補足  「イエスの12使徒に対する指導考」

 (最新見直し2006.11.2日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 イエスの12使徒に対する指導につきここで別サイトを設け検証する。イエスは「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人の使徒も連れ添った。やがて、イエスは、「十二人の使徒」を各所に派遣する。この時次のように指示している。これらは教義篇に照応する実践篇とも云うべきもので、これも非常に参考になる。


【イエスの12使徒指導に於ける珠玉の御言葉集】
 その1、正面堂々と福音活動に精励せよ。
 イエスは、正面堂々と福音活動に精励するよう次のように指示した。
 「『天の国は近づいた』ことを伝えよ」。「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい」。
(私論.私見) 「イエスの指針するプロパガンダ作法」について

 イエスは、所信を堂々と述べる伝道活動を重視していたことが分かる。この作法は一人イエス信徒だけの専売なのであろうか。

 その2、迫害を恐れるな。
 イエスは、使徒が迫害されることを予見し、次のように教示している。
 意訳概要「それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、あなた方は、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」。私のの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい」。
(私論.私見) 「イエスの指針する硬軟徹底抗戦作法」について

 イエスは、徒に反発する愚を戒め、硬軟使い分けの徹底抗戦伝道活動を重視していたことが分かる。「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」の御言葉が全てを表現している。この作法は一人イエス信徒派だけの専売なのであろうか。

 その3、審問時の弁明に悩むな。
 イエスは、使徒が迫害拘束され、裁判に付されることを予見していた。次のように指針させている。
 意訳概要「審問時の弁明に悩むな。神の自由自在力が働く。それを信じよ。何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる父の霊である」。
(私論.私見) 「イエスの指針する裁判闘争」について

 イエスは、裁判闘争においての屈服路線を排斥し、その場をも又伝道活動の場にすることを指針させていたことが分かる。神の霊が乗り移り答弁してくださるとも御教えしている。この作法は一人イエス信徒だけの専売なのであろうか。

 その4、思想闘争、社会変革闘争を重視せよ。
 イエスは、殊のほか思想闘争、社会変革闘争を重視していた。
 概要「私が来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣を投げ込むために来たのだ。わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか」。
(私論.私見) 「イエスの指針する思想闘争、社会変革闘争重視路線」について

 イエスは、殊のほか思想闘争、社会変革闘争を重視していたことが分かる。かく理解すべきではなかろうか。この作法は一人イエス信徒だけの専売なのであろうか。

 その5、家族内でも神の義を求めて争え。
 イエスは、神の義を持たない家族内の小平和よりも、家族内においても神の義を問いあい、家族の絆の神の義への転換を促した。
 意訳概要「私は、父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと仲たがいさせることを厭わない。こうして、自分の家族の者が敵となる。私よりも父や母を愛する者は、私の教えにふさわしくない。私よりも息子や娘を愛する者も、私にふさわしくない。もし、誰かが私の使徒にならんとして来るとしても、神の義に立たない父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを捨て私の元に来るのでなければ、私のの弟子ではありえない」。
 「あなた方は、私が平和をこの地上にもたらす為に来たと思っているのか。そうはない。私は分かれさせる為に来た。私の信仰に従うなら、今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して、父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対立するであろう。信仰の義を求める為に避けて通れない道である」。
(私論.私見) 「イエスの指針する家族内思想闘争重視路線」について

 イエスは、殊のほか思想闘争を重視していたことが分かる。それは家族内に於いても例外ではなかった。イエスは、御教え、神の義に叶う信仰を家庭内にも確立せよと宣べている。この作法は一人イエス信徒だけの専売なのであろうか。

 その6、殉教精神を昂揚させよ。
 イエスは、「殉教精神を昂揚させよ」と次のように宣べられている。
 概要「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、私にふさわしくない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、誰であれ、私の弟子ではありえない。だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたの誰一人として私の弟子ではありえない」。
 「もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない」。
 「人は皆、火で塩味を付けられる。確かに塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい。自分自身の内に塩を持ちなさい」。
 「自分の命を得ようとする者は、それを失い、私のために命を失う者は、かえってそれを得るのである。あなたがたを受け入れる人は、私を受け入れ、私を受け入れる人は、私を遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく」。
(私論.私見) 「イエスの指針する殉教精神の称揚」について

 イエスは、殉教精神を高く称揚している。その分量からして相当に重視していたことになる。この作法は一人イエス信徒だけの専売なのであろうか。

 その7、シンパを大事にせよ。セクト主義に陥るな。
 イエスは、「シンパを大事にせよ。セクト主義に陥るな」と宣べ、次のように指針させている。
 「私達に逆らわない者は、私達の味方である。はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。私を信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい」。
(私論.私見) 「イエスの指針するシンパ尊重論」について

 イエスは、「私達に逆らわない者は、私達の味方である」と宣べシンパ尊重論を教導している。この作法は一人イエス信徒だけの専売なのであろうか。

 その8、過ちは許せ。
 イエスは、ペテロの「主よ、兄弟が私に対して罪を犯した場合、いくたび赦さねばなりませんか、7度までですか」と尋ねたのに対し、次のように宣べられている。
 「私は7度までとは云わない。7度の70倍まで赦す」。
(私論.私見) 「7度の70倍まで赦す」について

 イエスは、「7度の70倍まで赦す」と宣べられている。これは、パリサイ派の報復主義を意識した赦しの理論であるように思われる。イエスは常々「人を裁くな、裁かれない為である」とも宣べられているが、同様の趣旨であろう。




(私論.私見)