1902年 明治35年 全国に10教区を置く教区制度始まる

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.12.11日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「全国に10教区を置く教区制度始まる」を確認しておく。「【明治35年】お指図1」、「【明治35年】お指図2」。

 2007.11.30日 れんだいこ拝


 6.25日、本部が、内務省宗教局の勧告により、教会内の共同生活解散の「達」を出す。
【各地から招集された教会長に対してお指図】
 7.20日、お指図。「教祖20年祭を迎えるに当たって各地から招集された教会長に対して全教の心構えを懇々と諭されたお指図」で、「過日のお指図より一人も残らず願い出よ、との事に付き」。当時の教勢は、10年祭の時で信者数300万人、それから5年経って益々日の出の勢いであった。(「教祖20年祭前の重大なお指図」参照)
 「これよりよく心一手一つ、これが第一理である。心の理と道の理と、しっかり合わせてくれにゃならん。世上にいかなる理、あちらこちら、どうなろうかこうなろうか知らんという日が来たら、どうもならん。そこで聞き分けにゃならん。どういうことも聞き分けにゃならん。これからどんなこともこんなことも(神)一条という。一条で行かにゃならん。道にあちらも添いこちらも添い十分と思うがころりと間違うてある。間違いから間違いが出ける。この一つの理、早く諭さにゃならんと思えど、どうもならん。どうなりこうなり心揃い、人揃い、これ一つ定めてくれ。何も飾りは一つも要らん。前々よりも諭したる。外の錦より心の錦、心の錦は神の望み。飾りは一つも要らん。又皆なの中、十年祭は連れて通りた。又二十年祭、一つ心に運び掛けてある。そりゃ(計画は)なけりゃならん。なけりゃならんが、どんなことしてくれ、こんなことしてくれとは一つも言わん。これより一日の日(=刻限)も、どうして行こうか知らんという心募りてくれ。さあ皆んな一つの心定めてくれにゃならん。

 前々よりも諭したる。あちらも不足こちらも不足、不足/\では諭したところが、書取だけでは、そうかと言うだけのもの。言葉聞きたなら、心定まるか定まらんか、一人/\の心にある。一人/\の心以ちて、道を伝うてくれにゃならん。どれだけ十分これだけ十分と思う心は間違うてある。よう聞き分け。もう着るものなけにゃ、もうのうても構わん/\。美しい物着たいと思う心がころりと違う。(教祖)一代というは、これ一つよう思案せにゃならん。(教祖が)残念/\で暮れた(=身を隠した)るところを思えば、どんなことでもできる。(教祖は)たヾ一日の遊山も、良い所へ行きたことないで。出れば人に笑われるところより、出たことはない。さあ皆なその心なら案じることはない。世界から力入れて来ても、真実(の)教え、真実の心あれば、抜いた剣も鞘(に納めること)となる/\。抜いた剣が鞘となるというは、真実神が受け取りたなるから心胆治まる。これ聞き分け。人に手伝うて貰わにゃならんようではいかん。手伝うという力持ってくれ。これが第一やで。(中略) さあさぁこれよう聞き分けにゃならんで。もうこれだけの道と言えば、大きように思う。大きい道は怪我をする。細い道は怪我はない。大き道で怪我はある。細い道は怪我はない。細い道は怪我はないというは、危ない/\という心を持ちて通から怪我はない。世界何の心掛けずして通ればどんな怪我あるやら知れん。これだけ道付いてあるのに、こういうことでは、と、心細いと思う。なかなかそうやない程に/\」。
 
 「押して、おさしづ次第一同相談して居りますと願い」。
 「さあさぁ一つは答えにゃならん。さあさぁこれだけ皆々、もう道のためにと思うやこそ遠く道隔てて集まりた。道の理は容易やない/\。これからという、これから兄弟という。兄弟なら兄弟の心なくば兄弟とは言わん。心に取りては意見という。可愛こそ意見もする。これ結構やなと思えば結構。これだけ艱難通りて居るのにと、不足らしい心ではならん。人の難儀心に掛け、いかな事も扶け合い/\、これだけ心に掛け、本部/\と言う。そらせにゃならん。なれど我慢すればどんなこともできる。(無理な)我慢は後々に応えて、心あぐさま(=あえぐ)にゃならん。何を(おつくしを)持って来たさかいにどうする、ということはない。心に結構という理を受け取るのや。結構は天の与えやで。

 さあさぁもう一言/\、こゝまでほんに本部ぢば広(く)なった/\と言えば、これよりどれだけのことやるやろうと思うが理。仮普請という/\、末代の普請は一寸には行かん。今年に建てゝ、来年毀(こぼ)っても構わん、というようなら受け取る。大層のことで世上の迷いの台になっても、どうもならん。ほんの仮屋にして、今日して明日に取り換えても惜しいことはない、というようなら受け取る。そうすれば直ぐに掛からにゃならんやろうと思うやろ。それは三年五年十年先でもよい。さあ頼もしい/\心供えば受け取る/\。泣く泣くするようでは神が受け取れん。百万の物持って来るよりも一厘の心受け取る。これだけ聞きたら、どんなことも分かる」。


 押して、先々注意さして頂きますと申し上げ
 「さあさぁ兄弟という理であろう。中にも兄弟。一列兄弟は言うまで。こうして道という、遠い所国所厭わず寄り合うた理は、生まれの兄弟も同じこと。何処其処は(教会が違うから)どう/\と言うようでは、どうもならん。(元)一つの心に治め。そんなら、たヾ一口に互い扶け合い(と言うても)、扶け合いの中にも、先々尽した理を見分けにゃならん/\。救けに行って救からんことある。これ聞き分け。道のためにどうなりたる、道のために(生活にも困るように)こうなりたるという。心と心の理を合わせるのは兄弟の道。これだけ(生活や難儀な事情を)見てやらにゃならん。又、見て貰わにゃならん。これだけ、しっかり/\(実行せよ)」。
 明治35年7月20日
 過日のお指図より一人も残らず願い出よ、との事につき願い。
  さあさぁさぁ段々これまでの処/\、長らくの身の処に、日々不自由/\、不自由でもう半季近い。身の不自由ながらも勤め日々の事であった。皆な残らず話せにゃならん/\と、どうもならん。あちらこちら事情どうもならなんだ/\。前々一つ、もうこれまでよかろうと思う中、まだ一人も不足ありてはならん。不足ありてはならんという理、聞き分けてくれにゃならん。これだけ人という心という理も集まりて、どんな日もあった。国々にどんな理もあった。これよりよく心一手一つという、これが第一理である。心の理と道の理と、しっかり合わせてくれにゃならん。世上にいかなる理、あちらこちら、どうなろうかこうなろうか知らんという日が来たら、どうもならん。そこで聞き分けにゃならん。どういう事も聞き分けにゃならん。これからどんな事もこんな事も一条という。一条で行かにゃならん。道にあちらも添いこちらも添い、十分と思うがころりと間違うてある。間違いから間違いがでける。この一つの理早く諭さにゃならんと思えど、どうもならん。どうなりこうなり心揃い、人揃い、これ一つ定めてくれ。何も飾りは一つも要らん。前々よりも諭したる。外の錦より心の錦、心の錦は神の望み。飾りは一つも要らん。又皆の中、十年祭は連れて通りた。又二十年祭、一つ心に運び掛けてある。そりゃなけにゃならん。なけにゃならんが、どんな事してくれ、こんな事してくれとは、一つも言わん。これより一日の日も、どうして行こうか知らんという心募りてくれ。さあ皆んな一つの心定めてくれにゃならん。前々よりも諭したる。あちらも不足こちらも不足、不足/\では諭した処が、書取だけでは、そうか、と言うだけのもの。言葉聞きたなら、心定まるか定まらんか、一人/\の心にある。一人/\の心以ちて、道を伝うてくれにゃならん。どれだけ十分これだけ十分と思う心は間違うてある。よう聞き分け。もう着るものなけにゃ、もうのうても構わん/\。美しい物着たいと思う心がころりと違う。一代というは、これ一つよう思案せにゃならん。残念/\で暮れたる処を思えば、どんな事でもできる。たゞ一日の遊山も、良い所へ行きた事ないで。出れば人に笑われる処より、出た事はない。さあ皆その心なら、案じる事はない。世界から力入れて来ても、真実教え、真実の心あれば、抜いた剣も鞘となる/\。抜いた剣が鞘となるというは、真実神が受け取りたるから、心胆治まる。これ聞き分け。人に手伝うて貰わにゃならんようではいかん。手伝うという力持ってくれ。これが第一やで。これは掴みさがしたようであるけれど、これだけ早く聞かしとうてならん。
 引き続いて。
 さあさぁこれよう聞き分けにゃならんで。もうこれだけの道と言えば、大きよう思う。大きい道は怪我をする。細い道は怪我はない。大き道で怪我はある。細い道は怪我はない。細い道は怪我はないというは、危ない/\という心を持ちて通るから怪我はない。世界何の心掛けずして通れば、どんな怪我あるやら知れん。これだけこれだけ道付いてあるのに、こういう事では、と、心細いと思う。なかなかそうやない程に/\。
 押して、お指図次第一同相談して居りますと願い。
 さあさぁ一つは答えにゃならん。さあさぁこれだけ皆々、もう道のためにと思うやこそ、遠く道隔てゝ集まりた。道の理は容易やない/\。これからという、これから兄弟という。兄弟なら兄弟の心なくば兄弟とは言わん。心に取りては意見という。可愛こそ意見もする。これ結構やなと思えば、結構。これだけ艱難通りて居るのにと、不足らしい心ではならん。人の難儀心に掛け、いかな事も助け合い/\、これだけ心に掛け、本部/\と言う。そらせにゃならん、なれど、我慢すれば、どんな事でもできる。我慢は後々に応えて、心あぐさまにゃならん。何を持って来たさかいにどうする、という事はない。心に結構という理を受け取るのや。結構は天のあたゑやで。
 しばらくして。
 さあさぁもう一言/\、こゝまでほんに本部ぢば広なった/\と言えば、これよりどれだけの事やるやろうと思うが理。仮普請という/\、末代の普請は一寸には行かん。今年に建てゝ、来年毀っても構わん、というようなら、受け取る。大層の事で世上の迷いの台になっても、どうもならん。ほんの仮家にして、今日して明日に取り換えても惜い事はない、というようなら受け取る。そうすれば、直ぐに掛からにゃならんやろうと思うやろ。それは三年五年十年先でもよい。さあ頼もしい/\心供えば受け取る/\。泣く/\するようでは神が受け取れん。百万の物持って来るよりも、一厘の心受け取る。これだけ聞きたら、どんな事も分かる。
 押して、先々注意さして頂きますと申し上げ。
 さあさぁ兄弟という理であろう。中にも兄弟。一列兄弟は言うまで。こうして道という、遠い所国所遠く所厭わず寄り合うた理は、生まれの兄弟も同じ事。何処其処はどうどうと言うようでは、どうもならん。一つの心に治め。そんなら、たゞ一口に互い助け合い、助け合いの中にも、先々尽した理を見分けにゃならん/\。助けに行って助からん事ある。これ聞き分け。道のためにどうなりたる、道のためにこうなりたるという。心と心の理を合わせるは兄弟の道。これだけ見てやらにゃならん、又見て貰わにゃならん。これだけ、しっかり/\。
 しばらくして。
 さあさぁもう一言/\、どういう事も諭しておく。大抵/\どれだけの仮家/\、地所という、地所の処暫くじっくりしておくがよい。又旬が来たら、一人できて来る。これだけ一寸諭しておく。

【全国を10教区にするお指図】
 7.23日、全国を10教区にするお指図。
 「大きな心もてばどんな働きもあるある。まさかの時には月日の代理とも言うたる」。
 「どんなものも、皆な食べるも物も同じ事。何もお供え効くのやない、心の理がきくのや」。 

 7.29日、天理教会所取締り条規を制定発布。
 この頃、各教会の御神体を御幣から八タ鏡にかえ、お守りも小さな八タ鏡に変えた。これに対して、安堵村の飯田岩次郎平安支教会長が、「そこまで変えたら教祖に申し訳ないではないか」と反対した。これが謀反だとされ、飯田は罷免された。 
【上田ナライト身上発症】
 「明治三十五年八月四日上田ナライト昨夜より腹痛に付願 」。
 さあさぁ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情にも一つ段々事情、さあ身上の処へ掛かる処、いかなる事と思うやろ。さあさぁどうもこうも何でもどうも言えん。話にも伝えられん事情/\、よく聞き分けにゃならん。もういずみ切って/\どうもならん。いずみ切って、もう一人という、一つの理、何程急げどもどうもならん。いずみ切って身上指図という。言わずでも他に指図なけにゃならん。尋ねるから指図。もう一人/\段々急いで/\。なれど、とんといずみ切ってどうもならん。いずみ切って居れば、どういう理、皆々思う。たゞ一人の処聞き分け。道と世界と一つの理立て合い、これ聞き分け。銘々年限伝うた理、どうでもこうでも立てにゃならん/\、立てさゝにゃならん。立てさゝにゃならんが、よう聞き分け。もう一箇月何ぼう日、もう段々日が近づいてある。又半季の掛かりという。皆な聞き分けにゃならん。もう僅か/\、これより席というさづけという、又指図という、又勤めにゃならん、勤めさゝにゃならん。もういずみ切った処心晴らすはどういう事。もう一人の心速やか晴れにゃならん。もう後々もうあれだけ一人暮らして、年取れさしたる処、容易やない/\。もうこの元々というは、どうにもこうにもならん処から立って来たる。もう一人の処、十分運び切ってくれにゃならん。もうならん/\で一つ減り二つ減り、減って/\減って了たらどうなるか。もう段々拵えるには暇が要る。それでは皆の者気の毒や。前々にも諭したる。もう百年も生まれ子も同じ事/\、心持ってくれにゃならん。もう席始まれば、席度毎に運んで、見習いの心なくばならん。又一つ十分/\運ばにゃならん。運び切ってくれ。一人になってからどうもならん。年限いずみ/\、いずめば道盛んとは言えまい。心も盛んは道の盛ん。もう楽しみの心十分持ってくれにゃならん。こゝから一言聞き分け。席始まる、聞き習い見習いという理ある。その事情よく聞き分け。いずみいずんではならん。席一日の日という、何ぼ切なみでもどうでもこうでも勤めさしたる。もう後々定め掛けてくれにゃならん。長い心ではならん。長い心で油断はつい遅れ易いものである。心に夜の目も合わんというは、一日の日も長い。これより治まりたら心治まるやろ。これだけ諭しおくによって、身上の処案じる事要らん。一人の者あゝと言うようではならん。よう思やんしてくれ。一人暮らし容易やない。人間に一人暮らしという理聞き分けてくれ。貰い受けたる理あればこそ、一日の日通りたる。もうどうや知らん/\ではならん。一つ理治まらにゃならん/\理ある。人間心というは、とんといずましたる理から心に掛かりたる。これよく聞き分け。もうどうや知らん/\と言うてはならん。もうなってからどうもならんで。これをよく聞き分けてくれ。

 押して、事務始まりましたら、見習として御席へ出て下さるように、本人に伝える事でありますか、と申し上げ


 さあさぁ皆尋ねにゃ分からん。最初から一つ同席は行こまい。一間隔て仕切りて、それぞれ心と/\付き添いて、どうやでこうやでと、心に得心さしてくれるがよい。さあさぁ皆尋ねにゃ分からん。最初から一つ同席は行こまい。一間隔て仕切りて、それぞれ心と/\付き添いて、どうやでこうやでと、心に得心さしてくれるがよい。

【全国に10教区を置く教区制度始まる】
 8月、教勢の全国的発展により、全国を10教区に分け、それぞれ取締員を置いて、本部が全国の教会を指導する体制を整えた。 

 1902年、みきから教えられ許された金平糖の御供を、病助けに使用することを禁止した。

 11.22日、中山忠七出直し(76才)。

 (道人の教勢、動勢)
 10.2日、植田平一郎が出直し(亨年57歳)。弘化3年(1846)5月25日、大和国葛下郡池田村(現・奈良県大和高田市池田)生まれ。生家萬田家より上田家きぬの婿養子となる。きぬの逝去後弟弥七が亡くなりその妻いのと再婚。明治19年(1886)、右手親指にヒョウソを患い初参拝、ご守護頂く。以後千人たすけに奔走。本席よりおさづけ(明治20年12月21日)。中和支教会(郡山部内、現大教会)初代会長。
 11.22日、山中忠七が出直し(亨年76歳)。文政10年(1827)10月26日、大和国式上郡大豆越村(現・奈良県桜井市大豆越)生まれ。文久4年(1864)、妻そのの痔の病を助けられ入信。扇・御幣・肥・物種のさづけ。妻その扇のさづけ。妻そのは山澤良治郎の姉:娘こいそは山田伊八郎(敷島大教会)の妻。息子・彦七は天理教校初代校長。姉るいは岡本重治郎の妻。(『稿本天理教教祖伝逸話篇』11「神が引き寄せた」 84「南半国」)


 (当時の国内社会事情)
 (田中正造履歴)
 1902(明治35)年、62歳の時、川俣事件裁判での官吏侮辱罪で入獄41日間。獄中で聖書を読む。この頃渡良瀬川下流の川辺・利島村(埼玉県)や谷中村(栃木県)を遊水地にする計画が起きる。

  (宗教界の動き)
 大谷光瑞アジア仏跡調査出発。官国弊社神職制・懲戒令・任用令。

 (当時の対外事情)
 

 (当時の海外事情)





(私論.私見)