頭山満 |
更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3).2.17日
(れんだいこのショートメッセージ) |
頭山満とその玄洋社活動も史的に総括されていなければならない。れんだいこは、「光と陰」の両面から考察してみたい。 サイト先は失念した(いずれ確認し明記しておくつもり、どなたか指摘頼む)が、頭山満のネット検索で次のような指摘があった。これを紹介しておく。歴史学者で東京大社会科学研究所客員研究員のロシア人男性(33)が次のように述べているとのことである。「ロシアではもう、右翼、左翼という言葉は無意味。日本人は、もっと自国の歴史を好きにならないとだめ。歴史に暗いとよい市民、よい国民になれない」。 確かにそうだ。歴史を知ることは必要で、混迷時代のカンテラの役目を為す。我々はもっともっと学ばねばならない。知らねばならない。頭山の玄洋社活動も右翼だ云々する前に、頭山とはどういう人物であったのか、玄洋社とはどういう活動をしていたのか、その功罪を確認しておかねばならない。○×発想は役に立たない。 2004.8.21日 れんだいこ拝 |
目次 | |
頭山満の履歴(プロフィール) | |
頭山満の思想遍歴 | |
玄洋社とムスリム運動の接点 | |
頭山満の言行録 | |
玄洋社史 | |
頭山と福沢、大隈の相関図 | |
諸氏の頭山評 | |
インターネットサイト | |
参考文献 | |
情報ストック |
(まだまだ未整備です。とりあえず仮打ったてしとこ。この派の人は著作権なんて野暮なことは云わないよねぇ)
(私論.私見)
中村天風の師でもある頭山満という人物像を垣間見てみる
《頭山満》/夢野久作
筆者のお目にかかった頭山先生は、御自身で、御自身を現代の聖人とも、昭和維新の原動力とも、何とも思って御座らぬ。
「俺は若い時分にチットばかり、漢学を習うたダケで、世間の奴のように、骨を折って修養なぞして無い。一向ツマラヌ芸無し猿じゃ」と自分でも云うて御座る。
それでいて西郷隆盛のいわゆる、生命(いのち)も要らず、名も要らず、金も官位も要らぬ九州浪人や、好漢安永氏のいわゆる「頭山先生の命令とあれば火の柱にでも登る」というニトロ・グリセリン性の青年連に尻を押されて、新興日本の尻を押し通されて、新興日本の尻を押し通して御座った……しかも一寸一刻も、寝ても醒めても押し外した事は無かった。
日本民族をして日清、日露の国難を押し通させて、今は又、昭和維新の熱病にかかりかけている日本を、そのまんま1935年の非常時の火の雨の中に押し出そうとして御座る。……ように見えるが、その実、御自身ではドウ思っているかわからない。
ただ、相も変わらず芸無し猿、天才的な平凡児として持って生まれた天性を、あたり憚らず発揮しつくしながら悠々たる好々爺として、今日まで生き残って御座る。
そこが筆者の眼に古今無双の奇人兼、快人と見えたのだから仕方が無い。世間のいわゆる快人傑士が、その足下にも寄り付けない奇行快動ぶりに、測り知られぬ平々凡々な先生の、人間性の偉大さを感じて、この八十歳の好々爺が心から好きになってしまったのだから致し方マ無い。
そうして是非とも現代のハイカラ諸君に、このお爺さんを紹介して、諸君の神経衰弱を一挙に吹き飛ばしてみたくなったのだから止むを得ない。(以下、略)
【出展】
「玄洋社怪人伝ー頭山満とその一派」書しん心水’13年