戦後憲法理念及び原理の秀逸さ確認考

 (れんだいこのイントロショートメッセージ)
 戦後憲法の改定騒動が喧(かまびす)しくなりつつあるが、れんだいこに云わせればナンセンスの極まりである。いつか改正される時代を迎えようが、それは憲法が爛熟し、次の時代に適合し得なくなったという客観情勢下で初めて検討されるべきもので、今日のご時世で改正されるいわれは一切ない。むしろ、憲法理念、原理のますますの貫徹が要求されているのが時代的要請であり、それをいとも安直に「憲法理念、原理の歴史的高み」を転落させようなどとするのは、反動でしかない。このことが分からないままに「憲法改正合唱団」が形成されつつある折柄、れんだいこは何としてもこれに棹差さねばならない。

 「戦後憲法の理念、原理の歴史的高み」とは何か。これを解き明かさねば首肯されぬこともあろう故に以下説き聞かせてみる。次のようなれんだいこ観点から説明された事はないであろうから、「目からうろこ」を落とすことになるかも知れない。それは良い事だ。今からでも遅くない。認識をかく変えるべきだ。他方で、「馬耳東風」の輩もおろう。「馬の耳に念仏」、「猫に小判」とも云う。この連中に付ける薬は無い。敢えて言えば、事の理非曲直が分からない輩はせめて大人しくしていよ、反動攻勢に乗せられて後で後悔する勿れ、と云う以外に無い。

 2004.2.7日 れんだいこ拝


【総合評価、「プレ社会主義法」としての戦後憲法の史的意義】
 「戦後憲法の理念、原理の歴史的高み」とは何か。それは、経緯は別として、人類が獲得した国内法規の最高の水準を明記していることにあり、いわば「プレ社会主義法」となっているところに特質がある。この認識は意外であるかも知れないが、れんだいこ史観によればそうなる。仮に、マルクス、エンゲルスが戦後の日本国憲法を目の当たりにしたら、随喜する値打ちものとなっているに違いない。

 ところが、自称マルクス主義者はそうは受け取らない。ブルジョア憲法あるいはポツダム憲法として批判の対象にし、これを強く為せばなすほど革命的であるかの如くの倒錯に陥ってきた。そういう意味では、社共特に社会党が戦後憲法の価値を認め護憲の旗印を掲げてきたのは実に慧眼であった。但し、「プレ社会主義法」とみなさなかった為に、平和主義運動的視点しか持たなかった為に、「保守的護憲運動の弊害」に陥ってしまった。残念な事である。

 そういう事情であるので、反動派は、戦後憲法を端から否定する。彼らから見れば、敗戦故にやむなく導入された夷敵法であり、一刻も早く自主憲法を制定し直さねばならないのだということになる。しかして、その理念、原理をどう創出するのかというと、戦前憲法への復古主義しか持ち合わせていない。ところが、その復古主義はあまりに時代錯誤的である故に主張する当人達も腰を引かせてしまう。この間隙を縫うようにして、国際金融資本が彼ら復古派を上手に操作しており、下僕として利用している。ここにきて至って喧(かまびす)しくなりつつある憲法改正運動の背景事情はそのようなものである。

 我々は、こういう復古反動派の痴態にどう対処すべきか。れんだいこは次の指針を推奨する。一つは、戦後憲法を人民史観から捉えきることである。戦後憲法は、戦前の父母祖兄弟が血で贖(あがな)って齎(もたら)した「人民主権型の聖典」であり、この地平からの後退を許してはならない。この観点を保持せよ。進むべきは、現行「プレ社会主義法」の「より社会主義法化」への前進である。

 それは何も法文を改正するには及ばぬ。現行規定のより実質化を推進すれば良い。戦後憲法はまだ、それが導入されたほんの数年間しか十全なる機能を発揮したことがないのだから。ちなみにこの時期は「戦後ルネッサンス」と云われており、日本史上特筆されるべき数年間となっている。


【二大特質その一、「象徴天皇制」規定の史的意義】
 戦後憲法は、前文に続く第一章を天皇制から説き起こしている。その意味で、天皇制問題が最重要規定であることが分かる。では、天皇制がどのように規定されているのか。憲法制定過程で、天皇の退位による共和政体も顧慮されたが、各種議論の結果、戦前の「絶対主義的元首的天皇制」システムを「象徴天皇制」型に転換させることで存続させることとなった。

 具体的にはどのように規定されているのかを見てみる。第一条は、【天皇の地位・国民主権】という表記で、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」としている。俗にこれを「象徴天皇制」と称するが、戦前憲法的「統帥権」規定が否定され、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」(第三条【天皇の国事行為と内閣の責任】)という手械足枷権能となっている。

 「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(第四条【天皇の権能の限界、天皇の国事行為の委任】)ともされており、文化的遺制、精神的表象として天皇制が容認されている事が分かる。他方で、「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する」、「天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する」(第六条【天皇の任命権】)とあり、三権分立の長のうち立法府の内閣総理大臣、司法府の最高裁判所長官を儀式行為として任命する国事行為が委託されている。

 その他国事行為として、「 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。一、憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。二、国会を召集すること。三、衆議院を解散すること。四、国会議員の総選挙の施行を公示すること。五、国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。 六、大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。七、栄典を授与すること。八、批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。九、外国の大使及び公使を接受すること。十、儀式を行ふこと」(第七条【天皇の国事行為】)が職務とされている。

 以上から俯瞰すれば、戦前憲法に認められていた政体の最高且つ最終的権限者としての絶対主義的君主的権能が否定され、「主権在民」制の下で文化的遺制、精神的表象としての存続と、国政の要としての主要行事に対してのみ儀式的に君主的地位が与えられ関与する制度へと転換されている事が判明する。戦前憲法の諸規定からからすれば名残をとどめている程度のものに骨抜きされている訳であるが、それにしても「天皇の国事行為」は多方面に関与しており、若干の政治的権能さえ窺える余地を残している。

 つまり、「象徴天皇制」は君主制の一形態である形式で導入されている。そういう形での君主制の存続が認められるゆえに、戦後憲法を「人民主権型の聖典」と言い切るには無理がある。しかし、れんだいこに云わせれば、何事も相対的に評すればよい。戦前憲法の天皇制と比すれば統治権を失い僅かの国事行為を残した君主制であるということであり、実務的には、人民主権から見て容認しがたい国事行為権限であるのか妥協できる程度のものであるのかを吟味すれば良い。れんだいこ観点に拠れば、方向として天皇の政治的国事行為を喪失させ文化的遺制方向で存続させるのが望ましいように思えるが、目下焦眉の課題とするには及ばぬ。

 以上を、「戦後憲法のプレ社会主義法その一、象徴天皇制」考の総論とする。

【二大特質その二、「軍備放棄、平和主義、国際協調主義制」規定の史的意義、@・軍事戦争時代遅れ論】
 戦後憲法は、第一章「象徴天皇制」に続く第二章を「非武装平和国家宣言」に充てている。戦後憲法の三大特質は、前文、象徴天皇制、非武装平和国家宣言のこの三系に認められると理解すべきだろう。それほど重要な規定の一つとして「非武装平和国家宣言」がある。ちなみに、第二章は9条のみであり、次に見るように二項に亘って「非武装平和国家規定」をしている。

 もっとも、9条は前文と大きく連動している。れんだいこがこれを統一的に要約すれば、「戦後憲法のプレ社会主義法その二、平和主義、国際協調主義、非武装国家宣言、戦争放棄制規定」ということになる。戦後憲法は、旧憲法が陸海軍を設置し、大臣武官制を敷いていたのに比して思い切った転換をしており、「1 、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」、「2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」(第9条【天皇の国事行為】規定している。

 第一項の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」とあるのは、憲法前文を受けてのものであり、外交策として「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」ことを宣言している。第二項は、これを更に具体的に規定して、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」としている。これが9条の論理構造である。

 この規定は、「象徴天皇制」と並ぶ戦後憲法の最大の特質となっている。否、前文との緊密な連動を思えば、この章こそハイライトを為す部分とみなせよう。恐らく世界初の「平和規定」になっている。実際には、憲法制定過程に於いてもっとも論議されたところでもあり、その理想主義が危ぶまれてきた経緯がある。

 これを危ぶむ側の論理は、「憲法前文と弟9条」は、@・日本の大和民族主義の溶解政策であり、A・日本帝国主義の解体及び再建阻止及び二度と歯向かってこないようあらゆる手立てを講じた政策、としての「非武装平和国家宣言、軍隊解体、不保持、交戦禁止」規定であると見なす。他方、これを歓迎した側の論理は、「憲法前文と弟9条」は、第一次第二次の世界大戦の惨禍を二度と繰り返さない国際的厭戦及び平和希求思潮が反映したものであるとしてその価値を見出す。

 実際には、史実はいともたやすくこの規定を反故にし、様々な諸事情から「憲法前文と弟9条」からは容認されない自衛隊を誕生させ、以来肥大化が年とともに強まり今日に至って居る。「憲法前文と弟9条」の理念及び制度の空洞化が進んでおり、それはとりもなおさず憲法全体の空洞化を表象している。

 90年代になると、現にある制度として認めようとする傾向が強まり、社会党がまず村山時代に「非武装中立主義」方針を転換させ、日共も2004年の綱領改定時に追随することになった。但し、日共の場合は本音と建前がことごとく齟齬しており、要するに自衛隊の漸次的解消論でもって認めると同時に否認するという便利な論法を生み出している。

 れんだいこ見解は次の通りである。「憲法前文と弟9条」からなる「戦後憲法のプレ社会主義法その二、平和主義、国際協調主義、非武装国家宣言、戦争放棄制規定」は理想なのか、現実的な根拠を持つのかの視点から論議されねばならないのではなかろうか。多くの者は、現実対応能力を何ら持たない理想主義故に排斥へと傾いているように思える。しかし、れんだいこの観点は異なる。理想主義的なあまりに危惧されてきた「憲法前文と弟9条」は案外と根を下ろし、自衛隊の誕生を見たものの常にそのブレーキ役を果たしており、そういう拮抗関係においてではあるが曲がりなりにも貫徹されてきた故に、戦後日本の奇跡の復興をもたらし、国際的にも賛美されてきたのではなかろうか。

 つまり、「憲法前文と弟9条」は「原爆兵器の登場による戦争の質の転換」を最も的確に認識しており、単なる理想主義ではなく相当なリアリズムに裏打ちされている面があるのではなかろうか。つまり、単に理想ではなく現実的な実在力を持ち、偉大な良質作用を及ぼしてきたのではなかろうか。それを思えば、戦後日本は、「軽軍備、経済成長政策」の総路線の下で国政上最も賢明な舵取りをしてきたのであり、これが成功してきている以上更にこの方針の下で突き進むべきでは無かろうか。

 惜しむらくは、「平和主義、国際協調主義」方面への国際的貢献が少な過ぎるのであり、もっと傾注努力すべきではなかろうか。このことは、「戦後憲法のプレ社会主義法その二、平和主義、国際協調主義、非武装国家宣言、戦争放棄制規定」を単に直接的な軍事・防衛的観点からのみ捉えるのではなく、世界平和主義、国際協調主義のうねりを創り出すことによって側面的な軍事・防衛的貢献をも企図すべしということを指針する。

 もう一つの歴史的意味がある。戦前の国家歳出における軍事費の爬行的増大が、国内経済を逼塞させ、挙句の果てに海外侵略へと余儀なくさせられた苦い教訓として、戦後日本は、軍事防衛費の予算化を断ち切った。「非武装国家という世界に例の無い新しい世界史的歩み」を始めた訳であるが、これは極東の小島小資源技術立国としての日本の国勢を踏まえたかなり英明な策ではなかったのか。

 戦後政権与党を担った自民党の戦後主流派を形成したハト派は、概ねこの理屈を知っていた。それ故に、吉田、池田、(佐藤)、田中、大平、鈴木と続く1950年から80年までの30年間に世界史に誇る高度経済成長と国富の充実を達成した。今日、この系譜がほぼ完全に解消させられ、凡庸なタカ派により舵取りされているが、何から何まで児戯的であり、そういう低能ゆえに国際金融資本に上手に操られ売国政策を押し付けられている。2004年現在、小泉政権の下では見るも無残な状況にある。


 以上を、「戦後憲法のプレ社会主義法その二、非武装平和主義」考の総論とする。
【二大特質その二、「軍備放棄、平和主義、国際協調主義制」規定の史的意義、A・軍事金食い虫論】
 旧日本軍兵士・武富登巳男氏の「旧日本軍の実態」講演録(http://hayawasa.tripod.com/isiikoki17.htm)より一部引用する。
 「軍隊の特質のー番が膨張性です。このー、二年の防衛費の動きをご覧になったら分かりますが、国民の総生産の1パーセントを突破したらいかんということを盛んに言っておった時代がありました。ところが、実際に1パーセントを突破したら、もうそれが当たり前になって、もう全然新聞などでも攻撃もしない。正式の軍隊のない近年でもそうですから、いままではー体どうだったかと言いますと、大正十年度は国の予算のほぼ半分ぐらい、正確には四十九パーセントまでを軍事費に取られたことがあります。
 
 こういうふうになってくると、もうまともな国民の生活などは期待できません。このように軍事費というのは、いったん膨張したら整理がつかなくなるということです。例えば、今年新型の飛行機を用意しても、その飛行機はすぐに旧式になります。大砲でも潜水艦や軍艦といったものでもー緒です。年々新しくする代わりにお金も増々いり、国民の生活は圧迫されるということですcこのように軍隊を養うということはお金が非常にかかり、世界各国が同じような悩みを持ったために、大正の終わり頃、軍縮という問題が初めて起こった訳です。とにかく軍備、軍隊に使う金はもう全く非生産的なものですから、非常に国民は困ります」

 この観点は貴重である。これを国家財政論、赤字国債論の見地から分析すればなお説得力を持つであろう。戦前日帝の奇形財政の反省からもたらされた「憲法前文と弟9条」でもあるという面からの考察も必要である。


【個別評価その三、「主権在民」規定の史的意義】
 戦後憲法は続く第三章で第11条から第40条までの30条を費やして「国民の権利及び義務」を定めている。この規定が、第四章の国会の規定よりも先に明記されているという意味は、第三章「国民の権利及び義務」が第一章の「象徴天皇制」規定の際に明らかにされた「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という件(くだり)での「主権在民」の内実規定をしていることにある。従って、第三章全体は、単に「国民の権利及び義務」とみなされるべきではなく、「国家権力が国民に約束した主権在民の内実規定としての誓約」という意味で解されるべきであろう。

 では、国家権力はどのように主権在民規定しているのかを見ておく。まず「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」(第11条【基本的人権の享有と性質】)、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」(第12条【自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任】)とある。

 判明する事は、「近代的基本的人権思想」が継承され明記されていることである。且つこの権利は、@・「国民の不断の努力によつて、これを保持すべし」、A・「乱用の戒め」、B・「公共の福祉制限」という三側面からの援用によって円滑に行使される事が期待されている。以上第11条と第12条が人権規定の総論となって以下、個別規定している。

 第13条で「個人の尊重」、「国家権力の個人に対する生命・自由・幸福追求権の尊重義務」。第14条で「万人の法の下の平等」、「特権的貴族制度の否認」、「栄典の効力の限界」。第15条で「国民の公務員の選定及び罷免権」、「公務員の公人性」、「公務員選挙の普通選挙制」、「秘密投票の保障」。第16条「請願権」、第17条「国及び公共団体の賠償責任」。第18条「奴隷的拘束及び苦役の禁止」。第19条「思想及び良心の自由」。第20条「信教の自由」、「国家の宗教団体との癒着禁止」、「国家の宗教活動の禁止」。第21条「集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密」。第22条「居住・移転・職業選択の自由」、「外国移住・国籍離脱の自由」。第23条「学問の自由」。第24条「婚姻の自主性、夫婦の対等、個人の尊厳と両性の平等」。第13条から第24条はいわば市民的権利を保障したものと云える。

 第25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利としての生存権、国の生存権保障義務」。第26条「教育を受ける権利、国家の教育行政義務、義務教育無償制」。第27条「労働の権利と義務、労働条件の基準制定、児童酷使の禁止」。第28条「労働者の団結権・団体交渉権その他団体行動権の保障」。第25条から第27条は社会的生存規定と云えるものであり、非常に先進的な内容となっている。れんだいこが「日本国憲法はプレ社会主義法である」と認定する根拠の一つともなっている。恐らく、この憲法が制定された当時にかくも「プレ社会主義法」的規定を明記したものは他にはないのではなかろうか。

 第29条「財産権の保障」、「補償の下での公共利用」。第30条「納税の義務」。第29条から第30条はいわば市民と国家の関係論であり、個人的財産権の保障と公共目的の買収の際の制限、納税義務を規定している。この規定も、市民社会形成上有益な諸規定となっているように思われる。

 第31条「法定手続に拠らぬ逮捕、刑罰の禁止」。第32条「裁判権」。第33条「現行犯以外の逮捕に対する令状主義」。第34条「抑留・拘禁に対する弁護人保障、公開法廷請求権」。第35条「国家の捜索・押収に対する制限、令状主義」。第36条「国家による拷問及び残虐な刑罰の禁止」。第37条「刑事被告人の権利としての公平迅速な公開裁判権、証人権、弁護人依頼権」。第38条「不利益な供述の強要禁止、自白の証拠能力制限」。第39条「刑罰法規の不遡及、二重刑罰の禁止」。第40条「刑事保障」。

 第31条から第40条はいわば国家の警察的在り方を国民主権的見地から制限したものであり、極めて個別具体的に明記している。憲法にこれらの諸規定が明記されている意義は高く、恐らく戦前の治安維持法体制の弊害からの教訓を書き付けたものであると思われる。これらの規定も、「プレ社会主義法」的規定とみなすことができる。なお、ソ連邦他の社会主義国家の法はこれらの規定を盛り込んでおらず、そういう意味では日本国憲法が史上初めて「プレ社会主義法」的規定を盛り込む事に成功したと評価し得よう。

【個別評価その四、「三権分立制、議院内閣制、議会制民主主義制、大臣文民制、国家予算案の国会議決制」規定の史的意義】
 着目すべきは、戦後憲法はこれまた近代国家の要件とされている「三権分立制」を正統的に継承している。立法、行政、司法という三権の独立性の上に相互関係を「チェックアンドバランス」させており、「プレ社会主義法」としてみても何ら遜色の無い諸規定を見せている。

 これを更に個別に特徴を見ていくと、「議院内閣制、議会制民主主義制、大臣文民制、国家予算案の国会議決制」等々を認めることができる。これらも近代以降の法的な歴史的歩みを正統に継承しており、否むしろその最高の形態でもって規定しているところに史的意義がある。
 第四章は国会について規定し、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」(第41条【国会の地位、立法権】)と位置づけ、「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する」(第42条【両院制】)と二院制を敷き、以下第64条まで実際的な運営方法について概述している。

 第五章は内閣について規定し、「行政権は、内閣に属する」(第65条【行政権と内閣】)と位置づけ、「1、内閣は、法律(内閣法第二条)の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。2、内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。3、内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ」(第66条【内閣の組織】)と議院内閣制、大臣文民制を規定している。以下、第75条まで実際的な運営方法について概述している。

 第六章は司法について規定し、「1、すべて司法権は、最高裁判所及び法律(裁判所法)の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。 2、特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。3、すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(第76条【司法権、裁判所、特別裁判所の禁止、裁判官の独立】)と位置づけ、以下第82条まで実際的な運営方法について概述している。

 第七章は財政について規定し、「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない」(第83条【財政処理の権限】)と「国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である国会審議に付し議決することを要請している。以下第90条まで財政関係全般の諸規定を明記している。

【個別評価その五、「地方自治の尊重」規定の史的意義】
 第八章で地方自治が明記されており、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律(地方自治法)でこれを定める」(第92条【地方自治の基本原則】)以下、第93条で「議会の設置」、「議員及び特定吏員の被選挙制」、第94条で「地方自治制」、第95条で「特別法の住民投票制」を明記している。

 これらの諸規定は、旧憲法の過度の中央集権制、反地方自治制に対する反省から講ぜられた規定である。

【個別評価その六、「財政民主主義」規定の史的意義】

 新憲法は、戦前の苦い経験から学んで「財政民主主義」を打ち出した。例えば、憲法83条は財政に対する国会中心主義を明記し、同85条と財政法15条1項は国費の支出や債務負担行為について国会の承認を必要としており、戦前しばしば見られた政府の恣意的な支出や債務負担を禁じた。

 財政法4条で赤字国債を、同5条で国債の日銀引受(日銀引き受けの赤字国債発行)を原則的に禁止した。この二つの条項は、憲法9条の戦争の放棄と戦力の不保持を財政面で裏付け、財政インフレの未然防止をはかるものであった。戦前の満州事変以降の無制限な軍事費膨張が日銀引受による赤字国債の乱発で促された、との認識に拠った。GHQの国債発行禁止指令もあり、この条項が生み出された。

 「公債不発行主義」による「健全均衡財政」が財政当局の金科玉条となった。


 戦後の財政法は単年度主義をとり、継続費に関する条項を設けなかった。継続費は、明治以来、中長期の国防計画に利用され、軍部の既得権となっていた。戦前に師団増設や艦隊拡充などの軍事費が増え続けたのは、これによった。この経験からの措置であった。例外として、国庫債務負担行為の支出年限を3年稲井に区切るとしていた(15条の3)。

 ところが、朝鮮戦争が始まり警察予備隊が創設された頃の27年より、財政法に継続費を認める条項14の2が加わり、単年度主義の例外として国庫債務負担行為の支出年限を3年から5年に延長された。


【個別評価その七、「憲法改正の手続き」規定の史的意義】
 第九章で改正の方法が規定されており、「1 、この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。2、憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」(第96条【憲法改正の手続】)とある。

 俗に、これを硬性憲法と云う。

【個別評価その八、「憲法尊重、遵守」規定の史的意義】
 第十章で、国権の最高法規としての尊重が指示されており、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」(第97条【基本的人権の本質】)と、憲法が保障する基本的人権への最大限の配慮を見せている。

 「1、この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。 2、日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」(第98条【憲法の最高法規性、条約・国際法規の遵守】)とある。

 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」 (第99条【憲法尊重擁護の義務】)が明記されている。

 97条、98条、99条いずれも素晴らしい。現行の「プレ社会主義法」が「社会主義法」となる時代を迎えてもこれらの諸規定はそのまま引継ぎされるべきであろう。


【市民型憲法としての最高水準にある戦後憲法を擁護せよ】
 法律は概してその対象とする者に対する容れ物である。その法律の最高法規が憲法であるから、してみれば憲法は日本人民大衆の容れ物と心得ればよい。この容れ物が如何に名器であるのか若干考察したが、ここでは角度を変えて論じてみたい。

 2004.2.10日 れんだいこ拝




(私論.私見)