松村榮治郎&おさく

 (最新見直し2015.10.26日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「松村榮治郎&おさく」を確認しておく。

 2007.11.30日 れんだいこ拝


【松村榮治郎(まつむら えいじろう】
 1842(天保13)年10.8日、河内国高安郡教興寺村(現・大阪府八尾市教興寺)生まれ。
 1889(明治22)年3.3日、出直し(享年48歳)。
 1842(天保13).10.8日、河内国高安郡教興寺村(現・大阪府八尾市教興寺)生まれ。
 元治元年、平等寺村の小東政吉の長女・さく(1846-1928)と結婚。
 1869(明治2)年、さくの妹・まつえが中山秀司と結婚し中山家と親戚になる。
 1871(明治4)年1月、妻さくの「たちやまい」を教祖に助けられ入信。
 1886(明治15)年、教祖がさくの病気見舞いに松村家へ来られ、滞在される。
 1889(明治22)年3.3日、出直し(享年48歳)。
 長男・吉太郎は高安分教会(現大教会)初代会長。本部員。芦津二代会長の井筒五三郎は三男。
 稿本天理教教祖伝逸話篇102「私が見舞いに」、190「この道は」。

【松村さく】(「松村さく」)
 1846(弘化3)年、現奈良県生駒郡平群町平等寺村生まれ。小東政吉の長女。 
 1928(昭和3)年、出直し(享年83歳)。
1846(弘化3)年、現奈良県生駒郡平群町平等寺村生まれ。小東政吉の長女。 
 元治元年、松村栄治郎と結婚。秀司の妻となるまつえの姉。
 1871(明治4)年、「たちやまい」をたすけられ入信。
 1928(昭和3)年、出直し(享年83歳)。

 稿本天理教教祖伝逸話篇23「たちやまいのおたすけ」
 松村さくは、「たちやまい」にかかったので、生家の小東家で養生の上、明治4年正月10日、おぢばへお願いに帰って来た。教祖は、いろいろと有難いお話をお聞かせ下され、長患いと熱のためにさくの頭髪にわいた虱を、一匹ずつ取りながら、髪を梳いておやりになった。そして、更に、風呂を沸かして、垢付いたさくの身体を、御手ずから綺麗にお洗い下された。この手厚い御看護により、さくの病気は、3日目には、嘘のように全快した。




(私論.私見)