諸氏の頭山評

 更新日/2021(平成31→5.1栄和改元/栄和3).2.17日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、諸氏の頭山評を確認しておく。

 2004.8.21日 れんだいこ拝


 (まだまだ未整備です。とりあえず仮打ったてしとこ。この派の人は著作権なんて野暮なことは云わないよねぇ)

【歴史学者ハーバート・ノーマンの頭山評】
 以下、頭山満と玄洋社その他を参照する。

 戦後、カナダ人歴史学者ハーバート・ノーマンは、獄中下の共産主義者の釈放に尽力したことで知られている。そのノーマンの「頭山満と玄洋社」に向ける視線は厳しい。カナダ人歴史学者ハーバート・ノーマン「福岡こそは日本の国家主義と帝国主義のうちでも最も気違いじみた一派の精神的発祥地として重要である」として、危険な軍国主義者団体として捉えている。ノーマンの目には、玄洋社は、「旧式の膨張主義圧力集団」(「日本における特定政党・団体・結社の解散」)と映っていた。

 太平洋戦争中の44年に発表した論文「玄洋社―日本帝国主義の源流」の前書きでは、「日本帝国主義、反動の重要な邪悪な役割を演じてきた」、「(戦後も)彼らは再び日本軍国主義復活の先ぽうとなる恐れがある」とし、強い警戒感を抱いていたことがうかがえる。

 頭山満らが、アジア各地の革命家、独立運動家らを支援したことについても否定的。孫文らを厚遇したのは、日本の利益につながることを期待していたとした。フィリピンのアギナルド、インドのラス・ビハリ・ボースらについては、「無節操な冒険者、安価な出世主義者、政治的山師など自国でも無用な、歓迎されない連中ばかりをつかんだのである」と書く。

 著作は敗戦後、翻訳、紹介され、ノーマンの描いた玄洋社、頭山のイメージが定着していった観はいなめない。「歴史学者ハーバート・ノーマンは玄洋社を国家主義の源流とした」。

 玄洋社の名が、連合国軍総司令部(GHQ)の文書に記されている。1946年(昭和21年)1月4日付の「ある種類の政党・協会・結社その他の団体の廃止に関する覚書」。GHQの最高司令官マッカーサーはこの日、「軍国主義指導者」の公職追放とともに、「超国家主義団体」に解散指令を発した。団体リストには、27団体の名前が並び、8番目に玄洋社。「Dark Ocean Society」と英訳されている。この方針の策定に深くかかわったのが、カナダ人の歴史家で外交官ハーバート・ノーマンと言われる。一時、GHQに籍を置き、マッカーサーとも親しかった。

 ノーマンの履歴は、「解散指令導いた外交官」に次のように記されている。
 父親は宣教師で、長野県・軽井沢で布教活動をしていた。ノーマンは軽井沢で生まれ、少年期を神戸で過ごす。カナダの大学を首席で卒業し、英国ケンブリッジ大に留学。米国ハーバード大で研究生活を送った後、カナダ外務省に入省。40年、語学官として、日本に赴任した。

 初めての著作は「日本における近代国家の成立」。日本に赴任した年に出版され、ジャパノロジスト(日本学者)としての名声を決定的なものにした。評伝「悲劇の外交官 ハーバート・ノーマン」を書いたノンフィクション作家工藤美代子(51)は「日本語資料を自由に読みこなし、その上に、西欧史の豊かな知識も備え、日本の近代国家成立に至る過程を、明治期までさかのぼって綿密に、しかも体系的に分析している」と紹介している。

 カナダ外務省に戻ったノーマンは、大使としてエジプトに赴任。57年4月、カイロで飛び降り自殺する。50年以降に始まった米国の上院議員マッカーシーによる「赤狩り」で、ソ連のスパイではないかと疑われ、繰り返される攻撃に精神的に追い込まれていたという。


【夢野久作氏の頭山満論】
 夢野久作氏の中村天風の師でもある頭山満という人物像を垣間見てみる。
 「筆者のお目にかかった頭山先生は、御自身で、御自身を現代の聖人とも、昭和維新の原動力とも、何とも思って御座らぬ。『俺は若い時分にチットばかり、漢学を習うたダケで、世間の奴のように、骨を折って修養なぞして無い。一向ツマラヌ芸無し猿じゃ』と自分でも云うて御座る。それでいて西郷隆盛のいわゆる、生命(いのち)も要らず、名も要らず、金も官位も要らぬ九州浪人や、好漢安永氏のいわゆる『頭山先生の命令とあれば火の柱にでも登る』というニトロ・グリセリン性の青年連に尻を押されて、新興日本の尻を押し通されて、新興日本の尻を押し通して御座った……しかも一寸一刻も、寝ても醒めても押し外した事は無かった。日本民族をして日清、日露の国難を押し通させて、今は又、昭和維新の熱病にかかりかけている日本を、そのまんま1935年の非常時の火の雨の中に押し出そうとして御座る。……ように見えるが、その実、御自身ではドウ思っているかわからない。ただ、相も変わらず芸無し猿、天才的な平凡児として持って生まれた天性を、あたり憚らず発揮しつくしながら悠々たる好々爺として、今日まで生き残って御座る。そこが筆者の眼に古今無双の奇人兼、快人と見えたのだから仕方が無い。世間のいわゆる快人傑士が、その足下にも寄り付けない奇行快動ぶりに、測り知られぬ平々凡々な先生の、人間性の偉大さを感じて、この八十歳の好々爺が心から好きになってしまったのだから致し方マ無い。そうして是非とも現代のハイカラ諸君に、このお爺さんを紹介して、諸君の神経衰弱を一挙に吹き飛ばしてみたくなったのだから止むを得ない。(以下、略) 」。

 【出展】
 「玄洋社怪人伝ー頭山満とその一派」書しん心水’13年