イエス履歴その5 | 「山上の垂訓」 |
更新日/2024(平成31.5.1日より栄和改元/栄和6).1.24日
これより先は「イエス履歴その4、イエスの説法始まる」に記す。
(れんだいこのショートメッセージ) |
釈迦の「般若心経」を学んだのを機に、ここで、「山上の垂訓」として知られるイエス教義の骨格を検証する。福音書のマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝その他の記述を参照する。福音書のうちヨハネ伝には該当記述がなく、他の三伝ともこれを採り上げているが、それぞれ異なった記述をしている。これをそれぞれ検証した上で、れんだいこが意訳しつつ概要次のように宣べられたのではなかろうかと推定し「れんだいこ文/山上の垂訓」を纏めることにする。 「山上の垂訓」は、ヨハネの教えを更に磨いて練っており、時のユダヤ教の支配的仕組み、思想、論調を徹底的に批判している。信仰の内面性を重視し、教義に対する忠実さを求めており、一種の宗教革命を呼びかけている。非常に多岐にわたって論を展開しており、巧みに例えを使って諭しており、名言にちりばめられている。 「山上の垂訓」の論旨を要点整理すると、総論として、1・体制派の信仰批判、2・真の信仰の義の称揚、3・「愛の哲学」を諸事作法とせよの三観点を説いていることが判明する。それらは、パリサイ派の虚礼挙式、教義上の虚偽詐術、欲張り、蓄財主義、残忍、報復主義等々に対する自ずと手厳しい批判になっている。同じ神信仰でありながら、その昔よりパリサイ派系とイエス系のそれは相容れぬ真反対のそれであることが判明する。この二股分岐は現代にも続いているように思われる。ここに「山上の垂訓」考察の意義がある。イエスの御言葉とパリサイ派教説との軋轢と云う緊張感抜きにイエスの御言葉を拝するのは詰まらない。味で例えれば「気のぬけたビール」になってしまう。 ここでは、「山上の垂訓」説話、イエスのそれ以前に宣べられた御教え、以後に宣べられたイエス教義の三者を総合し、一括してイエス教義として検証考察することにする。「山上の垂訓」をイエス教の教義篇とすると、「イエスの12使徒に対する指導考」は実践篇であり、「イエス派のイスラエル神殿乗り込み時の論争」は論駁篇となる。「山上の垂訓」にはこういう位置づけもある。 2006.11.2日再編集、2008.6.2日再編集 れんだいこ拝 |
【「山上の垂訓」の論理考】 | |||||||||||||||
イエスの教義を総論と各論に仕分けして整理してみる。まず、イスラエルの律法学者及びパリサイ派、次にサドカイ派(これらを仮に神殿本部派と云うことにする)の信仰実態を次のように批判している。これを仮に「総論1、神殿本部派(律法学者、サドカイ派、パリサイ派)の信仰実態批判」とする。 イエスは、ヨハネ教義を継承して次の御言葉から説き起こしている。
以下、神殿本部派の説く教義を全面否定し、諄々と新しい道を説いた。イエス教義はここに歴史的意義が認められる。イエスは、神殿本部派に対して次のように批判した。
次に、イエスは、神の御業を畏敬し、その偉業を信奉するよう宣べ、信仰に於ける真の信仰の意義を次のように称揚している。これを仮に「総論2、全知全能の神の御業(技)を知れ。真の信仰の義の称揚」とする。
次に、イエスは、「この世で一番大事なものは愛である。人は須らく愛で応接せよ」と宣べ、全てを癒す新しい思想として次のように「相互博愛主義」を諭している。これを仮に「総論3、愛の哲学を諸事作法とせよ」とする。
|
【「山上の垂訓」各論概括】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
以上を総論として、各論的に次のように宣べている。
|
【「山上の垂訓」の論法考】 | ||||||||||||||||||||||
「山上の垂訓」は非常に多岐にわたっている。これを整理し運動論で見れば次のような論法になっているのではなかろうか。
|
【「山上の垂訓」前置き】 |
釈迦の「般若心経」を学んだのを機に、ここで、「山上の垂訓」として知られるイエス教義の骨格を検証する。福音書四書のマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝のうち、ヨハネ伝を除く三書がそれぞれの「垂訓」を記している。ヨハネ伝に無いと云うことは、ヨハネ伝が異質な福音書であることを物語っていよう。れんだいこは、他の三書がキリスト教的立場から福音記述しているのに対し、ヨハネ伝はユダヤ教的立場からイエスを理解せんとしている違いと見立てたい。ここでは福音書考を為すところではないのでこれ以上は記さない。 それはともかく、マルコ伝の場合は、「湖畔の垂訓」となっている。ルカ伝の場合には「山上の垂訓」であるが、マタイ伝の場合、12使徒形成前の垂訓であるの比して、ルカ伝の場合には12使徒形成後の垂訓となっているという違いが有る。そういう違いは有るが、三書に記述されていることからして、よほど重要な史実ないしは教話であったことが分かる。 問題は次のことに有る。三伝ともこれを採り上げながら、それぞれ異なった記述となっている。足らずを補う関係とも云えるが、重要な解釈の差も有り却って混乱を生む仕掛けになっているとも云える。れんだいこは、福音書による山上の垂訓」が、イエスの御言葉を正しく伝えているとは限らないと推定している。むしろ、「山上の垂訓」の価値を落としこめ混乱させる為に意図的に駄文、捏造文が挿入されている気がしてならない。 例えば、次のような言葉は云うはずかない。「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『人を殺してはならない。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、私は言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『能無し』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」。イエスが、「裁きを受ける」だとか、「最高法院に引き渡される」だとか、「火の地獄に投げ込まれる」などの脅し文句を、間違っても云う事は無かろうに。 この種の捏造文がこの後続いている。そういう意味で、この種の雑文を除外し、こういう場合の通例として、本当は次のように述べたのではなかろうかとれんだいこが概要推定して御言葉にしてみることにする。 |
【イエスと律法学者、パリサイ派、サドカイ派、ヨハネ派との問答】 | |
イエスの名声はその奇跡の御わざとイエス教義の確立によってますます挙がり、それに応じて反発も生まれた。次のように記されている。
この頃早くも律法学者、パリサイ派との教義問答が為されている。時に予言者ヨハネ派とも為されている。この後も幾度となく繰り返されるので、ここで「山上の垂訓」の解析と同様そこに流れる御教えを纏めて概括することとする。これを為すのは難しいがれんだいこが敢えて挑む。 ここでも名言にちりばめられており、これはこれで値打ちがある。特徴的なことは、イエスが、律法学者、パリサイ派との教義問答に於いて、彼らが依拠する律法及び学説を真っ向から受け止め、それに精通している能力を見せつつ逆批判していることにある。イエスは事実、「この人は学問をしたことが無いのに、どうして律法の知識を持っているのだろう」と訝られている。イエスがいつどこでどのように律法の知識を享受したのか詳細は分からないが、幼少期よりの宗教的天分、それに伴う教義取得、あるいはヨハネ教団で学んだ時期、宣教初期の会堂での内倉籠もりしていた短い期間にいわば天才的に取得したと拝察するしかない。 「山上の垂訓」同様にここでも見事な例えを駆使して相手の論理論法を衝いている。一般に、どんな宗教思想を問わず、批判する側にとって自身が依拠する論理論法を逆手に取られて逆批判されるほど恐ろしいことは無い。この問答を通じて見えてくるのは、律法学者、パリサイ派がイエスとの論争にことごとく負け、逆上していくサマである。この逆上が遂にイエスの処刑へと辿り着いていくことになる。 |
その1、「悪霊論争」を通してのイエスの霊能力とその御言葉の神格性論争 | ||||
「悪霊論争」は次のように為されている。律法学者、パリサイ派は、イエスが威厳をもって発する御言葉の神格性に対して反発していた。イエスは「あなたの罪は赦された」の御言葉を宣べていたが、「神を冒涜している。神のほかに、一体誰が、罪を赦すことができるだろうか」と批判した。 律法学者、パリサイ派は、イエスの霊能力と奇跡的な御技に対しても反発していた。「この人は、このような奇跡を行う力をどこから得たのだろう」と訝り、意訳概要「悪霊の頭のベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない。あの男は悪霊の力で悪霊を追い出している。ベルゼブルに取りつかれている」と批判していた。 こうした批判に対して、イエスは、特にパリサイ派に対し次のように反論している。
イエスは、次のようにたとえ話をしている。
|
||||
![]() |
||||
何と痛烈な批判だろうか。律法学者、パリサイ派によって悪魔被れと謗られたイエスは逆に、律法学者、パリサイ派こそ悪魔の下僕と言い返している。且つ、この認定は譲ることの出来ないものであると述べている。これはなかなか興味深いことであるように思える。「パリサイ派の思想こそサタンに被れている。パリサイ派の者達は、自分達がユダヤ人の正統の子孫だと自称している。しかし、実は、彼らはユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者どもである」は意味深である。 再確認すれば、イエスは、律法学者、パリサイ派をユダヤ教信奉者と看做しているのではなく、サタン思想被れ者として批判している構図が見える。この意味するところは深いと思われる。イエスは、イエスの眼から見てそのサタン思想被れ者からよりによってサタン呼ばわれされたことに対して、どちらがサタンか白黒決着つけようと迫っている。世の中には曖昧にして良いこととできないことが有り、この問題は後者であり、決着付けるべしの態度を見せていることになる。 |
その2、イエスは人か神かの論争。 | |
律法学者、パリサイ派、サドカイ派は、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った。イエスは次のように応答して批判した。
|
|
![]() |
|
キリスト教とユダヤ教の教義的対立は実にここに発している。つまり、イエスを人と見る律法学者、パリサイ派と、人以上の存在ないしは神そのものと見るイエス及びその使徒達の根本的な教義対立が介在している。これは非常に難しい。ユダヤ教の教義は、偶像崇拝同様に「人間をもって神とする信仰」は堅く禁じられており、容認し難いものであった。そこで、「イエスは、神であるのか、人間に過ぎないのか」を巡ってイエス生存中にも大論争が起きていたということになる。 ちなみに、れんだいこは、この論争では律法学者、パリサイ派の見解を支持する。然しながら、イエスの痛烈な律法学者、パリサイ派のイスラエル神殿教義批判に賛意する。むしろ、律法学者、パリサイ派の詭弁、詐術と対決するには、自身を神の側に置くことによってしか為しえなかったのではなかろうか、と拝察している。 |
その3、イエスの悪人正機説による批判。 | |||
イエスは、悪人正機説を唱えていた。その論は、律法学者、パリサイ派の「常識」を逸脱しており批判を招いた。パリサイ派の律法学者は、イエスが社会の底辺に位置し、最も忌み嫌われている罪人や徴税人と一緒に食事をしたり平然と親しくしている様を批判した。 これに対して、イエスは次のように宣べている。
|
|||
![]() |
|||
これも非常に難しい論題である。ちなみに、れんだいこは、この論争ではイエスの見解を支持する。日本仏教でも、浄土真宗の親鸞がこの問題に挑んだことは周知の通りである。中山みきは「高山批判、谷底救済、金持ち後回し論」を宣べ更にこの観点を押し進めた。 |
その4、イエス及びイエス派の律法違反批判。 | ||||
パリサイ派、律法学者は、イエス及びイエス派が「昔の人の言い伝えを破る」非を批判した。市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。杯、鉢、銅の器や寝台を洗う等々の戒律を無視して、例えば、汚れた手、つまり洗わない手で食事をする。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか」と批判した。 イエスは次のように反論している。
イエスは、これを裏付けるものとして次の指摘をしている。
|
||||
![]() |
||||
イエスは、パリサイ派、律法学者が「昔の人の言い伝え」を伝統的に守っていることは認めながらも、それが形式主義に堕しており、それは却って神の御心に叶わないと批判していることになる。つまり、「形式よりも内実、外観よりも実質的な信仰を求めるのがイエスの御教え」という事になる。 |
その5、断食論争。 | |
ヨハネ派、パリサイ派は、伝統的宗教的戒律である断食を重視しており、イエス派がこの禁を重視せず時に破る行為を批判した。「なぜ、あなたがたは断食しないのですか」と問うている。 イエスは次のように反論している。
|
|
![]() |
|
断食についても然りで、パリサイ派、律法学者が伝統的に墨守しているのに対し、イエスは、時流に合わすべしと主張していることになる。つまり、「イエスの御教えは、『新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ』の言葉に象徴される革新主義にある」ことが分かる。 |
その6、安息日論争。 | ||
パリサイ派は、伝統的宗教的戒律である安息日の定めを重視しており、イエス派がこの禁を重視せず時に破る行為を批判した。「働くべき日は六日ある。安息日には働いてはならない。これが律法である。御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と問うている。 イエスは次のように反論している。
つまり、伝統的な安息日の禁を形式的に守る非を衝いて反論した。 イエスの安息日の救済活動も議論の対象にされた。そこで、イエスは言われた。
|
||
![]() |
||
安息日についても然りで、パリサイ派、律法学者が伝統的に墨守しているのに対し、イエスは、その拠って来る所以の理法こそ尊重すべしとと主張していることになる。つまり、「イエスの御教えは『安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない』の言葉に象徴される人間疎外現象批判、本末転倒事象批判主義にある」ことが分かる。 |
その7、「親兄弟を苦しめるな」論争。 | |
この時、パリサイ派、律法学者は、イエスの母と兄弟たちを呼び出し、イエスが反体制活動を止めるよう愁訴させている。家族に不利益が及ぼされ、悲しんでいる様を訴えさせ、イエスの伝道活動を抑制しようとした。これに対して、イエスは、次のような「信仰に於ける父母観」を披瀝している。
|
|
![]() |
|
「父母兄弟による泣き落とし」は昔も今も多用されている。それに対する、イエスのこの反論、弁明を見よ。「イエスの御教えは『誰でも、私の天の父の御心を行う人が、私の兄弟、姉妹、また母である』の言葉に象徴される同志的紐帯重視論にある」ことが分かる。 補足すれば、イエスのこの言説を一人歩きさせ悪用して「父母愛阻害論」を説く者が居る。それはナンセンスで、この言葉が発せられた事情を汲み取らねばならない。それは、イエスの反体制活動を止めさせようとして父母兄弟に愁訴させた官憲策略に対し、イエスが宣べた御言葉であり、父母兄弟の愁訴によって教義を曲げる訳には行かない、何故なら云々というセンテンスであることを理解する必要がある。「父母愛阻害論」を説く宗派が存在するが、彼らは文意を捻じ曲げていると云わざるを得ない。このことは深く知っておく必要が有る。 |
その8、「神の国はいつ来るのか」論争。 | |
パリサイ派が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて宣べられた。
|
|
![]() |
|
この問答の意味も深い。「神の国到来」とは、単に外来的にやってくるのではなく、内の内実が釣り合いながらやって来るものとの御教えを宣べているように悟らせていただく。これは神論にも繋がるが、「イエスの御教えは『実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ』の言葉に象徴される神=理合い論にある」ことが分かる。 ちなみに、中山みきの「神というものは有ると言えば有る。無いと言えば無い。成ってくる理が神である」の御教えと通底しているように思える。 |
これより以降は、「イエス履歴その6、イエスの本格的伝道」に記す。
(私論.私見)