松村さく

 (最新見直し2015.10.26日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2007.11.30日 れんだいこ拝


松村さく履歴
 1846(弘化3)年、現奈良県生駒郡平群町平等寺村生まれ。小東政吉の長女。 
 1928(昭和3)年、出直し(享年83歳)。

 1846(弘化3)年、現奈良県生駒郡平群町平等寺村生まれ。小東政吉の長女。 
 元治元年、松村栄治郎と結婚。秀司の妻となるまつえの姉。
 1871(明治4)年、「たちやまい」をたすけられ入信。
 1928(昭和3)年、出直し(享年83歳)。
 稿本天理教教祖伝逸話篇23「たちやまいのおたすけ」 、102「私が見舞いに」。

松村さく逸話】
 教祖伝逸話篇23「たちやまいのおたすけ」。
 松村さくは、「たちやまい」にかかったので、生家の小東家で養生の上、明治4年正月10日、おぢばへお願いに帰って来た。教祖は、いろいろと有難いお話をお聞かせ下され、長患いと熱のためにさくの頭髪にわいた虱を、一匹ずつ取りながら、髪を梳いておやりになった。そして、更に、風呂を沸かして、垢付いたさくの身体を、御手ずから綺麗にお洗い下された。この手厚い御看護により、さくの病気は、3日目には、嘘のように全快した。
 教祖伝逸話篇102「私が見舞いに」。
 明治15年6月18日(陰暦5月3日)教祖は、まつゑの姉にあたる河内国教興寺村の松村さくが、痛風症で悩んでいると聞かれて、「姉さんの障りなら、私が見舞いに行こう」と、仰せになり、飯降伊蔵外一名を連れ、赤衣を召し人力車に乗って、国分街道を出かけられた。そして、3日間、松村栄治郎宅に滞在なされたが、その間、さくをみずから手厚くお世話下された。ところが、教祖のおいでになっている事を伝え聞いた信者達が、大勢寄り集まって来たので、柏原警察分署から巡査が出張して来て、門の閉鎖を命じ、立番までする有様であった。それでも、多くの信者が寄って来て、門を閉めて置いても、入って来て投銭をした。教祖は、「出て来る者を、何んぼ止めても止まらぬ。ここは、詣り場所になる。打ち分け場所になるのやで」と、仰せられた。さくは、教祖にお教え頂いて、3日目におぢばへ帰り、半月余りで、すっきり全快の御守護を頂いた。




(私論.私見)