられている。
|
【憲法9条を廻る国会質疑、政府答弁考】 | ||||||
6.20日、政府(金森徳次郎国務相)より第90回帝国議会に対し憲法改正(新憲法)草案が上程され、24日から5日間衆院本会議で審議が行われた。この時、吉田首相は衆院本会議において次のように演説している。
「GHQ」民政局草案をそのまま書き写した感のある政府草案の評判は上々であった。驚くべきことは、進歩.自由.社会各党から出されていた草案のどれよりも民主的な内容を持っていた。特に、1・主権在民規定、2・象徴天皇制規定、3・戦争放棄規定、4・議院内閣制と文民規定、5・基本的人権規定、6・地方自治の章等々に特徴が見られ、各党が用意した憲法草案の臣民的秩序観とは大きく隔絶していた。特に、3・戦争放棄規定と6・地方自治の章は従来の各草案の発想に無いもので、異質といえば異質であった。 日本国憲法採択当時の国会での遣り取りが興味深い。この時の国会質疑は、1.天皇の象徴制について、2.主権在民規定について、3.戦争放棄規定について論議が集中した。中でも第9条に関する議論が伯仲し、国家固有の自衛権まで放棄しているのか、自衛のための武力まで禁止しようとしているのかの質疑が白熱した。 木村愛二氏のサイト「日本共産党犯罪記録 」に貴重な「衆議院本会議における代表質問、吉田茂9条説明審議録」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~sdpkitaq/konken12.htm)がアップされているので紹介する。 「1946.6.25日、憲法改正案について吉田総理の提案理由説明を受けた衆議院本会議は即日、各会派の代表質問に入り、28日まで4日間これを続けた」。吉田首相は次のように答弁している。ほぼ条文の真意を踏まえ次のように応答している。これを「吉田首相の憲法9条解釈」として位置づけておくことにする。吉田首相は、「憲法は自衛権を放棄していないが、自衛権の発動としての戦争も交戦権も放棄している」との立場を示し、次のように述べている。
|
【戦後憲法制定時の日共・野坂議員の変調質疑と政府答弁について】 | ||||||
興味深いことは、この時、日本共産党の野坂参三氏が、「戦争放棄」条項に食いついて、6.28日の本会議で次のように質疑している。
つまり、「正当防衛による戦争まで否定することは有害」なる観点から、「戦争には、侵略された国が自国を防衛する『正義の戦争』と他国を征服・侵略する『不正義の戦争』とがある。したがって、憲法は『戦争の放棄』でなく『侵略戦争の放棄』とすべきだ。2.日本の過去の戦争は侵略戦争ではないのか」と問いただしたことになる。 野坂のこの「国家正当防衛権戦争は聖戦である」式見解に答えた吉田の答弁がふるっている。
6.26日の進歩党の原夫次郎の質問に対しては、次のように答弁している。
|
||||||
野坂はその後も日本共産党の最高幹部として永らえ、晩年になってスターリニズム吹き荒れるモスクワの地でかっての同志を当局に売り渡していた咎で除名される等晩節を汚した胡散臭い人物であるが、この時の変調質疑の責任は一向に問われていない。 付言すれば、木村氏は、概要「上記の『今日から見て立場が逆転している』という評価には、疑問を呈して置く」と述べた上で、野阪質問の背景を次のように説明している。
れんだいこは次のように思う。当時の共産党の革命闘争理論にあって、暴力革命、革命戦争を「正義の戦い」として位置付けていた面は有る。しかし、こと野坂はこの観点を次第に右傾化させ「占領下での平和革命論」を主張してきた張本人であり、その野坂が、暴力革命、革命戦争の観点から「正義の戦争」の見地を確保せんとして質疑していたと見るのは如何なものであろうか。浮き彫りになるのは、野阪が、戦後憲法の不戦規定の画期的意義を少しも理解せず、いわば今日の改憲派に通ずる観点から早くもこの時点において「戦後憲法の不戦規定」に揺さぶりをかけていた、ということではなかろうか。それは保守本流の奥の院の意思と通じていた可能性が有る。れんだいこはそう見る。 木村氏の概要「上記の『今日から見て立場が逆転している』という評価には、疑問を呈して置く」の意味が分からない。共産党の野坂が不戦規定の修正を迫っており、保守党権力の吉田首相が不戦規定の称揚をしている姿は、今日から見れば、「立場が逆転している」のであるから、その通りでは無かろうか。この理解でどこかおかしいだろうか。本筋の話ではないからとうでも良いことだけど。 木村氏は、以上の遣り取りを踏まえ次のように指摘している。「現在の日本共産党の中央委員会公式見解は、(日本国に)『当防衛権あり』との主張なのである」。この指摘の是非は別としても、日本共産党は、その後も長らく最高指導者として待遇してきている以上、木村氏の指摘している如くこの時の野坂の質疑に党として責任を負っているというべきで、にも拘わらず何らの弁明も為していないところからすると、「戦争には、侵略された国が自国を防衛する『正義の戦争』と他国を征服・侵略する『不正義の戦争』とがある。したがって、憲法は『戦争の放棄』でなく『侵略戦争の放棄』とすべきだ」という観点を排除していない、ぐらいには云えそうである。 |
【戦争ノ抛棄ニ関スル条約】(パリ条約、ブリアン=ケロッグ規約) | |||||||||||||
戦後憲法に結実した「首尾一貫不戦規定」は突如生まれたものではなく、その下敷きになるものとして、「戦争ノ抛棄ニ関スル条約」(パリ条約、ブリアン=ケロッグ規約)がある。この条約法文と戦後憲法のそれが酷似していることからしてもっと注目されて良いと思われる。これを現代語訳で要点整理しておく。
「戦争ノ抛棄ニ関スル条約」法文は次の通り。
|
【吉田首相の「不文律吉田ドクトリン」の慧眼と、その後の自衛隊の創出、政府答弁の変遷について】 |
その後の政府自民党は、自衛隊を生み出し、次第に規模を膨張させていった。この間9条に対する解釈改憲で切り抜けた。しかし、1・自衛隊の違憲論、2・専守防衛区域とはどの地域か論、3・在日米軍との関係論。4・在日米軍の治外法権的存在の違憲論、5・日米安保条約と憲法との関係論等々未解決な課題を引きずってきている。 現行憲法では戦争放棄が前提となっているから、戦争のための法体系がない。自衛隊法、有事法制、国民保護法制をはじめ戦争法の国内法整備が急ピッチで進められているが、憲法9条の制約により大きく制約されている。憲法9条をかかえたまま自衛隊を武装派兵し続けることは、政府自らの違憲行為の積み重ねとなり、このことは国家の法治主義性をそこない、法への信頼性を失わせ、権力の正当性を損なう。民主主義が機能しなくなり、政府の強権政治に道を開くことになる。 |
【「日本共産党の200.11.24日付け赤旗に見る憲法9条・自衛隊問題」考】 | ||||||
日本共産党は、2000.11.24日付け赤旗に、「日本共産党第22回大会決議」の抜粋として「憲法を生かした民主日本の建設を」掲載している。これを見ておく。かっての野坂質疑問題なぞおくびにも出さない現下の日共党中央であるが、如何なる軍事防衛論を展開しているのか、これを見ておきたい。もっとも、本音と建前が分離しており、例の二枚舌三枚舌を弄しているのでなかなか正体が掴み難い。それを何とかして解析しようと思う。 | ||||||
第1項で、次のように述べている。
留意すべきは、次のように述べていることである。
つまり、将来における改憲の必要性について含みを持たせている。その後に続けて、次のように述べている。
ひとまずは拝聴しておく。 |
||||||
第2項で、次のように述べている。
改憲派の動きを批判し、自衛隊が存在するという現実の下で、憲法9条が抑止力になっていることを指摘している。以上を請けて、「日本共産党は、憲法九条の改悪に反対し、その平和原則にそむくくわだてを許さないという一点での、広大な国民的共同をきずくことを、心からよびかける」と述べている。ここまでは良かろう。 |
||||||
第3項で、次のように述べている。
|
||||||
ここから(結)のところに入るが、突如乱調になり次のように云う。
|
||||||
![]() これまでさんざん憲法9条の値打ちを説いてきたかと思うと、結論部になって途端に「この矛盾を解消することは、一足飛びにはできない。憲法九条の完全実施への接近を、国民の合意を尊重しながら、段階的にすすめることが必要である」となる。ならば、ここのところをもっと集中して解析すれば良かろうに。建前論ばかりで次数を費やしていたことになる。 |
||||||
さて、不破は、どのような自衛隊段階的縮小論を述べているか、以下聞き分けしてみよう。
締めとして次のように述べている。
|
||||||
|
【「憲法前文と9条に貫く思想」考】 | |
「8月に思うこと」(司祭 テモテ 島田公博)に次のような記述がある。憲法前文と9条に貫く思想の解明という意味で重要な指摘と思い、引用する。
|
(私論.私見)
朝日1月7日付けは次のように報じている。
「抗争巻き添え、組長が賠償 暴対法改正案を国会提出へ 指定暴力団(24団体)の対立抗争や内部抗争で一般人が巻き添えになった場合、組長ら組織のトップに損害賠償責任を負わせる規定を盛り込んだ暴力団対策法の改正案が7日、まとまった。これまでは責任を追及しても、事件の実行犯と組長が「指揮監督関係」にあったかどうかなどの立証責任が被害者側に課せられ、被害救済は進まなかった。警察庁はこの規定が、抗争の抑止にもつながると期待している。19日開会予定の通常国会に提出する。 (略) 現行でもピラミッドの頂点にいる組長らを民法上の「使用者」として賠償を請求できる。しかし民法上、使用者の責任が問われるのは、その組織が通常行う「事業」に限定されており、対立抗争が「事業」と言えるかどうかは、裁判所の判断が分かれている。また、末端組員と代表者とが「指揮監督関係」にあったことや、対立抗争に至るまでの意思決定過程、抗争と言えるかどうかについても、被害者側に立証責任があり、被害救済の道は険しかった。」
こうして「組長らに過失がなくても賠償責任を負わせることができ、「末端組員が暴走した」という言い訳はできなくなる。」というものだそうだ。もちろん、このような法改正で、天皇に過失がなくても賠償責任を負わせることができ、「軍部が暴走した」という言い訳ができなくなるわけではないが、この立法が妥当なものであるとすれば、いかなる犯罪であれ、組織的な犯罪の場合、その組織の責任者は、具体的な指揮監督を立証できなくても、組織の構成員が犯した犯罪に連帯して責任を負わなければならないという一般論を承認しなければならないだろう。
しかし、正義の恣意的な適用を厭わない現状では、米国とその同盟国が正義というブランドを独占しており、彼らが正義の裁定者となっている以上、暴対法を支える法の理念が、大衆のなかで「常識」として支持されるようになればなるほど、暴力団の次にはテロリスト集団と欧米や日本で呼ばれている組織、さらには宗教の原理主義や極左過激派という名称でくくられてる集団などに関しては、比較的容易に指揮監督の立証抜きに組織の責任者を処罰できるようになるだろう。(そういえばオウムの麻原裁判の経緯でも、マスメディアは裁判の長期化をひたすら批判し続け、立証よりも生け贄を要求するような感情論を扇る傾向が強い)
いうまでもないことだが、「指揮監督」の具体的な立証なしに検挙が可能になるというのは、伝統的な物書きに限らず、bloggerにとってもかなり致命的だろう。今でも、犯罪と小説や映画の筋書きが似ていたとか、被疑者が「XXの作品に影響された」とか供述しただけで、あたかも作家も実行者と同罪かあるいはそれ以上にいかがわしいとみなされる風潮がある(マスメディアがこうした風潮を扇っているのに、メディア自身は決していかなる犯罪への加担も認めない)。正義が恣意的に濫用される戦時であればなおさら、戦時に抗う言葉はそれ自体が国家の安全を脅かす「暴力」に嵩上げされて叩かれるかもしれない。天皇の戦争犯罪、ブッシュのそれ、そして小泉の共犯が法廷の前には引きずり出されるのは、こうした文脈で語られる組織犯罪の摘発や正義の濫用の延長線上にはないことだけはたしかだ。私たちは法を支える民衆の「意思」や「常識」それ自体を根本から組み直さなければ、権力者たちの国家犯罪を裁くことはできないに違いない。正義は回復されるのではなく、一から創造しなければならない。
久しぶりに書いたら超長くなってしまった。
フセイン政権が労働運動を厳しく弾圧してきたことはよく知られている。米国の占領統治でもこの実態は全く変っていないようだ。『Progressive』2003年12月号(ただし以下の紹介は紙版)にSaddam's
Labor Laws, Live On by David
Baconという記事が載っている。フセイン政権では、大多数の労働者は国営企業で働く公務員労働者であり、団結権と団体交渉権を禁じられていた。デイビット・ベーコンによれば、イラクは戦前からラディカルな労働運動の歴史があったという。第一次大戦後、のイギリスによるイラク統治が6年続き、労働運動が続くが、イギリスはこれを弾圧し、王政を敷く。58年まで王政が続くが、この間労働組合は非合法だった。58年に王政が倒され組合が合法化されるが、63年に、CIAの後ろ楯を得てバース党がカッセム政権を倒して政権につき、77年サダム・フセインが権力を握り、87年の法律で再び労働組合とラディカルな政治運動が非合法化された。こ87年の法律を米軍占領権力は廃棄せず、事実上法律の効力が継続している。
昨年(2003年)6月に、労働者民主労働組合連合(英語では、the Workers Democratic Trade Union Federation)が結成され、12の主要産業の組合の再結成が計画されている。その後労働運動は徐々に力を得つつあるものの、占領政権はフセインの87年法を改正する気配はない。他方で、米軍による「解放」は労働者の生活を解放するものではなかった。労働力の7割がいまだに失業状態にあり、しかも賃金は低水準の一方、物価は上昇傾向にあるため生活は極めて厳しい。
労働運動を非合法状態に放置している理由についてベーコンは二つの理由を挙げている。一つは、いうまでもなく、労働者の抵抗を弱め、労働力コストを削減するためだ。もう一つは、国営企業の多くは今後民営化される予定がある。イラク国内資本にはこうした国営企業を買収する余力はなく、外国資本が買い取ることになる。民営化をスムーズに進めるためには労働者の団結権は障害だというわけだ。ベーコンの取材に応じた精油所のマネージャーは、民営化されれば3000人の労働者の半数を解雇しなければならないだろうと述べている。先進国のように解雇やレイオフがあっても失業保険の給付という保障はイラクにはない。「もし今労働者を解雇すれば、私は彼らとその家族を殺すことになる」とマネージャーは述べている。
イラク戦争は、旧ソ連、東欧の社会主義の崩壊と同様、西側の資本にあらたな投資のための市場の機会を与えるための破壊行為だ。国家を解体し、国営企業を潰してこれを外国の資本が乗っ取る。労働コストを最小限に抑えるためには、労働者を保護する立法は当然じゃまになる。
ベーコンは次のような労働組合の活動家の言葉を紹介している。「彼らはわれわれに資本主義を再度押し付けようとしている。だから、われわれがやらなくちゃならないのは、出来る限り民営化を阻止することだ。そして、我々労働者の福祉のために闘うことなんだ」
民営化反対は、フセインかブッシュかという二者択一の色眼鏡しか持たない西側や日本のメディアにはあたかもフセインシンパの反動のように見えるが、決してそうではない。フセイン政権と米国占領軍の両方がともに押し付けている労働者の権利の抑圧と闘うという二者択一の選択肢そのものを覆すものだ。資本主義の復興と拡大を目指す米国に労働者の権利問題を解決できるはずがないのだ。民営化反対は、反グローバル化の運動のなかで共通に主張されているものでもあることにも注目する必要があるだろう。公務員という特権的な労働者貴族の自己保身と揶揄されがちだが、こうした揶揄は、民間の労働者や失業者などの生活権を保護して公務員並に引き上げようとする労働者の要求を押さえ込もうとするものだ。。むしろ、これ以上資本はいらない、資本主義はもうごめんだ、資本の分け前を民衆の手に取り戻そうという声でもあるのだ。イラクに資本主義が広がれば広がるほど、イラクも又反資本主義運動のグローバルな連鎖から逃れられなくなるだろう。
30日の新聞各紙は29日の小泉とベイカー元国務長官との会談で、日本政府がイラクへの公的債権を大幅に放棄する意向のあることを報じている。
『日経』はこの会談を一面トップで伝えているように、非常に関心が高い。日本のイラクへの経済的な復興支援はすでに公的資金による支援50億ドル(二年目以降の35億ドルは有償)で米国に次いで第二位、三番目のサウジが10億ドルだから『日経』のいうように日本の援助は「突出」している。さらに、これに加えて債務帳消しを約束させられたわけだ。最終的には債権放棄の規模がどのくらいになるかはパリクラブでのヨーロッパ諸国を交えた債権国会議で決まる。
イラクの経済復興は、世界第二位の産油国のイラクをグローバルな資本主義の体制のなかに埋め込む作業を意味している。しかもこの作業については、米国と欧州諸国で利害が一致していない。欧州やロシア、そして日本はフセイン政権への多額の債権を保有している。欧州諸国は主として武器輸出代金とのことだが(欧州もテロリストと呼ばれたイラクを軍事的に支援し続けてきたわけだが)、日本の債権は電力施設などの社会インフラ向けだという。債権の放棄は、経済的な関係を一旦白紙に戻すことを意味し、これは債権国がもつ経済的な支配を排除することを意味する。つまり、欧州、ロシア、日本の経済的な支配力を抑制して米国主導で構築されるであろう来年6月のイラク新政権(米国かいらい政権と呼ばれるに違いないが)は、これら債権国に縛られることなく、新たな国際的な経済復興援助の枠組を再構築できるというわけだ。要するに、米国が経済的な覇権をイラクに築くための重要な布石がこの債権放棄である。日本政府は、米国の要求を飲むことによって占領軍に優先的に割り当てられる富の配分にあずかろうというこんたんだろうが、日本の資本側は政府のこの読みは甘いと感じている。『日経』のトーンもむしろ日本政府の突出した米国追従に対して警戒を示しており、「世界第二位の石油埋蔵量をもつイラクの『将来の収入』まで各国に率先して放棄するのか、という批判もある」と資本の危惧を代弁している。
戦争は、ある種の資本の本源的蓄積の手段だ。イラク戦争は、イラクをグローバルな資本主義の秩序に構造的に埋め込むために、社会インフラと政治権力の暴力的な解体を伴うものだった。今回の戦争が石油目的であることは誰もが知っている。かつての本源的蓄積が、重商主義が必要とした羊毛という資源のために、農民が土地を追われ、やがて都市のプロレタリアートを形成したとすれば、現代では石油のために民衆が駆逐され、戦争と内戦の難民となって国境を越え、グローバルシティの下層プロレタリアートとなる。
戦後復興は、イラク人政権の成立とこの政権を支える国外の復興援助の枠組の確定、そしてこれらをもとにしてIMFなどが復興のための経済プログラムを策定することで実行されるという。破壊された民衆の生活を回復するための唯一の選択肢はこの資本主義としての復興であり、IMFと米国が事実上この計画の主導権をとる体制を整えつつある。欧州と国連がこれに対してある種の牽制的な役割を果たすとしても、これらの枠組のどこにも資本主義へのオルタナティブは見い出せない。
他方で反グローバル化の運動はますます反資本主義という考え方を受け入れるようになっている。資本主義ではない開発のオルタナティブの可能性を探らねばならないという切実な思いが特に第三世界の民衆には強い。かつての社会主義のプロジェクトは敗北したが、しかしそのことは資本主義が最後の楽園となったことを意味するのでもなければ、マルクスが試みた資本主義の搾取の構造が間違いであったというわけでもない。むしろ、資本主義のグローバル化はますます貧富の差を拡大し、内戦と武力紛争、民族差別や宗教上の対立を激化させてきた。市場経済にこれらの問題を解決できる能力がないことは何度も指摘されてきたことだ。(ぼくはポランニーを思い出す)
イラクの復興は民衆による復興のオルタナティブという問題と密接に関わる重要な実験場になりうる。IMF、世銀、国連、多国籍企業、先進国政府が唯一と考える資本主義的な復興プログラムに対してどのようなオルタナティブを提起できるか。民衆の闘争の中から新たな創造力--資本の価値増殖ではなく民衆の価値創造力--がどのように形成できるか、これが今後のイラクを、さらには米国が狙うパレスチナや中東への覇権と対抗する重要な鍵になると思う。西側のメディアはゲリラやレジスタンスを自爆テロのようなセンセーショナルでテレビ映えのする出来事でしか捉えていないが、民衆の力はそんなもんじゃないだろう。