甘露論その1 | かんろだいの理 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和改元)年.10.29日
(れんだいこのショートメッセージ) | ||
お道教義の核心に甘露台(かんろだい)教理がある。ここがみき教義の白眉である故深く考察せねばならない。概略を云えば、「元の理」で諭されている人間宿しこみとその後の成人の「理あい」を見事に表象して居り、その思案は汲めども尽きることがない。驚くべき英知が秘儀化されていると云うべきだろう。 残念ながら現在、甘露台が据え置かれているところは天理教本部神殿の垣根で囲われた中にあり全体像が見えない。据え置きの周囲の全景が分からないので思案も及ばない。推測するのに、甘露台を陽根としてその台地を陰とする交合の図になっているのではなかろうか、と拝察しうる。道人外の者がこれを見れば淫乱邪宗の極みであり、道人がこれを見れば生命始まりの図としての表象に畏敬するという具合の舞台になっているのではなかろうか。 本稿では、1・甘露台とは何か。2・その具体的形状はどのようなものであるのか。3・「甘露台つとめ」とはどのようなものか。4・「甘露台信仰」の意義、について見てまいりたい。 |
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【「甘露台(かんろだい)」とは何か】 | |||
天理教インターネット運営委員会による 「かんろだい」の説明によれば次のように述べている。
甘露台は日本語のひらがなで「かんろだい」と読む。「甘露」(かんろ)とはインドのサンスクリット語の「アミルタ」(amrta)の漢訳で、この「アミルタ」が「阿弥陀」の語源になっている。そういう訳で阿弥陀様は別名を甘露王如来とも呼ばれている。ちなみに、このアミルタ神話を辿るとヒンズーまで遡り、ヒンズーの神はインドラで、インドラとは正義であり、光明である。その反対がアシュラであり、破壊を意味し、暗黒である。このインドラの軍勢とアシュラの軍勢が戦い、勝利を手にしてみても、次の日には殺した筈の兵隊が再び攻めてくるので、いくら戦争をしてもかなわない。よく調べてみると、アミルタという蜜を、戦死した者の口に含ませると生き返る。アミルタは生命の薬であり、その蜜を盗んでインドラの戦死者に飲ませてアシュラの軍勢を負かして勝利をおさめたという神話がある。死者をも生き返らせる生命の寿命霊薬が「アミルタ」という訳である。それが中国語に翻訳された時、「甘露」となった。「甘露」とは、そういう語源を持つ神々(諸天)の常用する飲料で、これを飲むと不老不死になり、死者をも蘇らせるという霊薬を云う。その味は密のように甘い、と云われる。これが仏教にも取り入れられて、不死、永遠の生を意味する涅槃の妙薬とされている。
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上述のような理解もあろうが、れんだいこは次のように考える。「甘露台」とは、みき教理の核を為す「元の理」を表象した六角の台柱であり、ここに「元の理」が見事に具現されている。この台を人間宿し込みのぢばに据えて、これを取り囲むようにして神楽づとめを為すことにより、不思議な感応と効能が現われる。甘露台の上部に据えられた平鉢は天から授かる「ぢきもつ」であり、これを授かることにより人は病まず弱らず115歳の定命まで生きられることになる。このような教義体系の形の芯を為すものである。即ち、「元の理が文の芯、甘露台は形の芯、かんろ台つとめはその精華」であろう。 2012.3.24日 れんだいこ拝 |
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「第四首 天理市のルーツをさかのぼる」を参照する。 フランスの哲学者ルネ・ゲノンという説によると、本来の「伝統」とは、「世界の中心」(ぢば)に発る「始原の原理」(元の理)への回帰を目的とする超歴史的な精神性を伝えるものでなければならない。それは永遠性の復活と、唯一無二の原初の秩序を目指すものである。原初の伝統を受け継ぐ象徴として「聖杯」(平鉢)があり、その中に満たされるのは「不死の飲み物」(甘露)である。甘露とは古来より言い伝えられてきた言葉で、仏典にも伝えられ、ヒンドゥ教では「ソーマ」と呼び、いずれも「不死の飲み物」という意味がある。世界の精神的中心」としての聖地(ぢば)には、必ず天の水(甘露水)を受ける容器、即ち「聖杯」(平鉢)が準備されている。さらに「世界の中心」を表象するものとして「聖石=オンファロス」(石の甘露台)がある。その材質は、もともと御影石(花崗岩)であり、御影石は昔から「神の石」といわれてきた。ほとんどすべての民族には聖石(オンファロス)という象徴物がある。ギリシャ語のオンファロスは、「へそ」を意味すると同時に、中心となる車軸をはめる穴(こしき、ハブ)、さらにはあらゆるものの中心を示す意味がある。ゲノンが直観的に把握した「伝統」の意味を展開すると、時空を超えて彼のいう永遠の理が「ぢば・かんろだい」にそのまま具象化されていることに驚きの念を禁じ得ない。 甘露台には「元の理」の象徴として、その形質の中に親神様の思召しのすべてが凝縮されている。甘露台には人間の想像を絶する力が潜んでいる。松本滋氏の表現を借りれば、ピラミッド・パワーどころではない「甘露台パワー」が潜在していることになる。 |
【かんろだい普請の挫折考】 |
明治6年、教祖が、飯降伊蔵に命じ、甘露台の雛型をつくらせている。高さ六尺、直径三寸の棒の上下に直径約一尺二寸厚さ三寸の板をつけたものであった。明治8年、ぢば定め後、初めて甘露台が「ぢば」に据えられ、この頃身上になっていたこかんの平癒を祈願して、こかん身上の「お願いつとめ」をしている。明治14年5月、甘露台の石普請が行われる。(二段までで石工がいなくなる) 明治15年5月12日、奈良警察署長、上村行業が警官を率いてきて、二段出来ていた甘露台を没収する。 |
【御神楽歌、お筆先に於けるかんろだいの記述】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ここで、「かんろだい教理、天の与え食物(じきもつ)論」教理を確認しておく。 御神楽歌、お筆先には次のように記されている。
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お指図は次の通り。
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【甘露台の形状について】 | |||
甘露台は下図のような形状をしている(「神一条にようこそ」の「かんろ台について」より転載)。「天理と刻限」の資料の項の「かんろだいの形状について」では、「横から見た図」、「上から見た図」、「ホゾの図」が記載されている。
甘露台について、稿本教祖伝(129頁)に次のように簡潔に説明されている。
これをもう少し確認しておく。(「かんろだいの理」その他参照) 甘露台の構造は、人間創造(宿し込み)とその成人の理を現わしており、寸法、形状、段数につき六角、六寸、一尺二寸(六の倍数)、三尺、八寸などと定められ、それにはそれぞれ理由があり、成人の段階を表す「お諭し」の含意が込められている。但し、その悟り方は一様ではなく、銘々の思案するところに任されている。 甘露台の柱は男性性器、下の二段の受け台は女性性器を象徴している。この二つが上下がホゾで組み合わされ、陰陽「二つ一つ」に合わさっている姿は、夫婦による人間宿し込みを象徴している。この赤裸々性の裡に哲理を見出すのがみき教義の特質でもある。それは生命の発生過程を象らせており、教祖の透徹した生命誕生譚である「元の理」に由来している。 甘露台の下の二段の台が六角形になっている意味については、「元始まり」の話による「六台はじまりの理」と伝えられている。その理は、十柱の神の中で中心的な理をあらわす月日親神のくにとこたち(水)、をもたり(火)、男女のひながたのいざなぎ(男雛型)、いざなみ(女雛型)、男女一の道具のつきよみ(男一の道具)、くにさづち(女一の道具)の六柱がまさに台の神であるという意味が教えられている。それらの神の守護により、ない人間、ない世界が始められたとして、その理を表象している。お道では、特に人間の創造に関係の深い六通りの神のはたらきを「六台はじまり」と呼ぶ。 易学では六は水を表し根源を示す数といわれている。科学的には、すべての生物の細胞、水の分子は六角形を基本としていることが分かっている。六角形というのは、いのちの根元である水の結晶の基本的な形でもあると云う。「水の結晶は、自然や身心から発する波動の変化に応じて、結晶の形が千変万化することが、世界で初めて江本勝氏によって実証されている」とある。[写真]氷の結晶(上は精製水の結晶、下は愛の気を送った水が美しく変化した結晶・撮影は、いずれも江本勝氏による)。 第一段目の一番下の基盤台の差渡しは三尺、厚みは八寸八分の六角形をしている。「この台を少し掘り込み差し渡し、三尺にして六角にせよ」(九号47)。この差し渡しというのは辺から辺であって角から角ではない。差渡しの三尺というのは、元一日の日の三日三夜にわたっていざなみの胎内に宿し込まれた理を寓意している。その後いざなみは三年三月の間、ぢばに留まっていたとも教えられており、これをも寓意している。又は、火、水、風を表象しているとも云われている。 厚みの八寸というのは、八方の方位と神の揃うた理及び八方広がりを寓意している。あるいは、八千八度の生まれ変わりと進化を寓意している。 第二段目の台は差し渡し二尺四寸、厚み八寸の六角形をしている。二尺四寸と云うのは、人間が産まれる時二寸に四寸の穴より出て、二尺に四尺の穴に帰る「二四の理」を寓意している。 三段目から十二段目までは差し渡し一尺二寸、厚みが六寸の六角形をしている。真ん中の十段がすべて一尺二寸というのは「十二」の数を意味し、この数は一年十二ヶ月、一日が旧暦では十二刻、空間的には天の黄道十二宮、十二方位を表し、全体的な秩序と完全性を表している。六角を二倍すると十二という数になる。六と六を合わせると天地の理、二つ一つの理になる。をもたりのみことの頭が十二ある理によるとも云われている。厚み六寸は、ない人間ない世界をこしらへた際の六台の理を表象している。 この上に石数十個が積み上げられている。この十個は充分たっぷりという理による。そして一番最上段、十三段目は笠石で、差し渡し二尺四寸、厚み六寸の六角形をしている。 また、十二段に積み上げられる柱状の台は上下がホゾで組み合わされ、陰陽「二つ一つ」になっている。各段の上面中央には、五分の深さの丸い穴が、直径三寸で刻まれてあり、又、それぞれの段の下面には、それに見合った寸法のホゾ、つまり、三寸の直径で五分の出っ張りがあって、下段の穴に組み合わされ、十三段が上下ぴたりと結合するという構造になっている。「考えてみれば、世にも不思議な台であります」と松本滋氏は解説されている。 甘露台十三段の全長は八尺二寸となっている。これは、十三は十分身につく理、八尺は八方広まる理、二寸は月日二神の理を寓意している。 甘露台の最上段に五升入りの六角の平鉢を乗せて、その中に五穀の司と云われる大麦を五升入れて置く。この台に向かい、神楽づとめを行うと平鉢に天からの甘露(霊水)が降り注ぎ、神楽づとめで願をかければ、天より晴天の夜「甘露)」が下がり、道人はその「甘露)」をコンロで熱し手臼(うす)で挽いて粉にした「ぢきもつ」(寿命薬)を授かることにより115歳まで死なず弱らず生きられる、この者達が、世の陽気暮らし世界への立て替えの芯になる、とお諭しされていたと伝えられている。このことが、お筆先に次のように記されている。 |
【仏説「五輪の塔」考】 |
五輪とは、地.水.火.風.空を指す。これを五大と云う。地は四角で表し、下腹までの下半身を指す。水は円で腹を指す。火は三角で、心臓を指す。風は半円形で、顔を表す。空は頭。こういう五輪の塔をつくり、ここに識という精神作用を加え、六大と言う。これが生き物の実態と見なされている。「お道」の「これで六大しかと治まる」の言葉は、この仏教的教理を引き継いでおり、身体の世界も意識の世界も治まるというぐあいに理解している。 |
【「甘露台つとめ」について】 |
「甘露台つとめ」とは、「人間創造宿しこみの場所であり、人間世界を創め出した元なる神のお鎮まり下さる所」である「ぢば」、そこに据えられた甘露台を芯にして、これを取り囲んで行う神楽であり、人間宿しこみの「元一日の日」を追体験することにより、親神の思いを継承し、そのご守護を戴く有り難い重要な天理教の最高儀式である。「甘露台つとめ」では、「元始まり話の理」に合わせてそれぞれ役割の違いを持つ十人衆が象徴的な神楽面を付け、それぞれの機能を助け合いながら各自の働きを踊りつとめで象徴する。これを小鼓、摺り鉦、太鼓、拍子木、ちゃんぽん、笛(以上、男鳴り物)、琴、三味線、胡弓(以上、女鳴り物)の9つの楽器が伴奏する。これに「み神楽歌」に合わせて踊るつとめが加わり、合わせて「甘露台つとめ」と云う。 「甘露台つとめ」では、親神の十全の守護が身振り手振りで表される。つまり、親神が混沌とした泥海の中から人間を創造された不思議な働きの理を今に再現し、自由自在(じゅうようぢざい)の守護のエイトスをここに顕現する。甘露台を取り囲んでつとめるので「甘露台つとめ」とも呼ばれる。 |
【甘露台信仰の意義について】 |
よろづ(萬づ)助けに向かう道人は、「甘露台つとめ」を通じて、人間宿しこみの「元一日の日」を追体験する。これにより、「元始まりの理」にこもる親神の思いを継承する。「甘露台つとめ」は、そのご守護を戴く有り難い重要な儀式となっている。 「甘露台つとめ」では、親神の十全の守護が身振り手振りで表される。つまり、親神が混沌とした泥海の中から人間を創造された不思議な働きの理を今に再現し、自由自在(じゅうようぢざい)の守護のエイトスをここに顕現する。甘露台を取り囲んでつとめるので甘露台づとめとも呼ばれる。 「甘露台つとめ」は、道人に「元一日の理」を思い出させ、目覚めさせ、その英気を授け、人類の陽気ぐらし創りへと向かう際の目標(めどう)としての意義を持ち、これら一切の士気を鼓舞する作用を持つ。 |
【「おさしづに観る甘露台信仰の意義」について】 | ||
1936(昭和11)年の「みちのとも」1月号P24〜25で、次のお指図が披瀝されている。
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【仮甘露台について】 | |||||
教祖みきは、「甘露台つとめ」を通して親神の思惑に立ち帰り、改めて悟ることにより自ずと生命の勇みを貰う作用を期待していたと思われる。「甘露台つとめ」こそがみき教義の完結系であり、1875(明治8)年、教祖78歳の時、ぢば定め、続いて甘露台普請に取り掛かっていたところ、1882(明治15)年、教祖85歳の時、当時二段までできていた甘露台の石が奈良警察によって取り払い没収されるという事件が起こり、以降、教祖の存命中には甘露台が据えられることなく終わった。 つとめの地歌は、初め「いちれつすますかんろだい」と教えられていたが、甘露台取り払い事情の後に「いちれつすまして……」と変えられている。二段まで出来ていた石を没収された後のぢばには、直径三、四寸の票石が高さ一尺ぐいに積み重ねられていた。この間、道人は、取締りの警官の目を盗んで門から飛び込んで行き、「人々は綺麗に洗い浄めた小石をもってきては、積んである石の一つを頂いて戻り、痛む所、悩む所をさすって、数々の珍しい守護を頂いた」(「教祖伝」239頁)。その石を頂いて患部をさすると、どんな病気も鮮やかにご守護頂いたという話が残っている。 |
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明治21年、板張りの二段甘露台が据えられる。「仮甘露台」について、次のようなお指図がある。
明治22.4.18日午後10時、お指図
明治24.2.17日、お指図
1997(明治30)年、仮甘露台が設置されることになり今日へと至っている。そういう意味では、教祖みきが思念した「甘露台つとめ」は未完のまま終り、「仮甘露台つとめ」が行われていることになる。但し、教祖みきが今日の「仮甘露台つとめ」を了としたと云うことであれば、仮ではなく本勤めとなるであろう。 明治30.7.14日、お指図は次の通り。
昭和9年10月、現在の木製十三段の雛型かんろだいが据えられる。
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なお、後に、本来、甘露の食物を「お供え」として信者に払い下げする予定であったと思われるが、甘露台が取り壊されてより不可能となった。そういう事情から仮に洗米を小袋に包んで手渡す儀式が執り行われるようになった。「をびや許し」の場合には「をびや御供え」が別に用意されている。教祖の時代は、お指図の中で、「何もお供え効くのやない。心の理が効くのや」と諭されている。教祖後になると、本部がその一手販売権を握ることになった。 | |||||
宮家 準(國學院大學神道文化学部教授)「民俗宗教における柱の信仰と儀礼」の「7.天理教のかんろだい」は次のように記している。
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【甘露台石普請考】 |
何故、甘露台は石でなければいけないのか?。それは「石の永遠の理」による。石には太古から神が宿ると云われいる。神社に磐座があり、世界各地に霊石、聖石といわれる石が保存されているのはこれによる。いのちの母なる地球(ガイア)では、川は血管、地表は皮膚、海の満干は呼吸、森は毛皮、そして岩石は骨に当たる。人体でも骨格(バックボーン)がなければ起立することができない。石は意志に通じると悟ることもできる。 |
【甘露台逸話考】 | ||
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【バチカン市国のサンピエトロ寺院大聖堂について】 |
イタリアのローマ。ここにカトリックの総本山である「バチカン市国」がある。面積13万2千坪の世界で一番小さな国である。人口は八百人足らず。そのカトリックの大本山の中心にサンピエトロ寺院がある。ローマ法王が挨拶される映像をテレビなどで見ることがあるところである。その寺院の両脇に円柱で囲まれた廊下がある。全長は211メートルの円柱回廊が大聖堂の両脇にある。このサンピエトロ寺院は六万人が入るほどの世界一の大聖堂で、ルネッサンス時代に120年かけて建築されている。ミケランジェロ・ブラマンテなど様々な優秀な方々が造り上げた彫刻・壁画天井が素晴らしい芸術品となっている。その大聖堂の中心に一段下りていく場所がある。そこはローマ法王だけが入ってミサをする場所で、西暦六、七十年頃に、聖ペトロがローマに布教に来た際に、当時の暴君・ネロ皇帝に逆さまに磔(はりつけ)にされて亡くなった場所である。代々の法王の柩もそこに納められている。その墓の上にサンピエトロ寺院が建てられている。 (吉岡孝之近愛会長「大きな心の器で節を受ける 」の「世界一の大聖堂」その他参照) |
(私論.私見)